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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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進化の源泉

現代から遥か遠い昔、所謂、恐竜が地球上を支配していた恐竜時代に最強と言われているティラノサウルスは共食いをしていたという事実が判明したそうだ。
ふ~ん、恐竜なんだからそれくらいの事はあって当たり前なんじゃないの?
って、確かにそうなんだが俺が拘りたいのはそんな6500年前から現代に至る迄の進化の過程の話なんだ。
現代でもワニや熊は共食いするそうだ。
確かに仲間の肉を実際に食うというのは相当な下等動物のようなイメージがあると思う。
そして、共食いする生物はいつかは必ず滅びる運命にあるような気がする。
それじゃあ、現代を支配する人間はどうなんだろう?
随分昔の映画で人間の肉を食うアフリカの人種を採り上げたものがあったが一般的には共食いはしない。
それは、確かにそうなんだが、だからと言って恐竜時代から遥かに進歩したのかと言うと実際は大した違いはないように思う。
いや、それどころか全然変わっていないんじゃないかと思うんだ。
人間の肉は物凄く不味いっていうそれが理由かどうかは置いといて、食ったりはしないけどそれに値する事は結局やっているだろう?
食わないだけで殺し合ってるだろ?
よくもまあ、こんなに毎日々殺人事件が起きて皆ももう不感症になっている頃なんじゃないか?
科学だけはどんどん進化しても人間の核になる心の部分は進化していないという証だよ。
人類はその活動範囲を宇宙にも拡げようとしているけど尽く挫折する筈だ。
このまま行けば全てが無駄になるだろう。
明らかに順番が違う。
方法論が解明されてもその使い手が居ないんじゃ意味が無いという事だ。
恐竜のような獣は畜生とも言う。
畜生というのは罵ったり憎んだりという悪の報いの世界の意味でもある。
そんな世界だからお互いを殺し合う事も時には是となってしまうんだ。
だから、そういう意味では現代も恐竜時代と何も変わらない下等動物が地球を支配している時代というわけだ。
この日記を始めてもう2年以上経つが俺もこういった話を随分してきたと思う。
何を偉そうにと反発を感じた人も居たかもしれないがそういう驕った姿勢は一切持ち合わせていない事は理解しておいて欲しい。
おそらくそういう話をしなきゃいけない役回りが偶々巡って来ているだけの事だと思う。
目に見える物しか信じられない人がいる。
これが畜生の原点だ。
それとは相反する所に進化の源泉は埋もれている。
誰もが熟成した心を持っていればこの世は途轍もない進化を遂げる事になる筈だ。

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危険な空気

尖閣諸島での中国漁船衝突事件の問題も収束に向かっていると思っていたら全然そうではないらしい。
昨日は、中国国内4箇所で数万人規模の反日デモが行われたとニュースで報じられていた。
やはり、根は深いなあと思っていたら事はこれだけでは済まなかったようだ。
日本国内ではそれ程大きく報道されていないみたいだが今度は日本側の反中国を掲げる大々的なデモが行われたらしいんだ。
3200人が集まって中国大使館を包囲したようだ。
納得出来ない事に対して主張しようという姿勢は俺も良い事だと思う。
そう思って主催の頑張れ日本!全国行動委員会という団体のホームページを観てみたんだ。
そこにはYouTubeの映像も貼り付けてあって今回のデモ集会での主催者の演説も観る事が出来るようになっていた。
街宣車でがなり立てる所謂右翼団体とは明らかに様子が違う。
もう少しまともと言うかあくまで紳士的に振舞おうとしている様に一応は見える。
一応は見えるんだがそれでもかなり攻撃的で予想通りに独善的だ。
俺も今回の事件に関しては非常に納得出来ないと思っている中の1人だが、だからと言ってこの団体と行動を共にしようとはとても思えない。
それは空気が完全に偏っているとしか思えないからだ。
中国側の非を責めるという姿勢は良いんだが小馬鹿にするような姿勢が多分に含まれている所は如何なものかと思ってしまう。
それじゃあ中国側の姿勢と丸っきり同じじゃないか。
姿勢が同じって事はそういう態度はないだろうと言う権利さえ放棄してしまうのと一緒だよな。
そりゃあそうだろう?
自分も同じなんだから。
こういう流れは非常に危険だと思う。
エスカレートすれば中国では日本人が、日本では中国人が危険に晒される事になるだろう。
そして、それは国と国とのぶつかり合いへとエスカレートしないとは限らなくなってくるかもしれない。
主張と抗議は間違っていないと思うが相手国民への憎しみへと安易に煽るというのは本末転倒だと思うよ。

避妊手術

家の二匹の猫が避妊手術をして帰ってきた。
複雑な心境だ。
こんな事を勝手にして良いのだろうか。
良心の呵責を感じる。
本人達はいったいどう思っているのだろう?
女性が子供を産む事は人生の中の非常に大きな喜びだろう?
それは猫だって同じなんじゃないかな?
それを本人の了解も無しに奪い取るなんて。
どう考えても人間の横暴な行為だよな?
そう思っていながら何故手術を受けさせたのかと言うとこの避妊手術というのはやはり猫の体的に適した時期というのがあるようなんだ。
それがなるべく今月中という事だったんだ。
俺は最初はこんな手術を受けさせる積りは無かったんだ。
子供を産んで数が増えても全部飼う積りだった。
成る様になるのが一番自然で幸せだろうと思っていた。
だからそういう意味で受けさせたというのとは違うんだ。
そうじゃなくて避妊手術を受けなかった場合に子宮の病気になる確率が非常に高いという事を知ったからだ。
相当に高い確率らしいんだ。
そして、決定打になったのは或る友人の話だったんだ。
彼もまた猫を二匹飼っていた。
俺と同じ様に手術を受けさせるべきかどうか迷ったそうだ。
そして、彼のとった行動は1匹は受けさせてもう1匹は受けさせないというものだった。
実際はもっと細かい諸々の事情も有ったのかもしれないが結果的にはそうなった。
すると数年後に手術してない方の猫が、やはり子宮の病気になってしまったそうだ。
そして、数年間の治療の末に亡くなったそうだ。
それも自然の成り行きと言ってしまえば確かにそうではある。
そうではあるんだがそこに命というものが係わって来るとなると複雑だ。
子供を産んで育てる幸せと命を秤に掛けて俺は命の方を選んだ。
本来は猫自身が選ぶべき事をそれが出来ないので俺が選んでしまったわけだがこれが正しい選択だったのかどうかは未だ分からない。
分かっているのは身勝手な行動をしたという事だけだ。

二割増し

自分の思った通りに何でもかんでも事が運ぶのなら苦労する人は誰もいない。
確かにそうなんだが世の中はそうはいかしてくれないように出来ているものだ。
それなのに思った通りに運ぶものとして行動する人は多い。
そして、壁にぶち当たった時にこんな筈じゃなかったと困惑する。
それじゃあ、と言ってどうせ思い通りにはならないんだから努力するのも馬鹿馬鹿しいと最初から何も行動しない人も非常に多い。
どちらも人生の敗北者のようではあるが前者の方が行動力がある分、未だましだ。
ましではあるがリスクも負う事になる。
人生に勝利も敗北も無いと思っている俺ではあるが表現を変えて楽しく生きたいかつまらなく生きたいかと訊かれれば勿論楽しく生きたいものだ。
そんな楽しく生きようとする要素の中にはおそらく最初に言った何でも思い通りに事が運ぶというのが含まれている筈だ。
だけど、世の中はそうはさせてくれない。
仕事柄、俺の係わる人達は殆どが年下だ。
それも20代、30代が中心だ。
そうすると、今言ったような袋小路に追い詰められた状況に立ち止まって居る人も多いものだ。
そこでお節介な年長者としてはそんな中からの脱出方法を伝授したいと思ってしまっても仕方が無い。
方法は意外と簡単なんだ。
理想が10だとしたら行動をその2割増しの12にすりゃあいいんだよ。
解り易い例として、例えば自分で店を始めようとするだろう?
場所を借りるのに罹る費用、内装費、仕入れとか全部で1000万円罹るとしよう。
そうしたら1000万円用意したらOKかというとそうじゃないんだ。
ここで1200万用意出来なければ店を出しちゃいけないんだよ。
その200万円で明暗が大きく分かれるんだ。
これが理想通りに事が運ばない分なんだ。
営業の仕事をしている人なんかは契約達成目標とかってあったりするだろう?
それが10だとしたら自分の中の目標を12にして行動しなきゃいけない筈だ。
12を目標に行動して結果は10ってとこなんじゃないか?
彼女を口説き落とすのに必用なエネルギーが100だったとしたら120のエネルギーを出さなきゃ駄目だよ。
他にも100のエネルギーで迫る男が居るかもしれないだろう?
誰かを説得するのに10の言葉が必用なら12の言葉を発しなきゃいけない。
相手の価値観では納得出来ない言葉が2つはあるのが普通だからだ。
600円のラーメンを食いに行くんなら720円は持って行った方がいい。
あれ?ちょっと少ないなと思っても替え玉とか煮玉子とか追加出来るだろう?

折り重なった魅力の要素

毎日、色々なバンドを観ていて何でこんなにかっこいいのに全然人気が出ないんだろうと思う人達がいる。
皆もお客さんで来ていてそう思うバンドって結構いるんじゃないか?
確かにお客さんがドッカーンと増えればそれで全てOKってわけじゃないが少ないより多い方が良いのは確かな事だ。
今日はそんな話を少ししてみようかと思う。
お客さんが来ないバンドには必ず原因が有る。
来ないという結果が有るんだからその原因も必ずあるのが因果の法則というものだ。
お客さんがライブハウスに足を運ぶのは必ず目的が有るからだ。
中には友達が出演するからというのもあるが基本的にはお金を払って払った分、もしくはそれ以上の見返りを得られると思うからだ。
その見返りは只単に楽しむ事であったり感動であったり気持ち良さというのもあるだろうし発見や驚き、充実感なんていうのもあるし、これはもう人によってまちまちなわけだ。
まちまちではあるんだが、それをもし一言で纏めるとしたらやはり開放だと思う。
しかし、単純に心の開放と言っても今言ったようにその種類もまちまちなわけだから提供する側も色々な要素を必用とする事になる。
だから、この需要に対してはこの供給というようにファンがバラバラに分かれるという構図が生れるわけだ。
そんな事はいちいち説明するような事でもないが一応分かりやすくする為に記したまでだ。
ここからが肝心な所で、じゃあ、例えばパンクが好きなお客さんが居たとしてその人の前でパンクバンドがライブをやれば次のライブに来てくれるのかと言えば単純にそうというわけではない。
お金や時間の都合というのは省いたとしてそこで必要なのは何なのかという事だ。
演奏の上手い下手で言えば上手い方が良いに決まっている。
なんて一概に考えるのは少し早まった発想だ。
魅力という面を細分化すると物凄く沢山の要素が有る筈だ。
その要素の中のどれが突出しているかでその答えも変わってくるという部分を見逃しては駄目だと思う。
それは、演奏が荒いから面白いという場合もあるという事だ。
そして、そのバンドが演奏が上手くなった状況を想像してみれば分かると思うが上手くなった事によって魅力が半減する場合もあるという事だ。
それは、自分たちの魅力が何処にあるのかを把握していなかったか偶々タイミング的に面白い時期に当たっていたかのどちらかという事でもあると思う。
結局、人気というのは幾つかの魅力の要素が折り重なって焦点がピタリと嵌った時に出るものだと思う。
その要素の中には時代的タイミングというのもあるが、もしその時期がずれていたとしてもそれを悲観する必要は無いと思う。
逆に足場をしっかり固める好機と思えばそれはプラスに移行出来る筈だ。
それから誰と誰が組むかというのも非常に大きな要素になると思う。
或る意味化学反応的な要素がバンドには多分にあるからだ。
これは、1+1が10になる事もあるし10+10が0になる事もあるという事だ。
本当に書き出したらきりが無いのでもう止めるがバンドというのはそれ程微妙な生き物のような存在だという事だ。

奇跡のロマンチスト

NHKの龍馬伝が11月末で終了するらしい。
大河ドラマって12月末迄やってるものと思っていたので若干ショックだ。
そんな事も知らない程、俺は大河ドラマには縁が無かった。
いや、興味が無かったというのが本当の所だ。
だって、面倒臭いだろ?1年近くも観続けなきゃならないなんてさ。
それに殆どが歴史物で堅苦しいじゃないか?
って気持ちを理解出来る人って結構多いんじゃないかと思う。
初回も或る歴史好きの人に付き合って1回位なら仕方なく観てもいいかって気持ちだったんだ。
ところが、その1回が途轍もなく面白かったのがまずかったようだ。
軽い気持ちの1回がもとで延々と止められなくなるのは覚醒剤だけだと思っていた俺が甘かったようだ。
今では1週間の区切りに龍馬伝、というのが見事にライフサイクルに組み込まれてしまっているのが恐ろしい。
坂本龍馬に対する解釈は色々あるようだが殆どと言っていい程白紙状態だった俺にとっては当然この龍馬伝の龍馬がそのまま実際のイメージに組み込まれてしまうのは致し方ない所だ。
だとすると、やはり彼以上のロマンチストを俺は知らないし聞いたこともない。
未だに語り継がれる彼の魅力はもうこの部分に尽きると言えるだろう。
しかし、それじゃあ今日の話は終わりになってしまうのでそのロマンの部分をもう少し検証してみる事にしよう。
この日本の歴史を変えたロマンの原動力は彼の人並み外れた好奇心旺盛な性格から生まれていると思う。
それに起因するのが純粋な心という訳だが、プラスして行動する勇気と的確な判断力、それに尚且つ思いやりもあったんだから魅力的な人間の要素を彼は全て持っていた事になる。
だが、そういう人なら誰でも龍馬のような事が出来るのかというとそうとは限らない。
ここに並外れた器の大きさというものがなくてはならない。
この全てを奇跡的に併せ持っていたのが龍馬という事になる。
しかし、大きな器というのは生まれもって備わっているというものでもない筈だ。
その要素を持っていたというだけの話だと思う。
それに色々な縁と彼自身の努力が積み重なって開花していったという事だ。
言ってみればそれもまた奇跡と言えるのかもしれないが。
龍馬伝では未だ謎とされている龍馬暗殺の黒幕が誰なのかを視聴者が何となくでも分かるように作ってあるらしい。
この部分は俺も非常に興味があるのでそこら辺をしっかり見極めてからまた続きを話す事にしよう。

次に進めない答えはここに有る

尖閣諸島の問題で散々文句を言っていた中国が今度は国際社会から非難される羽目になっている。
自国の民主活動家がノーベル賞を受賞した事にケチをつけて賞を贈るノルウェーに対しても報復処置を取るなんて滅茶苦茶な事を言い出している件だ。
中国では罪人として収監されている人物にノーベル平和賞を贈られたんじゃ自分とこの立場が無いってわけだよな。
自分の国にとって都合の悪い事は何でも力でねじ伏せようというこういった姿勢が民主主義国家から槍玉に挙げられるのは当然ではあるがここまで来るともう我がままな子供が駄々をこねているのと殆ど同じと言われても仕方が無いかもしれない。
部分的に変則ではあるが社会主義を貫き尚且つ一党独裁なので国が決めた事は全て正しいとなるのがこの国だ。
しかし、それが他国にも通用すると思っている所は非常に未熟というか或る意味馬鹿げている。
ところが中国抜きで現代の世界経済は成り立たないという状況下で各国がまるで腫れ物に触れるように中国に気を使っている現状も非常に情けないものがある。
尖閣の事件の時にそんな腰の引けた外交姿勢を見せてしまった日本がそんな悪い模範を真っ先に示してしまったわけだがこういう空気は少しでも早く打破しないと中国の常識が世界の常識なんて事にも成りかねない。
という事で俺達は中国という国がどんな国なのかもう少し理解しておくできなんじゃないかと思うんだ。
中国っていうのは沢山の民族の集まりなわけだがその時代、時代の中での最も力の有る民族が他民族を制圧して一つの国になっているんだ。
協調じゃなくて制圧って所がこの国の生い立ちであり国民性にも大きな影響を与えている事は否定出来ない筈だ。
最も簡潔に言ってしまえば侵略国家だよ。
数年前に国際的にも騒がれたチベットの問題なんかもこういった下地があるからだ。
要するに彼等は侵略のプロなわけだ。
尖閣諸島の事で驚いてちゃ話にならないんだが5年前には沖縄は中国の領土だって主張していたんだからね。
だけどさ、結局どの国も似たような歴史って有るだろ?
いきなりこの文章を読んだら酷いな中国ってって思うかもしれないがそれに近い事は日本だってやってるしヨーロッパなんか諸だし、アメリカだって元々ヨーロッパ各国の植民地で常にぶん取りあいが行われていた国なんだからね。
だからって今の中国の横暴さを肯定するってわけじゃ全然ないよ。
そうじゃなくて、もう皆で地球規模の発想に移行してもいいんじゃないかって思ったりもするんだ。
結局、俺の国が一番だ、二番だってだけだろ?
人類が未だに次のステップに進めないのは何故かという答えがここに有る事をいい加減、気付いても良さそうなものなんだが。

信頼出来る間柄

人と人を繋ぐものとは何だろう?
それは言葉じゃないかと俺は思っていた。
気持ちを言葉に込めて伝えればどんな相手とも繋がっていく事が出来る。
そう信じて来た。
だが、相手によってはそうではないらしい。
それは、どうやら需要と供給という事らしい。
確かにそれも間違いではない。
実際に友達と思っていた人と需要と供給の関係が崩れて疎遠になってしまったなんて事は多くの人が体験しているとは思う。
毎日、ブッキングの仕事をしていると人との繋がりも多くなるものだ。
勿論、需要と供給の関係からスタートする事が多い。
でも、それを超えた所まで行き着く相手というのも大勢居るわけだ。
需要と供給でもなく損得でもない。
友達というのとも少し違うお互い信頼出来る間柄というのが正しいと思う。
こういうパートナーシップみたいなものを築けたと感じた時って誰もが嬉しいものだと思っていた。
だが、実際はそうでもないんだなと気付く事が最近偶々なのかもしれないが数回あったんだ。
あの需要と供給の関係が終わったらいきなり別人のようになれる人って何なんだろう?
合理的に割り切りゃ確かに理解は出来るし間違っているというのとも違う。
だけど、非常に違和感を感じるのは価値観の相違という事で納得するにはちょっと早計な気がする。
だからと言って知り合った人達全員とべたべたした関係になるべきだなんて思っているわけではない。
そうじゃないんだが貴重な出会いを無に戻してしまうようなドライな生き方は迷惑だと言っているんだ。
敢て迷惑と言ったのは周りの空気がドライになるから迷惑だと言ったんだ。
そういうのは家に帰ってそっと吐き出すのがマナーってもんだよ。
自分はそんなのが嫌いだからって排他的な事を言っているわけじゃないんだ。
世の中が今どういう方向に向かっているかをしっかり見極めて自分もその中心部に居るんだという事を認識して行動を起こして欲しいだけなんだよ。

親分!あっぱれだ!

大沢親分が死んだ。
毎週録画して観ているサンデーモーニングのスポーツコーナーで親分の渇!あっぱれ!が聞けなくなると思うと非常に悲しい。
実は前々回の放送から親分の姿が見えなくなっていたので少し心配していたんだがまさかこんなに早く亡くなるとは思わなかったよ。
あの人の魅力と言えばやっぱり昭和気質と言うか、べらんめえ口調で何でもズバズバぶった切る所だと思う。
サッパリしてると言うか裏表が無いと言うか一言で言えば粋という言葉が最も嵌っているような人だったと思う。
そういえば最近この粋という言葉を殆ど聞かなくなったなぁ。
それはやっぱり粋と思える人が少なくなったという証なんだろうね。
粋って言っても何となくイメージでは分かるのかもしれないが言葉で表すのは微妙だ。
辞書なんかで調べてみれば大抵垢抜けているとか色気がある事とか出て来るとは思う。
だけど、その表現方法にしてもかなり微妙だろう?
色気って言ったって別に厭らしい意味とは全然違うしね。
男性に対して粋というのは洒落も理解出来、遊びの部分も達人で気っ風も良い、それでいて面倒見もいいみたいな存在だろうな。
一言で言えばやっぱり男のロマンに拘りを持っている人の事を言うんだと思うよ。
具体的なイメージだと昔のヤクザの親分だろうな。
強きを挫き弱きを助けるという本来のヤクザって意味だけどね。
だから大沢さんも親分って呼ばれたんだろうけどね。
実は俺の親父もどちらかと言うと大沢親分に近い空気は持っていたと思う。
だから俺が大沢親分の出る番組を毎週録画していたというのはもしかすると遠回しに親父を想い出していたという事なのかもしれない。
ん~、それよりも親父も含めた昭和を感じていたのかもしれないな。
昔を想い出してあの頃は良かったとか言い出すと或る意味老化現象の始まりだとも思うがそれならそれで構わないとも思う。
何処をどう切り取っても今より昭和の方が魅力的なんだから仕方が無い。
自分の人生の半ばを超えた所で俺もそろそろ大沢親分のような先輩達を見習って粋に生きて行きたいとも思う。
長い間、お疲れ様でした。
そして、有難うございました。
あっぱれやってくれ!

新たな気晴らし

ついこの間、体調不良の為に短期集中禁煙を実施した俺ではあるが相変わらず煙草を止めようなんて気持ちは更々無い・・・筈だった。
実は、禁煙期間は確か10日間位だったんだがそのお陰で体にちょっとした変化が起こっているような気がして仕方が無いんだ。
喫煙復帰してからというもの煙草が全然美味くない。
って言うよりも1日の内に10本位吸った段階で必ず気持ち悪くなるんだ。
なんか体が拒否反応を起こしてるみたいな感覚がするんだ。
これはそのまま止めろっていう合図なのかな?
今月から大幅値上げにもなった事だしこれ以上気持ち悪いのが続くのなら止めてもいいかなって思ってる昨今だ。
それにしても今回の値上げ幅は愛煙家にとってはかなりきついよな。
一箱だいたい440円だろ?
コンビニで弁当買ったらお釣りが来る額じゃないか。
この値上げで煙草を止める人は少なく見積もっても2割、多けりゃ5割位はいくんじゃないか?
世間で言われているように今回の値上げは単なる第一段階で最終的には1000円まで上がるんだとしたら喫煙人口は9割は減るだろうな。
そんな、愛煙家には苦しい立場に追い込まれた状況の中で煙草を止めたら1年で幾らの節約が出来ますなんて追い討ちを掛ける様な事を言う奴が必ず居るものだ。
1日1箱吸ったとして1年で16万600円か。
ふ~む、原付バイクが買えるわい。
安いのだったら2台買えるし。
それならパソコンを買い換える方が先決だなって、おい!
現金貰えるわけじゃないんだぞ!
そうなんだ、こういう発想は後で墓穴を掘る事になるから気を付けなくちゃいけない。
1日1箱吸ってた人が16万、二箱吸ってた人は32万円丸々残ると思ったら大間違いだ。
人間誰しもそんな皮算用が通じる程精巧に出来ちゃいないんだよ。
煙草なんていうのは一種の気晴らしみたいなものだからそれを止めたら他の気晴らしを探すだけの話だ。
浮いた16万、32万はそこに流れて終わりだよ。
一旦、贅沢を味わった人間はそう簡単にそれを手放す事は出来ないって言うのと同じだよ。
そして、そういう心理を上手いこと突いてくる奴が絶対に現れる筈だ。
今でも噛み煙草っていうのは有るけどもっと日本人向けでポップなイメージのニコチン入りガムとか大々的に宣伝したらタイミング的にも結構いけるんじゃないか?
最近、二コレットとか禁煙用のニコチンガムが若干話題になっているみたいだけどそういうのじゃなくて予めニコチン摂取の為の喫煙者用ガムが出たらこれは絶対に売れると思うよ。
例えば飯代とか節約したりしてもその分、いつも節約してるんだから偶にはいい所行って贅沢しようってなるだろう?
金の用途なんて所詮そんなものだと思うよ。
吸いまくろうが禁煙しようがそんな事はどうでもいいがおかしな情報に振り回されたりだけはしないように気を付けたいものだ。

知恵袋

ネットで色々検索してたりすると知恵袋っていうサイトにいつの間にか辿り着いていたりする事って結構ないか?
質問者がいてそれを読んだ人達が諸々の回答をして最も正しい意見を言った人をベストアンサーに選ぶっていうあれだよ。
今日、偶々そんな知恵袋でちょっと面白い質問があったので掻い摘んで説明しようと思う。
或るカップルが結婚する事になり友人を集めて結婚報告パーティーをする事になった。
そんな楽しい席で1人の酔っ払った元々あまり仲の良くなかった知り合いが彼女に絡みだした。
それもブスとか化け物とか酷い言い方をしたそうだ。
それを聞いていた彼氏の方はこれ以上続くのなら訴えてやろうとは思ったらしいが黙って聞き流していたらしい。
すると1人の友人がいきなりその酔っ払いをぶん殴ってカップルを連れて会場を後にする事になった。
帰り際、彼氏はどんな時でも暴力は許されるものではないとその友人を叱ったそうだ。
そして、その友人も反省して彼氏に謝ったとなっている。
その事に関して彼女は納得出来ずなんで友人を叱るのかと彼氏を攻め立てる。
それに対して彼氏は訴えを起こすか警察に通報すれば済む事と反論し正当な暴力など存在しないと彼女に意見した。
そこで小声で彼女が洩らした情けないという一言を彼氏は聞き逃さなかった。
そして、こんな本音を洩らした彼女と上手くやっていけるだろうか?
彼女の考え方の方が間違っていますよね?
っていうのが質問になっているんだ。
物凄い数の回答が寄せられていたよ。
ってことはおそらくこの彼氏みたいなタイプの人に対して一言言いたいって思っていた連中が如何に沢山居たかという証明でもある。
逆に彼のような男が如何に多いかという事でもあるよな。
さあ、君等はどう思うんだ?
例えどんな状況でも暴力は駄目だって思うのか?
それとも彼女が言葉の暴力を受けたんだからそれに対して暴力を振るったって構わないと思うのか?
俺の答えはこうだ。
確かにどんな状況でも暴力は良くないのかもしれないが一番問題視しなければいけないのは彼氏が彼女を全然守れていないという状況だ。
その守るという行為が口論だったりその酔っ払いを彼女から遠避けたりとか色々方法がある中で友人が選んでしまったのが暴力だったという事だ。
この場合、暴力は非だが守るという行為はその数倍の是があると思うんだ。
だから彼女を救ってもらったにも係わらず友人の暴力を叱る権利はこの彼氏には無い。
自分も何らかの方法で彼女を守ろうとしたのなら別だが只単に腰が引けてビビッてただけのくせに何とか自分の正当性を認めて欲しいなんていうのは論外だ。
もっと真相を追究すれば暴力がどうのこうのなんていうのは単なる後付けだろ?
本音は一見正当性のあるような事を言って自分のひ弱で軟弱な所をカムフラージュしようとしているだけだろ?
って事でこいつの質問に対する答えだが当然彼女とは上手くやっていけない。
そして、彼女はまともで間違っていない。
序にもう一つ付け加えておくとこういう男に女と付き合う資格は無い。

バイオリズム

今から数十年前に流行った言葉でバイオリズムというのがあるんだが皆の歳だとどうなんだろう?
聞いた事がある程度なのかな?
バイオリズムっていうのは簡単に言ってしまえば波動周期って意味だ。
もっと簡単に言えば好調、不調の波って事だよ。
好調、不調と言っても人間の場合はこれを3つに分けることが出来る。
身体と感情と知性だ。
そして、この3つの周期が必ずしも一致しない所がまた不完全な人間らしい部分でもあったりするわけだ。
身体は23日、感情は28日、知性は33日で一巡されると言われている。
それぞれがその周期で好調、不調の波が訪れるわけなんだがこれは何となくだが誰もが感覚で察する事が出来る筈だ。
今日は妙に体調がいいとか何をやってもうきうきするとかやたらに冴えてるとかね。
この好不調を察する感覚を磨く事は何をするにしても非常に役に立つものなので皆も意識しといた方がいいぞ。
実は、何を隠そう俺もこのバイオリズムを非常に意識している一人だ。
3つの波動が好調期にあると感じた時は全て強気で押し通しても大丈夫だしそれなりの結果も必ず付いて来るものだと信じている。
そして、不調期と感じた時は新たな試みはしないでじっと流れが変わるのを待つのが得策だと思っている。
この時期に強引に押し通そうとする事は大抵ろくな結果が付いてこないものだ。
そして、この3つの周期を数学的に捉えると非常に興味深い数値が見えてくる。
それぞれの周期日数の最小公倍数である21252を年で表すと58.2年だ。
という事は58.2年で一巡したという事になる。
この数字を知って何も感じないというのはあまりにロマンが無さ過ぎる。
だって同じ状況は58.2年後にならなきゃやって来ないんだからね。
そんなバイオリズムを最大限に活用しようと思ったら先ずそれぞれの好調時のピークを探る事だ。
そして、それを表にして3つのピークが重なり合う辺りで勝負を賭ければバイオリズムパワーも加わっていい結果が出せる可能性も高くなる筈だ。
俺は表に起こす所まではやっていないが誰か試しにやってみたらどうだ?
仕事には大いに役立つと思うけど好きな子を口説き落とす時なんかにも利用してみてもいいんじゃないか?
今日のあなたって凄く魅力的とか言ってすんなりやらしてくれるかもしれないぞ。

ロックバンドはロックするのみ

或るヴォーカリストがステージでこんな事を言っていた。
Mcで次は何処と何処と何処でライブやるんで絶対来て下さいとか告知してるバンドが多いけどそんなの誰も覚えられないし行く訳ねぇじゃんって。
随分前に俺も同じ様な事をこの日記の中で言ったけど、もういい加減に何とかした方がいいんじゃないか?
物凄くいいライブをやってその一番最後に今度はここでやるんで来て下さいって言うんなら未だ分からなくは無い。
だけど、何曲か演奏して未だ途中の段階で殆どのバンドは告知するだろ?
あれってやっぱりお客さんに対して失礼っていうか聴く側からすればしらけるんだよね。
じゃあ、今日のライブは何なんだ?
次のが本チャンで今日のはその練習みたいなものかって思われても仕方が無いぞ。
ライブをしに来たのか宣伝しに来たのか分かんないだろ?そんなのじゃ。
お客さんは自分の好きなバンドのライブを観たいから来てんだよ。
宣伝活動を観に来てる人なんか一人も居ないんだ。
それに輪を掛けたように酷いのは今日は共演してくれた何々さん、スタッフの皆さん、来てくれたお客さん有難うって全然気持ちの籠もっていない只の暗記した事を並べているだけの奴。
本当に心の底からそう思っているんならそれは伝わるかもしれない。
だけど、誰かがこう言っていたから俺達もやらなくちゃみたいなのが見え見えなんだよ。
一体、何をしにステージに上がってるんだと思っちゃうよ。
それにそんな事は本当はステージの上でわざわざ言う事じゃないよ。
対バンなんていうのは競い合う相手なんだから自分達が最高のライブをやってギャフンと言わせてやりゃあいいんだよ。
言わばこれから喧嘩する相手だよ。
そして、認め合えるものがあったら切磋琢磨していける相手として今後に繋げて行くなりすりゃあいいんだ。
そんな相手にいきなりマイクを通しておべんちゃら言ってどうすんだよ。
そして、スタッフの皆さん有難うってステージで言われても俺達は全然嬉しくないんだ。
出演バンドが最高のライブをやってお客さんが感動してどんどん有名になっていく事が俺達にとって一番嬉しい事なんだよ。
帰り際にでも一言、今日はお疲れ様って声を掛けてくれるだけで充分なんだ。
ロックバンドはステージでロックする。
他に必用なものなんて本当は何も無い筈だ。

生き様ロックンロール

どういう訳か最近眠くて仕方が無い。
普段から普通の人とは真逆な時間帯の中で生活している俺にとっては就寝時間が朝の7時、8時なんていうのはごく普通の事だ。
それがこの1週間位の事なんだが午前3時半になるといきなり物凄い睡魔に襲われるんだ。
うとうとするとかそんな類のものじゃなくて正に襲われるっていう表現がぴったりな強烈な奴だ。
通勤はバイクか車なんだが流石にこれじゃあ運転出来んと思ってそういう時は事務所のソファーでちょっと横になるんだ。
そして、気が付いた時には朝の9時半とかだったりするから呆れる。
ほんの30分位の積りが6時間だもんな。
これが何日か続くと流石に少しめげるがこういうのも自分らしいかもと半ば開き直っている感も無きにしも非ずだ。
だけど凄く気持ちいいんだよ、ソファーで寝るのって。
2人掛けのソファーだからベッドみたいに体を伸ばす事も出来ずに肘掛の部分に足を乗せて寝るわけなんだけどね。
そんな傍から見たら凄く窮屈そうな体勢なのにベッドより完璧に気持ちいいのは何故なんだろう?
足を高くして寝ると体に良いなんて話を聞いた事があるけど極端に高くしてるから体に良過ぎて気持ちいいって事なのかな?
なんて、どうでもいい事を考えていて、ああ、そうかと一つの結論に至ったんだがこれが結構面白い内容だったんで今日の話題にしてみたぞ。
眠くなったらベッドで寝るのは当たり前。
ソファーで寝るのは普通じゃないよな?
子供の時にベッドや布団じゃない所で寝てたら親にあんた、ちゃんと布団で寝なさいよって怒られなかったか?
それが今でも潜在意識として残っていたとしよう。
そうすると布団以外の所で寝た時に無意識の内にやってはいけない事を犯したっていう一種の開放感みたいなものを感じるんじゃないかと思うんだ。
掟を破って凄く自由になったみたいなさ。
だから身体的には布団で寝た方が全然気持ちいい筈なのに精神的には布団以外の方が快感が有るっていうのも分からなくはないだろう?
かなり強引な言い方だがこれって所謂一つのロックだよ。
ロックは心の開放でもあるんだからな。
体中が痛くなったり風邪引いたりしても自分が正しいと思い責任も取るって言うんなら何処で寝たっていい筈だ。
ロックバンドをやっていなくてもロックは至る所に転がっているって事だよ。
今日はひょんな所からロックは生き様だという事を証明しちゃったな。

証明出来ない定義

地球から20光年離れた場所に地球の環境にとても近い惑星がある事が分かったそうだ。
グリーゼ581という恒星の周りを周回するグリーゼ581cという星らしい。
ちょっと興味はあるが20光年も離れているんじゃなぁ。
20光年ってどれだけ遠いか分かるか?
地球から200兆キロだぞ。
なんだよ、兆キロって。
想像も出来ないぞ、そんなんじゃ。
だけど水は有るらしいし、生物が生存出来る範疇の気温らしいよ。
やっぱり水が有って気温も適温じゃないと所謂人間が思う生き物っていうのは生存出来ないって事なんだろうな。
でも、生物が存在しているのは地球だけっていう発想はどう考えてもおかしいよな。
宇宙の中のほんの微々たる部分しか人類には解明されていないんだから生物が居る確率の方が逆に高いと思うのが普通だと思うんだ。
それにさっき言った水と適温を必要とするっていう部分もあくまで人間が勝手にカテゴライズする生物っていう意味だからね。
もっと俺達の想像を遥かに超えた条件でも生きられる生物みたいな存在って居て当たり前だと思わないか?
下手したら肉眼じゃ見えないのかもしれないし。
星って大抵は水素とヘリウムガスで出来ているんだろう?
あとは色んな星がぶつかったり爆発したりを繰り返して長い年月を掛けて一つの形に成っていったりとかって事だったよな?
だったらそういう星のガスに適した生き物らしき存在が居ても不思議じゃないだろう?
水や酸素があって気温も適温っていうのはあくまで地球上の生き物に限っての必要事項の筈だ。
この常識を宇宙に持って行って適してないから生き物は住めないっていうのって絶対におかしいと思うよ。
さて、それじゃあ俺の考えを聞いてくれ。
生き物という表現にはちょっと適さないかもしれないが宇宙は意識体が支配する住み家だと思うんだ。
意識体だから形は無いんだが存在自体は有るという人間の一般的な発想をかなり逸脱した所に居るというのが実態だと思う。
この定義は略100%に近い確率で正しいという自信がある。
何故かと言えば仏教的発想がこの定義をはめ込む事でコンプリートと言うか非常に分かりやすくなるからだ。
形が無いという事で証明しろと言われても出来ないが最近はそこら辺を理解している人もかなり多くなったように思う。

ハンデを負わされる子供達

ついこの間、友人に聞いたんだが最近の小学校は校庭にラバーマットみたいのが敷いてあるって本当なのか?
それも全面に敷いてあるって話だぞ。
彼の娘の通う学校が偶々そうだったというだけの話なのかもしれないがそんが学校が存在している事事態は間違いないようだ。
生徒が校庭で怪我した時に学校はここまでやってるっていう責任逃れの為なんだろうが俺はそれを聞いてぞっとしたよ。
事勿れ主義もここまで来ると本末転倒だ。
学校は子供が勉強する為に存在しているわけだがその勉強っていうのは怪我したりする事も時には勉強であったりするじゃないか。
こういう事をしたら怪我をするんだというのを実際に体験するのも立派な勉強だろ?
世間でよく言う学習って奴だ。
それを事勿れ主義の方を重視して蔑ろにしても良いっていう姿勢だよな。
学校は生徒数を確保出来なきゃ存在そのものを維持出来ない。
だから生徒の親からクレームが入った時に転校されたら困るからって腰が引けてしまうのかもしれない。
一学年30数人で2クラスしかないなんていうのも珍しくないらしいからね。
俺が小学校の時は、確か1クラス50人位居て学年毎に8クラスはあったもんな。
一学年で60~70人しか居ないとなるとクラス換えなんかしても殆ど意味無いしな。
クラス換えって普通は一つのチャンスでもあったりするだろう?
自分の駄目な部分を修正して心機一転頑張ろうみたいなさ。
今迄大人しかったけど新しいクラスでは元気にやってみようとかね。
それが出来ないって事はもしかすると虐められっ子は6年間虐められ続けなければならないかもしれないぞ。
それに何よりコミュニケーションを取れる相手が確実に少ないっていうのも大きな問題だよ。
離島の小学校なんかで学年で生徒が1人しか居ないなんていうのもニュースで観たりした事があるけどやっぱり社会に出た時は可哀想だけどハンデになると思うんだ。
学校は世の中に出る前のシュミレーションの場でもあるわけじゃないか。
そんな所が人数不足って理由で色々経験出来る筈の事が出来なかったりさっきのマットの話みたいに過保護になり過ぎてたりっていうのはとても大きな問題だと思うよ。
車の教習所で周りに色んな状況がある中で走らされてきた奴と何も無くすいすい走ってきた奴が卒業して一般道に出たら後者の方が間違い無く事故を起こす確率が高い筈だ。
それと同じ様な事が今の子供達の与えられた環境だとしたらかなり不味い状況だと思うだろ?

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