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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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成り行き任せは糞だ

今度の日曜日はワールドカップの決勝があるらしいけど野球賭博事件で世間を騒がせている大相撲の名古屋場所の初日でもある。
だが、もう一つ大きなイベントも偶然にも同じ日に行われるよね。
イベントって言って良いのか分からないけど参議院選挙だ。
俺にとってはもっと大切な自分の店のイベントの日でもあるんでもう不在者投票って奴をしてきたぞ。
これはロックやパンクが大好きな人には尚更言っておきたい事なんだけど投票には行くべきだと思うよ。
政治なんて難しいし面倒臭いから行かないよって気持ちは分かるよ。
だけど、そんな事言っちゃったら世の中を批判する資格も放棄する事になっちゃうぞ。
そりゃあそうだろう?
だって政治家を選ぶ権利が有るのにそれを放棄しておいて結果の部分だけ否定したりって筋が通らないだろう?
それでロックだパンクだって言ったってそんなの上辺だけのファッションだって言ってるようなもんだろ?
分からない事は色々知る努力をしなきゃなんないけど放ったらかして幾つになっても成り行き任せなんていうのは糞みたいな奴のする事だぞ。
自分が正しいと思った事、そりゃあ、おかしいじゃないかって思った事を堂々と主張するのがロックやパンクの精神だろ?
それから選挙に行きたがらない人達の大きな理由に政治家なんてどうせ私腹を肥やす事しか頭に無いんだから誰がなっても同じだっていうのもある筈だ。
イメージとして政治家は全部汚いって思ってるんだろ?
だけど、確かに汚い奴は結構いるとは思うけどそれが全部っていうのは間違いだと思うよ。
それは、政治に金が掛かるシステムが出来上がっちゃっている所に最大の問題があるんだよ。
実際、そのシステムをぶち壊そうっていう動きだってかなりあるんだからね。
そういう事も色々知っていかなきゃいけないと思うよ。
それから、これからの日本は若い世代が動かしていかなきゃいけないのに今の若い人達ってあまりにも受け身過ぎると思うんだ。
昔は学生が大規模なデモを行って政治にも大きな影響を与えた時代もあったんだぞ。
べつに力でごり押しするのが正しいっていうわけじゃないけどあまりにも大人し過ぎるよ。
自分達の国は自分達の力で変えて行こうって思わないんだったらこの国に未来は無いと思うよ。
以前にも同じ様な話をしたと思うけどこの事については何回でも訴え続けていく積りだからな。
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復活の時

雨が降ったり止んだりっていう変な天気が続いているがこういうのはやっぱり精神的にも悪影響があるんだろうな?
先ず、湿気が多いっていうのは気持ちがダウンするような気がする。
こんな時に盛り上がれって言ってもなかなか難しいだろう?
ワールドカップをやってるから何となく明るい雰囲気はあるけどあと数日だしな。
だけど男の股間に季節は関係ない!
常に盛り上がっていなけりゃならないぞ!
そんな股間の盛り上がりの大敵と言えばやっぱりストレスだ。
実は俺も過去にこのストレスのせいでやってる最中に挫折した事があるんだ。
所謂中折れって奴だ。
偶々その時、極限に忙しかったんだが、ただ忙しかったというだけじゃなくてブッキングに追われていた状態だったんだ。
いつ迄に何バンド決めなきゃいけないみたいなプレッシャーが物凄く掛かっていて頭の中を常にその事が占領していたみたいな時期だった。
なのに性欲はあるからセックスはしたくなる。
男の本能っていうのは不思議なものでそういう時は尚更やりたくなるもんだ。
ところが最中に突然元気が無くなるんだ。
自分でも全く意味が分からない。
脳は起て!突っ込め!って命令している筈なのに全然言う事を聞いてくれなくなるんだ。
流石にこれは焦るぞ。
そして、焦れば焦る程ドツボに嵌って行くんだ。
あの時、俺は男として終わっちゃったのかって思ったもんな。
このままじゃあ引き下がれないと思って再チャレンジするんだが相手に慰められて終わりという悲惨な結果だったよ。
それで日を改めて今度こそと思うんだが今度は前回の事が脳裏を掠めるんだ。
また途中で駄目になるんじゃないかって気がしてきちゃうんだ。
克服したのはたしかそれから3回目の時だったと思う。
どうやって乗り切ったのかというと相手に包み隠さず全部話したんだ。
それでもし途中で駄目になっても俺は絶対に諦めないで必ず復活するから最後まで付き合ってくれって頼んだんだよ。
まるで怪我した時のリハビリに付き合ってもらうようなもんだ。
だけどこの作戦は見事に成功したよ。
その時、はっきり思ったよ。
やっぱりセックスはかっこ付けたりしないで全部開放しなきゃ本物じゃないんだなってね。

560日

さて、今日は何を書こうかなってネットニュースなんかを見てネタを探す日っていうのは良く言えば平穏無事なんだが悪く言えば感性が鈍っている証拠でもある。
ネットでネタを得るって事は勿論それがヒントであり切欠でもあるわけだから或る意味受け身とも言える。
これって誰にでも出来る事だよね。
今日の出来事を引っ張り出して自分流に如何に料理するかがポイントになると思うけど既に起こった過去の事に対してああだこうだと語る事になるとどうしても愚痴のようにも聞こえるし対岸の火事的意見になったりするのは仕方がないとはいえちょっと不本意ではある。
本当はヒントなんか何も無い所からポロッと沸いて出て来た事をそのまま曝け出すようにぶちまけるスタイルが俺にとっての理想なんだ。
だけど、頭が疲れていたりするとこの最初のポロッが出て来るまでに1時間とかかかったりして、あれ?俺って何やってんだみたいな気分になるのもちょっと困りものではある。
と、色々やってきながらこの日記もあともう少しで2年続いた事になる。
2年っていうと別に大した事とは思わないが書いた日を数えてみたら既に560日を超えていた。
全く不思議なもんだ。
これって本当に俺が書いたのかって疑ってもいいくらいだ。
始める時に560回続けろってもし言われていたら間違いなく断るもんな。
だけど、一番の驚きはこれを全部読んでくれている人が結構居ることだ。
こんな素人の文章に2年も付き合ってくれるなんて有り難いよ。
よっぽど暇なんだな君達は。
なんて事は口が裂けても言えないよ。
今のは冗談だが君等がそこまで付き合ってくれるってんならこっちも腹を括って向き合えるってもんだ。
ということで前置きが長過ぎたが今日の本題に入ろう。
困った事に世の中は鬱病患者が激増中だ。
そして、その予備軍的な人も増え続けている。
そういう人の特徴といえば本人からすれば眠れなかったり何かに怯えていたり食欲が無かったりとかあるんだろうが傍からは判断しづらいもんだ。
だが、内面的に色々あると思うが外見からだと目を見ると分かりやすいように思う。
目力が明らかに弱いというか勢いみたいなものが何も無いような気がする。
そして、正面から相手の目を見ようとはしない場合が多い。
ついこの間会った青年はこっちが正面から話しているのに真横を向いて話していた。
内面の不安定さをカムフラージュする為に突然怒ったような表情やふて腐れた口調になる奴もいる。
こんなのが大勢居る中でまともにコミュ二ケーションをとるのは非常に困難でさえある。
押し寄せる波のようにそんな人達が増えている状況は現代社会が生んだストレスによるものなんて悠長に解説している事態じゃないように思う。
じゃあ、どうするべきか。
この日記を560日分読み返してみてくれ。
2年間この日記を書いてきてそこら辺の話を一番多くしているなあと読み返してみて気が付いたんだ。
今後はもうちょっと明るい話題を多くしたいとは思うんだけどなあ。

生死との係わり

なんと、2週続けてお通夜に出席する事になってしまった。
この店が出来てから20年間お世話になりっぱなしの恩人のお母さんが亡くなったんだ。
皆もお通夜とか告別式って経験した事あるだろう?
俺は今日も思ったんだけどああいう会場の空気ってやっぱり何か普通と違うと思わないか?
言葉で表現するのは難しいけど色んな意味で凄く澄んだ空気が流れているような気がするんだ。
お経とか線香の影響も絶対にあると思うけどこの世とはちょっと違う別の世界が入り混じっているみたいな感じがしないか?
そして、全てが許される場のようにも思えてしまうんだ。
恨みとか憎しみとか超越しちゃうみたいなさ。
ああいうのってやっぱり死というものの凄さというか、でかさみたいなものも影響しているんじゃないかと思う。
人間の領域を遥かに超えた手の届かないものみたいな感じだろ?
生きている時は笑ったり怒ったり悲しんだり色々あるけど死んだら全てが消えるんだもんな。
不思議だよな。
それから亡くなった人に対してよく言う言葉で安らかにお休み下さいっていうのがあるだろ?
あれを聞くと確かにそうだよなって思うよね。
だって普段はそんな事意識しないけど俺達って何十年も生き続けているんだもんな。
毎日、何だかんだって忙しくしてるし眠ってたって呼吸はしてるし心臓だって動いてるんだもんな。
機械だったらとっくに壊れてるだろ?
人の命について考えだすと本当に何処までいっても不思議な事だらけだ。
化学が進歩して分子や原子の域までは解明されてはいるけどもっと根本の部分というか筋道みたいなものは何も分かっていないわけだろう?
人間はいつどうやってこの世に誕生したのかって事さえ色んな説があるけど全て憶測だもんな。
これからもずっと研究されていくんだろうけど多分何百年経っても分からないままなんじゃないかな?
何となくだけどやっぱり人間の範疇を遥かに超えてるような気がするよ。
っていうか踏み込んじゃいけない所なんじゃないのかな?
半径数メートルの中で一生を終える虫からすれば人間の生活する世界は宇宙のように大きな存在の筈だ。
そして、この関係をステップアップして人間をその虫に当て嵌めたらどうなる?
想像も出来ないような大きな存在とその世界があっても何も不思議じゃないだろう?
そこで製造されたのが人間だとしてもおかしくないし、もしその存在に地球という場所で飼育されていても俺達には理解出来ないと思うんだ。
人類の誕生とか人の生死ってどうしてもその大きな存在が係わっているように思えてしまうんだよね。

小心者

アメリカのシカゴでは今後一家に一丁銃を持っても良い事になったらしい。
って、それじゃあ今迄は禁止だったのかって思った人も多いだろう?
日本ではアメリカ人って誰もが銃を持ってるみたいなイメージがあるもんな。
前にも話した事があるけど以前アメリカに行った時に向こうで仲良くなった奴にピストル持ってんだろって言ったらそんなもの見た事もないよって笑われた事を想い出す。
そこはカナダに近いワシントン州っていう田舎だったからかもしれないが地域によって銃の所持率はまちまちのようだ。
それでちょっと調べてみたらやはりイメージ通りのようで国民の10人中9人は銃を持っている事になっているじゃないか。
やっぱりこれも国民性なのかな?
アメリカの歴史は血の歴史だもんな。
だけど銃を持とうって思うのってやっぱり何かが怖いからだよね。
そう考えるとやっぱりその対象は異人種って事になるんだろうな。
いくらオバマさんが大統領になったからって言っても日本人には想像も出来ないような深い溝が今でもあるんだろうね。
こういう感覚が染み付いているからアメリカは核兵器を手放さないのかもしれない。
他の国には文句ばっかり言う癖に自分の国はちゃっかり沢山持ってるんだもんな。
ついこの間公表されたアメリカの核兵器の数って知ってるか?
5113発だぞ。
こんなにいっぱい核爆弾溜め込んでどういう積りなんだろう?
外国の事がそんなに怖いのかな?
他の国で核兵器を持ってる所って幾つかあるけど世界中全ての核兵器の95%はアメリカとロシアが所持してるんだぞ。
どう考えたっておかしな話だろう?
国の数って193だから一つの国に10発づつぶち込んでも十分お釣りが来るじゃないか。
地球が無くなっちゃう位の武器を持っていなきゃ安心出来ないって事なのかな?
世界は今、核廃絶の方向に少しは動いているけど取り敢えずアメリカとロシアが自国の核をゼロに近付ける事が筋だと思うんだけどな。
もう随分昔の話になるけど思春期によくあるように俺も少し悪さをしていた時期があったんだ。
その頃の俺も含めて仲間連中は常に武器を持っているんだ。
メリケンサックとかチェーンとかナイフとかさ。
ベルトもサッと抜き取って武器になるコードバンって奴だしカバンも潰して鉛なんかを埋め込んでいた奴もいたし。
何でそんな物を持っていたのかというとファッション的な奴も居たけどやっぱり怖かったからだと思うんだ。
突っ張っていたら当然いちゃもんを付けて来る奴が幾らでも居たからね。
もう、殆ど漫画の世界だが当時はこんなのが珍しくもなんともなかったんだ。
今想えば笑い話になるだけだけどその頃はそれはそれなりに必死だったんだよ。
何回か殺されるかもって思った事もあるからね。
相手が武器を持っているからこっちも持たなきゃいけない。
こっちがそう思っているって事は相手も同じ考えだ。
そうやってどんどんエスカレートしていって手が付けられない状況になっていくんだ。
結局は臆病な心から始まっているんだよ。
核兵器は論外として個人単位で言えば銃なんていうのは究極の武器じゃないか。
これを所持する事を認める国っていうのは何なんだ。
世界中で一番臆病で小心者なのはアメリカ人だって言っているようなもんだと思うんだが。

因果応報

今日、古い友人と音楽業界の話をしていると勝ち組、負け組という言葉が出て来た。
ふ~む、久々に聞いたちょっと懐かしい例えだ。
中年に差し掛かったような歳の女性が結婚出来れば勝ち組で出来なければ負け組だなんて使われ方が主だった気がする。
収入が多いか少ないかでも同じ様な言われ方をしていたよな。
だけど収入の場合なんか基準が幾らって決まっているわけじゃないんだから勝ちも負けもないと思うんだが。
って、そんな細かい事はどうでもいいんだが人生に勝ち負けを付けるのはあまり良い事とは思えない。
本当は勝つ時があるから負ける時があるんであって負ける時があるから勝つ時があるというのが正しいと思うんだ。
こんな事を言うとそれは違うだろって思った人が多い筈だ。
生れた時から死ぬまでずっと金持ちの人とか一生貧乏な人もいくらでも居るじゃないかって思ったんだろ?
結婚して子供も産まれて幸せに暮らす人と一生独身の人じゃ明らかに違うじゃないかって思ったんだろ?
だけど、それは金や結婚が幸せの目安になっているからそう思うだけの話だろ?
幸せは心の充足感だよ。
でも、感って付くくらいだから感覚に過ぎないって事でもある。
感覚っていうのはどうとでも受け取れる場合が多いだろ?
いくら結婚出来たからといっても亭主と喧嘩ばかりしていたら幸せだなんて思えないよな。
でも、旦那のちょっとした優しい一言でやっぱり私って幸せだって思ったりもするわけだ。
月給が50万になって幸せだって思ったとしても親の借金の肩代わりをしなきゃいけなくなって返済が毎月45万だったら50万もらっても幸せとは思わないだろう?
心の充足感ってそれくらい不安定で不確かなものだと思うんだ。
そして、この感覚は不思議な事にまるで潮の満ち引きのように交互に訪れるものなんだ。
それは何故かというと人は誰もが良い部分と悪い部分を持っているからだと思う。
そして、身に降りかかる幸、不幸の原因を辿れば全て自分が発しているからだよ。
因果応報っていう奴だ。
肝心なのは潮の満ち引きを如何に察するかだと思う。
満ちている時には思い切り乗っかって引いている時はじっと耐えてまた満ちる時を静かに待つというのがベストだと思う。
そんな事が簡単に出来れば誰も苦労しないけどね。

傲慢な錯覚

猫を空気銃で撃った男が逮捕されたらしい。
猫好きの俺としてはこんな事をよく出来るもんだとは思うが猫なんか殺したって何とも思わない人が居る事も分かっている。
だけど最近はこういった動物に対する虐待行為が非常に多いらしい。
家には今、子猫が二匹居る。
俺は過去に猫を飼った事が2回あり、2回共可哀想な別れ方をしている。
初めて飼った時は俺の無知のせいで死なせてしまった。
2度目はペット禁止のボロアパートに住んでいた時だった。
雌だったんだが子供が産まれちゃったんだ。
本当なら喜ぶ所なんだが猫って1回の出産で5~6匹は産まれるだろう?
その子猫達がミャ-ミャ-毎日鳴いてると壁も薄かったから結構周りから顰蹙ものなんだ。
それで手放すしか方法が無くなっちゃったんだよ。
その時に自分自身に対しても含めて人間って本当に勝手なもんだと怒りを感じてもうペットを飼うのは絶対に止めようと誓ったんだ。
ところが今年になって家に転がり込んできた彼女が俺以上の猫好きだった。
どうしても猫を飼わせろって1日100回位猫の動画とか写真とか見せるんだよ。
そして、殆ど脅迫か洗脳に近い状態で気が付いたらいつの間にか子猫が二匹家に居たってわけだ。
この子達はペットショップで買ったりしたんじゃなくて所謂里親募集のサイトで見つけたんだがそこには妙に気になる文章があったんだ。
手渡す前に審査する為の質問事項に答えろみたいな事が書いてあったんだ。
そして、送られて来た内容は俺の仕事や役職とか何で猫を飼うのにこんな事まで答えなけりゃいけないんだみたいな事が幾つか書いてあった。
勿論、言葉の使い方は丁寧ではあったけどどうも腑に落ちない。
だいたい自分だってどっかで拾ってきただけの癖に何なんだよ、その偉そうな態度はって思ったよ。
だけどそこは我慢して一応ちゃんと答えて返事を待っていると今度は面接をしたいというんだ。
おい!なんだよ面接って!
就職試験を受けてんじゃないぞ、この野郎!
もう完全にぶち切れそうになったがここも我慢だ。
受け渡す側が何でこんなに慎重になるのかというとそこには動物虐待の現状があるかららしい。
俺はニュースで鴨をボーガンで撃ったりする奴が偶に居るみたいな事は知っていたけど実際は既に動物虐待って社会問題になるくらいの勢いらしいんだ。
里親募集で引き取った動物の足を切り落としたり目を潰したりなんていう残虐な事が沢山行われているらしいんだ。
日頃の鬱憤を全部ペットに向けて晴らすって事なんだろうがあまりにも酷過ぎるじゃないか。
昔、猿の惑星っていう映画があったんだがそこでは人間が猿の奴隷になっていた。
現代人は一回ああいう目にあった方がいいんじゃないか?
何でも自分達が一番だなんていうのは人間が作り出した傲慢な錯覚だよ。
何様の積りなんだ、俺達は。

ストレス撃退法

昨日はサッカー絡みの話をまたしようかと思って途中まで書いたんだが不覚にも寝てしまったよ。
1日経ってから昨日の続きを書くという気にもなれないので別の話にしようかな。
あっ、そういえば韓流スターがまた自殺したみたいだな?
原因はストレスだって書いてあったけどちょっと意外な気がしないでもない。
韓国人って日本人に比べてハートが強いイメージがあるからね。
だけど、このストレスっていったい何なんだって考えたりしないか?
病原菌とか腫瘍みたいに見える物でもないしさ。
症状にしたって千差万別だろう?
熱が出たり頭が痛くなったり下痢したり蕁麻疹が出来たり色々だもんな。
中にはストレスで禿げるっていうのもあるしな。
円形脱毛症なんかは諸にそうだろう?
顔がひん曲がるっていうのもあるんだぞ。
俺は普段はストレスなんか何も無いって言ってたりするんだがあれはちょっと強がりが入っているかもしれない。
やっぱり立場上強がっとかないとかっこ付かないからな。
俺の場合はどうなるかというと先ず病気でもないのに胸が重くなるんだ。
なんか重りでも乗っけられているみたいないや~な感じだよ。
そして、その重りのせいじゃないけどだんだん太ってくるんだ。
今現在、過去と比べて最高に太っているから相当ストレスが溜まっている筈なんだ。
それは、単なる中年太りなんじゃないかって?
馬鹿野郎!エルビスプレスリーだってストレスで物凄いデブになった時があるじゃないか。
あれと一緒だよ。
・・・・多分だけど。
それとやっぱり常に機嫌が悪くなるよな。
それで誰にでも当り散らすってわけにもいかないけど溜めっぱなしってのも不味いだろ?
そうするとどうしても気を許している人の前で吐き出しちゃうんだ。
吐き出すというよりも当り散らすって方が正しいのかもしれないけど。
彼女なんかいい迷惑だと思うよ。
何でそんな酷い言い方するのってしょっちゅう言われるもんな。
これは俺が言っているんじゃない!
ストレスっていう悪い奴が勝手に俺の口を使って言わせてるんだ!
なんて冗談っぽく弁解する程の余裕も無くなってるから困ったもんだ。
じゃあ、この難敵であるストレスを消し去るにはどうすればいいのか。
よく言うのはスポーツだったり自分の好きな趣味に熱中したりカラオケだったり酒飲んだり音楽聴いたりとか色々あるだろう?
だけど、そういうのって一過性だよな。
一過性だったらまた直ぐに元の状態に戻るんじゃないか?
それならそのストレスの元を断つしか方法は無いって事だよな。
多分、方法は2つしかないような気がする。
1つは原因になっている環境全てを捨てる事だ。
それは職場だったり人間関係だったり住んでる環境って場合もあるかもしれない。
その程度なら未だいいが自分の人生って事も有り得る筈だ。
これが今回の韓流スターの選んだ方法だ。
そして、もう1つは開き直ってストレスを自分の人生に取り込んでしまうという方法だ。
ストレスは有って当たり前なんだからそれも含めて自分の人生だって認めてしまうんだ。
或る意味馬鹿っぽいかもしれない。
だけどどんな時でも前向きに生きるっていうのはこういう事だと思うんだ。
これが出来れば怖い物は何も無いと思う。

タンデムシート

暑い季節はやはりバイクに限るよな。
エアコンの効いた車よりも風を切って走る方が全然気持ちいいもんな。
そういえば最近はビックスクーターがやたらに多いよな。
皆はどう思っているのか知らないが俺はああいうのって凄くかっこ悪く見えちゃうんだよ。
なんか中型以上のオートバイはちょっとおっかなくてどうもなんて思ってる中途半端な奴が選んでるって気がしてね。
実際、偶々俺がバイク屋にいた時にビックスクーターを買いに来てた奴がいて、そいつが両足が地面にべったり着くくらいのを下さいって言ってたのを聞いてビビッてんなら乗るなよって思ったもんな。
さて、そんなビックスクーターではあるが女の子からするとあのでかいタンデムシートは意外と好評なのかもしれない。
でかいオートバイの後ろに乗るのって慣れないと結構怖いからな。
スピードの出てる時とかコーナーで車体が斜めになる時なんかちょっとした事で死んじゃったりするわけだから仕方無いとは思うけどさ。
それがあのビックスクーターだともっと安定感があるから気軽に後ろに乗れるんだろうね。
だけど、ミニスカートでタンデムシートに乗ってる子が異常に多いのは何故なんだろう。
パンツを見て欲しいのかな?
スカートを押さえて乗るってのも危ないから皆成すがままで後ろから走ってたりするといい思いが出来て嬉しいんだけどね。
ついこの間もそんな状況に出くわしてしまったんだ。
それもその子が穿いていたのがヒモパンだったからもうケツが殆ど丸出しなんだよ。
俺の視線はもう一点に集中して後ろからずっと着いて行ったもんな。
だけどさ、一応言っておくけどバイクに乗るのにスカートは駄目だよ。
二輪って目茶目茶楽しいけど危険度は車の100倍位はあると思っていた方がいいよ。
だって、タイヤが二つしか無いんだからね。
それって走ってなきゃ自立出来ないって事だぞ。
俺は十代の頃から中型に乗っていたんだけどもうでかいバイクに乗るのは止めようと思ったのは或る事故が原因だったんだ。
後ろに女の子を乗せていてパトカーとぶつかったんだよ。
その子は偶々ミニスカートで足がザックリ切れちまった。
傷もかなり深くて大出血だったんだ。
もし、あの時穿いていたのが本格的なライダースーツとまではいかなくてもジーパンとか皮パンなんかだったらおそらくあそこまで酷い事にはなっていなかったと思う。
病院へ行ってその時彼女が悲しそうな顔で洩らした一言が重かった。
もう、海に行けないって。
俺とパトカーとどっちが悪いとかそんな話の前に危険の多いオートバイの後ろにミニスカートの女の子を乗せた俺が間違いなく悪いんだ。
彼女はちょっと突っ張ってはいたけど根は凄く優しいいい子だった。
未だ十代で田舎から一人で出て来て近所の美容院でインターンをしていたんだが将来の夢は田舎に帰っておかあさんと一緒に美容院を経営する事だって言っていたよ。
だが、この事故以降、彼女は美容院を辞めてしまいもう二度と俺の前には姿を現さなくなってしまったんだ。
ケツを出してバイクに跨ってる女の子に出くわすのは嬉しい限りだがあんな悲しい出来事と隣り合わせだって事は一応頭に入れておいて欲しいな。

世渡り上手

世の中の人々は殆ど本音と建前を使い分けて生きているわけだがこの両者をどう使い分けるかでその人の対外的評価は出来上がってしまうものである。
割合的に本音が多ければ正直者で素直と受け取られ勝ちだが裏を返せば只単にわがままなだけと受け取られてしまうかもしれない。
最悪なのは俺は本音だけで生きているなんて言っている奴だ。
誰だって本来はそんな生き方をしたいと思っているのは当たり前だ。
だが、そこに相手がいた場合に相手には相手の言い分はあるわけで誰もが突っ張りまくっていたら世の中は何も動かなくなってしまうので潤滑油として建前を使うという事になる。
青臭い理想論は大人の世界では通用しないという事だ。
なので残念だが本音だけで生きていく事は略不可能だ。
そして、あまり良い響きではない建前なんだが、意識、無意識を問わず俺達はこの建前を使いまくっている事を認めざるを得ない。
俺は建前が大嫌いだ。
とは言ったものの無人島に住んでいるわけではないのでこちらも残念ながら使わずに生きていく事は略不可能となってしまう。
建前という言葉には本音ではないとか表向きという意味が含まれている。
表向きというのは中身が違うという意味でもある。
それはやっぱり嘘という事だよな。
それも表面を綺麗にした嘘だから性質が悪い。
今日は何でこんな話をするのかというとつい最近、建前だけで数時間過ごさなければならない時があったからなんだ。
周りは全て年上で古くからの知り合いではあるんだが昔から馴染めない人達ばかりだ。
そんな所に行かなきゃいいじゃないかと思うかもしれないがそこに出席しないと或る人の顔に泥を塗る結果になってしまうので避けるわけにはいかなかったんだ。
お前等全員死んじまえってくらいにおべんちゃらだらけの上っ面の話に付き合わなきゃならなかったのは屈辱的ではあったがロックでもパンクでもない平穏な日々を送っている人達からするとこんなのは当たり前の事なんだろうとも思う。
そう考えるとちょっと凄いよな。
だって、俺には出来ないもんな、そんな生活。
立派な生き方とは到底思えないけど或る意味尊敬出来ないわけじゃない。
彼等だって自分の保身意外に誰かを守る為にそんな術を身に着けたのかもしれないしさ。
本音と建前ってものを考えだすと仕事柄かもしれないが自分の居場所を見失いそうになる時がある。
ハコの中の世界と現実の間に物凄いギャップを感じたりしてね。
なんとか上手くバランスをとっている積りではあるが幾つになっても世渡り上手にはなれないようだ。

美味い牛乳

昨日は父親の7回忌法要が行われた。
あの日からもうそんなに月日が過ぎたのかと時の流れの速さに驚き、共に感慨深いものを感じずにはいられなかった。
時間というのは不思議なもので喜びも悲しみも全て過去という平坦で落ち着いた感情の世界に閉じ込めてしまうものなのかもしれない。
これは人間にとっての最大の空しさと同時に唯一の救いの神でもある筈だ。
身を切るような悲しみ、全ての希望を失った暗闇の世界に突き落とされた時に人は生きる勇気さえ無くしてしまうものだ。
だが、殆どの人がそこから這い上がる事が出来るのは何故だろう?
それは時の経過が悲しみや苦しみを癒してくれるからだ。
言い換えればそれは時と共に悲しみや苦しみの記憶が薄らいでいくという事だ。
怒りという感情にしてもそうだ。
あんな奴絶対に許さない、今度会ったらぶん殴ってやるなんて思っていても10年後に再開してみると、まぁいいかなんて思う事も稀とは言えないから不思議だ。
だが、中には恨みを一生持ち続けるというタイプの人もいる。
こういう人は或る意味、可哀想な人でもある。
恨まれる側ではなくて恨む側が可哀想だって意味だ。
そりゃそうだろう?
本人はそれが正義と思っているかもしれないが、どす黒いどろどろした感情を背負って生きてるって事だからな。
自分は正しいのにっていくら正論を吐いてもそんな所に幸せはやっては来ない。
許す心を持たない人間は何処まで行っても不幸だからだ。
これを不条理とは言わない。
過去に許された人間が他人を許さない事を不条理と言うんだ。
感情の赴くままに喜んだり悲しんだり出来るのが人間だ。
そして時の流れに身を委ねてみるのもまた人生の醍醐味なのかもしれない。
因みに余談だが醍醐味というのは仏教用語だ。
これ以上無い程最高に美味い牛乳って所から来ている言葉なんだ。
最初の乳味が酪味、生そ味、熟そ味と段階を経てどんどん美味しくなる最後の5段階目を醍醐味と言うんだ。
美味い牛乳は時と共に流れているんだね。
良い事、悪い事、全てひっくるめて人生をじっくり味わい時と共に過去になり、そして更に今を生きる事。
たったそれだけではあるがそれを十分堪能出来れば幸せと言ってもいいんじゃないかと思う。

目標がベスト4ってどうなの?

う~む、最近家に帰ると必ずサッカーを観せられている。
家にサッカーファンは居ない筈なのにおかしな事だ。
ふ~む、デンマークに勝ったって?
1次予選突破?
だからどうしたと言いたい所だが一応水を差すのもなんなのでへぇ~、凄いじゃんとか言っておこう。
俺は本当にサッカーの事はよく分からないんだがあの生意気そうな本田っていう選手はなかなかいいかもなんて思ったぞ。
何処がってあいつだけだろう?目標を訊かれてはっきり優勝だって言ってるのは。
他の選手は皆ベスト4とか言ってるだろ?
監督までそうだったしな。
監督が勝負が始まる前や途中で目標が4番目でもいいって言ってるのってどうなんだ?
トップクラスとの実力の差があまりにもあるんで極限に良い成績を残せたとしても4位がいいとこだって意味なのかな?
おそらくそうなんだろうな。
ふ~ん、サッカーをよく知っていればそんな事は常識だって事なんだろうな。
皆そんなんでよく応援する気になるよな。
俺には全く理解出来ないよ。
ワールドカップに出る事事態が凄い事なのは分かっているけど最初から優勝を諦めてるみたいな事を言っちゃっていいのか?
お上品ぶるのもいい加減にしとけって俺からすれば言いたいよ。
これじゃあ、もう先は見えてるようなもんだと思うよ。
目標が小さい奴は絶対に勝てないのが勝負の鉄則じゃないか。
デンマーク戦が終わってからのインタビューを見ていても他の選手に比べて本田だけはそれ程喜んでいなかっただろう?
それは目指しているのがてっぺんだからだよ。
あれが勝負の本当の厳しさを理解している奴の態度だと思うよ。
昔、アントニオ猪木が試合前のインタビューで若手のアナウンサーからこの試合に負けたらどうしますかって訊かれた事があったんだ。
そうしたらどうしたと思う?
猪木はその若い奴を思いっきりひっぱたいたんだ。
相手は素人なのに。
それで勝負をする前に負ける事を考える奴がいるかって怒鳴ったんだよ。
勝負には絶対に勝つんだという気迫が物凄く大切なんだって事を猪木は言いたかったんだよ。
確かにプロレスはショーではあるけどもしあそこで負けたらどうのこうのって話していたら誰も猪木の事をカリスマとは思わなかったと思うんだ。
だから本田には注目しようと思うけど岡田ジャパンにはあまり興味を持てないっていうのが俺の今日の感想だ。
文句あるか?

スポーツでもあり文化でもあるもの

ここのところのスポーツニュースといえばワールドカップと相撲界の賭博事件に関するものばかりだ。
俺が見たいのはプロ野球と大リーグの結果なのに全然放送されないっていうのはちょっと酷過ぎだよ。
放送時間の関係もあるんだろうがニュースと銘打っている限りはもうちょっと平等な扱いをしてもらいたいもんだ。
さて、その話題の中心の1つになっている賭博事件の話はついこの間もしたばかりだが今度は名古屋場所を中止すべきかどうかとNHKが相撲中継を行うべきかどうかに注目は移りつつある。
大関琴光喜の休場だけは決まっている。
だけど大勢いる同じ容疑の力士達は休場とは決まっていない。
これはどう考えてもおかしな事だ。
いくら日本の国技だからといってもそんな道理を認めるような馬鹿は誰も居ないだろう。
となると少なくとも20人、最大で50~60人は休場って事になる。
朝青龍が辞めてから優勝するのは白鵬って殆ど決まっている事だけで興味は半減しているのにその上何十人も出ないんじゃ観る側どころか残った力士の方だってしらけちゃうよな。
世の中の常識がまるで分かっていない相撲協会がもしここで強引に名古屋場所を開催したらおそらく相撲人気はどん底に落ち込むような気がするよ。
そして、元の状態にもし戻るとしても10年とかその位は十分に掛かるんじゃないかな?
相撲中継にいたってはかなりの確率で放送中止だと思う。
60年近く1度も休まず放送してきたNHKだけど今回は流石に無理だと思うな。
なにしろ国民から金集めて放送している立場で7割以上の国民が中止にすべきって言ってるんだからそれは無視出来ない筈だ。
それでもやるってんなら今でも視聴料を払わない人が大勢いるのにその数が大幅に増えるのは目に見えているもんな。
若い人は特に相撲なんて別に興味ないしどうでもいいじゃんって思っている人が多いかもしれない。
だけど相撲っていうのはスポーツという意外に日本の文化でもあるわけだ。
土俵の形もそうだし塩をまく事も行司の服装から何から隅から隅まで全てにおいて古来からの意味を持つ日本の伝統芸でもあるわけだよ。
言ってみれば歌舞伎なんかと同列にあるものだ。
若い時っていうのは俺もそうだったけどどうしてもこういうものに対して古臭いとか面倒臭いとか思い勝ちだろう?
だけど、必ず気が付く時が来るんだ。
文化的な存在がどれだけ人々の心や生活に影響しているかって事を。
一言で言えば文化っていうのは潤いだよ。
日々の生活がある上での密着した潤いの場なんだ。
言い方を変えれば潤滑油みたいなもんだよ。
今回の事はマスコミからすれば美味しい飯の種でしかないのかもしれないけどあんまりそういう上っ面の意見だけに左右されるのはどうかと思うんだ。
誰もがもっと真剣に考えるべき大事な事の筈なんだ。
文化的なものに薄情な国ほど軽薄で無知で中身の無い薄っぺらな存在だという事は肝に銘じておいた方がいいと思うよ。

時の流れ

世の中には何をどうしても絶対に避けられない悲しい出来事というものがある。
人の力ではどうする事も出来ない運命のようなものだ。
自分の親しい仲の人がそんな悲しい出来事に直面した時に俺達はいったいどうすればいいんだろう?
慰めの言葉で何かが変わるのだろうか?
俺がその立場だったらそんな優しい言葉を掛けられたら尚更悲しくなってしまうかもしれない。
悲しみの底という言葉があるが彼は今その底に居ることだろう。
救ってくれるのは時の流れだけだ。
時の流れだけが悲しみを癒してくれる筈だ。
ごめん。
何もしてあげられないよ。
彼と共に時の流れを感じて生きていこうと思う。

消えて行く想い出の場所

そういえば最近全然雑誌を買わなくなったというか立ち読みすらしなくなってしまった。
その分、ネットで十分事足りるという事なんだろう。
自分の事を棚に上げて言うのもなんだがこのまま行くと本を売る事で食っていた人達は本当にお先真っ暗って感じだろうなぁ。
電子書籍に移行出来る出版社はいいだろうけど本屋さんは大打撃を受けている事と思う。
俺は子供の頃から大のプロレスファンでプロレスの雑誌だけは何十年と欠かさず買っていたんだが数年前に休刊になってしまったので馴染みの本屋さんにも行く事がなくなってしまった。
小説なんかも実際本屋で探すよりネットの方が断然揃っているし中古もいくらでも有るから安く済むだろう?
それにネットの方が探しやすいっていう利点もあるんじゃもう完全に勝負ありだよな。
まぁ、これも時代の流れなんだろうが俺が本当に本屋でわくわくしたのはやっぱり子供の頃にエロ本を買いに行った時の事だ。
なんせ未だ小学生だったから流石にビビったけど勇気を出して買った時の感動と興奮は皆が日本VSカメルーン戦で盛り上がった程度のもんじゃないぞ、多分。
今じゃコンビニでも下の毛丸出しのグラビアが載ってる雑誌なんか平気で置いてるけどその当時は未だ相当厳しかったんだ。
毛が透けて見えるくらいで規制が入っていたからね。
それでも見たいものは見たいじゃないか。
それで輸入雑誌なんかを扱っている店を探して親の財布から拝借した金を握り締めて買いに行くわけだ。
そういうのって大抵ビニールの袋に入れられて売っていたから中身は確認出来ないんだ。
それを1時間位じっくり吟味して選ぶんだがこれがなかなか難しい。
一番のポイントは紙質だ。
当時の洋物はヤバい部分にマジックが直接塗ってあったんだ。
今みたいに印刷前にぼかしを入れるってわけじゃないんだよ。
マジックっていうのは何で落ちるか知ってるか?
実はラードなんだ。
紙質がコートならラードで簡単に落とせるんだ。
家族が寝静まった深夜にこっそり起き出して懐中電灯の灯りを頼りにどきどきしながらエロ本のあの部分をラードでせっせと擦ってるガキを想像してみろよ。
なんて健気で純粋なんだろうって思うだろう?
やがて夢にまで見たあそこが目の前に現れるんだぞ。
これ以上の興奮なんて長い人生の中でそうやすやすとお目に掛かれるもんじゃないぞ。
50年以上生きてきた俺の人生の中で未だにベスト5には確実に入る感動だ。
そんな夢と興奮と感動を与えてくれた本屋がどんどん潰れていくのを目の当たりにしなければならないのならそれは寂しい限りだ。
想い出の場所が消えていくようなものだ。
くだらない話に聞こえるかもしれないが俺にとっては最期まで諦めずに努力すれば夢は叶うという事を子供ながらに教えられた貴重な一瞬だった事は間違いない。
笑い事じゃないんだぞ、マジで。

ギャンブルと勝負勘

相撲界が相当ヤバい状況になってきたな。
大関の琴光喜が野球賭博をやっていたのがばれて名古屋場所を休場する事が決まったけどこのままだと芋づる式に何人も同じ容疑の力士が出て来るのはもう明らかだもんな。
そいつらを全部休場にしちゃったらどっちらけだし黙って出場させるってのも何かちょっとおかしいだろ?
となると名古屋場所自体が中止って可能性も相当高いような気がするが。
だけど、相撲ってやっぱり勝負だろ?
だったらその勝負師の力士が賭け事に没頭したがるのは当然の事だと思うけどな。
それにギャンブルで勝負勘を磨くって結構大切な事のように思うんだ。
勝負事って必ず何処かにあやっていうものが有るんだよ。
目には見えないけどおそらく色んな力学みたいな物が重なって出来る重要なポイントみたいな物だと思うけど。
こういうのって勝負事に長けていると自然と分かるというか感じるものなんだ。
俺が毎日やってるブッキングって仕事はギャンブルとまでは言わないがそれでもやっぱり似通った部分が有るのは否定出来ないと思うんだ。
例えば1日5バンドが出演するとしてもそこには色んな力が折り重なるように入り乱れているわけだよ。
バンド側の思惑とかお客さん側の思惑もあるし当然店側もあるわけだ。
そして、そんな色々な気持ちを出来る限り満足させて1日を成り立たせなければならないんだ。
勿論、上手く行く時もあれば逆もある。
全てをいい結果に導く為に毎日諸々考えるわけだがここでやっぱり勝負勘みたいなものが大きく作用する事になるんだ。
頭で考えるだけじゃ駄目なんだよ。
言葉で説明するのは非常に難しいけど簡単に言えば勝負の流れを汲み取ってポイントをひょいってすくい上げるみたいな感じかな。
相撲だって稽古を積んで体を鍛えて技を磨くだけじゃないと思うんだ。
やっぱり勝負勘もしっかり磨いとかないと本当に強い力士にはなれないような気がするんだよ。
それから話はちょっと脱線するけど俺はギャンブルをやらない男とはあまり仲良くなれないかもしれない。
堅実な所はいいと思うけど面白みに欠けるんだよね、やっぱり。
そういう事を言うと金が無いから出来ないなんて言う奴が必ず居るんだけどそれは全くギャンブルってものを分かっていない証拠だ。
金が無きゃ借金しても勝って利子付けて返せば済むんだよ。
おっと、こんな事言うと無責任だって誰かに怒られそうだけど毎回そうしろなんて言っているんじゃないんだ。
いつもこんな事をしていたらそれは単なる阿呆だよ。
そうじゃなくて、こういう切羽詰った状況で勝負する者の心境を味わう事も偶にはいいんじゃないかって話だよ。
業種にもよるけど仕事で役立つ事も多いし人生の大事な選択をしなきゃいけない時にも必ず役立つと思うよ。
女の子を口説く時だって同じだよ。
ここって時に一気にいけなきゃ何も進展しないだろ?
その、ここって所を見極めるのが勝負勘でもあるわけだよ。
だから皆も頭ごなしにギャンブルは良くないなんて思うのはちょっとどうかと思うよ。

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