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究極の愛情表現

この何日か少し硬めの話題が続いたので今日は、皆の大好きな男女の話をしよう。

究極の愛情表現とは、SMだと言う説が有るがそれは、本当だろうか。今日は、そこらへんを語ってしまおう。

サドと言うのは、マルキ・ド・サド、マゾと言うのは、ザッヘル・マゾッホとどちらも作家の名前から採った事を知っている人は、多いと思う。その両者の作品の内容が極端な虐待、羞恥を与える側と受ける側の心理を描いた物が主だったのでこれをセットにしてSMと言ってる訳だ。
昨今、どうでもいい様なタレントなんかが私は、Mだから相手は、Sの人がいいのなんて平気な顔で言ったりしているが、確かに相性は、良いだろう。だがTVなんかで大勢の奴等がそんな事を言って来たお陰でまるで誰でもがこのどちらかに属しているみたいな阿呆な考えが蔓延ってしまった。これは、大きな間違いだ。サドとマゾは、異常性欲のジャンルの一つに過ぎないし、同系列には、フェチや同性愛だって有るのだ
映画化された作家マゾッホ愛の日々と言う作品の中でも表現されていたが好んで虐待されていた側が実は、虐待している側だったりして要するに性の世界と言うのは、色々な要素が交錯した摩訶不思議な迷宮みたいなもんだと思う。

もう数年前の事だが俺は、キャットファイトを交えたクラブイベントをやっていた。キャットファイトってのは、簡単に言えば女の子のケンカショーだ。俺としては、中途半端な事は、やりたく無かったのでこれを行う前に或るマニアックなフェチビデオを制作していた会社の社長さんに相談してみたのだ。そして、参考に成るからと言われ10本程のビデオを貸して頂いたのだ。キャットファイトそのものの作品の他に痴漢ものや色々な種類のフェチもの、勿論SMも有った。そして、研究材料としては勿論だが折角なので俺の性癖は、ジャンルで分けたらどれに当たるのかと客観的に分析してみる事にしたのだ。まあ、分析って言ったってどれで股間が反応するかってだけだが。
そして、出た結果がなんとレイプものだったのだ。二人の女の子が5~6人の集団にボコボコにされた挙げ句に犯されまくると言う内容だったのだがこれが超リアルでとても演技とは、思えない殆ど犯罪みたいな代物だった。俺は、自分で言うのもなんだが男は、女を守らにゃならんものという信念を持って来たつもりだったので自分でも意外な結果に驚いてしまった。そして、その正反対にイチモツを縮み上がらせてくれたとんでもない物が有ったのだがこれがまた凄い!マニアの間では、金蹴りビデオと言われてシリーズ化されているらしいのだが初めて見た俺は、思わず吐き気を催してしまった。要するに裸の男を足を開かせて何人もの女の子に思い切り股間を蹴らせるってやつなんだがこれがもう手加減無し状態で大事な玉袋から血が出ちゃったりするのだ。社長さんに、あれはちょっと酷過ぎなんじゃないですか?と尋ねたところ、何言ってんですか、あんなのは、普通です。映像には、成っていないが究極のマニアの間では、実際に玉を潰すプレーだってあるんです。等と戒められてしまった。

さて、今日の話を皆どう受け止めたかは知らないが、わくわくした奴もいるだろうし気持ち悪いと思った奴もいる筈だ。まあ、そう言う事だ。人それぞれだ。究極の愛情表現って言ったって皆各々多種多様って事だ。手を握っただけでも究極の愛を感じる人もいるし乳首に針刺して貫通させられて泣きながら感動してる人だっているんだ。所詮他人にゃ立ち入れない世界って事の様だな。

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善と悪

今日のニュースを見ていたら池袋北口周辺に中華街を作ろうと言う構想が有り地元商店街と揉めていると言う記事が有った。文化的価値観の違いも有ったりして地元側は、かなり憤慨しているらしい。
池袋と言う街は、東側は、老舗デパートやサンシャイン等が立ち並び家族連れも多く健全なイメージがするのだが駅を隔てた逆側に行ってみよう。それも夜中に行ってみよう。初めての奴は、絶対ビビるだろうな。いや~一目で暴力団関係者と解る連中の実に多い事といったら新宿歌舞伎町と双璧だ。俺は、こういう雰囲気は、嫌いではない。というか大好きかも知れない。危ない空気の裏に見え隠れする生々しい人間模様が垣間見れる所に魅力を感じるのだと思う。

俺は、十代の時に川崎のスナックで働いていた事が有るのだが川崎という所も実にヤクザ関係の人達の多い街でそのスナックのお客さんの90%以上が組関係の人達だったのだ。最初のうちは、おっかないお客さんばかりだな~と思っていたのだがこれが慣れて来ると結構慕われてきたりしていつの間にか人気者に成ってしまったりしたのだ。俺に逢いにわざわざ来てくれてた人も多かった様に思う。相手の懐迄入ってしまうと強面の外見とは裏腹に妙に人間臭かったりして俺は、嫌いでは無かった。
本物のヤクザと言うのは、元来、強きを挫き弱きを助けるという生き方をする者だ。それは、かたぎの人達には、絶対に迷惑をかけないという意味でもある。チンピラは、別として自分の信念を貫き筋
を通した生き方を全うしようとすると例外無く世の中から弾かれる。そして、結果としてヤクザの道に進みかたぎの仮面を被った外道どもを懲らしめる事を生業とする。これが本物の極道の生き方だと思うが悪を叩き潰す方法論が悪を上回る極悪だったりするので怖がられるのだ。そうゆう極限の世界にいる人達の素顔の部分が見えたりすると魅力を感じてしまうのは、俺だけでは、無い筈だ。
ヤクザは、必要悪とも言われる。ヤクザのもたらす悪の部分が一般人の世界には、必要だと言う意味だ。何が善で何が悪なのか、それは、受け止める側の立ち位置によっても微妙に変化する。この際どい均衡を保つ善と悪が明確に体感出来る空間に俺は、多いに惹かれるのだ。
そういった地域に足を踏み入れた事の無い人がいたら一度行ってみる事を勧める。頭の中でイメージを膨らませているだけじゃ糞の役にも立たない。今夜は、ヤクザの蔓延る夜の歓楽街へ突撃だ!勿論、行く時は、一人で行け。その方が本質が良く見れるからな。

不安と余裕の関係

9月も初旬から中旬に差し掛かろうとしている。もう今年も一年の3分の2以上が終わってしまった訳だが年齢を重ねると共にどうも不思議に思えて仕方が無い事が有る。それは、時間の進み具合なのだ。ブッキングの仕事を長くやっているせいも有るかも知れない。常に数ヶ月先の事が頭の中に有るからそれも少しは、影響しているとは思う。だがそれにしても少し変だ。子供の時は、1年間というのが途方もなく長く感じていたのに今は、当時の10倍位の速さに感じてしまうのだ。今年の正月なんか今から1ヶ月前位の事にしか感じないのだ。これは、俺だけが思っている事なのだろうか。俺の頭がおかしく成って来たのか。そうすると君等は、毎日頭のおかしい奴の日記を読んでいる事になるが。
そこで自分なりにこの原因を分析してみる事にしたのだ。そして出た答えは、こうだ。
不安と余裕の関係は、体感時間の速度に対して反比例する。
説明すると不安と言うのは、未知な物に対しての恐怖と言う意味で歳が若ければ若い程、世の中に対して未知な物が多いのは、当然だ。そこから生まれる不安を数値10としてみよう。
そして、年齢を重ねるに連れて色々な体験をし、その不安は、減少して余裕へと変化する。勿論、不安数値は、ゼロへと減少して行く訳だ。それに対して体感速度を数値にすると出生時に0からスタートしたとして年齢と共に10を目指して増加して行くと言うのが俺の説だ。
ここまで話すともう気が付いた人もいると思うが嫌な事は、とても長く感じるし楽しい事は、逆にとても短く感じるだろう?それと同じ事だと思うんだ。

今日は、なんでこんな話をしたかというと、君等若い世代の1年は、俺なんかの5年10年に匹敵する。だからビビったりせず自分から進んで恥を掻くつもりで何でも体験するべきだと言いたかった。
それから今これを読んでいる中で引き蘢りの奴もいるだろう。そんな君に一つ教えておきたい事が有る。君と君の同世代の奴とは、現時点で殆ど同じ位置だ。多少ズレが有ったとしてもそんなのは、どんぐりの背比べみたいなもんだ。ここからがスタートなんだから取り敢えず何にも考えずに一歩前へ出ろ。スタート地点に過去は、無い事を知れ。有るのは、君の可能性のみだ。

パラリンピック

北京でパラリンピックが開会した。いつも思う事だがどうしてオリンピックは、あれだけ大騒ぎするのにパラリンピックに対する世間の注目度は、こんなに低いのだろう。テレビでの放送も殆ど無いに等しい状況だし。
こんな状況だから日本って国は、いくら先進国ぶりしてバリアフリーだなんだかんだ言っても所詮、世間体重視の偽善者の国だと言う事が解るのだ。
俺だってこれを今読んでる君だって明日にでも身体障害者に成るかも知れないのに。 殆どの日本人が心の障害者のくせにこういう差別的行為は、恥ずかしい事なんだと言う事を皆もちゃんと考えてくれ。
俺も何人か障害者の知り合いがいるが、はっきり言って健常者よりも心の綺麗な人が多い。そして、障害者を子に持つ親達も素晴らしい人格者が多いのだ。これは、偶々と言う事では無く障害者として産まれる子は、素晴らしい魂を持った親を選んで産まれて来るからだ。本人達も健常者の世界では、ハンデが有る様に思われるが魂のレベルは、俺達なんかより数段上なのだ。
後天的に障害者に成った人達に関しても尋常では無い困難を乗り越えた後に偉大な人物へと昇華して行くんだ。

テレビ局を含めたマスメディアの連中に告ぐ!パラリンピックは、商売に成らないと思っているのかも知れないが、それは、大きな間違いだ。スポーツの素晴らしさは、記録やメダルばかりじゃ無く如何に心に感動を与えてくれるかだ。そこらへんがまるっきり解っていない日本のマスコミは、どう仕様も無い程の阿呆としか思えない。
スポーツの持つ本質的な素晴らしさとは何なのか。皆もマスコミに惑わされずにしっかり考えて見極めてくれ。

朝食万歳

最近この日記を書く様になってから食事の時間がかなり乱れて来ている。
普通は、朝食、昼食、夕食と言うのが一般的だが俺の場合は、仕事柄、昼食、夕食、夜食であった。それが最近は、夕食、夜食、朝食に成りつつ有るのだ。まあ時間的にずれてるだけだからどうでも良い事では有るが、問題は、朝食なのだ。
一日の最後に食う飯は、それなりにまともな物を食いたいと思うのが人情だ。しかし、朝食の時間にまともな物といっても三茶から家迄の間には、牛丼屋か立ち食いそば屋、あとは、マック位しか空いていないのだ。出来合い弁当は、他の時間に採っているので食いたくない。わざわざファミレス迄行くのもかったるい。家に着いてからじゃ遅すぎる。飲食業に15年間携わって来た食い物にうるさい俺としては、非常に困る事態に成ってしまった。朝食と言っても普通の時間帯で生活していればディナーな訳だから舌と腹と心の三つを満足させたいのだ。
そして仕方なく残された選択肢の中から選ぶと先ずマックは、論外だ。腹以外の二つをクリア出来ない。富士そばは、どうか。あれは、そばでは無い別の物と思って食えば仕方無く食えるが出来る限り行きたくはない店だ。ゆですぎのそばは、そばではない。牛丼の松やは、と言うと牛丼つゆだく以外は、とても料理とは言えない代物だらけだ。期間限定で出している麻婆丼やまぐろ丼に至っては、既に危険物質だ。あんな物を出して人体実験でもしているのかと思う位の怒りが込み上げて来る様な作品だ。店員もやる気ゼロだし。そして残ったのは、吉野家だ。ここは、ファストフード店特有の切なさは、感じてしまうがそれ以外は、納得出来る。メニュー数がもう少し多いと尚更良いのだが。
こんな事を書いていると俺は、相当わがままな奴と思われるかも知れないがそれは、少し違うかも知れない。べつにご飯に醤油をかけただけでも構わないのだ。そこに作った人の心が籠っていれば十分なのだ。それが最高の香辛料となって美味い料理は、出来るんだ。それは、たとえファストフードだとしても出来る事だと知っているから言っているんだ。料理とは、そう言うものだと思っている。

大竹しのぶ

先日、女教師は二度抱かれたと言う舞台を観に行った。主演は、大竹しのぶだ。俺は、彼女のデビューした時からの大ファンで映画は、デビュー作の青春の門から殆ど観ているし、舞台も行ける限り観させて貰っているのだ。
彼女は、16歳でデビューしているので俺が親元から離れて大人の世界に入った歳と同じであったり、奇遇にも同い年でも有るので尚更気にかかる部分が有るのかも知れない。
まあ、そんな事は、別にしても俺が思う日本の女優のナンバーワンは、大竹しのぶに他ならない。
彼女の凄い所は、その登場人物に近づくとか成り切るとかその程度ではなく、成ってしまうのだ。本人の表情で本人の言葉な訳だ。だから作り物には無い自然さがそのまま伝わって来るのだ。集中力と言うよりももっと自然体のものだと思う。
今から21年前に奇跡の人と言う舞台が有った。勿論、彼女が主役だ。当時、彼女は、演出家の服部清治と言う人と結婚していたのだがそのご主人が大病を患い講演途中で亡くなってしまったのだ。千秋楽のチケットを持っていた俺は、代役を立てるか中止になっても仕方無いと思っていたのだが、何と彼女は、最後迄主役として頑張ったのだ。彼女特有のアドリブっぽい笑いを誘う様な部分でも完全に自分を捨てて配役そのものに成っていた。女優として光り輝いていた。普通だったら泣き崩れて食事も喉を通らない状況の筈なのにだ。
そして終演と共にスタンディングオベーションの嵐だ。素晴らしい、あまりにも素晴らしかった。俺は、心の中で強く彼女を抱きしめた。
こんなシチュエーションの中に立ち会ってしまった俺は、一生彼女を応援しようと誓った。だから生半可では無く筋金入りの大竹しのぶファンなのだ。

格闘美

相撲界が大揺れだ。逮捕された若ノ鵬に続いて露鵬と白露山からも大麻の陽性反応が出たと言う事で秋場所が中止になるかもしれないと大騒ぎになっている。
下らない。実に下らない。この下らなさは、高校野球を仕切っている高野連と一緒だ。高野連が仕切っているのは、未成年が対象だがこっちは、大の大人だ。大人ってのは、自立してるって事だ。その自立してる大人達の集団に2~3人大麻を吸ってたって事で集団責任を負わせるってのか?相撲界ってのは、そんなに清廉潔白な連中の集まりなのか?気持ち悪いぞ相撲界!そいつ等が、大麻を吸ったせいで人を殺したとかって訳じゃ無い。だいたい大麻は、人を平和的にする物で凶暴にさせる物では無い。酒飲んで暴れて周りに迷惑をかける方がよっぽど罪だと思うぞ。大麻と覚せい剤の違いを皆もう少し知っといた方がいいんじゃないか?
それに大麻取締法ってのは、誰の為の法律なんだ?健康への害って言ったら煙草の方が全然大きいし、周りに対して被害を与える物でも無い。強いて言えば労働生産性が落ちるって事位だ。飲酒運転は、当然禁止なので吸大麻運転禁止位の法律で良いのでは、と思ったりするのだが、この件に関しては、後日ゆっくりと語る機会も有ると思うので話の焦点を戻そう。
相撲と言うのは、格闘技の一種では有るが、あれは、格闘美なのだ。戦っている姿以外の行司や呼出、弓取り式等に至る迄の全てが相撲と言う名の格闘美で有り日本の文化なのだ。音楽、絵画、舞台、映画なんかと同じにカテゴライズされてもおかしく無い。こういうものは、止めては、いけない。継続する事に大きな意義が有るのだ。大麻吸引の善し悪しは、別にして、今回の事を大きく譲って不祥事とするならば、不祥事を起こした人間にケジメを付けさせ、大相撲は、休まず開催されるべきだと思う。
しつこい位にこの日記に書いて来たが今の日本人にとって最も必要なのは、心に潤いを与えてくれる文化なのだ。もっと大きな器で考えるべきでは、と思うのだが。

敗軍の将

福田首相が退陣表明を行った。ついこの間内閣改造を行ったばかりで自分が真っ先に辞めるとは、どう言う了見なんだ。国会が始まったら又、野党の総攻撃を食らってその流れで総選挙と言う事に成ったら今の自民党に到底勝機は無い。その時の敗軍の将として歴史に名を刻みたく無いって事か?余りに情けないぞ福田!余りに弱すぎるぞ福田!ダサすぎるぞ福田!例え敗軍の将でも最後迄戦って男を見せんかい!自民党が、今、野党ならば策として党首交代も解らんでも無いが一国の首相じゃないか。国民の不安と不満がこれだけ膨らんでいる時期に一人逃げる訳か?命がけで問題解決に向うのが当然だろう?まあいい、もう普通の爺さんとして大人しくしてろ。
さて、それでは、誰が党総裁に成れば総選挙で自民党が勝利する可能性が有るのかと言えば、可能性は、非常に低いが間違い無く小池百合子だろう。この人の事は、昔、12チャンネルでニュースキャスターをやっていた当時から注目していたが相当な切れ者で尚かつ精神的にもかなりタフで有りながら国民を引き付ける華も有る。実績的には、まだまだ総裁候補の域には、達していないが華の部分に賭けるのだ。まあ、自民党にそこまで勇気が有ればの話だが。麻生太郎の線が一番強そうだが彼も変なパフォーマンスで国民には、人気が有るのでいいとこ行くとは思うが自民党が今迄やってきたマイナス分を差し引くと微妙なところだと思う。勝ち率50%かな。小池なら99%だ。
こんな事を書いてきたが、俺は、自民党支持者では無い。無党派層の一員だ。自民党と言うのは、俺が物心付いた頃から常に汚職等、汚い金と私欲に塗れたイメージしか無い。こんな連中を選んで来たのが我々日本国民だ。じゃあなんでそんな事が解っているのに延々と自民党支持者が多いのかと言えば保守的な国民性も有るが自分達も似た様な事をやっているからそんなのを選んだんだ。文句あっか?有るなら言ってみろ!言え無いだろ?
もう、いい加減みんな考えよう。ゲームやどうでもいいバラエティー番組なんか観ている暇が有ったら自分の国の事を考えよう。そしてその意思表示として選挙には、必ず行こう。政治なんて難しくて解んな~いとか、誰が選ばれてもどうせ変わんないし~とか、なんか地味っぽくて興味無いもんとか、二十歳過ぎてもそんな事言ってるお前が一番アホな事に気が付け。ツケは、全部お前等に廻って行くんだ。

インサイドワーク

北野武がベネチア映画祭での自作品の上映を終え帰国した。各賞の発表は、4~5日先の様だが賞云々は、別にして今回の作品に対しての現地での評価は、かなりのものらしい。
だが、俺が思うに監督北野は終わりかかっている。
おかしく成って来たのは、菊次郎の夏あたりからだ。この作品には、彼特有の繊細さと言うかデリカシーが欠けていた。Dollsなんかもかなり微妙で俺の中では、ぎりぎりセーフ位のもんだ。その後の1~2作品は、一応観たが、もうそこ迄だ。
監督デビューからの8年間の作品があまりにも素晴らしかったので大ファンだった俺からすれば落ちて行くたけしの姿を観たくなかったのだ。

この様な事は、どんな世界にも共通して有る事で一旦栄光を掴んだり、最高傑作を発表したりした者がそれを維持したり更に素晴らしい作品を作ったりする事が如何に大変で苦しいか、想像を絶するものが有ると思う。自分の才能に挑戦する訳だからだ。
だが、そんな状況だったとしても現状維持、若しくは、今迄以上の結果を収める方法は、有る。それは、今迄の数倍の努力だったり感性を今迄以上に磨いたりとそんな事は、誰でも解る事だが、他にインサイドワークを使うと言う方法も有る。
若さや勢い、力で押し切っていたスタイルを過去の経験から得た技を駆使したスタイルに移行するのだ。
野球で言えば剛速球の直球一本で名を馳せたピッチャーが年齢と共に変化球が主武器の技巧派に転身して長くトップの座をキープすると言うやり方だ。
俺は、今回の北野作品“アキレスと亀”は、観ようと思っている。もうそろそろたけしに対してケジメを付けたいのだ。
たけしとの永遠の別れに成るか、又、熱烈なファンに戻るかどっちなのか見極めるつもりだ。

宇宙人と未来人

二日間UFOの話をして思い出した事が有ったので今日は、その話をしよう。
UFOは、近代文明が発達してから目撃されたのでは無く古代エジプト文明が栄えていた頃、日本で言えば縄文時代にあたる頃に既にポピュラーな存在であったらしいのだ。その証拠となるのがピラミッドの内部に刻まれた象形文字等に混ざって描かれているUFOの壁画である。これは、かなり克明に描かれていて、中には、着陸してハッチに繋がる階段から降りて来る宇宙人らしき存在の姿迄はっきりと描かれている物も有る。
ピラミッド自体が数学的には、相当緻密に造られた物で当時の人間にそれだけの知識や技術が有ったとは、想像出来ないとせれている。或る説としてピラミッドは、宇宙人が造った物、あるいは、宇宙人に指導されて出来上がった物と言うのが有る。俺は、この説は、かなり真実に近いのでは、と思っているが別の考えとしてその宇宙人らしき存在と言うのは、未来人ではないかとも思っている。
以前、この日記でも書いたがタイムマシーンを作る事は、理論的に可能なのだ。未来の人間がタイムマシーン(UFO)を使って過去の時代に行き何かを伝えたり指導したりするのは、充分有り得る事だと思うのだ。もし、その壁画を見るチャンスが有ったら細かい所迄良く観察してくれ。その宇宙人らしき奴が今、人間が宇宙に行く時に使っている宇宙服とそっくりな物を着ているから。

メッセージ2

今日は、約束通り、昨日の続きを話すのだが昨日の冒頭でも言った様に興味の無い人、信じられない人は、途中でも良いので読む事を止めて下さい。そこの所、宜しくお願いします。


前にも少し触れたが、俺は、16歳から音信不通のまま4年間、家出をしていた時期が有って久々に実家の敷居を跨いだ年なので20歳に成った年の事だ。俺の実家では、元旦には、どんなに体調が悪かろうが大事な用事が有ろうが川崎大師に初詣に行くと言う風習と言うか掟の様なものが有り当然の様に俺も4年振りにこの行事に参加する事になった。家族全員で除夜の鐘を聴き夜が明けかかった頃、親父のさて行くかの号令の元、全員外に出たのだがその時、8~9年前に俺の前に現れた奴と同じ物体が俺達の頭上遥か遠くに現れたのだ。俺は、大きな声であっ!UFOだ!と叫んだのだが俺以外誰も見えなかったのか馬鹿馬鹿しくて相手にされなかったのか、はぁ~と言う顔をされて終わってしまった。そしてその時、俺の体全身に例のあの言葉が呪文の様に蘇った。今度は、前回の比では無い位の強烈なインパクトを感じる。これは、本当にやばい事に成るかもしれない。家族に話そうか一瞬迷ったが現実主義の我が家族に訴えても笑われるか相手にされないのが関の山と思い取り敢えず俺一人の胸の中にとどめておく事にしたのだった。

あれからおよそ30年の月日が経ち、その間出会ったこの人なら大丈夫と思った人達だけにそのメッセージを伝えて来たつもりだ。一回だけその相手を間違えてしまった事が有り恐怖のどん底に叩き込んでしまった事が有るのでこの場では、その内容を明かす事は、出来無いが、もう既に此処迄読んでそれがどんなメッセージなのか解っている人が必ず何人かいる筈なのだ。そんな貴方に一言言っておく。
それほど遠くは無い。そろそろ心の準備をしておいても良いだろう。

メッセージ

この日記を書き始めた時からいつか書こう書こうと思っていた大事な事が有る。全てを話してしまう事は、間違った解釈をしてしまう人も大勢いるかもしれないので解る人にだけ理解して貰える様な書き方にするので申し訳無いけど今回は、そんなの嘘に決まってんだろとか、一瞬でも思ったらその時点で先を読まないで欲しい。これは、約束して下さい。


今から40年近く前の俺が小学校高学年の頃の話だ。泳ぎが苦手だった俺は、この事が子供ながらに大きなコンプレックスになっていた。そして休日等によく一人でプールに出かけ孤独な練習に励んでいたのだっだ。そして或る日、千駄ヶ谷の屋外プールに行った時の事だ。あ~今日も泳げる様に成れなかったと悶々とした気持ちでごろんと横になり甲羅干しをしていたのだ。晴天の雲一つ無い日だったのだが、ふと気が付くと空に何かが浮かんでいるのだ。飛行機にしちゃあ動きが妙だ。鋭角的にカクカク動いている。形はと言うと楕円形をかなり押し潰して端の部分を尖らせた様な形で色は、銀色に近い。やべぇ~UFOじゃん。それ迄俺は、UFOなんて目の錯覚かインチキに決まっていると思っていたのでこいつの正体を暴くつもりで目の前から消える迄、多分3分間位は、有ったと思うがじっと観察していたのだった。そして出た結論は、100%UFOだ。絶対に間違い無いと言い切れる。
不思議な気持ちととんでも無い物を見てしまったと言う興奮と少しの優越感を胸にしまって帰宅した俺の心に或る変化が訪れる迄にそう時間は、かからなかった。自分の意志に反してまるで刻印でもされた様に繰り返し繰返し伝わって来る言葉が有るのだ。これは、一体なんなんだ。勿論、インターネット等無い時代だ。俺は、本屋や図書館に通いこのもやもやを納得させてくれる文章を探しまくったのだが、色々読み漁って行くうちに或る結論に行き着いたのだ。そうか、これは、宇宙からのメッセージだったのか。
そしてUFOは、再度、俺の前に現れる事に成るのだが、この続きは、明日にしよう。

生き抜く力

オリンピックで審判に蹴りを入れた選手にアントニオ猪木が興味を示しているそうだ。おそらくプロレスのリングに上げる方向で動くのだろう。相変わらずの猪木流逆転の法則だ。猪木と言う人は、こういった普通考えられない様な事を実行して名を馳せて来た部分が大きい。当時プロボクシング界のスーパースターだったモハメド・アリと異種格闘技戦を行ったり、イラクの人質解放を訴え非常に危険な状況のバクダッドで音楽とプロレスの祭典を行ったり、北朝鮮でのプロレス興行も行っている。変わったところでは、タバスコを日本に輸入したのも彼だし、今では、レストランで良く見かけるスペアリブと言う料理もアントンリブと言う専門店を日本にオープンさせポピュラーなものにしたのは、猪木なのだ。彼のこういった発想や行動力は、一体どこから生まれて来るのか。それは、強い生命力からだと思う。強い生命力と言うのは、体が強いと言う意味では無い。生き抜く力が強いと言う事だ。生き抜くと言うのは、ただ生きているのとは、訳が違う。毎日1分1秒その瞬間に生き切ると言う意味だ。この力を持っている人は、覇気が有るし説得力も有るので人の上に立つ立場に至っている場合が多分に有る。それが良い悪いは、別にしても強い生命力は、身に付けたいものだ。物事全てにおいて決して諦めない事、まずそこ
からだ。

心の再開発

先日、下北沢でフライヤーを撒いて来た。ヘブンスドアからチャリで10分圏内に有る街なので昔からなにかと関わりの有る場所でも有る。
今からもう20年以上前の話だが実を言うとヘブンスドアは、下北沢で開店する予定だったのだ。金銭的、店舗物件の空き状況等によってこの計画は、ボツに成ったのだが当時からとても魅力的な空気を放つ大好きな街であった。その魅力の根源は、映画、芝居、音楽、絵画等、文化的なものを発する小規模な場所と個性的な物販店や飲食店がおもちゃ箱をひっくり返したようにごちゃごちゃと軒を並べているところにあると思う。街自体が何かを発信している様に感じられる所は、俺的に東京では数カ所しか無い。下北沢、高円寺、新宿歌舞伎町から大久保周辺位のもんだ。
その下北沢が今、瀕死の重傷を負いかねない危険な状況に面している。駅を地下に潜らせ地上に幹線道路と同じ位の道幅の道路を造り街を分断し高層ビルの建設も認可してしまうと言う再開発計画が進みつつある。これは、はっきり言って絶対に阻止しなければ成らない。確かに近辺の交通渋滞の緩和に役立ったりとかは、有るのだろうが失われるものが大きすぎる。あの雑然とした中に文化の空気を感じながら色々探索出来る所が良いのだ。この計画には、地域住民や下北を愛して頻繁に通う人達の意見は、加味されているのだろうか。絶対に無いと思う。いったい誰の為の再開発なんだ。ゼネコンや大手資本と癒着した腹黒い連中の為なのか?
日本人は、狂い出している。って言うかもう狂っている。親子間での殺人事件や無差別殺人が頻繁に起こったり年間自殺者数が三万人を超えていたりとか昔は、考えられなかった様な事が日常茶飯事の出来事となっている。日本人に今、最も必要なものは、心の潤いだ。その潤いを与えてくれるものが文化なのだ。その文化の発祥地が破壊されようとしているのだ。
石原都知事に告ぐ、もしこの再開発が実行されるなら、あんたは、教育や知識は有っても教養の無い人間だと自分で実証する様なもんなんだぞ!今、都民を含め日本人に必要なのは、こんな再開発じゃ無くて心の再開発だろうが!解ったか阿
呆め!

怨憎会苦

一週間程前に男女の出会いと別れについて話したが、今日は、男女を問わず人と人との不思議な相関図に関して語ってみようと思う。
学校でも職場でもなんでこんな奴と同じクラスに成っちまったんだとか、こんな奴がいるから職場が嫌に成っちまうんだ、死ねばいいのにとか、誰でも必ずそんな嫌な奴が自分の周りにいる筈だ。それが耐えきれずに学校や職場を変わってもそこでも必ずそう言う奴に出会ってしまう。これは、怨憎会苦と言って死ぬ迄、何処の誰でもに付き纏うこの世の苦しみの一つなのだ。逃れる事は、不可能なのだ。じゃあどうすれば良いのか。それは、そんな人と出会ったらチャンスだと思えば良いのだ。自分が成長するチャンスなのだ。その人の嫌な部分を見て自分は、こういう事は、しない様にしようとか、相手がそんな嫌な態度をとる原因は、自分のこの部分が悪いからだと気が付くとか、この程度の事で苛つくのは、自分の器が小さいからだと一皮剥ける意識を持とうとする等々、君自身を成長させてくれる為にこの人は、今、君の前に存在しているのだ。そして、相手を飲み込める程君が大きく成った時、又、新たな難関に成るべく立ち塞がる人物が必ず現れる。そうやって苦しんで乗り越えての繰り返しで人は、磨かれて行くのだ。
嫌な奴と付き合って行かなければ成らなく成ったら決してその状況から逃げるな!逃げても同じ障害は、必ずやって来る。しっかり受け止めて乗り越えろ!ふと気が付けば前より素敵な君がそこにいる筈だ。

麻雀の勧め

もう2ヶ月近く麻雀を打っていない。俺としては、非常に珍しい事だ。長時間打たないと気が済まないたちなので最近まともな休みが殆ど無い状況下では、諦めるしか無いのだが。
雀荘に行くとどこもそこそこ賑わっている様に見えるが実際の麻雀人口は、そんなに大した数では無い様に思う。皆は、知らないかもしれないが今から30年程前に麻雀の大ブームと言うのが有り学生街などは、そこらへん雀荘だらけで私鉄沿線でも一駅で100店以上なんて言うのもざらだったりしたのだ。
そんな出だしで今日は、麻雀の話をしよう。麻雀と言うのは、一言で言ってしまえば効率を競うゲームなのだが、只、それだけでは無い。そこに運や駆け引きや度胸等が加味された非常に複雑な戦いなのだ。麻雀は、人生の縮図等と良く言うが、これは、全く持って当たっている。俺は、麻雀の強い奴は、生き抜く力も強い奴と言い切って良いと思っている。強い奴と言うのは、運も引き寄せる事が出来るのだ。例えば誰かが非常に上がれる可能性の高い多面待ちでテンパイしていたとしても残り当たり牌があと1枚しか無い奴にツモられてしまう事が有る。こういう奴は、運も味方しているから要注意なのだ。
俺と麻雀の付き合いは、小学校低学年の頃からなのでもう数十年に成るのだが本当に一筋縄ではいかない摩訶不思議なゲームである。只、高勝ち率を保つ術は、わきまえているつもりなのでそれを伝授しよう。それは、的確な判断力と平常心を保つ事だ。口で言うのは、簡単だがこれは、相当キャリアを積まないと出来ない。もう一つあげるとすれば強者のオーラを出す事だ。皆、強そうだな~勝てるかな~等と弱気な表情を見せる様な奴は、卓に座った瞬間にもう負けが決まった様なものだ。こいつは、カモだと思われたらケツの毛迄抜かれると覚悟しろ。
今迄、話した事を全て逆に言うと人生を強く生き抜くには、麻雀の腕を磨けと言う事になるのだが、これは、多分、間違っていないと思う。

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