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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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夏フェス

今日は夏フェスの話でもしようか。
ライブハウスの人間からすると夏フェスの影響というのは無いとは言い切れない。
自分達のお客さんがそっちへ流れちゃうんじゃないかと敢てその日を避けてブッキングしたがるバンドも多いからね。
実際には数字的影響は殆ど無いのが毎年の結果なのだがイメージとしてそう思うのは仕方が無いかもしれない。
だけど日本の音楽シーン全体の事を考えると毎年10万人以上の人を集めるというのはやはり素晴らしい事だと思う。
だからそんな夏フェスに出演する事をバンドの一つの目標に掲げるのは間違っているとは全然思わない。
ところで、最近某フェスで一般投票で無名のバンドでも出演出来るようにしようという試みが行われている。
これはチャンスだと沢山のバンドがエントリーするのは当然だ。
ここまでは別に異議など何も無い。
ミュージシャンが少しでも大勢の人の前で演奏したい、歌いたいと思うのは当たり前だからね。
だが、その投票の仕方には非常に納得出来ないものがある。
同じ人が毎日票を入れても良い事になっているし、もし同日だったとしても別の携帯やパソコンからならO.Kというふうにもなっている。
という事はネットカフェなんかに行って一人で10台のパソコンから投票すれば10票という事になってしまう。
これを10日間やれば本当は一人なのに100人が投票したのと同じ事になってしまう。
そんな事する奴居るのかと思うかもしれないが実際に大勢の人がやっているのは事実なんだ。
この時点でもう駄目だろ?
それでいて1位から数えて上位何バンドというのが出演決定というわけでもない所がまたもや中途半端だ。
何百位かに入ったバンドを今度は審査員が審査して決定するという仕組みだ。
これじゃあ、一般人の意見なんか最初から当てになりませんって言ってるみたいだし少しでも裾野を広げてフェス自体の注目度を上げようというのが意図なのかと思われても仕方が無い。
それなら応募の段階で審査員がチェックしてバンド数をぐっと抑えてから投票製にした方が未だましだと思うよ。
そこにバンドや音楽に対する愛は有るのかと疑問に思う。
それでもバンドはシステムに問題が有ると知りつつも少しでも可能性があるのならと純粋な気持ちで応募をするわけだ。
いいのか?これで?
もっと厄介なのはここに組織票が存在している点だ。
それも宗教絡みときているからどんどんおかしな方向へ行きそうだ。
そこら辺の幾つかの不備を堂々と主張した審査員が一人居た。
骨のあるロックな人だ。
ロッカーはやはりこうじゃなきゃいけない。
彼が来年も審査員を続けると言うのなら期待は大いに持てるような気がする。
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潤いの無い世界が生んだ怪物

秋葉原17人殺傷事件の裁判が行われているらしい。
その法廷での被告と弁護人のやりとりがネットで公開されていたので一応全部読んでみた。
弁護人は被告が事件を起こした背景には彼の母親の影響が大きいという事を印象付けたいようだ。
結果はどんな状況になったとしても死刑だと思う。
それでも原因、真相を明らかにするというのは被害者や遺族に対する礼儀でもあるし再発防止に少しでも役立てるという意図が有るからなのだろう。
裁判というのは攻める側と守る側が居て裁かれる者と裁く者が居る。
そして、罪の責任を負わせるか負わせないか、負わす場合はその程度も決める場所と単純に考えてしまうと流れ作業のように一見思えてしまう。
だけど事件が起こるまでの過程を浮き彫りにすることが非常に意味があると思わざるを得ない内容がそこにはあった。
原因は彼の人間性にある。
当然、悪いのは本人だという事に揺るぎは無い。
しかし、彼の人間性を作ったのは誰でもがそうなように幼い頃の環境に他ならない。
幼い子供は父親から逞しさを、母親からは優しさを教えられるというのが人間本来の極普通の姿ではある。
一昔前迄は磐石と思われていたこの形がいつの間にやら崩れてしまったのが現代の日本の家庭だ。
彼の言う事を鵜呑みにしたとすると母親は我が子の存在そのものを私物化し捻じ曲がった愛情を注いでいたように思える。
本人の意思は全く尊重せずに自分の思うままにコントロールする事が愛情表現になってしまっていたと思われるふしが多分に見える。
じゃあ、責任は母親にも有るじゃないかと決め付けるのは早計だと思う。
どうして母親はそんな姿勢で我が子に接したのかという所まで行き着かないと片手落ちという事になる筈だ。
この親子の関係は暴力的な部分も有るが虐待とは違うと思う。
お互いに親子の愛情は有ったと思う。
そして、とても気になる部分は彼の口から殆ど父親の話が出て来ない所だ。
少しは出て来るんだが非常に印象の薄い感じがするんだ。
ここに母親が極度に厳しくなった原因が隠されているような気がしてならない。
ならば責められるのは父親かとなると確かに責任分担は免れないとは思うがその背景が有る筈だ。
どうして父親が子供に強さと厳しさを教え、逞しくあるべきと導かなかったのか。
それはおそらくその事よりも優先しなければならない事が有ったからだと思う。
ここに悲惨な事件に至るまでの種があったような気がする。
家族を食わす為にそこまで余裕が無かったのかもしれないし自分の自由を尊重してしまったのかもしれない。
裁判というものがそんな根を穿り返すような所まで追求するものなのかどうかは分からない。
今日、俺が言った事は想像の部分が多分に含まれるから実際は全然違う所に根があったのかもしれない。
だけど、これだけは間違っていないとはっきり言える。
彼は潤いの無い世界が生んだ壊れた人間、怪物だ。

土用の丑の日

昨日、ニュースを観ていたら26日に鰻を食べる予定の人が日本人の7割だって言ってたな。
土用の丑の日は鰻を食べようっていうのは良いと思うけど精精その意味くらいは知っておかないとなんか馬鹿みたいだよな。
土用の丑だからな、土曜の牛じゃないぞ。
大昔は物事全てが五つの組み合わせで成り立っていると言い伝えられていたんだ。
その五つっていうのは順番は確か違うと思うが火、水、木、金、土で表していた筈だ。
だけど季節は四季ってくらいで一つ余るよな。
土以外の4つって何となく季節に割り当ててもおかしくない感じがするだろ?
だけど土って全然季節感みたいのがないじゃないか。
それでむりやりにその季節ごとの最後の18日間を土って事にしちゃったんだ。
要するに季節が変わり行く頃みたいなもんだ。
用が付いているのは元来土曜用事と言っていたものを省略して土用にしたらしい。
あ~、面倒臭い。
もっと面倒なのが丑の方だ。
これは十二支の丑って事で意味は牛だけど十二支的牛だから丑なんだって何言ってんだか訳分からん!
簡単に言えば12進法で日にちを数えて子、丑、寅って嵌めていけばいいんだ。
季節は4つだから土用も4回あるだろ?
それで丑の日だったら土用の丑の日になるってわけだ。
だから土用の丑の日っていうのは1年で最低4回はあるって事だ。
だけど土用が18日間で干支が12だからタイミングによって1つの季節で土用の丑の日が2回有る事もある。
これを二の丑と言うんだ。
あ~、疲れた。
なるほどと思ったかもしれないが疑問も湧くよな?
じゃあ、何で土用の丑の日が年に4回有るのに夏だけ有名でその時だけ鰻を食べようって言うのかって事だろ?
色んな説が有るけど最も有力なのは江戸時代の鰻屋の販売戦略らしいぞ。
バレンタインのチョコレートと同じようなもんだな。
そういえばこの間すき屋のうな丼を食ったら結構美味かったぞ。
それで数日後に今度は弁当にして持って帰ったんだ。
そしたら、なんと鰻が丸まってたんだ。
食って美味けりゃ丸まっててもいいかって思ったんだがこれが強烈に硬い!
丸まった鰻も始めて見たが硬い鰻を食ったのも初めてだ。
すき屋の野郎!
うな丼って言いつつへび丼食わしやがったな!

大きな星

十数年前に毎月のように出演し、誰もが認めるヘブンスドアのエース的存在だったバンドが来週某所でライブを行う事になった。
現在はトリオバンドだ。
でも、当時は4人だった。
ヴォーカリストは不慮の死を遂げたんだ。
亡くなる2ヶ月前に俺は彼女に会っている。
新宿のでかいハコで俺が主催したイベントに彼女達も出演する予定だったからだ。
その予定で当然彼女達も会場に来ていたんだが結局出演は出来なかった。
ヴォーカルのコンディションが著しく悪かったからだ。
どんな時でもライブを一番大切にしていた彼女が会場に来て今楽屋に居るのにステージに立てないと言う。
それはライブを大切にしていたからこその結果だったと思う。
ライブを大切にしていたのならコンディションを整えておくのが当たり前だろうって?
そうだよ、それが当たり前だ。
ましてやそこに居るのに出演出来ないって、ミュージシャンとして普通ならそれは許されない事だと思う。
だけど、自分の中で物凄い葛藤があったのは事実だけど俺は許した。
ここで無理矢理ステージに上げたら彼女は終わってしまうかもしれないという危機感を感じたからだ。
勿論、会場はブーイングの嵐だったが天才少女を見殺しにする事は出来なかったんだ。
足を運んでくれたお客さん達には今でも本当に申し訳ないと思っている。
俺の心はズタズタではあったが後悔は不思議と無かった。
そして、その2ヵ月後に彼女と電話で話をする事が出来た。
どうなの、調子は?
うん、だいぶいいよ。
話に内容なんか殆ど無かったような気がする。
只単に声を掛けたかったというか俺の方が声を聞きたかったのかもしれない。
いつも自分なりにアドバイスをしていた積りなのに結果的に力付けられるのは俺の方だったような気がする。
人に何かを与えるのが使命のようなそんな人だった。
随分元気になってはいたがこれが彼女との最後の会話になってしまった。
彼女が亡くなったという知らせを受けたのはその数日後だ。
残念としか言いようがない。
ロック界の大きな星を掴みかかっていたのに。
俺は今でも彼女達に最大限の尊敬と感謝の気持ちを持っている。
彼女達がどんどん大きくなり世界中のファンを唸らせた事は俺にとっても誇りだ。
バンドは誰の物でもなくバンド自身の物でしかないと思う。
だけどそのバンドと心を一つにする事は出来る。
やっぱり音楽って凄いよね。
亡くなった彼女は今でもそんな事を俺に教えてくれる。

意識が変わる時は来る

某宗教団体のボスは最近宇宙人に関する本を出しているみたいだ。
その著書によると既に地球上にはプレアデス星人、ウンモ星人、ゼータ星人、ベガ星人、金星人、ケンタウルス座α星人の魂が人間の体を借りて住み着いているらしい。
その魂が宿った人達とボスが対話をしてその星の事や地球はこうあるべきだみたいな話を本にしているんだがこれは売れているんだろうか?
俺は絶対に買わないけど。
ベガ星人の体は液状でどんな形にも姿を変えられるってこれじゃあ子供の時に毎週観ていたウルトラQと同じじゃないか。
ウルトラQっていうのはウルトラマンの前身に当たる番組でああいう怪獣ものの元祖みたいな存在の事だ。
皆も良く知ってるバルタン星人も初めて登場したのはウルトラQだった。
俺の記憶では確かベガ星人っていうのもウルトラQかウルトラマン、ウルトラセブンのどれかに出て来たような気がするなぁ。
いや、そういう話じゃないだろ、今日は。
この本に出て来る或る宇宙人の特徴はあのUFO研究家の矢追純一が数十年前にテレビ用取材した時のものと殆ど一緒だ。
俺はこういう話が嘘か誠かなんていう事にはあまり興味が無い。
だけど、もし本当だとしても表に出す手順というかそのやり方には異議がある。
この本の出版目的は何なのかを考えなくてはならない。
宇宙人の魂が宿った人にインタビューしましたじゃ単なる芸能系雑誌と同じだ。
興味本位で飛び付く読者を飯の種にしているだけじゃないか。
じゃあ、どういうのが正しいのかって話だよな。
只、否定するだけじゃ駄目な野党の政治家と同じだもんな。
俺はこういう話っていうのは受け入れられる人と頭っから否定する人に二分されると思っている。
何故かというとこういうのは魂のレベルの話だからだ。
言い換えれば宇宙の原理に行き着く内容だと思うんだ。
宇宙は何で構成されていてそれが何の力で存在しているのかって部分だ。
ここが何となくでも分かっている人は相当な割合の人数が居ると思う。
でも、そうでない人の方が今の段階で勝っているのは間違い無い。
だからそんな本を出したって適当におちょくられて終わりだ。
今回の出版側はそこら辺は見越していると思う。
となると出版意図は敢て口に出す必要もないだろう。
内容にしてもそういう意図なら面白可笑しくでも結構だと思うよ。
俺は全ては自然に任せるべきだと思う。
ライト兄弟が飛行機を飛ばす迄は誰も人間が空を飛べるなんて思わなかった筈だ。
そんな時代に空を飛ぶ機械の話をしても信じない人の方が多いのは当たり前だ。
だけど世界中の人達の意識が大きく変わる時期は確実に近付いていると思う。
そうなってから出版すべきというのが俺の考えだ。
勿論、出版意図が金や布教活動意外だったらの話だけど。
そういう時がやって来て始めてこういう本は受け入れられると思うが内容に関しては大きく修正されているかもしれないね。

小粒な人生

どうにも若い連中のパワーが見えてこない。
どうして意思表示より周囲の人達への気遣いの方が先になるのだろう?
そういうのって物事を円滑に進める為の方法としては勿論間違っていないと思う。
だけどそれは世の中を知り尽くした大人のやり口だよ。
若い時からそんな感覚だったら先は見えてるぞ。
今から小粒な人生を目指してどうすんだよ?
結局の所は身の保全が優先順位の一番目に来ているようにしか見えないぞ。
これが今の若者気質という物なんだろうと取り敢えず納得するしかないのかもしれないがどうにも腑に落ちない。
俺の感覚からすれば若い時の人間関係というのは或る意味、修羅場でも構わないというかそうでなくてはならないんじゃないかと思ってきた。
修羅場といっても勿論、暴力的なものではなく意見をぶつけ合い戦わせてお互いに成長し合うという意味だ。
友達でも仕事仲間でも何でもそうあるべきだと思うよ。
いいじゃないか、喧嘩したって。
喧嘩も出来ないような仲なら友達でも何でもないしね。
うちの店に長くいる連中は酷いぞ。
俺の事を上司だなんて思ってないからな。
おそらくちょっと年上のうるさい奴程度が関の山だ。
だからそんな仲に敬語なんて存在しないし遠慮も無い。
言いたい事は言い合って言い返し合うわけだ。
偶にむかつく事はあるが俺はそれで良いと思っている。
それはそんな上辺の事よりもっと大切な信頼関係が有ると思っているからだ。
そして、そうして行く事で前に進む事が出来ると思うからだ。
うちがそんなスタイルをとっているのは俺がそうやって生きて来たからに他ならない。
当然、生意気だという事でクビを切られた事もある。
それも一度じゃない。
だけど、自分が正しいと思った事は反発を受けても貫くべきだよ。
でないと自分が誰なのかも分からなくなっちゃうぞ。
平穏無事な人生を送るのも良いけど自分が死ぬ瞬間に何を想うかなんじゃないかな?
言いたい事は言ってやりたい事はやったっていう方が清々しい気持ちであの世に行けるような気がするなぁ。

些細な喜び

強烈に熱いな。
群馬では38.9度だってさ。
それってあとちょっとで40度じゃないか。
流石に気温40度っていうのは経験した事ないが夏らしくていいんじゃないのなんて事は気安く言える状況でもないみたいだな。
もうこの暑さのせいで何人も死んでるしね。
ロシアも今、130年間の観測史上最高の猛暑に見舞われているみたいで大勢の人が死んでるらしいぞ。
でもちょっと興味あるな、40度って。
だってこの歳になるまでそんなの体験した事も聞いた事も無いからね。
体温より暑いけど熱めの風呂程じゃないって事だろ?
そんな事でわくわくするのは俺位なのかなってそんな話をしても面白くも何とも無いよな。
だけど、皆は俺位の年齢の者からすると随分楽をしている事になるんだぞ。
なにしろ俺が子供の時はエアコンなんて無かったんだから。
暑さを凌ぐ道具と言えば扇風機とうちわと風鈴ぐらいのもんだからね。
ああ、あと水風呂っていうのがあったな。
知ってるか?水風呂って?
入った事あるか?
サウナなんかに行くと有るみたいだけど昔は夏の暑い日なんかは家庭で水風呂に入ったもんなんだ。
いいぞ、冷たくて。
準備運動しないで行き成り浸かって心臓麻痺で死んだ人がいたくらいひやっとして気持ちいいもんだ。
普通、夏の暑い日に風呂に入ったら出た後も暫く汗が出っ放しだろ?
でも水風呂なら汗なんか出ないでさらっとしてそれが持続するんだよ。
こういうのも昔の人の生活の知恵みたいなもんなんだろうな。
そんな子供時代を過ごしているので俺はどうもエアコンが大の苦手なんだ。
家なら除湿意外は殆ど使わないからね。
寝る時でも冷房にしているなんて聞くと信じられないよ。
どうでもいい話なのかもしれないけど結局の所、人間って自然のままに近い方がやっぱり体にも精神的にも良い様な気がするなぁ。
そう考えると人間が今迄作ってきた道具って何だったんだろうなんて思う事ってないか?
道具ってそれが色々有れば便利で行き着く所は幸せに繋がるからっていうのが目的でもあるわけだろ?
だけど、原始時代みたいな生活と今を比べてみて本当に幸せに近付いたのかな?
生きる事の厳しさみたいなものは全然緩和されたとは思うけどもっと人間本来の些細かもしれないけど自然に対する喜びみたいなものって有るだろ?
例えば風を感じた時の気持ち良さや水を浴びた時の爽快感の度合いだったり夜が明けて朝を迎える事が出来る喜びとかさ。
間違いなく薄れているんじゃないかって想像出来るだろ?
だとすると喜びを減らした事になるんだから幸せから遠のかしたわけじゃないか。
確かに些細な事なのかもしれないけどこの些細な喜びを失う事で人間は知らず知らずの内に人間の人間であるべき部分をどんどん見失っていくような気がするんだ。

好機到来?

どうやらバンドマンの平均年齢は確実に上がっているようだ。
今日、他のライブハウスのスタッフと話していてこれはもう間違いないと確信した。
高齢化社会に移行するにはちょっと時期が早いようにも思うが別に悪い事とは思わない。
高齢化と言っても永ちゃんみたいに還暦過ぎてもというわけじゃないが何れそんな時が訪れると言っても可能性が無いわけではないように思う。
以前20代だったロック界の平均年齢は既に30代へ移行したと言って良いだろう。
ロックはやっぱり人生でもあるわけだから世の中を知る前にロックだぜって吠えても説得力って意味でも分が悪いのは致し方ない。
ある程度世の中を見つめる事が出来るようになってそれでいて勢いのある30代っていうのはもしかするとロックの適齢期って言っても良いのかも知れない。
うちの店が出来た頃は完全にバンドブームのど真ん中で毎週日曜日に原宿で行われていたホコ天なんかに行けば数百バンドが演奏していたもんだ。
大袈裟に言っているんじゃないよ。
本当に数百バンドがずらっと並んで毎週、野外ライブをやっていたんだよ。
その9割以上がおそらく10代、20代のバンドだ。
今、想えば曲によって振りの付いていたバンドが多くてそれをファンの子達全員でやっているから結構、異様な空気ではあったよ。
そうやってファンの獲得合戦を行っていきなりライブハウスでワンマンなんていうのは珍しい事じゃなかったもんな。
確かに自分の好きな事をやって人気者になるのは全然悪い事とは思わないけどそれが音楽っていう人に何かを与える世界で簡単に伸し上がっていける程、世の中は甘くは出来ていないのは当たり前だ。
下手糞で音痴だろうとファンが多けりゃ金になるってんでそんなバンドにハエのように集る大人がわんさか居たのは結局自分達の業界の将来の事等どうでもいいという姿勢の証だったんだと思う。
じっくり土台を固めていけば素晴らしいバンドになっていたかもしれないバンドもそんな中で食い荒らされていったのは、やはり真っ当な状況とは思えなかった。
そんな時代と比べれば今の方が全然まともだよ。
やっと実力勝負の時代が訪れつつあるって事なんだろう。
この好機にどれだけ音楽に対して愛情の有る取り巻きが居るかどうかでこの世界は大きく変わっていくような気がする。

精神修行

アメリカ人の理想の生き方というのは商売を始めたら先ずそれを会社組織にするだろ。
そして軌道に乗せたら会社そのものを高値で売っ払ってフロリダみたいな気候のいい所で悠々自適の生活を送る事だって昔から言われているよね。
そんな話を聞いて俺達日本人はどう思うのかというと何となくしっくりこない。
勿論、共感する人も居るとは思うがやはり価値観の相違は否めないような気がする。
価値観の何処が違うのかというと仕事というものに対してという事意外に人生に対してというのが大きいと思う。
日本人はどうしても人生を死ぬまで勉強だと思っている感が強いだろ?
だけど、アメリカ人の場合は人生は楽しむものでそれが大前提にあると思うんだ。
身近なもので凄く分かりやすいのが野球とベースボールの違いだ。
日本の野球は高校野球なんかを見ていても精神修行みたいな感じもするだろ?
それが下地になってるんだからプロだって同じ様な空気を持っていると思うんだ。
精神力とか根性なんかが重んじられる世界だよ。
そういうのが嫌いとか好きとかの話じゃなくて実際そういうものになっていると思うのが順当だ。
でもベースボールはまるで別物だ。
俺は大リーグの中継をよく見るけど日本に比べて相当大味なんだ。
悪く言えばいい加減で適当だよ。
だけど基本的に運動能力が日本人の域を超えている奴が多いからホームランもバカスカ打つしピッチャーの投げる球も恐ろしく速いのが沢山居るんだ。
要するに分かりやすくて豪快だから見ていて凄く面白いんだよ。
日本みたいにちょこちょこバントとかしないしデットボール食らったら相手チームにも必ずぶつけに行くくらいだからね。
単純明快過ぎるくらいに分かりやすくて馬鹿だけど観ていてやっぱり楽しいんだよ。
毎日ライブハウスに居ると何で日本人ってこんなに大人しいんだろうって思う事が多い。
だからこんな話をしたんだけどもうちょっと自分を解放しても良いと思うよ。
勿論、大盛り上がりの時もあるけど俺としてはまだこんなもんじゃないだろうって思うんだ。
人生を精神修行の場と考える事は決して悪い事じゃない。
寧ろ素晴らしいと思うよ。
日本人の一番良い所かもしれないし世界に誇れる部分だと思う。
だけど、アメリカ人みたいになんて思わないけどもう少し積極的に人生を楽しんでもいいんじゃないかな?
日本人には日本人の楽しみ方があるのは俺も日本人だから当然分かってるよ。
だから楽しめ、楽しめなんて強要したり絶対出来ないけどその瞬間を思い切り馬鹿になって楽しむ事って決して悪い事でも恥ずかしい事でもないだろ?
これが出来なきゃ本当の意味での精神修行もまだまだなんじゃないのなんて思ったりするんだがどうだろう?

童貞美学は弁解と誤魔化しだ

どうやら梅雨が明けたらしい。
何かちょっと唐突な感じもするがどうせ天気予報なんてその程度なんだから行き成りだなって思っても問題はない。
どうであれ梅雨明けしたのは良い事だ。
梅雨明け、即、夏の到来って事で夏といえば人間が最も野性的になる季節だ。
野性的って言ったらもうセックスしかないよな。
童貞君はこの夏に何としても一発やる事だけを目標に精進してくれ。
8月末までを夏と考えたら約40日もある。
夏が終われば女の子の開放的な気分も薄れてくるからやるんならこの40日の間しかないってくらいの意気込みでいくべきだ。
この時期になると昔は平凡パンチとか今でも有る週間プレイボーイとかGOROとかスコラなんて雑誌に男版初体験を迎える為の特集なんてのが必ず載っていたんだが最近はどうなんだろう?
ネット上でのレクチャーみたいのって有るのかな?
だけどそういうのはあまり見ない方が良いかもしれないぞ。
あんなのを参考にして俺は経験豊富なんだみたいなふりをしても女の子には100%ばれるからな。
かえって気まずい空気が流れたりなんて事にもなりかねないからそういう時は妙にかっこ付けたりしないで本能に任せた方がいい。
もし上手く出来なかったとしても絶対に諦めるな。
何度もトライすりゃあそのうち成功するもんなんだよ。
物凄く緊張すると立たなくなったり入れる前に終わっちゃったりとかアクシデントも結構あるものだけど一番良くないのは途中で諦めて今日は無理だって止めてしまう事だ。
こういうのは結構トラウマになるから注意した方がいい。
始める前に俺は童貞だって告白しておくのが一番の得策だと思うな。
女の子ってそうやって自分の前で言いにくい事を明かされたりすると母性本能を擽られたりするからね。
信頼の気持ちや安心感もきっと増すと思うよ。
レイプじゃないんだから結局女の子の側の気持ちが解れてなきゃ初心者の童貞君には無理だと思っていた方がいい。
とにかく全部曝け出す事だ。
それにしても最近の童貞率の高さには呆れる物がある。
中にはそれを美学みたいに言う奴もいるから驚きだ。
最初は本当に好きな人とってお前は少女かって言いたいよ。
そういう事は人の価値観によって色々あるからなんて言う奴も居るけど色々なんて何も無いからな、本当は。
腹の中は単なる弁解、誤魔化し意外に何も無い筈だ。
こういう事をはっきり言うと絶対に反発を感じる童貞君が居ると思うが一発やったら本当にそうだったって理解出来るよ。
嘘だと思うんなら一発やってから文句言ってみな。

体感速度

くそぅ、もう7月も半ばじゃないか。
どうなってんだよ、この時の過ぎる速さは。
1時間が1分に感じるぜ。
だとすると1日は24分しかないじゃないか。
それじゃあ飯食ってる間に1日が終わっちゃうな。
そうすると最近、うちの店から20分位の所に出来たラーメン屋は頼んでから出て来る迄に40分掛かったから1日以上待たされた事になるな。
食い終わってちょっと一服してたら2泊3日じゃないかって、くだらない事をいつまでも言わすんじゃねぇ。
それはちょっと大袈裟だが毎日が猛烈な速さで過ぎていくのを感じるのは確かだ。
この日記を始めた当初に時間に対する体感速度は年齢と共に速くなるって話をした筈だがあれから2年経って益々その説の信憑性の高さを感じるよ。
最近はゆとり教育の影響だかなんだか知らないが小学生の夏休みが短くなってるんだろう?
東北だと1ヶ月間も無いなんて所もあるらしいし。
俺が子供の頃は確か7月20日位から8月末迄だったような気がする。
約40日間だけどあの頃の40日は本当に長く感じたなぁ。
あの頃の時間に対する体感速度でいけば5年は下らないだろうな。
夏休みが5年って凄いよな。
なにしろ小学校の6年間なんて下手すりゃ50年位に感じたもんな。
入学が大体6歳か7歳位だろ?
だったら卒業の時に56歳のおっさんじゃないかって、もう止めんかい!
だけど、この感覚の差は何処から生れるんだろうと考えてみるとやっぱり物事を吸収する器の残量の違いなのかもしれないね。
飯だって食べてから腹の中でこねくり回して吸収するまでに結構な時間が掛かるだろ?
脳味噌もそれと同じなんじゃないか?
初めての体験をしてああでもないこうでもないって考えて納得して身に付くまでに時間も掛かるだろ?
それが歳食って色んな経験や知識も身に付いていればこれから憶える事も確実に少なくなっているよね?
もう吸収する為にある器の残量も少なくなっているってわけだ。
勿論、人間は死ぬまでずっと吸収すべき事は尽きないとは思うけど子供の頃より少なくなっているのは確かだろ?
それが原因で子供よりスムーズに時間が過ぎていくって感じても不思議じゃないと思うよ。
う~む、分かったようで良く分からん理屈だが何となく正しいような気がする。
そうすると、もしかすると大人の時間に対する体感速度の方が正しくて子供の方が遅すぎるっていうのが正解かもしれないなぁ。
って事は本当は人生って凄く短いっていうのが正しいのかもしれないぞ。
何言ってるのか分かんないって?
当たり前だ、俺だって分かんねぇよ。
でも、大切なのは今この瞬間だって事は分かれよな。

ブレードランナー

日本だけに限らず世界中で大雨による大水害が起こっているみたいだね。
そうかと思うと気温が40度を超えてる地域も有るみたいだし。
やっぱり地球は本格的にぶっ壊れてきたのかな?
なんだかブレードランナーっていう映画を思い出すなぁ。
あれは今からもう30年近く前の映画なんだが皆は知ってるかな?
近未来の地球を描いたリドリースコットっていう監督の作品で主演はハリソンフォードだ。
時代設定は2020年で人間と人間が作り出したレプリカントの戦いが主な内容だ。
ストーリー的にはちょっと在り来たりではあるんだが今から思うと状況はかなりリアルに出来ていたと思うんだ。
と言うよりも10年後はこんな感じかもなんて所が結構有るんだよ。
俺があの映画の中で一番印象に残っているのは天気なんだ。
確か昼でも夜みたいに暗くてずっと雨が降っていたような気がするんだ。
この何年か梅雨から夏、夏から秋に向かう季節って必ず集中豪雨で家が流されたり人が死んだりしているだろう?
そして、そんな状況って日本だけじゃなくて世界中でどんどん拡大しているよね。
それではっきりした原因を掴んで対策も行っているんなら未だましだけどそこまでいってないだろ?
地球温暖化が原因だって決め付けたとしても緩和策は世界中で協議されているけどあくまで緩和だからな。
撲滅じゃないからね。
それに日本は逆行してるけど世界中の人間は凄い勢いで増え続けているだろう?
俺からすれば全ての原因はここにあると思うんだ。
確かとは言い切れないのかもしれないけど温暖化自体の原因は温室効果ガスだって言われている。
もしそうだとしたら温室効果ガスに最も影響力があるのは二酸化炭素だって言うじゃないか。
人間は息を吐くだけで二酸化炭素を排出してるだろ?
それに毎日のように火を使うだろ?
何かを燃やせば二酸化炭素は出るんだからね。
そうやって息を吐いて火を使う人間が減ってるなら少しはましだがどんどん増加しているんだから時代は逆を行っている事になるよね。
これを食い止めるとなったら人類大量虐殺か他の星へ移住とかしか無いんじゃないの?
エネルギー供給を自然の力だけに頼る方向へ移転なんて口で言う奴がいるけどこれは略100%に近い確率で無理だと思うよ。
だって人間にはもう既存のスタイルが骨の髄迄染み付いちゃってるからね。
使い慣れた便利な物って誰だってなかなか手放そうとしないだろ?
なんて、ああだこうだと言ってる間にブレードランナーの世界になっちゃうんじゃないか?
そんな事になって欲しいなんて思っていないけど流れは確実にそっちに向いている事は間違いないと思うよ。
物凄く大きな天変地異的な出来事が起こって人類再出発みたいな状況が起これば話は違うと思うけど。

生きている事の証

今日も恋愛の話をしよう。
何しろ皆にとっては一番の関心事だもんな。
これは、昔からずっと感じていた事なんだが恋愛って後悔の念が常に付き纏うもののような気がするんだ。
例えばAという子と付き合う事になったとするだろう?
そうすると必ずBという子が現れてあなたと付き合ってもいいわ的な空気になる。
そして、不思議な事にこのBは必ずと言って良い程いい女なんだ。
そこで俺にはAがいるから駄目だと言い切りたい所だが何かここで断るのは凄く損をしたような気になる。
俺はこの歳になるまで何回恋愛をしたのか憶えていないが略100%に近い確率でこんな状況に出くわしてきた。
迷いが生じるって事はBの方が魅力的に見えるって事だからな。
何だよ、Bと付き合ってた方が良かったじゃんなんて気持ちが湧いて来るもんだ。
これはやっぱり男の性なのかな?
一旦、手に入れてしまえば後は次の獲物を狙いたくなるみたいなさ。
本能としてDNAに組み込まれているんだろうね。
奇麗事を抜きにすると全ての男性は浮気願望を持っていると思う。
それを行動に移すかどうかは理性で抑えられるかどうかにかかっているわけだが本音を言えば誰だって自由にやりたい筈だ。
だが、女性の浮気っていうのはちょっと意味合いが違うような気がする。
自分が女になった事があるわけじゃないのであくまで想像の範疇でしかないが。
女性の場合って自分の彼氏や旦那が浮気をしているのを知って向こうがそんな事するなら私もなんていうのが多いんじゃないかな?
自分ばっかり寂しくて辛い思いをしなきゃならないのなんて納得出来ないみたいにね。
相手の浮気を知ってそこで自分自身を見つめ直してみるっていうのもあるような気がするな。
もしかしてもっと自分に合った人が居るんじゃないかとかセックスでももっと感じさせてくれる人が居るんじゃないかとかっていう気持ちが浮気に走るみたいなさ。
そういえば俺も昔、いつの間にか浮気の相手になっていた事があるんだ。
こっちは相手が結婚しているなんて知らなくて普通に熱い恋愛をしている積りだったんだが実は亭主が居たんだよ。
その亭主も浮気ばっかりして殆ど家に帰って来なかったらしいんだ。
こっちは本気だったから流石にショックではあったが結局俺の方から別れを切り出したよ。
一気に冷めちまったんだ。
男の浮気願望の事は棚に上げてこんなこと言うのもなんだが俺はそういう事が出来る女性と付き合える程器用じゃないからね。
今流行りの割り切った交際なんていう真似は俺には出来ないんだ。
だけど、恋愛って良い事も悪い事もいっぱいあるけどやっぱり大切な事だと思う。
ハッと何かを感じてドキドキしながら告白して一つになれた時の感動は生きている事の素晴らしさを受け止められる瞬間と言ってもいい。
愛し合っていた筈の二人に後戻り出来ない別れが訪れた時は自分自身が消えて無くなってしまうくらいの悲しみのどん底を見る破目になる。
そして、先行きにはそんな悲しみが待ち受けている事も忘れてまた恋をする。
この部分に関してだけは学習能力なんて必用無いのかもしれない。
人はどれだけ恋をすれば気が済むんだろう?
やっぱり恋愛って生きている事の証なんだろうね。

ROW & ROW

野坂昭如氏の昔の歌の中に黒の舟歌というのがある。
皆も何処かで聴いた事があるかもしれないが出だしはこんな感じだ。
男と女の間には深くて暗い河がある。誰にも渡れぬ河なれど、えんやこら今夜も舟を出す。
男と女の奥深い部分の核心を突いたような素晴らしい詩だと思う。
男女の仲ってどうしていつも縺れ合う糸の様に絡まるんだろう?
何の障害も無くスムーズに事が進む恋愛ってあるんだろうか?
あるのかもしれないがそれって案外味気無くてつまらないものかもしれないけど。
そうかと思うと或る事に集中したいから恋愛は必要無いという人もいる。
別に宝塚やAKB48に入っていなくても君等の周りにもきっと居る筈だ。
スポーツをやっている人の中なんかでは特に多いのかもしれない。
集中力が欠けるほど恋愛は魅力的な存在だという事なんだろうね。
ところが最近は何かに打ち込んでいるというわけでもないのに恋愛を必用としない人が多くなったような気がする。
それも断然男性に多いんだ。
少し前に流行った草食系という言葉で括ってしまえばそれまでなんだが。
草食系男子が恋愛を必要としないのは簡単に言えば欲求が弱いという事とマイペースに生きる事を優先しているからだと思う。
あの歌のように深くて暗い河をわざわざ舟を出して渡る奴の気が知れないって所だろう。
一見、合理的でクレバーな生き方のようにも受け取れる。
だが、恋愛を拒否する人の最大の理由はおそらく別の所にあるようにも思える。
やはり心に傷を負いたくないって事だと思う。
誰だって心に傷なんか負いたくないもんだ。
でも恋愛のスタートは出会いだ。
出会いっていうのはいつか必ず別れがあるという意味も含まれている。
そこに愛があれば身を引き裂かれるような思いをいつかするという事だ。
そう考えると恋愛っていったい何なんだって思う事もある。
それでも深くて暗い河を漕ぎ出す人は止まない。
何故だと思う?
それはあの歌の続きを聴けば分かる。
ROW&ROW ROW&ROW 振り返るなROW ROW
恋愛って過去じゃない。
今が全てだって意味だと思う。
今を生きるって事だよ。

お門違い

頑張ります、宜しくお願いします!
そして、当選出来た暁には腰が折れるくらいに何度も深々と頭を下げて有難うございました!
確かにそうなんだが何かちょっと複雑な心境がしないわけじゃない。
あんたの為に入れた一票じゃないんだよ。
あくまで俺達の為だって事を忘れないでくれ。
そんなに涙ぐんで喜ばれてもそれは御門違いってもんだ。
もうこのスタートの時点でずれが生じている事をもう少し重視した方が良いかもしれない。
自分達の代表、代弁者を選んだ積りの側と当選した事で金銭欲と名誉欲を満たせたと勘違いしている側がいるとしたらやっぱり不味いだろ?
勿論、自分が選ばれた真意を理解している者も多いとは思うがそれがいつまでもつかも怪しいものだ。
自分がそんな立場になったとしたら何処まで健全でいられるかって訊かれても永遠になんて自信を持って答えられない人が多いだろう?
それが人間ってもんだと思うけどそれじゃあ不味いのがこの世界だ。
俺が思うに名誉欲は満たしてもらっても構わない。
だけど、それは個人的なものじゃなくてあくまで代弁者としての誇りみたいなものだ。
そして、問題は金の方だ。
国会議員になると二千万以上の年収が保証されている。
仕事が無くて途方に暮れている人が沢山居る状況でいきなり二千万ってどうなんだ?
色々掛かる経費は別物としても取り敢えず年収三百万位から始めてもらうのが筋なんじゃないか?
そうじゃなきゃ庶民の感覚なんて分からないと思うよ。
そして、良い仕事をやって国民の収入を上げれた時点で自分等の給料も上げればいい事だろ?
世の中がそういう仕組みになってんだから国会議員だけ別扱いっていうのは納得出来るもんじゃないよ。
政治家はずるい、金にまみれた悪代官みたいなイメージはスタート時点で既に始まっているって事を自覚して欲しいもんだ。
今回の民主党の大敗もなんでこんなに苦しい時期に追い討ちを掛けるような消費税アップを打ち出すんだという庶民感覚からすれば信じられないような事を言い出した菅さんへの反発だよ。
やっぱり愛が足りないんじゃないか?

大声出して笑える人

昔のフォークシンガーの曲の中に大声出して笑える人の涙ほど美しいものという一節がある。
毎日色々な人と触れ合っていると、あの歌みたいな生き方をしているんだななんて思う人と出会う事がある。
だけどそんな人が何処にでもいるというわけでもない。
可笑しいから笑う、楽しいから笑う。
子供の時は誰もがそうしていた筈だ。
それが大人に近付くに連れて笑顔の数が少なくなっていくのは何故だろう?
可笑しい事や楽しい事が減っていくというわけじゃないと思う。
笑えない自分になっていくのが大人になるという事なのかもしれない。
それは世の中の仕組みのせいなのだろうか?
それもあるとは思うが9割方は違うような気がする。
その9割は自分のせいだ。
自分の身を守る為だろ?
仲間と上手くやりたい、同僚と上手くやりたい、先輩と上手くやりたい、部下とも上手くやりたい、先生とも上手くやりたい、地域とも上手くやりたいっていう所から来ているんじゃないかな?
摩擦を避けようとする生き方の代償なのかもしれない。
笑う事が何で摩擦に繋がるんだと思うかもしれないが感情をはっきり出すというのは押し黙って平穏を装うよりも波風が立つ可能性が高いだろう?
子供の頃に抱いていた夢や希望が世の中に出て尽く打ち砕かれて笑えなくなる事も往々にしてあると思う。
それは世の中の仕組みのせいじゃないかって?
違うだろ?
やっぱり自分のせいだよ。
社会に受け入れられない甘ったれた夢や希望しか持っていなかった自分のせいだ。
そうでなければちょっと周りに拒否されたからといって夢や希望を諦めてしまう自分のせいだよ。
大声出して笑える人になるには潔さを大切にする事だと思う。
何に対して潔くかといえばその瞬間をだよ。
生きるってのは瞬間、瞬間を死に切る事だ。
死に切るって事は実際に死ぬんじゃなくて瞬間を生き切って後腐れなく死んで生きる事だ。
何言ってるんだか訳が分からんって?
要するに瞬間毎に100%出し切って生きるって事だよ。
瞬間毎にそんな生き方してたら疲れるんじゃないかって思うかもしれないがそうじゃない。
心が軽いから疲れなんて感じないよ。
だから大声出して笑えるんだよ。

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