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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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共通するデリカシー

以前、アーティストというのは、人に何かを与える事が出来て初めてそう言えるんじゃないかという話をしたよね。
あの時は、表現者とアーティストは違うという事を言いたかったんだと思う。
だけど、人に何かを与えるっていう事は、人がその作品に触れる切欠というものが無ければ成り立たないという意味にもなってしまう。
この切欠作りを本人自らで賄いきれる場合もあるが、規模が大きければ大きいほど他人の手が必要になるものだ。
そうなると当然そこに係わる人間のセンスというものが影響してくる。
作品自体に対する感覚的理解は、最低限必要になる。
これだけじゃ駄目だ。
そこに思い入れというものが無ければならない筈だ。
それも半端なものじゃ厳しいと思う。
強ければ強いほどリスクに立ち向かえるからね。
と、ここまでは或る程度容易に想像出来るかもしれない。
そして、これだけで成り立たす事も当然ありだ。
だが、肝心なのは、ここから先なんだ。
もう一つ、必要になるとすれば、それは、おそらく緻密な気配りなんじゃないかと思うんだ。
何に対してかというと作品そのものにだけじゃない。
そんな単純な事じゃなくて係わるもの全てに対してこれが出来なければ代役はいくらでもいるという事になってしまうような気がする。
何でそんな話をするのかというとこれが或る行為に近いって事に気が付いたからなんだ。
何だと思う?
分かった人も多いかと思うが、それは、恋愛だよ。
恋愛に必要なものっていったら先ずは、相手を好きになるっていう感覚だろう?
それも中途半端じゃ気持ちも届かないよね。
居ても立っても居られない位の強い気持ちが必要だよね。
確かにこの基本的な気持ちだけで恋愛に行き着ける場合もある。
だけど、元々は、他人同士だ。
そう易々と事が運ぶほど恋愛も単純じゃない。
どうしても細かい気配りが必要になるだろ?
デリカシーって奴だよ。
恋愛の場合は、これが相手を思いやる所から生れる優しさの現れって事になるんだろうね。
それが思ってるだけでも伝わる場合も有るが、やっぱり実践は大切だ。
時には言葉で、時には行動で示す事は、確信に繋がり易いからね。
その積み重ねが、強い絆になっていくんだと思うよ。
最初から目と目で通じ合える仲になれると思うのは、ちょっとおこがましい思い込みだ。
この二つの行為の共通点って偶々自分がアーティストに係わる立場にいるから気が付いたのかもしれないけど、多分間違っていないような気がするんだ。
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