今日は、電話で数人のバンドマンと電話やラインでやり取りしただけで家から一歩も出なかった。
週の半分以上は誰もいない事務所に行って黙々と仕事をしているんだが、スタッフが来ている時は家で仕事をする事が多い。
一人でいる時間が長いと人間らしい生き方じゃないなと本能的に感じてしまう。
コロナ鬱の前兆みたいな奴だと思うが、そんなの駄目だよって俺という存在を形成している細胞の中の粒子達が言ってるんだから間違いないだろう。
こういうのってやっぱり人の生き方に反しているって証拠なのかもしれない。
コロナを機に引きこもるライブハウスの店長、、、ってもろダサだな。
だいぶ大袈裟に言ってみたが99%は冗談だ。
でもあと1年くらいこういう生活が続いたら冗談の部分は50%位になってるかも。
一人でいると自分自身と向き合う時間が多くなるぶん、いつもなら何かに追われている気がして見落としていたものが見れたりする事もあるので必ずしも全否定というわけじゃあない。
だが、人間っていうのは漠然とした不安を常に抱えて生きるしかない生き物だ。
コロナで人と距離をおく事がその漠然としたものを助長するのは多分間違いじゃない気がする。
その不安っていうのは、細々したものは各々あるとしてやっぱり本丸は当然いつか必ず死を受け入れなければならないという未知への恐怖だ。
その未知への恐怖をどこまで納得して受け入れられるのか、そのために誰もが瞬間の積み重ねを生きてきた証にしたくてあ〜だこ〜だと動き回るんだと思う。
東京の人間って蟻みたいだなって子供の頃よく思ってたことを今になって想い出す。
蟻って絶対動いてるじゃん、止まらないんだよ絶対。
疲れんだろ?ちょっとは休めやって思わなかったか?
あいつらも必死に死の恐怖と戦うために積み重ねてんだよ、何かを。
で、今日は何の話がしたいのかというと普段はこのブログであまり語らない音楽の話だ。
今日、偶々録画していたドラマを見たんだが、それがさ、俺が子供の時にラジオでよく聴いていたビリージョエルのピアノマンって曲がモチーフになってるっぽいんだ。
ドラマの中でその曲がなんどもかかるんだが、かかるたびに俺はワクワクして仕方がなかった。
だって何十年も過去の曲なのにいまだにかっこよくてこれが人生だぜ小僧、みたいなのが染み渡ってきちゃってヤバいぜ、おい、って感じなんだもん。
1%のコロナ鬱が一瞬で吹き飛んだよ。
やっぱ、音楽って凄いよ。
今週から土、日、祝だけだけど時間早めて店開けるから来てみてよ。
コロナでメンタルやられかかってるなら尚更来るべし!
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