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石原都知事辞任に関して

 

東京都知事の石原慎太郎が、突然ともいうべきタイミングで辞表を提出した。

前回の都知事選挙って去年の4月だぜ。

こんなに早く辞めるんだったら立候補なんかすんなよって言いたいよな。

俺は、彼に投票しなかったから辞めてもらっても結構だが。

記者会見では、新党を結成して政界に復帰すると宣言した。

今の連中には、困窮する日本を立ち直らす力が足りないから自分が引っ張るって事らしい。

日本と中国の関係を目茶目茶にした張本人がよく言うよって言ってやりたいぜ。

日中関係がおかしくなった原因は、勿論尖閣諸島を野田首相が国有化するって言っちゃったところにあるわけだけど、そう言わざるを得なかったのは、石原が東京都が買い取るって言い出したのを阻止する為でもあったんだからね。

尖閣諸島は、お互いの歴史認識の違いからとてもデリケートな存在なのは、両国とも認識していたんだ。

だから、古い世代が、未来の有能な人達に託しましょうって棚上げしていたのは、俺でも知ってたよ。

それを中国との相談も無しに一方的に買い取るって言い出したのが石原だ。

もうちょっと平和的なやり方があったろうに。

そして、中国内では、当然のように過去最大の反日運動が起こり日中両国経済にも大きなダメージを与える結果になってしまった。

石原は、尖閣を国が国有化しちゃったから自分が政界に戻って監視するって言ってるよ。

中国って国は、確かに周りの国を侵略して国土を拡げてきた国だ。

だから尖閣を切欠に日本もいずれ中国に侵略されるんじゃないかと彼は危惧してるんじゃないかと思うんだ。

それで先手を打つ積りで東京都が買い取るなんて言ったんじゃないかな?

彼なりの愛国心は、よくわかるよ。

だけど、その手法が独善的過ぎるんだよ。

オリンピックの招致に関してもそうだ。

都民の大半は、しらけていたじゃないか。

独りよがりもいい加減にしろって言いたいよ。

確かにカリスマ性があるのは認める。

でもカリスマも独善的になり過ぎるとアドルフ・ヒトラーみたいになっちゃうからね。

今の日本でカリスマ性を感じるのは、石原と橋下とビートたけしと王さんくらいのもんだ。

橋下は、物凄い実行力があると思うが、石原を尊敬しているって所が危ない気がする。

たけしは、アーティストだから別ジャンルだし。

王さんが政治家になって総理大臣になったら日本も良い国になると思うけどね。

 

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自分の道は、自分で選べ!

 

一昨日の呼びかけは、届かなかったのだろうか?

日本中に2万人いると言われるワンダラーからの連絡は、今のところ全く無い。

このブログを読んでいる人がかなりいるのは分かっているのに何故一人も反応が無いのだろう?

音楽とかアート系に係わっている人達の中には、特に多い筈なのになぁ。

自分をワンダラーだと認めちゃう事が怖いのかなぁ?

俺に連絡したからって別に何か怪しい事をしようってわけでもないんだが・・。

まぁいいか、焦らずじっくり待ってみる事にしよう。

 

話はがらっと変わるが、そろそろ学生達の就職活動の時期が近付いているようだ。

バンドマンの中でも分岐点に立たされている人も多い事と思う。

現在大学生でサークルが切欠となってライブハウスに出演するようになった人も結構いるからね。

悩みどころだよね。

バンドを続けていこうと思ったらなかなか就職出来ないもんな。

フリーターになってバンドを選ぶか、社会人としてちゃんと就職して空いてる時間に出来ればバンド活動を続けるか、若しくは、バンドは青春の想い出としてキッパリ諦めるか。

一番大事な事は、人の意見に左右されずに自分の気持ちに素直になる事だと思うよ。

自分の価値観の中の幸せとは何なのかって人それぞれだからね。

俺は、長い事この世界にいるからバンドを選べと言うと思ったかもしれないが、全然そんな積りはないよ。

こいつは才能あるなぁと思ったとしても最終的に尊重しなきゃいけないのは、本人の意思だからね。

以前、このブログにも書いたけど俺は、まともに学校へ行っていない。

高校も3ヶ月しか行ってないから中卒という事になる。

普通に考えれば大きなハンデなのかもしれないが、自分でそんなふうに思った事は、生涯一度も無い。

勿論学校を辞める時は、頭をフル回転させて考えて考えて考え抜いたよ。

迷いが有る内は、行動に移すべきじゃないと思ったからね。

それで考え抜いて出て来た最終的な答えが学校に行く必要が無いという結論だった。

妥協はゼロだ。

いきなり子供が大人の世界へ飛び込むんだから不安と恐怖は目茶目茶あったよ。

でも、自分の意思を貫いたわけだから後悔は何も無かったな。

悩んでいる人達に一言言えるのは、自分の道は、自分で選べ。

そして、決断したら自分を信じて決して後悔するなっていう事ぐらいかな。

ワンダラー達へ

 小説の中でも書いたが、宇宙との繋がりを持つワンダラーは、世界中に1000万人以上いると言われている。

そして、日本には、自覚が有る無しは別にして2万人以上が存在するそうだ。

2万人という数字が多いのか少ないのか何とも言いがたいが、それを疑ってしまう人の方が多いのは確かだろう。

本屋に行けば、その系統の出版物が明らかに多くはなっている。

だが、それは数年前に比べればという話で、実際は、数十冊もあるというわけではない。

誰もが簡単に本を出せるというわけじゃないからそれは仕方ないのかもしれないが。

という事で、それじゃあもっと手軽なネットで検索してみると・・・。

うーん、やはりかなりのワンダラーらしき存在が言葉を発しているのがわかる。

そんな中で興味深いものを発見したのでみんなにも教えてあげよう。

それは、ワンダラーの見分け方というか特徴だ。

先ず、ワンダラーは、価値観が多くの人とずれている。

そして、繊細でデリケートで芸術的なものに非常に興味を示す。

変な人、変わってる人と思われがち。

魂の核の部分が元々地球のものではないという理由からだと思うが、協調性に欠ける部分が多々ある。

みんなが普通と思っている事に対して苦痛を感じる場合が多い。

はっきり言って俺は、全て該当している。

小説に書いたように俺は、ワンダラーに間違いないと思うので当然なんだが。

 

現在、日本の総人口は、去年より25万人減ったから1億2700万人だ。

その中の2万人というと10万人に約15人、1万人に1.5人という事になる。

1万人に1.5人となるとパチンコで大当たりが出る確率より低いのは当たり前だが、宝くじで1等が当たる1000万分の1より大幅に高いという事になる。

だとすると今迄にヘブンスドアのホームページを見た人の中にワンダラーがいた確率は、非常に高いのではと思う。

その中で俺のブログと小説を読んだ人がどれだけいたかが問題だ。

それもUFOや宇宙の話をした部分でという限定付きでね。

俺は、他のワンダラーと是非話をしたいと思っているんだ。

電話でもメールでもこのブログのコメント欄でも何でもいいから連絡をくれないか?

これから地球に起こる大変動に対して俺達ワンダラーのとるべき行動について語り合いたいんだ。

 

子供の自殺について

 

小説を書いていた1年間という長いようで短い期間にブログを休んでいたわけだけど、世の中は、確実に悪い方向に向かっているように思う。

最近では、中国との尖閣諸島の問題、韓国との竹島問題が印象深いが、虐めによる子供の自殺というのも随分多かったように思う。

何故こんな事態になってしまったのか。

世の中では、その原因を虐めた側の子供に一方的に非があるように報道しているが、俺の意見は、全く違う。

虐めというのは、どんな時代でもあって当たり前の筈なんだ。

子供は、未だ人間形成が出来ていないから子供と呼ばれるわけだよね?

そんな未熟な存在が集まれば虐めや喧嘩があって当然なんだ。

というよりも虐めや喧嘩から色々なものを学ぶのも子供社会では大切な事なんだよ。

俺は、昔虐められっ子だったんだ。

だが、ある事を切欠にいじめっ子になった。

虐められていた頃は、こんな事じゃ駄目だといつも自分を責めていたような記憶がある。

そして、いつかきっと強くなってやると心に誓っていたものだ。

それが虐める側に転身したのは、俺を虐めていたボス的存在をやけくそでぶん殴ったらまぐれで強烈なパンチが顔面に入ってそいつを泣かしてしまった時からだった。

それを機に俺は、粗暴な暴力少年に変身してしまった。

気に入らない事があれば全て暴力で解決しようとする不良少年の仲間入りだ。

しかし、やる事なす事が荒々しくなるに連れ友人は、俺を遠ざけるようになった。

子供にとって一番大切なのは、親でも兄弟でもなく友達なんだ。

そして、子供ながらに孤独というものの苦しさを知った。

反省し大人しくなるまでに若干時間は掛かったが、とても身になる勉強をしたと思っている。

暴力は、やられる側も辛いが、やる側も結局辛い思いをするんだと。

そうやって子供から少しづつ大人になっていくというのが、極普通の出来事なんじゃないかと思う。

当時、虐めが原因で自殺をする子供は皆無だった。

だが、現在はそうではない。

この違いは、いったい何なのか?

それは、大人が子供に対して夢を教えないからだと思う。

夢を知らなければ生きる目標が見えない。
夢があれば辛い事でも我慢しよう、乗り切ろうとするじゃないか。

これは、大人にも当て嵌まる事だが、目標が見えないと人間というのは不安定になるものだ。

何処かに安定した居場所を求めるのは、極自然な振る舞いだろ?

子供というのは、世の中を未だ知らない。

でも、そんな中でもはっきりと安定したものに見えるのが、死なんじゃないかと思うんだ。

もう一つ原因を挙げれば、それは、バーチャルな世界へ逃げ込める仕組みを与えてしまった事だと思う。

そっちへ逃げ込めば自分本位でいられるわけだし。

でもそこには、無の世界しかないんだからね。

要は、至る所に愛が足りないって事だと思うよ。

 

心の潤滑剤

今日も秋に関する話をしよう。
昔から秋と言えば芸術の秋なんて答える人が多いが、その言葉には、やはり納得させられるものがあると思う。
秋というのは、最も過ごしやすい時期だよね。
気温も湿度も程好いというか。
やはり、人間っていうのは、そういった過ごし易い環境の中にいると心も落ち着くものだよね。
言ってみれば平常心を保ちやすいって事なんだと思う。
心が波立たない状況に居る時に人は、何を求めるのか。
俺は、更なる充実感というか、心の安らぎを保つ事なんじゃないかと思うんだ。
そうするとそこに必要になるのが潤いだと思う。
この潤いが無ければ穏やかな心は、キープ出来ない筈なんだ。
心がギスギスしていたら安らぎも何も無いだろう?
心には、潤いという潤滑剤が必要だって事だよ。
そして、その潤滑剤になるのがアートと言われるものだと思うんだ。
勿論、潤滑剤の大切さに気付いている人にとっては季節も何も関係ないとは思う。
だけど、そうじゃなくそんな事に無頓着な人でも薄っすらその潤いの必要性に気付かされるのが秋のような気がするんだ。
だから、秋っていうのは、インパクトの強い夏や冬に比べてかなり存在感が薄いような気がするが、実は、一年の中で最も貴重な季節なんじゃないかとも思うんだ。
そして、人の心が最も進化しやすいのも秋かもなんて思ってしまうんだ。
ロックがアートかどうかという議論は別にして、自分が仕事として係わっている音楽は勿論、絵画とか写真や映画もそうだし、文学や演劇や数え上げたらきりが無い程アートの範疇に含まれるものは幾らでもある。
これに触れない事は、大損だと思うんだ。
手を伸ばせば自分が進化出来る材料がそこら辺に転がっているのにそれを見過ごす手は無いと思うよ。
はっきり言って、君等は凄く恵まれているんだ。
日本のアートの進化って凄いからね。
昔は昔で良い物は勿論あったけど、センスって意味では、今とは比べ物にならないからね。
そんな洗練された中に居るのにそういった物に対して無関心というか、反応の鈍い人が多過ぎるよ。
心の病に罹る人が急速に増加しているのも潤いが足りないからだと思うよ。
人の幸せには、潤いが絶対に必要なんだよ。
潤いって言ったって財布の中身じゃないよ。
経済的な潤いと心の潤いが正比例すると思ったら大間違いだ。
正比例するのは、心の豊かさと幸福感なんだよ。
その心の豊かさと幸福感を得る為に必ず必要になるのが心の潤いだよ。
今年は、大惨事が起こって心の豊かさが痩せ細ったり無くしてしまった人も多いと思う。
だから、それをこの潤いに満ちた秋に少しでも取り戻そうよ。

マッドマックス

ついこの間9月になったと思ったらもう終わりか。
絶対誰かが時間を速く進めているんじゃないかって気もするんだが、まあ、それも毎日が充実してる事の証だと良い方に解釈しておこう。
今日のライブでMCの時に秋は内側に激しくなれる時期なんだと言っていたM君。
このブログでも同じような事書いたよね。
やはり秋は、収穫の時だ。
春、夏と自分の足跡を振り返って何かを摘み取る期間なんだよね、きっと。
大震災、原発事故と未だに尾を引く大問題の後、腰を据えてじっくり考えなきゃね。
そして、俺個人的に起こった大事件。
人生の折り返し地点を過ぎてやっと巡り合えた運命の人。
どうして運命の人だって分かるんだって訊きたいんだろう?
言葉で表現するのは、非常に難しいんだが、全身で感じるんだよ、特別な空気を。
強いて言えば、魂が吸い寄せられるみたいな感じだよ。

今まで何回恋愛をしてきたことか。
過去のそれは、ここに行き着く為の道しるべだったのだろうか。
その時々で自分に出来る最大限の情熱を燃やしてきた筈なのに明らかに違う。
何が違うかといえばレベルが違う。
いつもマックスだったのにレベルがあるとは知らなかった。
言ってみればマックスの中のマックス。
まさにマッドマックスだ。
マッドって猛烈なとか最高のって意味もあるが、気がふれたという解釈もある。
なので俺は、今、気がふれる一歩手前か、もういっちゃってる所まで来ているのかもしれない。
だとすると君等は、頭のおかしい奴のブログを今読んでいる事になるじゃないか。
それはそれで興味を引くかもしれないが。
俺は、今まで気が狂うほど人を愛した事は無い。
勿論、とことん愛は注いだが、言葉通りの狂人になるほどというのとは、ちょっと意味が違う。
まあ、正常な人間なら誰だってそうだよな。
だが、今回はヤバい。
運命的出会いとは、こんなに危険だとは知らなかった。
それがどのくらいって口で言うのは、困難を極める。
富士山が、爆発するより遥かに強力なのは間違いない。
おそらく太陽系の全ての星がぶっ飛ぶレベルだと思う。
この歳でこんなにパワーが出るとは自分でも呆れる。
やはり、年齢なんて大して意味の無いものだと改めて痛感する。
俺は、今、浮かれた話をでれでれと垂れ流しているわけじゃないんだ。
愛の力は、尋常じゃないって事を言いたかった。
これがあれば何でも出来る。
全てを超越出来る。
何処までいくのか分からない。
そして、その先にどんな結果が訪れるのかも知らない。
でも、確実に言えるのは、この世に愛に勝るものは存在しないという事だ。
もう、秋だというのに真夏のようだ。

男としてのマナー

う~む、寝不足過ぎて頭が全く回らん。
なにしろ10分くらいしか寝てないもんな。
どんな感じかというと体が宙に浮いてるようでちょっと気持ちいいかもだ。
こんな状態の時に野田総理がどうのこうのなんて書ける筈もないので久々に下ネタでもかますか。
みんな!クンニしてっか!
いきなり頭がおかしくなったわけじゃないぞ。
とっても大事な話だからよく聞いとけよ。
童貞君にも分かりやすいように説明しとくが、クンニっていうのはクンニリングスの略で、間違ってもクリーニングの略じゃない。
童貞でもそのくらいは知ってるか。
要するに舌と唇なんかを使って女性のあそこを刺激する事だが、これが出来なきゃ一人前の男とは認められない。
正直に言うが、俺も10代の頃は、これが大の苦手だったんだ。
今このブログを読んでくれてる女性達には、大変申し訳無いが凄く抵抗があったんだよ。
だって、やっぱりおしっこも一緒に舐めちゃうんじゃないかって思っちゃったりするだろ?
好きな女のおしっこくらいでビビッてたんだから情けないよな。
行為そのものもあの頃は、濡らす事も出来ずに只々無理矢理でも突っ込もうとしてたからね。
だけど、クンニは、立派な愛情表現だって気が付いてからは、クンニをしている側の自分も気持ちよくなるから不思議なもんだ。
クンニをしていると愛液が出てくるが、これは、はっきり言って飲んだ方がいいぞ。
随分生々しい話になってきちゃったけど、中国では女性の愛液は、生命力を増強させる貴重な体液だって言われているくらいだからね。
相手の事を愛していれば喜ばせたいと思うのが自然な感情だよね。
そうすると、最も簡単にその絶頂まで持っていけるのがクンニならこれを避けるのは、ちょっと不自然とまで言えるかもしれないよ。
なにしろ女性の一番感じる部分を確実に刺激出来るわけだし。
う~ん、今日は、文章が直接的過ぎて引いちゃう人も多いかもだな。
でも、やっぱりこういう事って、実は凄く大切な部分で、間接的かもしれないけどお互いの日頃の生活リズムというか、毎日の張りみたいなものにまで影響してくるから軽く考えるべきじゃないと思うんだ。
それから偶に聞く話だが、自分はフェラされたいのにクンニはしないってタイプの人がいるが、それは我がままだと思う。
そこに愛情があるんなら行うのが当然とまで言っちゃっていいんじゃないかな?
女性が激しく快感を得られる場所がもう1カ所あるからそっちを重点的にって言うんならそれは納得だが。
そっちの話は、長くなるから又の機会にするが、方法はどうであれ愛撫はしっかりするのが大切な人へのマナーってもんだよ、やっぱり。
いや、マナーって言うよりも自然とそうならなきゃ男として失格だな。

LOVEとラブ

多くのラブソングで歌われるI love youの決め台詞。
そして、それに次ぐのが、おそらくI want you,I need youだろう。
この3つが感動を呼ぶ時代は、とうに30~40年前に終わっているが、使い古されたとはいえ伝統芸能のように現在も生き長らえている。
英語で言えば、どれも似たような意味合いだが、これを日本語にするとそうとは限らない。
特にI want you,君が欲しいというのは、切羽詰った欲望剥き出しのようでもありシャイな日本女子に向けるには、少し無理があるような気がする。
ちょっと極端かもしれないが、言い換えれば、やらせろって言ってるのと大して違わないだろ?
この3つの中で最も日本人向けなのは、I need you,君が必要なんだなんじゃないかな?
自分自身にとって、自分の人生にとって君が必要なんだって言い方は、やらせろより当たりもソフトだし真摯な姿勢も窺われるだろ?
やっぱり何処の国の人より真面目な日本人には、真面目な姿勢が最も受けるって事だ。
それから、ラブソングの一番の常套句であるI love youに関して昨日の話の補足をしとかなきゃいけない。
英語圏の外人にI love youを日本語で分かりやすく解説しろって言ったら愛してるって答えも勿論あると思うけど、I like youのもっと強い気持ちの事って答える人も多いんじゃないかと思う。
凄く好きって意味がLOVEになっちゃうわけだ。
だから、すしが大好きな外人がいたとしたらアイライクスシじゃなくてアイラブスシになる。
私は、寿司を愛していますって日本人で言う奴は少ないよな?
それでも寿司なら微妙にまだ意味は分かる。
だけど、これがもっと無機質なテーブルとかだったらどうだろう?
そのテーブルが色とかデザインとか凄く気に入っちゃってたりしてさ。
私は、このテーブルを愛していますって日本人ならまず言わないよね?
でも、彼等にとっては、躊躇無くI love this tableになる筈だ。
ラブはラブでもLOVEとラブは、微妙に意味合いが違うって事だよ。
日本語で大好きと愛してるは、ちょっと近い感じはするが全く別の意味だ。
それなら無闇にI love youじゃなくて愛してるって歌った方がいいんじゃないの?
英語に限らず外国語を日本語に翻訳しようとするとどうしても無理がある時ってあるだろう?
LOVEもその例外じゃないような気がするんだ。

I LOVE YOU

I LOVE YOU,愛してるという言葉が、歌詞に含まれている曲は、非常に多い。
これは、俺が生れるよりずっと以前から現在も変わらない。
やっぱりどんな時代にも誰かを愛したい、愛されたいという思いは変わらない事の証なのだろう。
だが、この愛してるという一言を軽はずみに口にする事は、自重した方がいいかもしれない。
勿論、それ自体は、とても大事で美しいし、もしかすると人生の中で最も貴重な言葉なのかもしれない。
だが、このアイラブユーの意味を本当に理解して使っている人がどれだけいるのかというと疑わしい。
何言ってんだ?
アイラブユーは、私は、貴方を愛していますに決まってんじゃないかって?
いやいや、そうじゃない。
意味は、そうでもそれを正しく使っていますかって話だよ。
言ってる意味が分からんって?
だから、その言葉を向ける方向が、本当にユーなのかって事だよ。
ユーだと勘違いしているか、又は、思い込もうとしているだけなんじゃないですかって事だよ。
それならそのユーは、誰に向けてるんだといえば、それはミーなんじゃないかな?
正しくは、アイラブミーなのにアイラブユーだと錯覚してんじゃないのって。
少し深い話になっちゃうけど深層心理の事を言ってんだよ。
アイラブユーって言ってアイラブユーとかミートゥーとかって言葉が返ってくるのを期待してる内は、結局アイラブミーだよ。
その時点でアイラブユーって言いたい気持ちは、よく分かるよ。
俺も今まで何人に言ってきたか分からないし。
でも、人生の中で一二を争う程の貴重な一言なんだから、その重みをしっかり理解して使わないと薄っぺらな人間になっちゃうと思うんだ。
それにその一言が、相手にどう影響するのかっていう責任もしっかり負わなきゃいけないんだからね。
アイライクユーなら気軽に使えるけどアイラブユーは、そう簡単に出てくる言葉じゃないだろって。
アイラブユーだと言いたいけど、よーく考えてみたらアイラブミーでしたっていうのが九分九厘なんだよ。
そういういい加減さを責めてるとかそんなんじゃないんだ。
物凄く重くて大切な言葉だから大事にしようって事だよ。
アイラブミーも大切だ。
そして、その先にあるのが、アイラブユーだ。
順序は、決して逆じゃない。

共通するデリカシー

以前、アーティストというのは、人に何かを与える事が出来て初めてそう言えるんじゃないかという話をしたよね。
あの時は、表現者とアーティストは違うという事を言いたかったんだと思う。
だけど、人に何かを与えるっていう事は、人がその作品に触れる切欠というものが無ければ成り立たないという意味にもなってしまう。
この切欠作りを本人自らで賄いきれる場合もあるが、規模が大きければ大きいほど他人の手が必要になるものだ。
そうなると当然そこに係わる人間のセンスというものが影響してくる。
作品自体に対する感覚的理解は、最低限必要になる。
これだけじゃ駄目だ。
そこに思い入れというものが無ければならない筈だ。
それも半端なものじゃ厳しいと思う。
強ければ強いほどリスクに立ち向かえるからね。
と、ここまでは或る程度容易に想像出来るかもしれない。
そして、これだけで成り立たす事も当然ありだ。
だが、肝心なのは、ここから先なんだ。
もう一つ、必要になるとすれば、それは、おそらく緻密な気配りなんじゃないかと思うんだ。
何に対してかというと作品そのものにだけじゃない。
そんな単純な事じゃなくて係わるもの全てに対してこれが出来なければ代役はいくらでもいるという事になってしまうような気がする。
何でそんな話をするのかというとこれが或る行為に近いって事に気が付いたからなんだ。
何だと思う?
分かった人も多いかと思うが、それは、恋愛だよ。
恋愛に必要なものっていったら先ずは、相手を好きになるっていう感覚だろう?
それも中途半端じゃ気持ちも届かないよね。
居ても立っても居られない位の強い気持ちが必要だよね。
確かにこの基本的な気持ちだけで恋愛に行き着ける場合もある。
だけど、元々は、他人同士だ。
そう易々と事が運ぶほど恋愛も単純じゃない。
どうしても細かい気配りが必要になるだろ?
デリカシーって奴だよ。
恋愛の場合は、これが相手を思いやる所から生れる優しさの現れって事になるんだろうね。
それが思ってるだけでも伝わる場合も有るが、やっぱり実践は大切だ。
時には言葉で、時には行動で示す事は、確信に繋がり易いからね。
その積み重ねが、強い絆になっていくんだと思うよ。
最初から目と目で通じ合える仲になれると思うのは、ちょっとおこがましい思い込みだ。
この二つの行為の共通点って偶々自分がアーティストに係わる立場にいるから気が付いたのかもしれないけど、多分間違っていないような気がするんだ。

太陽の仕業

季節の変わり目というのは、それと同時に色が変わったり朽ちた物が生まれ変わったりという変化も帯同するものだ。
言うなればちょっとした新陳代謝の時期とも言えるだろう。
そして、これは、自然の一部の証とでも言わんばかりに人々の心の在り方にも影響するのではと認めざるを得ない。
季節の替わる時期に自分の足元を見つめ直した経験をもつ人って多いんじゃないか?
それを最も感じやすいのが、夏から秋への今の時期のような気がする。
原因は、何だろうと考えてみよう。
気温の変化が大きいようにも思うがやっぱりそれも含めた天候だよ、多分。
じゃあ天候の変化って何によって左右されるのかっていうと地球自体が自転していたりとか海の状況とかが影響しているんだろ?
でも、それだけじゃあ季節によって気温が必ず変化するっていう原因にはならないよね?
実は、四季がある原因は、地球が微妙に傾いているからと言われているんだ。
だけど、もっと根本的な部分でそれよりもっと遡れば太陽の影響って事になるんじゃないか?
太陽には、8つの惑星があるとされているが地球より太陽に近い金星は、温度が高すぎて人間には住めない星って言われている。
そして、地球より太陽から少し遠い火星になると今度は、寒すぎて無理らしい。
太陽系で俺達人間が住める惑星は、やっぱり地球以外に無いって事だ。
だとすると、地球を支配、統括しているのは結果的に太陽で太陽のご機嫌次第で人間なんかどうにでもなっちゃうって話だ。
俺達、太陽の事なんて何も考えていなかったよな?
偶には太陽さんいつも有難うって言っとかなきゃまずいかもな。
考えてみりゃあ太陽が無ければ地球上で生きていける生き物なんていないんだもんな。
その太陽が与えてくれた四季だから、やっぱりそれぞれ大きな意味があるんだよ、きっと。
夏の暑い日に服を脱いで心も開放的になるのは、実は開放が必用だから暑くしているのかもしれないし、もしそうなら冬はその逆だ。
そして、厳しい冬に向かいだす秋の入り口に、さて、これからどうしようと考えるのは自然の成り行きと言っても不思議じゃない。
太陽さんの思惑では、色々考えさせたいから秋にしとこうって事かもだ。
こういう自然の流れのようなものを感じた時っていうのは、逆らえばろくな事が無いっていうのは肝に銘じておいた方がいい。
蟻が何百年過かっても人間には敵わないのと一緒だ。
下手に逆らえば踏み潰されるか殺虫剤で全身麻痺の上に窒息死だ。
自然には、逆らわずに受け入れて共に生きる姿勢が最も大切だと思う。
だから、自然が今はじっくり考える時期だって差し向けるんなら、俺達はごもっともとじっくり物思いに耽らせてもらおうじゃないか。

恋愛はハードコアだ

まだまだ蒸し暑さも続くが幾らか秋の空気を感じるようになってきた。
震災からいつの間にか半年近く経っているんだね。
とにかく最悪の半年だったな。
何とか残りの4ヶ月を良い事だらけにして帳尻を合わせたいもんだ。
と言いつつ個人的には、満更でもない昨今だ。
なにしろ最高の出会いがあったもんでね、うひょ。
いい年してうひょはないが、そう言いたくもなっちゃうんだよ、うひょひょ。
トータルで差し引きしたら断然良くない事の方が多かった筈なのに不思議なもんだ。
やっぱり恋愛のパワーっていうのは、本当に凄いなぁって実感しちゃうよ。
少し前に恋愛には、ある程度の距離が必用だっていう話をしたが、有言実行って事で俺達は、一緒に住んでいるわけではない。
自信を持ってお勧めするが、やっぱり恋愛には距離があった方が良いように思う。
会いたくて会いたくて仕方が無いっていう気持ちって大事だよ。
あと何日で会えるっていう期待感で毎日がわくわくするからね。
それでやっと会えた時に大きな喜びと充実感を得られるっていうのは、とても貴重だと思うんだ。
この状態をどれだけ続けられるのか分からないが、その分からなさ加減がちょっと不安でまたまた熱くなる原因でもあるのかもしれないな。
最近、何故か俺の周りで結婚する奴が多い。
結構な事ではあるが、結婚イコール幸せと思ったら大間違いだぜ。
結婚っていうのは、得られるものも多いがそれと同じ位失うものも沢山あるんだよ。
そういう覚悟が出来ていないで結婚すれば必ず後悔する事になるんだ。
失うものの中で最も大きいものは、やっぱり自由だと思う。
自由っていうのは、人間の幸福への条件の中で一二を争う大きなものだ。
本当に愛し合っていれば一緒にいても自由だと思うかもしれないが、現実はそうじゃない。
っていうか、そういう発想は捨てた方がいいぞ。
それよりも自由を失っても結婚したいって気持ちの方が強いのかどうかを秤に掛ける方が現実的だと思うよ。
結婚は、或る意味共同作業なんだよ。
作業って言うとロマンも糸瓜も無いが、そういうシビアなものでもあると思っておいて間違い無い。
家庭っていう有機的でもあり無機的でもある世界を共同で作り上げる場を設けるって事だよ。
恋愛の延長形のようにも思えるが、もっと現実と向き合わなくてはならないシビアな問題が沢山出て来るんだ。
その狭間に立った時にそれでも結婚して良かったって言えるのかどうか。
俺は、3回結婚して後悔はしていないが、結婚が最良の判断だったのかと言えば微妙だ。
だが、今度ばかりは心境が違う。
愛情の行き着く先がどこなのか。
それを突き抜ける所まで行ったらどうなるのか。
とことん全開でいくよ。
恋愛はハードコアだって事を今更ながら知った思いだ。

もどかしい気持ち

今回の台風での死者、不明者は合わせて80人以上だそうだ。
地震の2万人に比べれば桁が違うが、尊い命が奪われた事には違いが無い。
やはり日本は、大自然の報復にあっているのだろうか?
だが、世界に目を向けると日本の比ではない酷い状況の地域もある。
その最もたるのが、大干ばつに見舞われた東アフリカと呼ばれる地域だ。
この一帯の子供達50万人が既に餓死したというからその深刻さも半端じゃない。
その中でも現在最も危機的状況に直面しているのがソマリアだ。
なにしろ370万人が飢餓に直面しているというから相当なものだと思う。
俺達は、今、自分の国の事で精一杯だ。
だから遠い国の出来事に気を病む暇は無い。
実際、殆どの日本人の心境は、こうだろう。
それでいいのかと言われればいいわけないのは分かっていてもそこまで気が回らないのは、責められる事なのだろうか?
外国を助けるなら自国を立て直してからというのは、真っ当だと思う。
病人を助けるのが病人じゃあ出来る事も限られてくるもんな。
さて、日本人の誰もが意識する復興だが、これには当然とんでもない額の金がかかる。
赤字大国日本には、そんな余力は無い。
そうなれば国民からの税金という事になる。
税金といっても種類は、多岐に渡る。
一番手っ取り早いのは、消費税だが今の不況下でこれを上げるのは、略ギャンブルに近いような気がする。
あまりにもリスクがでかい。
カツカツでやり繰りしている上に何でもかんでも上がったら収入もその分上がらなければ破綻しかなくなるのは見えている。
しかし、ちょっと考えれば答えは簡単に出てくる筈だ。
金持ちが自然と多く税金を支払う事になるようにすりゃいいだけの話だと思う。
だから贅沢品、高級な物にかかる消費税だけ上げればいいんじゃないか?
そんな事を思っていたらまたしてもたばこ税を上げようと言い出した大臣がいる。
たばこだけを楽しみにしている老人だっているっていうのに。
この大臣は、税金の事もあるが健康の為にもそうした方がいいと思うからとのたまった。
おい、ちょっと待てと言いたい。
それとこれとは、話が違うんじゃないか?
健康云々なんて自分で判断する事だろ?
たばこで体を壊す事を気に掛けてくれるんならたばこ以上に死亡率を上げてる酒の方が先じゃなきゃおかしいだろうが?
話を戻すと貧乏人が持ってなくて金持ちが持ってるものって何だ?
別荘とかヨットとかべらぼうに高い家具とか色々あるよな。
そういった物の税率を上げるんだよ。
それでそこに関係した業者が苦しくなるっていうんならそれなりの援助をすればいいんだよ。
弱者に負担を掛けずに余裕のある所から取るっていうのは、実に健全な発想じゃないか?
話が完全に他の方向へ行っちゃったが、とにかくどんどん前に進める状況作りをしなきゃ外に目を向ける余裕も生れないよ。
アフリカの話をもっとしたかったんだが、今はそんな時期じゃないことがもどかしいよ。

究極の選択

何年か前に究極の選択といってどちらかを選ばせる言葉の遊びみたいなものが流行った事があるんだが、これを読んでくれているみんなの世代だと知っているのかな?
例えば、可愛い女の子のしたうんことブスの鼻くそとどっちか食わなきゃいけないって事になったらどっちにする?とかね。
俺ならうんこは、誰がしたとしてもやっぱりうんこだからやっぱりブスの鼻くそだな、なんてまじめに考えたりして。
う~ん、例えが汚すぎだな。
凄い美人だけどあそこがガバガバなのと凄いブスだけどあっちは最高なのとどっちがいい?
女性に訊く場合は、凄いハンサムだけどちんこはつまようじなのとブ男だけど巨根なのとどっちがいい?という事に当然なる。
知るかそんな事と言ってしまえばどっちらけだ。
俺は、ブスを選ぶよ。
ブスは、愛情を一杯注げば幾らでも綺麗になれるからね。
なんて洒落っ気のある言葉の一つも出てこないようじゃあ場が盛り上がらない。
どうでもいい話から初めてしまったが、今日は、みんなに訊いてみたい究極の選択があるんだ。
生きる為の飯と音楽とどちらか選ばなきゃいけないとしたらどっちを選ぶ?
俺は、この質問を何人にもした事がある。
答えは、大きく割れる。
だが、ここで音楽と答えた奴を俺は、信用出来ない。
音楽の仕事をしているのに何故って?
それは、順番が違うからだ。
考えてみてくれ。
生きているから音楽が聴けるんだろう?
奇麗事で理想と現実を履き違えるな。
本当に行き詰まった状態になりゃ分かる。
俺も過去に何年間か音楽を聴かなかったというか聴けなかった時代があるんだ。
だからといって音楽に対する愛情や興味が無くなったとかそういうんじゃないんだ。
究極っていうのは、そんな生っちょろいもんじゃないよ。
なんでこんな話をするのかといえば時期が時期だからだと思う。
似非は、やめろって事だ。
偽物がいくら奇麗事を並べても似非は似非でしかないぞ。
そんな嘘八百を並べるより自分のエゴを正面からぶちまける方がよっぽど心に届くってもんだ。
昔、同情するなら金をくれってドラマの中の捨て台詞が流行った事があったが、あれは、その内容の良し悪しは抜きにして逼迫した常態ならそうだよなってドキッとさせられたからだよ。
嘘も方便とも言うが、自分の心にも嘘をつくのは止めにしよう。
音楽が飯の次だとしても、それの何処が間違ってるって言うんだ?
次で結構。
次に音楽と言える事に誇りを持って何が悪い?
上等じゃないか。

デビューの切欠

八月も終わって今年も残すは4ヶ月なんて思っていたらとんでもない事件が起こってしまった。
渋谷のライブハウスにガソリンを撒いて火を点けようとした奴が逮捕されたという。
犯人をぶん殴って取り押さえたその店の店長に先ず敬意を表したいが、大事に至らなくて本当に良かった。
あそこはライブハウスが何件も入っているビルだからもし本当に火を点けられていたとしたらとんでもない大惨事になっていた筈だ。
犯人の動機は、大量に人を殺して死刑になりたかったという事らしい。
またしてもこれか。
一人じゃ死ねないから誰かに殺して欲しい。
だったら死刑になるのが手っ取り早い。
どうせ死刑になるんなら自分と同じ様な不幸を誰かにも味あわせてやろう。
無視され続けた世の中に自分の存在を知らしめたい。
そんな所だろう。
こういう馬鹿は、まともに生きている人達からすれば迷惑極まりない。
癌細胞のようにレーザーで焼き殺してしまえ。
と思う人も多いかもしれない。
だが、癌もその原因になる環境を変えなければ再発するものだ。
だったら彼等の心の闇に潜む癌細胞を生み出す環境を取り除いてやる事が一番の解決策でもある筈だ。
心の闇なんて言うと随分重く聞こえるが、こういう事は、発想を変えて眺めてみると以外と簡単に出口が見つかったりするものだ。
見方によれば一皮剥けていないだけって事なんじゃないかな?
昔風に言えば世の中にデビューしていないだけだ。
要するにどん臭いガキがいつまでも殻を破けないでいる状態だと思う。
この殻は、本当なら世の中での色々な経験、他人からの影響等によって自然と破けていくのが普通だ。
だからそんな状況の中に放り込んでやれば勝手に解決しちゃう事が殆どのような気がするんだ。
だけど、どうしても最初の一歩は怖いものだ。
その一歩が自力では、なかなか踏み出せない。
ここで周囲の環境が影響してくるんだと思う。
周りが逃げ場を作ってやっちゃってるんじゃないかな?
こういうのは、一時的には優しさに見えるかもしれないが、本人を駄目にする大きな原因にもなっていると思う。
ガキには、優しさと厳しさが必用だと思う。
言い換えれば飴と鞭だ。
飴ばっかり与えて鞭で引っ叩く事をしなければ、無知な存在はまともには育たない。
こんな連連と続いていた子育ての方程式を古臭いと勘違いして見過ごしてしまった周囲の責任は、軽くは無いと思う。
見過ごしたというよりも飴だけ与えとく方が楽だからって理由かもしれないが。
今現在、バランスを崩したまま育ってしまった連中は、世の中に腐るほどの数いると思う。
そいつらを視界から抹殺しようとしちゃいけないと思う。
奴等もきっと苦しくてもがいているんだよ。
だったらデビュー出来る切欠をみんなで与えてやるのが愛のある世の中ってもんなんじゃないかな?
切欠なんてほんのちょっとの事だと思うよ。
自分だって何処かできっと誰かに切欠を貰った筈なんだから今度は、それを誰かに返してやるのが正しいバランスってもんだろう?

異物を恐れる心

昨日、店の近所の銀行ATMに行ったら目立つ所に何やら宣伝チラシのような物がどさっと置いてあった。
何気なく手に取ると、ああ、あの事かという内容だ。
このブログでも採り上げたフジテレビの韓国偏重に対する批判文章だ。
しかし、誰が置いたのかは知らないが、ATMの中に置くとは、いい根性だ。
全部まとめて捨ててやろうかとも思ったが、そこまでしなくても日本人は、真っ当な判断が出来るという意味で敢て数枚だけ持ち帰る事にした。
数枚にしたのは、バンドマン達にこれを見せて彼等の意見を聞きたかったからだ。
だが、三茶的しゃべり場を意識した俺のプランは、早くも挫折した。
全く持って無関心。
というか、世の中の動きに目を向けていないのだろう。
一気にテンションが下がったが、こういうものなんだなという典型的な日本人の姿を見たような気もしてそれはそれで納得だ。
さて、その内容だが。
フジテレビの韓国偏重批判から始まってマスコミと政府の癒着、そしてそれが人権擁護法案へ繋がり、それが可決されれば外国人がどんどん流入してきて日本の政治、経済、文化を駄目にする。
そして治安もとても悪くなると。
言いたい事は、分かる。
だが、島国根性丸出しの超閉鎖的発想と俺は捉える。
これじゃあ幕末の時代の外国人イコール侵略者から時間が止まってしまっている。
人権擁護法案っていうのは、骨子の中に外国人に対する差別を禁止する要綱が入っている。
これをどっちに受け止めるかという話だ。
俺達は、純血なんだから核心の部分まで踏み込まれたら迷惑だと反発するか若しくは、同じ人間として広い心で受け止めるか。
俺は、当然のように後者を選ぶが、そうではない意見も少数ではない。
そして、俺みたいな考えが必ずしも正しい結果を導くのかどうかも確信があるわけではない。
俺の意見をもう少し掘り下げるとこうだ。
確かに結果という意味では、分からない。
だが、人としては間違っていないんじゃないかと思う。
人種、民族、国籍が違う事がそんなに大きな問題とは思えない。
宇宙人だったらそれはそれで話は違ってくるかもしれないが同じ地球人だ。
多少、色やパーツの形の特徴が違うだけじゃないか。
お互いが分かり合おうとすれば理解出来ない事なんて何も無い筈だ。
外国人に優しい法律が出来たから直ぐに日本が侵略されちゃうっていう危機感は、侵略される土壌があるからだ。
その土壌っていうのは、異物を恐れる心だと思う。
それによって実際に治安が悪くなったとしたら、それは受け入れる側の敵視から生れるものなんじゃないかな?
そして、例えばの話としてだが、もし本当に結果としてこの国が乱れたとしてもそれをプラス材料に転化出来れば今よりもっと人間的に開かれた良い国になると思うんだが。
反対意見も多いかと思うので声を聞かせて欲しい。
無関心こそこの国を駄目にすると思うよ。

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