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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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高校野球は野球じゃない

俺の大嫌いな高校野球が始まった。
何が嫌いかといえば、あの軍隊みたいな堅苦しい空気だ。
あれの何処がスポーツなんだか全く理解出来ない。
柔道や剣道みたいに勝負以上に精神の鍛練が趣旨というのなら分からなくもないけど。
何かにつけ高校生らしくって、その言葉を聞く度に気持ち悪くてジンマシンが出そうだよ。
ちょっと喧嘩したり煙草吸ったりしたら直ぐに高校生らしくないって出場停止とか出場辞退だろ?
子供が喧嘩するのは、当たり前の事じゃないのか?
子供の時に喧嘩したから大人になって喧嘩は良くないって堪える事が出来るんじゃないか。
喧嘩をしらないで大人になる事がどれだけ危険だか分かってない阿呆の常識だよ、そんなのは。
煙草にしたって高校生にもなって吸った事の無い奴なんているのか?
良いか悪いかなんて吸ってみて自分で判断すりゃあいいんだよ。
それで、それがルール違反だっていうんなら自分だけで責任とればいいだけの話だ。
それに子供はその個性を伸ばせる環境に居る事で大きく成長出来るのになんでみんな坊主頭なんだ?
いいじゃないか、モヒカンとかドレッドでも。
坊主にしなきゃ野球出来ないんならプロは、全員失格じゃないか。
スポーツの醍醐味は、もっと清々しいものだよ。
精神修行の為っていうんなら野球道って事にして野球とは別の物だってはっきり区分けして欲しいもんだ。
適当に汗を流して楽しむだけでもそれはスポーツだし、ストイックに自分の記録に挑戦するのもスポーツだ。
でも、人間性に係わる事にまで規制を強いて、その理由が高校生らしからぬっていうのは、高野連の暴挙としか俺には思えないんだ。
何様だよ、お前等?って言いたいよ。
そして、それに反発する事もなく当然のように従う生徒は、十代後半にもなって子供過ぎるというか腑抜けというか、情けないよ。
俺みたいな考えの奴の方が断然少数派なのは。勿論分かっている。
そんな事は承知のうえでも黙っていたくないんだ。
それは、俺が大の野球ファンだからだよ。
高校野球そのものが悪いなんて思っちゃいないんだ。
そうじゃなくて、あの空気を何とかしてくれってただそれだけなんだ。
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知恵は有っても智慧が無い

原発事故処理の問題が、相変わらず一進一退だ。
いや、実際の所は一進十退なのかもしれないが、俺達には報道から受ける情報しかないのでそういう事にしておく。
それでも分かっている事は、今後数十年間若しくは数百年に及ぶかもしれない期間、この放射能汚染というものに付き合っていかなければならないという事だ。
そんな中、やはり一番気になるのは、子供達、そしてこれから産まれてくる子達にどんな影響を与えるのかという事だろう。
要するにこの国に真っ当な未来が有るのか無いのかという不安だ。
なのにだ。
そんな尋常ではない状況を招いた原発なのに未だに撤廃を拒もうという意見が後を絶たない。
こういう発想は、やはり智慧が無いとしか思えない。
物事の筋道を立てて計画し、処理していく能力が知恵だ。
この知恵に関して言えば、日本人は非常に優れた民族だと思う。
一言で頭の良いお国柄という事だ。
しかし、その頭の良さというのは、残念ながら物事を効率よく進める上での良さでしかない。
現在最も求められるのは、そういった単純作業の道筋を作るだけのものとは質が違うと思う。
智慧とは、現象を把握して真理を見極める認識力の事だ。
知恵は有っても智慧が無いから焦点が定まらない。
これが今の日本の実態だと思う。
リーダーであるべき筈の菅さんには、この智慧が無い。
だから迷走するんだよ。
そして、同じ党の仲間からも批判される原因もここだと思う。
原発を無くせば経済の大混乱、衰退を招く恐れがある事は、素人の俺にも分かる。
だが、それと国自体の存亡が危ぶまれる事とどちらが大切なんだって事だよ。
一旦は、安全基準を充分に満たせば原発を復旧、復興させると言っておきながら今度は、原発の無い国を目指すと見得を切る。
そして、反発が多いと見るやあれは個人的な意見だったとトーンダウンだ。
話になんないだろ?これじゃ。
意見を変えるんだったらこれこれしかじかの理由によりって納得できるような道筋を明確に示してくれなきゃ只の思いつきで物を言ってると思われても仕方が無いよ。
しかし、菅さんが辞めて次の総理大臣に引き継いだとしてもその人に智慧が無ければ結果は同じだ。
というよりも時間の無駄遣いという分マイナスですらある。
だったら菅さんが智慧を身に着ければ一番手っ取り早いという事にもなる。
元々あの人は、クリーンさで支持された人だ。
政治家に有り勝ちの古狸とは違う。
非を認める勇気と智慧の無さに気が付けば評価の高い総理大臣になれてたかもって思うんだけどね。

愛の本懐

68歳の加藤茶が、再婚した。
奥さんは、なんと45歳も年下の23歳だ。
加藤茶といえば5年前に大病を患って生死の境を彷徨った筈だ。
それが、再婚っていうんだから恐るべき生命力だな。 
ドリフのメンバーは、もう二人も死んでるっていうのに。
俺の知る限り映画監督の鈴木清順が、48歳下の奥さんをもらっているからそれに次ぐ快挙だ。
ここまで歳が離れた相手とは、付き合うという所までもいかないのが普通だ。
それは、何故だと思う?
親が反対するから?
奥さんが未だ女ざかりの内に旦那が介護生活になっちゃうかもしれないからか?
それとも、子供が二十歳くらいの時には、もうこの世にいないかもしれないからか?
どっちにしろ将来を考えての事だよな。
でもさ、じゃあ相手の歳が近ければそれだけ幸せになれるのかというと、一概にそうとは言えないよね。
将来なんて誰にも分からないんだし。
そんな事より、やっぱり大切なのは今だろ?
今、二人の愛がどのくらいの位置にあるかって事が大事なんじゃないかな?
愛には、レベルがあると思うんだ。
自己中心的な愛に始まって、それがお互いを思いやる愛に変わる。
変わるというよりも進化とか昇華って言葉の方が適切だな。
そして、もっと高みにあるのが、結果的に自己犠牲になるかもしれない無償の愛だ。
ここまで辿り着くと愛というものが理屈や打算じゃ語る事の出来ない光の結晶みたいなものに例えてもいいんじゃないかと思うんだ。
凡夫の俺には、一生掛かってもそこまで行き着く事が出来るかどうか分からないけど。
でも、人が目指す場所って本当は、そこにあるんじゃないかって気がするんだ。
だとしたら、恋愛に歳の差を持ち出す事ってもしかしたら意味の無い事なんじゃないかって思えてこないか?
例えその期間が1年、いや、1日しか無かったとしても光の結晶まで辿り着けたなら、それはそれで本望なんじゃないかって俺は思うよ。
付き合う相手の歳が大きく離れていた場合に不安を感じるのは、年下の方だ。
今は、楽しくてもそれが長く続かないんじゃないかと疑心暗鬼になる筈だ。
その後にやって来るであろう寂しさの方が大きいんじゃないかってね。
さっきの話の中の自己中心的愛から進化出来なければこの先は無い。
だったら離れられなくなる前に別れた方が無難かもと思う筈だ。
それはそれで間違いという事ではないと思う。
しかし、誰もの心の奥底に潜む愛の本懐は、その程度の心意気じゃあとてもじゃないが手にする事は出来ないんじゃないかな?

それで委員会?

あの巨大フェスが訳の分からんアイドルグループにいちゃもんを付けられているようだ。
脱原発ソングは、困るから降ろされたとか何とか。
かなり信憑性には欠けるが、一応けじめは付けて貰いたい。
大方の予想はついている。
出演交渉をして出れるかもという所まで実際に話は進んでいたんだと思う。
しかし、それが未確定段階の内にメンバーが決定したと公表してしまった。
そして、結果は不可と出た。
それを脱原発ソングを歌うという理由で東電元社長が監査役にいるイベントスポンサーの圧力が掛かったのだと言いたいんじゃないか?
もしそうだとするなら結論は、既に出ているようなもんだ。
だって、イベントサイドは、このグループが出演決定したとは発表していないんだから。
発表していたんだったらそれはおかしいじゃないかと非難されても仕方が無いがそうじゃない。
だいたい忌野清志郎をメインに据えた事があるって時点でこのフェス自体が骨の有るロックフェスだって分かるじゃないか。
それが、脱原発ソングの一つや二つでビビるとは到底思えないよ。
今回の騒動は、ロックのど真ん中に居る事が全ての俺にとっては、あまり気分のいい話じゃない。
こんなのを鵜呑みにされたら、なんだ、やっぱりロックも金や権力には平伏すのかって事になっちゃうからな。
アイドルグループ側のその後の態度は、曖昧だ。
自分達は、正しいと思っているんなら、そうはっきり主張すべきだ。
非を認めるんならまどろっこしい言い方で余計な事を付け加えるんじゃなくて素直に謝るべきだ。
これは、只単にあのフェスに文句を付けたってだけの話じゃない。
俺の信頼する仲間もステージや裏方で何人も参加しているんだ。
そして、そんな事以上にロックに喧嘩を売ったんだ。
誰かを守る為みたいな事を言っているらしいが、はっきり真相を語って真実を公表出来ないんなら生き残れるとは思えないぜ。

はったり人生

豪腕投手の伊良部秀輝がアメリカで死んだそうだ。
警察の発表では、首を吊った状態で発見されたらしい。
まだ42歳だったのに。
自殺か他殺かは置いておいて、なんか彼らしいな、という気持ちもしないでもない。
まさに太く短くだな。
最近は、野球選手に限らず如何にも男らしいというか、豪快な奴が少なくなったと感じていたが、彼の死でそんなのが流行ったのは過去の話と益々思えてしまう。
男としてああいうタイプに魅力を感じてしまう俺ももう過去の人って事なのかもしれない。
・・・なんて思うわけねぇだろ!
男は強くなきゃいかん!
いや、強く見せなきゃいかん!
実際は、小心でも構わん!
はったりでも何でもいいから取り敢えず突っ張っとけ!
はったりっていうのは、言葉や態度で俺は凄いんだって大風呂敷広げて相手を威圧する事だが、そんな意味合いからするとあまり良い行いとは受け取れない。
そして、こういうはったりの多い奴程中身は虫けらのように小さいというのも事実だ。
自分自身の器が、小さいからそれを悟られまいとして大きく見せようとする。
小心者の常套手段だ。
しかし、はったりも100回かませばその内の1割位は、現実になってしまうものなんだよ。
自慢じゃないが、俺の人生は、はったりで成り立っていると言っても過言ではない。
前にも話したが、俺は16歳で家を飛び出した。
16歳といえば最も飯を食う時期だ。
金は、一銭も無い。
取り敢えず飯が食える仕事場を探す事になった。
所謂賄い付きって奴だ。
となると、手っ取り早いのは飲食店だ。
面接でいきなりかましてやったぜ。
歳は?
二十歳です。
経験は?
実際に働いた事は、無いんですけど昔から飲食店で働く事が夢でした。
詐欺とも言えるが、面接さえ受かれば飯は食える。
いつかバレるだろうが、その前にしっかり働いて実力で認めてもらえば何とかなる。
ずるいと思うかもしれないが、俺は、間違っているとは今も思っていない。
結果オーライって奴だ。
10のはったりに1の実績。
大切なのは、1の実績を残せたのは、10のはったりがあったからって部分だよ。
あんな事言っちゃったから頑張るしかないみたいにね。
はったりがエネルギーって事になると聞こえは悪いが、男の人生ってそれでもいいんじゃないかと思うんだ。
俺のちんちんは、20センチだって言って実際は13センチだったとしても満足させる事が出来れば女も文句は言わないだろう?
7センチ分を情熱とテクニックでカバー出来れば何の遜色も無い筈だ。
ごめんね、嘘言って。
君への愛情を足して20センチって意味だったんだ。
ううん・・・とっても・・・大きかったよ・・・。
なんて言わせてみろ!
多少強引な例えだったが、男ならこのくらいのはったりかませるくらいじゃなきゃ成長しないぞ。

繰り返される問い掛け

被災地復興の為に作られた高速料金無料化制度を悪用するトラックが、日増しに増えているらしい。
例えば九州から東京に荷物を運ぶとすると、わざわざ被災地まで行きUターンして東京に向かうそうだ。
被災地で降りればそれまでの高速料金はただになる。
そして、被災地から出発したという事にすれば東京まで行き着く料金もただだ。
呆れる。
いや、それを通り越して悲しいよ。
こういう善意を悪用する輩に対して激しい憤りを感じるのは、俺だけではないと思う。
そして、やってる事が、あまりにもせこい。
人としてのモラルもプライドも何も無い。
そうやって手に入れた臨時収入が幾らになるのか知らないが、そんなものに価値など無い。
やってる事は、やくざと同じだ。
いや、本来のやくざっていうのは、弱きを助けっていう彼等流の正義があるからやくざ以下だ。
だが、こういった人としての質を問われるような事は、常日頃からあらゆる場所に点在しているものだ。
満員電車の中で年寄りや体の不自由な人の為に設けられている優先席に平然と陣取る者、身障者用の駐車場を当然のように利用する健常者も同列だ。
自分だけが良ければいい。
行き着く所は、全てここだ。
人間には、母親の産道から頭を出した時から魂が肉体を離れるまでの間にその質を試される場面が何度と無くあるものだ。
その中で頻繁に繰り返されるのが、この自分だけが良ければそれでいいのかという問い掛けだ。
常識的に考えれば、それは、間違いだと誰もが答える。
だが、それを実践出来ているかと言えば、口ごもり眉間に皺が寄る人が大半だろう。
そして、この問い掛けは繰り返される。
一旦クリアした積りでも未だ未だ甘いと繰り返される。
どうしてそんなに執拗なのかというと、実践しない方が楽だからだ。
人は、魂を磨く為にこの世に生を受けるという実体の無い上に半信半疑の目的と目の前にある自己中心的幸福を秤に掛けた時に誰しも一旦は後者に傾くものだ。
そりゃあ、一方は、実体が無いんだし、誰かが監視しているわけでもないんだから。
そして、失敗を繰り返すわけだ。
勿論、魂を磨くという意味における失敗だけど。
だが、この失敗を何回か経験する内に自分が成長していない事に気付きはじめる。
そう気付いた時点でワンランクアップだ。
だが、その後にもっと大きな自己中心的幸福の誘惑がやって来る。
そして、脆くも崩れさる。
この繰り返しが、この種の問い掛けのシステムでありカラクリだ。
付き抜けられなければ、この問い掛けは、来世、来々世でも続くようにセッティングされている筈だ。
日本という国を一個人として考えた時に、今回の震災で受けたダメージは、あまりにも大きい。
身も心もボロボロだ。
だが、それは、魂をも駄目にするものとは違う。
逆にこんな時だからこそ尚更魂磨きに精を出すべきだと俺は思う。

恋愛の醍醐味2

恋愛の醍醐味は、ドキドキ感だ。
って話をしたわけだけど、この不思議な感情は、恋愛の回数を幾ら重ねたとしても変わるものじゃない。
それは、やっぱり恋愛が人間にとってそれだけ重要なものなんだっていう証なのかもしれない。
そして、その心理を例えて言えば、裁判で無罪か有罪かを宣告される被告の心境に近いものがあるような気もする。
ドキドキするって事は、一種の緊張感でもあると思うんだ。
緊張するのは、その前に重大な何かが待ち構えているからだよね?
じゃあ、その重大な何かって何だろう?
俺は、君の事が世界中の誰よりも好きだ。
そんな全身全霊を込めた言葉に対する反応だよね、きっと。
恋愛においては、いたる所にドキドキがあるわけだが、その最高潮の波は、初っ端に襲ってくるから厄介だ。
あたしもあなたの事が一番好き。
だったら勿論最高だ。
そのまま天にも昇って死んじゃってもいいって感じだよね。
ごめんなさい、あたし他に好きな人がいるの。
目の前が真っ暗になって生きてる心地もしないよな。
あなたは、良い人だと思うけど彼氏って感じじゃないの、お友達でいましょ。
なんて中途半端な答えも死刑宣告と同じだよね。
最高か最悪。
やっぱり無罪か有罪かって感じだろ?
どう考えても答えは、このどちらかしか無いって事だ。
確率からいけば半々かというとそうじゃない。
相手にも色々な事情があるし、もし彼氏が欲しいと思っていたとしても周りにはそんな対象が何人もいるんだからね。
そんな中から自分が選ばれるかどうか。
これは、やっぱりドキドキするよ。
期待と不安の入り混じったこのドキドキだけど、誰だって不安の方は、出来る限り少なくしたいと思うのが普通だ。
方法が無いわけじゃない。
所謂恋のテクニックという奴だ。
これは、難しいようで実は簡単な事だと俺は思っている。
自分を在りのままに全て曝け出す事だよ。
全てという事は、弱点も晒す事になるから一見不利に思えるかもしれない。
でもね、恋愛で先ず最初に相手に求めるものって信頼なんだよ。
これが無きゃ何も始まらないし、もし始まったように思えたとしてもそんなものは、薄っぺらなまやかしみたいなものだよ。
かっこつける事が恋愛の近道だって誤解しやすいけど、実は、最も遠回りなんだと思っておいた方がいいぞ。
真正面からお互いを受け止めあう事が出来ないんなら、それは、本当の恋愛とは言えないと思う。
俺は、こういう所が駄目なんだ。
いいよ、そんな時は、あたしが助けてあげるから。
いいだろ?こういうのって。

恋愛の醍醐味

夏は、恋の季節って何回も言ってきたけど、みんな、調子はそうだ?
毎日いちゃいちゃしてんのか?
でも、年がら年中くっ付いてりゃいいってもんでもないんだぞ。
いや、寧ろそういうのは、あんまり良い事とは言えないかもしれないな。
だって、そんなにいつも一緒だったらそれが当たり前みたいになっちゃうだろう?
当たり前の何処が悪いんだって言いたいんだろ?
そうだな、一言で言っちゃえば新鮮味が無くなるよ。
恋愛で言う新鮮味っていうのは、ドキドキ感だよ。
だいたいさ、このドキドキ感が恋愛における一番の醍醐味だからね。
醍醐味って本当の面白さ、最上のもの、深い味わいって意味だぞ。
これが無くなったら女の子の場合は特にだと思うけど、例え一緒にいても何となく不安になるんだよ。
前は、あんなにしょっちゅう電話して来たりデートに誘って来たりしたのにあの時のあなたは、いったい何処へ行っちゃったの?
みたいにね。
だからといって恋愛感情が無くなったというわけじゃなくても確実に情熱って意味では、下降するのは間違い無い筈だ。
そんな事言ったら結婚とか同棲は、良くないって事になるじゃないかって思うんだろ?
悪いけどそれは、否定出来ないな。
確かにドキドキ感って意味ではね。
その代わりと言っちゃあなんだが、一緒に住めば相手の存在を独占出来るわけだ。
他の人に取られたくない、自分だけの存在でいて欲しいという欲求を満たす事が出来るんだもんね。
これは、確かにでかいよ。
独占っていう響きは、あんまり良くないかもしれないけど、それによって得られる安堵感みたいなものは、或る意味達成感と同じ様なものだからね。
それじゃあ、ドキドキ感と安堵感を同時に得る事は、出来ないのかって話だ。
残念ながら、付き合ってる時と一緒になってからを同じに考えたらおそらく無理だと思うよ。
一つの案として、偶には距離をおくっていうのが良いように思うな。
愛し合ってるんだから離れられないっていうのは、勿論分かる。
でも、少しでも長続きさせたいんならこれが最もな妙案だと思うよ。
距離をおいたら、あの人今何してんのかな?とか、他の人といちゃいちゃしてんじゃないか?とか、心配になったりしてさ。
そしたら、もう直ぐにでも会いたい、会いたくて仕方が無いって思うだろ?
なっ、ドキドキ感が戻るだろ?
こうやって、良いチャンスだ、浮気しちゃおうなんて実行に移しちゃうんだったら、どっちみち長続きなんかしやしないんだからその程度かって思うしかないけどね。
こんな話を聞いて、あたし達の愛は純粋なんだからそんな事する必要も無いって思った人も多いかと思う。
ずっと一緒だしドキドキする気持ちも変わらないってね。
そう思うのが普通かもしれない。
でも、それが続くのは、いいとこ3ヶ月から半年、1年間続いたら大したもの、3年続いたら奇跡だよ。
その気持ちは、よ~く分かるが、俺の言った事も一応、頭の片隅にでも置いておいた方がいいと思うよ。

鏡の中の自分

いやぁ、暑い、暑い。
毎日、頭がくらくらするぜ。
その上やらなきゃいけない事が次から次へと起こるから脳味噌が味噌汁になって溶けだしそうだよ。
そういう立場だからとかそういう仕事を選んだのは自分だからなんて納得しようとする反面、実は、どんな仕事を選んでいたとしても結果は同じようなもんだとも思う。
実際、過去の職種の時も同じ思いに陥った事があるわけだし。
ついこの間もこれに近いような話をしたけど、結局は、これが自分の生き様なんだと思う。
楽をしようと思えば出来るんじゃないかって気がする。
でも、きっとそれは、単なる幻想でしかない事がこの歳になると良く分かるんだ。

こうしていればもっと良い結果が出たのかもしれない。
ああしていれば誤解も招かずに済んだのかもしれない。
みんなもそんな思いに駆られる事って結構多いんじゃないか?
だけど、そんな思いなんかも夢物語の一コマでしかないんだと思う。
問題にぶち当たった時って誰だって真剣に考えてベストの答えを導こうとするよね?
そして出た答えだったら、あれこれしていればどうなったとかって既に有りもしない事だし弁解以外の何物でもないって事になると思うんだ。
例えば自分主催のイベントを行ったとしよう。
結果的にお客さんの入りが芳しくなかったとする。
集計してみると或るバンドが全くお客さんを呼んでいなかった。
本当はそのバンドじゃなくて他のバンドを入れる積りだったんだよね。
なんて思っちゃいけないと思うんだ。
これが、イベント主催者としての自分の実力なんだって認めなきゃいけないと思うよ。
本当は入れたかったバンドっていうのも主催者の熱意次第で出れたかもしれないんだし。
バンド側にも色々な事情があるわけだけど、きっと何処かで見切りを付けたんだよ、自分が。
そして、ならばという事でもう一つのバンドを入れる決断をしたのも自分の筈だ。
だったらベストを尽くしたんだからそれが自分の実力だよ。
イベントとして面白いってアピール出来なかったのも自分の実力だよ。
本来、イベントってそのイベント性で勝負するものだと思うし。
要するに実力不足の主催者が、それに見合った結果を出したに過ぎないって事だと思うよ。
だから、大切な事は、その結果を真摯に受け止めて次の課題にする事だと思うんだ。
べストを尽くすって事は、踏ん切りを付ける事でもあると思う。
そこに後悔なんて言葉の入り込む隙なんて本当は無いんだよ。

自分で結論を出して起こした行動に対する答えは、自分以外の誰の責任でもないし我が身を写す鏡だ。
そして、幾つもに見える道が、実は一本でしかない事を鏡の中の自分は知っている筈だ。

密かな幸せ

毎日ライブを観ているとバンドに華が有る、無いという違いがはっきり見える。
ステージに立つ側からするとこの差は、とてつもなく大きいものだ。
そして、それは人気のバロメーターとも言えるお客さんの動員という目に見える形としても現れる。
それじゃあ、この華って何なんだと言うと如何にも漠然とした答えしか返ってこない。
持って生れたものが華なのか?
それとも育っていくものが華なのか?
その答えに関しては、非常に分かりやすい例がある。
長年、脇役専門として活躍した俳優が、徐々に主役となっていく例等は、その典型だ。
こうやってセンターを得た人の座は、並大抵の事では揺るがない。
ちょい役、脇役時代に作り上げた土台が磐石だからだ。
こういうのが理想的な華の形なのだろうと思う。
そして、この華に成分という物があるのだとしたらそれは人から貰ったエネルギーだと思う。
華を持って生れたと言われるような人というのも実は、子供の時の環境から生れたもので、本当はこの世に生まれた瞬間から備わっていたというわけではないような気がする。
○○ちゃん可愛いね、なんて大勢の人から持て囃されていた事が多ければ多い程、結果としてそれが華へと進化していったという事なんじゃないかな?
でも、それだけじゃあ華と言っても華奢な華だ。
いつ枯れて萎んでしまうかも分からない。
勢い付いている時はいいが、一旦元気を無くすとなかなか元には戻らない。
華と花は違うけど人を魅了する非凡な存在という意味では、花も華の内だ。
そんな、花のように人を魅了する事を生業にしている人達だけにこの華が必用なのかというとそうとは限らない。
人が10人集まれば、大抵一人は華のある人がいるものだ。
野球やサッカーで1チームに必ず一人は華のある奴がいるのと同じだ。
これが、華奢な華なら立場は微妙だ。
なんだよ、あいつ、一人だけ目立ちやがってと陰口も何処からか聞こえてくる事だろう。
でも、それが名脇役から上り詰めた華ならそうはならない。
地味な役も散々こなしているからちょい役、脇役の気持ちが理解出来るからだ。
役者だろうと一般社会人だろうとどんな所にもステージは有る。
そして、人のエネルギーを貰って育つ華に焦りは禁物だ。
じっくり地盤を固めて他人の気持ちも理解しながら徐々に徐々に光を増していく事が肝心だ。
そんな磐石の華に育つかもしれない人達に出会える場所に居れる事。
それが、俺の密かな幸せでもある。

運命の出会い

男と女が恋に落ちる時というのは、必ずそこに切欠というものがある。
そして、それが所謂出会いであるわけだけど、この出会いっていったい何だろう?
仕事だったり学校だったりに行っていれば必ず何人もの異性と係わるのにそれを出会いとは言わないよね。
もっと極端に言っちゃえば毎日外を歩けば色々な異性と擦れ違うし、店に入ればその店の異性と会話もするわけじゃないか。
いらっしゃいませ、ご注文は?
カレーライス下さい。
これも異性との係わりと言えないわけじゃない。
そうやってどんな所にも異性と恋をするチャンスは、転がっている筈なのにそれを出会いとは言わない。
そんなチャンスは無視をしていながら誰しもその得体の知れない出会いを求めているって不思議だと思わないか?
要するに運命の人と出会いたいって事なんだろうけど。
運命の人・・・ってこれも益々曖昧だ。
その人が運命の人かどうかなんてどうやって見極めるんだよ?
セックスまでいったら取り敢えず運命の人って言うのかな?
それだったらソープ嬢なんて1日に何人もの運命の人に出会ってる事になっちゃうし。
これは、あくまで俺の予想もしくは妄想かもしれないけど、運命の人との出会いってお互いの心の位置みたいなものが一致していないと只の擦れ違いでしかなくなるような気がするんだ。
こんにちは、あっ、どうも。
で終わるくらいは未だましな方で本当に擦れ違うだけのその他大勢の中の一人みたいにね。
そして、その位置が低い所に居れば低い位置に居る人としか出会わないし逆に高ければ同じような高さの人としか出会わないような気もする。
あくまで出会うと係わるが別のものとしての話だからそこは勘違いしないでくれ。
よくある話で今まで何とも思わなかったのに或る日突然異性として意識するようになる事ってあるだろう?
そういうのってどちらかの心の位置が変わったって事だと思うんだ。
俺のイメージしている事がもし正しいとすると人として素敵な人と出会うには自分も素敵な人でなければ出会えないという事になる。
いくら表向きを着飾っても何の効力もない。
いやらしい目付きで挑発しても何の発展も生れない。
同じ付き合うなら誰だって人として魅力的な相手と付き合いたいって思うよね?
そして、それが運命の人であって欲しいと願うよね?
だったら先ず自分の心を成長させる事が先決だ。
最高の運命の出会いが有るか無いかは、全て自分次第って事のような気がしてならないんだ。

リンクするこの世とあの世

ここで投げ出したら楽だよなぁなんて思う事ってあるだろう?
投げ出したからといって死ぬわけじゃないし、誰かが何とかしてくれるだろうしなんてね。
今まで何回そんな思いが過ぎった事だろう。
それでも何でそうしなかったんだろうと思う時がある。 
意地かプライド、それとも安定?
3つしかない選択肢の中に安定が入っている所が如何にもダサいが完璧にそれを否定出来ないのは、正直に腹の内を晒さなければ君等と向き合う事が出来ないからだ。
安定を求めるというのは、立ち止まる事、成長を止める事でもあると思う。
確かにそんな気持ちになる時がいつか訪れるのは、人間誰しも逃れられないのかもしれない。
それでもそれは、老いるって意味だと認識している俺には、完全否定ではないまでもまだまだ先の事のように思える。
となると、残りはあと2つ。
本当は、プライドと言ってしまうのが一番かっこいいようにも思う。
それでもさっき正直に晒すのが君等と向き合う事だと言い切ってしまった手前、無理のある台詞は、この際無しにしよう。
そうなんだ、やっぱり意地なんだと思う。
何に対して、誰に対しての意地なのか。
ライバル?
それも少し違うような気がする。
もし、それがライバルだとするなら結末がそう長くは続いていない筈だし。
でも、意地っていうのは、常にそれを受け取る対象があって成り立つものだよね。
こうやって的をどんどん絞っていく事って、結局自分自身を見つめ直す作業でもあるから嫌いじゃないんだ。
もう一人の自分に対する意地。
間違い無くこれだよ。
勿論俺は、二重人格ってわけじゃないけど、人間って誰しもどんな時でも例外無く2つの道を選択出来ると思うんだ。
それは、平坦で楽な道とくねくねしてでこぼこした険しい道に分けられると思う。
だらしなくて面倒臭い事が大嫌いな俺は、当然楽な道を進みたい。
でも、必ずそうじゃないだろうというもう一人の俺がその前に立ちはだかるんだ。
お前、本当にそれでいいのか?
後悔するんじゃないか?ってね。
勿論、それを振り切って楽な道を選んだ事が無いわけじゃない。
でもさ、そういう時って大抵落とし穴に落ちる事が多いんだ。
若い時は、そこで振り返って、ああ、あそこで楽な方を選んだからだなって反省するんだ。
ここで話が終わっちゃうと単なる教育論だよね。
そんな内容ならこのブログも別に書く意味も無いのかもしれないし。

え~と、話がこんがらがらないように言っておくけど、ここまでは、何年か前までの俺の発想だ。
ところが、今は、全く別の自分が目覚めてしまったんだ。
これから俺が言いたいのは、もう少し視野を広げた発想なんだ。
その後に気が付いたのは、上手くいった事、ろくでもない結末も全て認めて受け入れてしまうのが最善なんじゃないかと思うようになったんだ。
簡単に言うと、選択肢なんて最初からあるように見えて無いんだよ。
悩んだり迷ったりした事もそれが一本の道でしかないんだ。
だから、全ては成る様にしかならないし逆を言えば全ては何とかなるって事だ。
その法則みたいなものが分かっちゃえば、全ての現象は、楽でしかないって意味だ。
その過程を楽しんじゃえばいいだけの事だと思うんだ。
ここに気が付いた時に何となくだが、天国とか地獄って言われる場所って、実は常に俺達が居る所なんじゃないかって思うようにもなったんだ。
天国でもあるし地獄でもあるってね。
実際に人が死んだら魂の行くべき所ってのがあるとも思うけど、それって今自分が存在している場所でもあるって事だよ。
こっちとあっちが常にリンクしているみたいなね。
こんな物理や科学を超えた所に宇宙の法則というか、理屈みたいなものが隠されているんじゃないかな?
みんなも覚醒しちゃおうぜ!
苦しい事、悲しい事も全部ひっくるめて生きる事の楽しさって枠の中にあったんだって気が付くよ。

雨の七夕

7月7日といえば勿論七夕なんだけど、今年も東京は雨らしい。
別に雨でもいいじゃんって思うかもしれないが、織姫と彦星からすれば一大事だ。
何しろ愛し合って夫婦になった二人が引き裂かれて1年に1度だけ再会が許されているのが、この七夕の日だ。
でも、雨が降ると天の川の水かさが増し、川を渡る事が出来なくなって会えなくなっちゃうんだ。
可哀想過ぎるだろう?
くだらねぇ、馬鹿じゃねぇの?
って思った君は、実につまらん人間だ。
そういうロマンの欠片も分からん奴は、もう此処に来んじゃねぇ!
本当に最近のガキは、想像力に乏しいというか心が貧しいというか・・・。
コンピューターで管理されて出来上がった物の中ばかりで、それが恰も全ての正義だと思い込んでる君等にこんな事を言っても酷なのかもしれないけど。
言っとくがな、コンピューターなんて、あんなのは電卓が進化しただけなんだぞ!
単なる算数がちょっと出来る機械ってだけなんだよ。
文字も絵も数字の組み合わせじゃねぇか。
凄く極端な事言ってるのは分かってるけど実際そうだからね。
少し前に右脳と左脳の話をしただろ?
医学的に解明されてるとかされてないとかそんな事は、この際どうでもいいんだ。
実際、右でも左でもどうでもいい。
だけど、脳の中で理屈と感性で働く部分が違う事は、確かだ。
そういう意味で分かり易いように右脳は感性、左脳は理屈って言ってるだけだからな。
要するにコンピューターの言う事ばっかり信じてるといつの間にか左脳的人間になっちゃうって事だよ。
だから七夕の話を聞いて馬鹿馬鹿しいって思うんだよ。
そういう発想、生き方って本当につまんねぇぞ。
もう何年も前の話だけど、或る人と映画を観に行った時の事だ。
それは、ハリウッド映画のように破壊的で単純明快な物とは真逆に位置するような研ぎ澄まされた感性の塊りのような作品だった。
エンディングが流れ、俺の胸は溢れんばかりの充実感に満たされた。
どうだった?と同意を求めた俺に帰って来たのは、意外な言葉だった。
あ~あ、こんなの何処が面白いの?時間の無駄じゃん。
その後、二度と二人で映画館へ足を運ぶ事はなかった。
軽蔑なんて驕った気持ちは起こらなかったが、この人の感性を疑ったのは事実だ。
この感覚が通じないんじゃお互い理解し合える事も今後少ないのかもしれない。
感性の違いというのは、誰にでもあるものだと思う。
だけど、溢れんばかりの充実感と時間の無駄じゃあ接点が無さ過ぎる。
押し付けたら相手の人格までも否定する事になると思ったので適当に誤魔化したが、悲しかったのは事実だ。
君等と全てを分かち合おうなんて気持ちは更々ない。
だけど、自ら損をしているような脳味噌の使い方には苦言を呈したい。
損という言い方にカチンと来るなら勿体無いに替えてもいいけど。

自由はゼロから始まる

自分の目標を持ち、それに邁進するというのは、或る意味最大の幸福でもある。
国によってそれが出来る国と出来ない国があるわけだが、そういった意味で最も開けているのが、やはりアメリカだと思う。
所謂アメリカンドリームという奴だ。
このアメリカンドリームを目指して渡米する若者の数は、一向に減る事がない。
日本もそういう意味では、かなり可能性のある国になったとは思うが、まだまだアメリカの足元には及ばないようだ。
これは、やはりアメリカという国が、国の出来た生い立ちからして多民族が入り乱れた仕組みになっているというのが大きな原因なのは、おそらく間違いないように思う。
他民族を一つに束ねるには、全てを平等に扱うという精神が基本的に必用になる。
実際の所、アメリカという国には、未だに沢山の人種差別がある。
そして、それを原因とした沢山の争いも絶えない。
でも、そういった中にも平等が正義という精神が常に生き続けているのは確かだと思う。
平等というのは、単純明快に言えばスタート地点が同じという事だ。
それは、自由はゼロから始まるという事も意味している。
こういう姿勢は、大いに見習いたい所だが、果たして日本の場合はというと些か違うような気がする。
それが、顕著に現れるのが就職という壁を前にした時だ。
若干意識の変化はあるものの未だに日本の若者は安定志向を求める。
それは、親方日の丸的職業が最も人気があるという部分で明らかだ。
ゼロから自分の力で開拓して可能性を求める事よりもスタート時点で出来上がっている豪華客船に乗り込みたいという事なんだろう。
ゼロから始めるという姿勢には、夢も満ち溢れている反面、伴うリスクも大きい。
このリスクを避ける事が上手な世渡りと思っている若者が多いというのは、なんとも歯痒い現状だ。
彼等は、明らかに間違っている。
厳しい世の中を生きて行く上で最も大切なのは、経済的安定だと勘違いしている。
そして、自らの幸せの在り処はそこにしか無いと誤認している。
そうじゃない。
そこにイコールが付くかどうかは、全く別の話なんだ。
活き活きとした毎日、充実した日々を送る事が、幸せのしの字なんだ。
爛々とした目で単身アメリカで頑張る日本人も沢山いる。
彼等の生活は、過酷だ。
気持ちが途切れれば何処までも下降する事を知っているからだ。
自由というものが、そういうものだと肌で感じて理解しているからだ。
だから、自分の全てを賭けて頑張る。
こんな強くて素敵な人達が集まっているからアメリカの魅力は未だに衰えない。
もう一度、自分の足元を見つめ直してみよう。
勿論これは、自分自身に対しての問い掛けでもあるんだが。

調和と曖昧の境界線

電力使用制限令ってのが7月1日から発動になった。
出来る限り協力したい気持ちはある。
だけど、どうも胡散臭い。
確かに真夏ともなれば電気使用量が増加するのは分かる。
でも、毎日発表されているあの供給量に対する使用量っていうのは本当なのかなぁ?
なんか原発が無くなったらこれだけ困るんですよっていうのをアピールしようとしているようにしか思えないんだが。
こんな不信感を感じるようになったのは、やっぱり嘘の発表をし続けた東電の責任だと思うが、言い換えれば政治家を筆頭にどうとでも受け取れる中途半端な姿勢を時には美徳としてしまう日本人の体質が根本的原因のようにも思えてしまう。
確かに何に対してもはっきりした事を言ってしまうと誰かを傷付けてしまうという場面に出くわす事は、常日頃から珍しい事ではない。
だから、そういう姿勢が思いやりと言えなくもないのは分かる。
日本人は、世界で最も思いやりのある民族だと言われるのは、そんな所からだと思う。
逆に日本人は、何を考えているのか分からないと一歩引いて見られるのも突き詰めれば原因は、同じ筈だ。
極論を言ってしまえば、特にアメリカ人、韓国人には、イエスとノーしか通じないと思ってしまってもいいかもしれない。 
価値観の相違と片付けてしまえば簡単だ。
でも、世界という意味で照らし合わせてみれば圧倒的に日本人のスタイルの方が少数派だという事は、常識として弁えておいた方が良いと思う。
そして、欧米化が進んだこの国にも既に多数派の良さが浸透しつつあるのは、火を見るより明らかだ。
曖昧さと明白を上手く使い分けるのが、より良いという意見が聞こえてきそうだ。
だが、その結果が現状のような不信感を生んでしまったという事は、やはり日本人の言葉の使い方にも限界があったと認めるべきだと思う。
癌患者にそれを宣告するのが良い事なのかどうか。
今から二十年位前にこんな問題が議論されたのを君等の世代は知らないかもしれない。
それより以前は、そんな宣告を本人に直接する医者なんていなかった筈だ。
それが、時代の変化と共に宣告も当たり前と大きく流れが変わっている。
医学の進化によって癌も不治の病ではなくなったからだというのも確かに大きな原因の一つだと思う。
だが、もっと大きいのは、人々が真実を知る自由を選択肢に加えた事だと思うんだ。
それを知る事で新たに今後を如何に過ごすかを考える自由を手にしたとも言える。
俺は、自分自身がイエス、ノーをはっきりしなければ気が済まないタイプだと思う。
でも、全てをイエス、ノーで済ませているかと言えばそうではない。
否定しながらも曖昧な言葉をいつの間にか使っている自分に気が付く。
やはり、どう足掻いても日本人だ。
調和と曖昧という悶々とした境界線を越える事は、俺の世代ではまだまだ難しいという事なのかもしれない。

ちんちん代謝

う~む、熱いのは嫌いじゃないが、やっぱり熱い。
寒いよりよっぽど健康的だが、それでもやっぱり熱い。
そして、気温の上昇と共に高くなるのが、女の子達の露出度だ。
太腿フェチの俺としては、毎日目のやり所がないぜ。
夏と言えば、水分を沢山とって汗もいっぱい掻くって事で体の新陳代謝も活発になる季節でもある。
新陳代謝が活発になると他の部分も活発になるから不思議だ。
新陳代謝ならぬちんちん代謝も絶好調期を迎える事になる。
お前等、いい加減、童貞は捨てたんだろうな?
あんなもんいつまでも大事にしてたって何の役にも立たないぞ。
この間、童貞君にいつまで童貞のままでいるんだって訊いたらお互いに心の底から愛し合える人と出会えるまでって答えた奴がいる。
二十歳過ぎの男にこんな事言われるとは思わなかったぜ。
お前は、お姫様か?
貴族の血筋かこの野郎!
と言ってやったが、そいつの言ってる事がおかしいというわけじゃない。
本来は、そうあるべきだと俺も思う。
実際、俺も童貞を捨てた相手とは、お互いそういう思いだった積りだし。
でも、15だったからね。
そういう純粋な感情は、自分自身も純粋無垢な内に実らせとくべきだと思うよ。
二十歳過ぎてそんな事言ってたら只単に気持ち悪い奴でしかないぞ。
そして、じゃあ、今まで好きになった女の子とは、どうしていたんだ?
キスぐらいはしたんだろ?と訊いてみた。
すると、身が凍りつくような答えが返って来た。
今まで好きになった女の子なんていないし・・・。
一瞬、目眩がしたが、これも現代社会の実情なのかもしれない。
恐ろしい程の受け身主義だ。
柔道の受け身じゃないんだからと駄洒落をかましてみたが、空しい空気が漂うだけだし。
ちょっと可愛い子がいたらスカート捲ったりおっぱい触ったりとかしなかったのか?
俺なんか生徒だけじゃなくて若い女の先生のパンツまで脱がそうとして職員会議にかけられた時は、流石にやり過ぎたかななんて思ったりしてさ。
なんて少しでも場を和らげようとするこっちの気持ちなんてお構い無しに帰って来るのは、沈黙ばかり。
何という消極さ加減。
そんなんじゃ心の底から愛し合える相手なんて現れるわけねぇよと言ってやりたくなったが、常識論からすれば俺の方がまともじゃないという事も一応分かっているので言葉選びも難しくなる。
結論としては、失敗する事、傷付く事を極端に恐れるというか、避ける事が正しいと思い込んでいるように受け止められる。
これを全て自分の責任と言い切ってしまうのは、少し酷なようにも思う。
じゃあ、親や学校に責任があるのかというとそれも大有りだとも思うがそれだけじゃない。
一方的にそういう姿勢を否定するよりもこれが時代の流れと肯定してしまう方が、或る意味正しいような気もする。
年齢と行動が、俺なんかの時代とは大きくずれているって事かもしれないし。
最近、言う事が随分優しくなっただろ?
以前は、童貞なんか糞と一緒だなんて言ってたもんな。
だけどね、人が生きて行く上で乗り越えなきゃいけないものって沢山あるんだよ。
その最初の大きな難関が、男なら童貞を捨てる事だと思うんだ。
受験に受かる事も就職試験に受かる事も大きいかもしれないけど、そんなのは、人間としてという大きな尺度からすれば大した事じゃないんだ。
人は、心が成長しなけりゃ生きてる意味が無いんだよ。
その心が成長する時には、必ず切欠というものがあるんだ。
誰かの一言とか、何かの反動とかね。
そして、一通りの所まで来るとやってくるのが大きな難関だ。
これを乗り越えると人間が一回り大きくなる。
この繰り返しだよ。
だから、大きな難関は少しでも早く乗り越えておいた方が成長も早いし結果的に器も大きくなるって事なんだよ。
一発やったら今まで自分が如何に子供だったかが分かるよ。

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