昔のフォークシンガーの曲の中に大声出して笑える人の涙ほど美しいものという一節がある。
毎日色々な人と触れ合っていると、あの歌みたいな生き方をしているんだななんて思う人と出会う事がある。
だけどそんな人が何処にでもいるというわけでもない。
可笑しいから笑う、楽しいから笑う。
子供の時は誰もがそうしていた筈だ。
それが大人に近付くに連れて笑顔の数が少なくなっていくのは何故だろう?
可笑しい事や楽しい事が減っていくというわけじゃないと思う。
笑えない自分になっていくのが大人になるという事なのかもしれない。
それは世の中の仕組みのせいなのだろうか?
それもあるとは思うが9割方は違うような気がする。
その9割は自分のせいだ。
自分の身を守る為だろ?
仲間と上手くやりたい、同僚と上手くやりたい、先輩と上手くやりたい、部下とも上手くやりたい、先生とも上手くやりたい、地域とも上手くやりたいっていう所から来ているんじゃないかな?
摩擦を避けようとする生き方の代償なのかもしれない。
笑う事が何で摩擦に繋がるんだと思うかもしれないが感情をはっきり出すというのは押し黙って平穏を装うよりも波風が立つ可能性が高いだろう?
子供の頃に抱いていた夢や希望が世の中に出て尽く打ち砕かれて笑えなくなる事も往々にしてあると思う。
それは世の中の仕組みのせいじゃないかって?
違うだろ?
やっぱり自分のせいだよ。
社会に受け入れられない甘ったれた夢や希望しか持っていなかった自分のせいだ。
そうでなければちょっと周りに拒否されたからといって夢や希望を諦めてしまう自分のせいだよ。
大声出して笑える人になるには潔さを大切にする事だと思う。
何に対して潔くかといえばその瞬間をだよ。
生きるってのは瞬間、瞬間を死に切る事だ。
死に切るって事は実際に死ぬんじゃなくて瞬間を生き切って後腐れなく死んで生きる事だ。
何言ってるんだか訳が分からんって?
要するに瞬間毎に100%出し切って生きるって事だよ。
瞬間毎にそんな生き方してたら疲れるんじゃないかって思うかもしれないがそうじゃない。
心が軽いから疲れなんて感じないよ。
だから大声出して笑えるんだよ。
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