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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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別れの季節

秋は別れの季節とも言う。誰もが開放的になる夏に出会い、秋になって冷静に考えてみたら私には貴方は合わないわなんて捨てられた諸君も多い事とは思う。まあ、それはそれで仕方無いな。やる事やったんならまあ良しとしておけ。 という事で今日は、秋に因んで色々な別れについて話してみよう。 恋に破れて辛い思いをした事の有る人は多いと思うが実はこの経験は君等にとってとても大切な事だ。 別れた当初は胸を引き裂かれる様な苦しみが有るが、これは時間が経てば必ず薄まって消えて行くものだ。今、君が別れの傷心の最中だとしても必ず消えて行くから心配すんな。何故ならこれが誰しもが持って生まれた忘却能力だからだ。そして別れの後には、与える愛の尊さ、与えられる愛の幸福感、傷付けてしまった苦しみ、傷付けられてしまった胸の痛み等数えきれない程の体験から得たものが有る筈だ。そして君等は恋をする度に少しずつ魅力的な存在に成長して行く訳だ。 別れには、生き別れと死に別れが有るが恋人同士だけでは無く、親子、兄弟等も含めて愛する人と死に別れるというのはその辛さから言えば生き別れの非では無い。その死に方の状況にもよるが大抵は悲しみの極致を体験する事になる。その極致の中でも最極致に位置するのが子が親より先に死ぬ逆縁というものだ。 最近は自殺者の数が史上最高になっている。先進国の中では断トツの1位だ。だが君達はどんなに辛い事が有っても絶対に自殺だけは避けろ。自殺をして最も苦しむのは本人じゃなくて親だということをしっかり自覚しておけ。君等が親の立場になった時、もし手塩に掛けて育てた子供が自殺してしまったらどんなに辛く悲しいか。気が狂ってもおかしく無い筈だ。自殺というのは人間として最低の行為であり親を殺すのと同じ位非人間的な行為だという事を心に刻み込んでおけ。 それでは、別れの中でも最も美しい別れとはどんなものか。それは、無償の愛の為に別れるという行為だと思う。相手の幸せだけを想い自らの気持ちを押し殺して別れに至る時の事だ。ドラマなんかでこんなシーンを度々見かけるが実際にはそう簡単に出来るもんじゃ無い。でも若いうちに1度はこんな別れも経験しておいた方が人としての器も大きくなると思うよ。 出会いが有れば別れは必ず訪れる。別れの無い出会いは皆無だ。人はその苦しみから逃れる事は出来ない。でも別れを繰り返す度に人は磨かれて行くんだ。
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春夏秋冬

ついこの間9月に成ったと思ったらもう終わりだ。前にも書いたが年齢と共に時間の進行速度が速く感じてまだ感覚的には9月3日位にしか感じなかったりする。 いきなり涼しくなって夏の名残りも吹っ飛んじまうし。まあ俺の一番好きな秋だから構わないのだが。 ところでそんな秋も含めて大昔の未だ人類が生まれていない恐竜が地球上を支配していた時代には四季というものは無かった事を皆知っているだろうか。或る時、核爆弾の数千倍の破壊力を持つ小惑星が地球に衝突して四季というものが生まれたらしい。恐竜時代もそれを切っ掛けに終焉したようだ。 もし小惑星の衝突が無ければ今でも四季が無いという事に成っていた筈だがその場合、俺が思うに人類が創った文明は今より数千年は遅れていたと思う。例えば野菜を作るにしても魚を採るにしても家を建てるにしても今程の工夫は要らなかったと思うし着るもの一つとってもいつも同じ様な物で済む訳だ。要は今より頭を使わなくても生きて行けるという事になる。極端に言えば物事のあらゆる事がもっと単純作業で事足りると言う事になる。より快適なものを求めるのが文明の進化だとするとその進化の度合いが違って当然だという事になる。 現代ではもし小惑星の様なものが地球に向って来たとしても破壊したり誘導したり出来るミサイルが開発されている様なので心配は要らないらしい。だが、四季が無い世界を体感していないから何とも言えないが俺は小惑星がぶつかってくれて良かったと思っている。 過去に常夏の島と言われる様な一応四季は有るが殆ど季節の無い様な所へも行った事は有るが、それはそれで良いのだがまあ例外として、日本の様に四季がはっきりしている国というのは非常に奥深い情緒の様なものが有って素晴らしい環境だと思う。 春は清々しさを感じ、夏は開放的な気持ちになり秋には物思いに耽り冬は厳しさの中に身を引き締める。こんな中にいるからこそ豊かな感情を育てられる様に思うのだ。

右脳の活性化

先週この日記の中でちらっと触れたが今日は、右脳と左脳の事に関して少し話してみたい。この日記を毎日読んでくれている何人かの人達の要望でも有るのだが俺自身がこの手の話をするのが結構好きだったりするので楽しみながら話さしてもらいます。
脳というのは右と左でその役割が大きく違っている。それもかなり解りやすくだ。
左脳というのは、記憶だったり言葉を理解したり計算する事だったりしてかなり大雑把に言えば国語と数学に関する事を詰め込む所と言えばいいのかもしれない。学校教育では、此処ばかり使わせようとするが実は要領も小さくストレスにも弱いパワーの無い部分だったりするのだ。
それに対して右脳というのは、直感だったり想像力だったり創造性だったりして所謂イメージの世界な訳だ。こっちは教科で言えば美術や音楽なんかが当てはまると思うが他にも本能的感覚や瞬間的判断力なんかもこっちの役目だったりするのだ。そのうえ実は大容量大パワーでも有ったりするのだがフル活用している人は殆どいない筈だ。
それでは、限られた短い人生をより楽しく、より心豊かに生きるには、この右脳と左脳をどう活用するのがベストなのか。
先ず、左脳は、飽くまで手段であって目的では無いと言う事を認識しよう。ここをいくら鍛えても心の豊かさには直結しない。教育はずば抜けていたとしても教養とは別物だ。教養というのは、心豊かな上に成り立つ物なんだ。こいつと話していても頭はいいが面白くも何とも無いという奴がいるだろう。実は、そいつは教育は有っても教養が無いという事なんだ。
学校では人間社会で生きて行く為の最低限の教育を受けていればいいんだ。後はいかに右脳を磨くかだと思う。
中には、親や学校のせいで偏った人間に成ってしまったと思っている奴も大勢いると思うが生まれ育った環境の違いで多少の差は有るだろうがそのせいにするのは卑怯者の考える事だ。ある程度の年に成ったら自分を変える事は幾らでも出来る筈なのだ。勿論、勇気は必要だが。
さて、それではどうやって右脳を磨くかだがこれは存在意識として本能的に誰もが持っている機能を刺激してやる事だ。映画でも音楽でも写真でも装飾品でも建造物でも何でも良い。とにかく最初は右脳を刺激する事を目的としてアート的な物に触れまくる事だ。これを繰り返しているといつの間にか自分の感受性が豊かになって行く事に気が付く。こうなって来ると今度はそういった物に触れる事に歓びを感じる様に成る。そして吸収力も速くなり活性化されるのだ。活性化されれば想像力も豊かになるし創造性も生まれる。
例えば、一杯のコーヒーが有ったとする。過去の君は、それを只飲むだけだ。それがそのコーヒーから原産地の風景まで想像出来る様になる。もっと達人になると目の前のコーヒーというヒントが無
くてもそんな事が閃く様になる。
要は、右脳を磨けば磨く程世界が広がるという事なんだ。
右脳の磨かれた人は心も豊かだし本当の意味での教養の有る人だ。
経済的な豊かさを追求することを悪い事とは思わないが最も追求するべきは心の豊かさだと思うよ。

覇気を出すコツ

最近気になる今の若者の良く無い点で昨日は、相手の目を見て話をしない奴が多すぎると書いたのだが、他にも多く見かける気になる事として覇気の無い若者が急増している事があげられる。
簡単に言えば生きてるのか死んでるのか解らん奴が多すぎるという事だ。俺は、これが10代なら良く解る。自分にも当てはまる時期が有ったからな。だが20歳過ぎでこんなじゃ問題大有りだと思うぞ。そこで今日は、そんな君に自己体験でも有るこんな話をしてみたい。

俺に当てはまるのは16歳で家を出て初めて就職した時の事だ。
それ迄新聞配達とか運送屋なんかで短期のバイトはした事が有ったが本格的に職に付いたのは神奈川県の或る洋食屋だった。本当は、音楽関係の仕事がしたかったのだが今の様な情報社会では無かったので16歳のガキがどこをどう探したら良いやら全く以て解らず飢え死にはしたくないので取り敢えず食いっ逸れの無いであろう飲食店を選んだのだ。
しかし、いきなり壁にぶち当たってしまった。自分の中では、やる気は有るつもりだったのだが何をどうして良いかまるっきり解らないのだ。結果的にただぼけっと突っ立っているだけで端から見ればやる気の欠片も見えなかったと思う。周りは皆、職人気質の先輩達ばかりだ。やる気の見えない奴は諸に邪魔者扱いで怒鳴られ小突かれるだけの毎日だった。仕事が出来なくても覇気さえ有れば良かったと今では思うがその覇気の意味さえ理解出来なかったのだ。
そして或る日、一人の先輩に呼び出されたのだがこの人の一言によって俺の人生は、大きく開かれたと今でも感謝している。
「お前、本当はやる気有るんだろ?だったら明日から何でも良いから思い切りでかい声でハイ!って返事してみな。」
クビに成らない為には何でもするつもりだったので、早速次の日から勇気を出して実行してみたのだが、なんと今迄俺には目もくれなかった先輩達が皆、俺の方を見て微笑んでいるではないか。本当に鱗がボロボロと剥がれ落ちて行く様な感覚だった。別の例えなら靄が掛かった様だった視界がみるみるすっきりと晴れ上がって行く感じだ。
俺はこの瞬間、捨て身で振り絞って発した阿呆の様にでかいハイ!の代償に一生の宝を手にしたのだ。覇気を出すコツを掴んだのだ。
阿呆の様にでかいハイ!。次は、お前の番だ。少し恥ずかしいがお前の覇気の無い腐った魚みたいな生き方の方がよっぽど恥ずかしいんだからなり振り構わずやってみろ。俺は、嘘は言わない。

目を見て話せ

昨日、或るマスコミ関係の人達と小一時間ミーティングをする機会が有ったのだがその時にどうしても納得出来ないというか気分を害する出来事が有った。その中の一人がまるっきり目を合わせないのだ。直接向き合って話しているのに目だけが斜め下を向いている。この状態で1時間だ。これがうちのスタッフなら怒鳴り付けているところだ。
最近こういう若者が非常に多い様に思う。それも殆どが男だ。これは一体どういう事なんだろう。男女の本性は、基本的に男の方が気が弱いからなのかも知れないがそれにしても尋常とは思えない多さだ。
一種の対人恐怖症なのか?それとも自分が良ければ相手の気持ちなどどうでも良いという思いやりがまるっきり欠如した人間なのか?薄気味悪いぞお前等。
世代格差による価値観の違いとかそういう問題じゃないぞ。人間とロボットの格差位有るぞ。こういうミュータント野郎が世の中にいっぱいいると思うと不気味だが年長者といて黙っている訳にはいかないので喝を入れてやる。
先ず、自分は、蟻んこだと思え。蟻んこだから1日中寝ずに歩いたってせいぜい1キロか2キロだ。お前はどんなに頑張ったってその程度だ。しかし、周りの連中も蟻んこだ。偉そうだったり迫力が有ったり自分より勝っている様に見えてもたかだか1,2キロだ。要は、大した事無いって事だ。人間同士もまるっきり同じ事なんだ。経済力や地位や教育や教養や名誉も全部ひっぺがして相手を見てみろ。皆、大差無い筈だ。そう考えればそんな大差無い奴にビビって腰が引けたりする必要なんか無いと思わないか?どっしり構えて相手が自分の目を見て何か言って来たら堂々と受けてやれば良いんだ。どうせ同じ蟻んこなんだから。
思いやりの欠如だとしたらお前は、単なる甘ったれのガキだ。金を持たずに見知らぬ土地へ1ヶ月位行って来い。海外ならモアベターだ。そしてずっと人と目を合わさないで暮らしてみろ。多分、誰も近寄って来ないし助けてもくれないだろう。そしてお前は、野垂れ死にだ。死にたくなけりゃ必至で相手の目を見て何かを訴えかける筈だ。するとそんなお前に手を差し伸べてくれる人が必ずいるものでお前はそこで初めて思いやりの大切さを知る事になる。少し極端かもしれないが極端な方がこういう場合は良いんだ。大切な物がお前の心にしっかり刻印される筈だ。
相手の目を見て話をするか野垂れ死にを選ぶか、そんな事は、お前が選択する事だが。

自立心無き国

以前この日記でも書いた様に自民党総裁選では、小池百合子の選出に微かな希望を抱いていたのだがやはりと言うか大方出来レース的に麻生太郎が決まってしまった。次の総選挙は、自民、民主の一騎打ちに成る訳だが現状では、五分五分という状況だろう。政党という部分では、民主が有利に見えるがトップの小沢一郎という人はあまりにきな臭い空気を持っている。これがおちゃらけで誤摩化す事に長けた麻生にイメージ的には大きく劣る為、伯仲した結果が予想される訳だ。
ここで皆に言っておくが次回の選挙というのは、とてつもなく大きな意味が有る。今の日本は、余りにも不安定なのだ。国自体に土台も柱も無い上に大きな不安と不満が満ちている状態な訳で例えて言えば我々一般庶民は、暗闇の中で綱渡りをさせられている様なもんだ。
俺が思うにもし自民が勝つ様な事になったらこの国はもう駄目だろう。又、同じ事を繰返して都合が悪くなったら形式的に頭だけ下げて首を据え変えて体裁だけは整え誤摩化し続けるだけだ。拉致や年金の問題が良い例だ。何の進展もしてないだろう。国民の為に体を張る様な奴は、一人もいやしない。渡辺喜美氏には少し期待したが今回の組閣では引きずり降ろされている。こんな党に投票する位なら取り敢えず民主党に政権を託した方がまだましだと思う。やらしてみて無理が有る様ならそこで再度国民の審判を請えば良い。とにかく大きく揺さぶっても軌道修正しないとまともな状況にはならないと思う。それでも尚、自民を勝たせる様ならもう日本人には三行半を突き付けて海外移住を考えた方がましだ。そんな覇気の欠片も無い屁っ放り腰のフニャチン野郎しかいない様な国はどっかの国の領土に成った方が良い。上から言われた事に不満が有っても自己主張する勇気も無いし変革も怖くて出来ないって事だからその方がお似合いだ。
それにしても今度の麻生内閣の布陣は諸にぼんぼんの集まりだな。麻生の生家では廊下で100メートル走が出来るらしい。ぼんぼんっていうのは、素直で優しいという利点も有るが基本的に世間知らずでも有る訳だ。麻生が先陣を切って風呂無しアパートから国会に通う位の気概を見せれば国民も心を動かされるかも知れないが庶民とはとんでもなく掛け離れた位置に居て国民に語りかけたとしても説得力も何も感じない筈だ。別に金持ちが悪いと言っているのでは無く国民の為の仕事をする訳だから国民の、一般庶民の声の届く位置に居なけりゃ駄目だという事だ。
今誰もがお釈迦様と呼んでいるゴータマシッダッタはシャカ族の王子として王宮の中のみで若かりし頃を過ごし、或る時初めて塀の外の暮らしを垣間見た時にショックを受け自ら全てを捨てて庶民の中へ飛び込んでいる。そして身なりはぼろぼろでも悟りを開き迷える人々にこの世の真理を説いた。死を迎える時も食中毒で腹を下し糞を垂れ流しながらずたぼろ状態でこの世を去っている。並の人間には到底出来ない事だが人の上に立ち人々を導くというのは極論ではこういう事だ。此処迄とは言わないが最低限、私欲は捨てる所から初めて欲しい。

俺達は無力では無い。どうせ何も変わらないしという諦めと人任せな自立心の無さが自ら無力へ導いているだけだ。自己主張ははっきりして地に足を付けて自立心を持とう。でなけりゃ自分の国に誇りなんか一生持てないと思う。

リアルダンディ

ちょっとリフレッシュ期間を貰っていたら俺にとってかなり大きなニュースが飛び込んで来てしまった。それは、ダイエー(今はソフトバンク)ホークスの王監督が勇退すると宣言した事だ。皆にとっては、ふ~んという位かも知れないが俺にとっては、重大事なのだ。

俺は、野球が大好きなのだが(高校野球は除く)大好きになったのは、王さんがいたからなのだ。とにかくカッコ良かったのだ。独特の前傾姿勢からの1本足打法から放つ大きく弧を描くホームラン見たさに小学生の頃からしょっちゅう球場に足を運んだものだ。やがて人の内面性も少し気になり出す年頃になると今度は、王さんのダンディな部分に大きな魅力を感じたのだ。一言で言えば内から発する美みたいな物だろう。
派手な長島とは、対照的に寡黙にそしてストイックに野球に打ち込む姿勢に惹かれたのだ。大口は、決して叩かず結果で黙らせる男のロマンの象徴の様な人だった。
殆どの人が忘れているかもしれないが国民栄誉賞というのは、当時の福田首相が王さんを讃える為に創った賞なのだ。それ程、国民の多くが惹かれ尊敬の念を持っていたのだ。13年連続ホームラン王、2年連続三冠王、通算本塁打868本というとてつもない記録もさることながら人間、王貞治を誰もが愛し賛辞を送ったのだ。

一昨年王さんは、癌に侵され胃を全摘出している。俺としては、ここでもう監督業から引退して欲しかった。監督と言えば癌を再発させる元凶となるストレスを多大に受けるポジションなのが解り切っているからだ。しかし、というかやはり彼は、翌年には、復帰してしまうのだ。ここが凡人との大きな差だと思う。
凡人なら自分の延命を先ず考える筈だが、彼にとっては、自分が信じた道を生き切るという姿勢と選手やファンに夢と勇気を与える事が己の命より重いという事なのだろう。
ファンの前での勇退の挨拶で体調が思わしく無かったと王さんは言っているが、真意はそんな事は二の次で今期の不本意な成績に対して自ら全責任をとるというのが全てなのだろうと思う。球団側は、既に王さんの永久監督を宣言していたのだがこんな潔さの中にもダンディな生き様が見て取れるというものだ。

命がけという言葉をよく使う人がいるがこの言葉の本当の意味が解っている人は、少ないと思う。人が一生の中で命がけを実行する事は、生涯に2~3度位しか無い筈だ。軽はずみに口にする言葉では無いのに連発する奴がいるがこういうのは、先ず信じない方が良い。胡散臭い政治屋の常套句でも有るが、本物はこんな言葉等必要とせず行動の後に言葉が付いて来るものなのだ。
本物の男とは、男のロマンとは、何なのか、それを俺に教えてくれた数少ない中の一人が王さんなのだ。
男のロマンを気取る奴は多々いるが、本物はそうそうお目にかかれるもんじゃ無い。
皆も女が惚れるだけじゃなくて男も惚れる男を目指してくれ。いや、少し違うな。
男が惚れる男には、女の方から寄って来る。こっちの方が正解だな。

超忘却パワー

俺の念力もあてにならんぜ。折角、台風の進路が変わって、さすが宇宙パワーと思っていたら強烈な豪雨に襲われてしまった。油断大敵集中豪雨だ。って事で昨日のUNITでのイベントは、予想していた程動員が伸びなかったがまあ赤を出さなかったから良しとしておこう。参加してくれた人達もお客さんも皆いい顔してたし。

さて、この不安定を露呈してしまった念力の他に俺にはもう一つ宇宙パワーが有るのだ。それは、超忘却パワーなのだ。要は、何でもすぐに忘れるパワーが並外れているのだ。なぬ、それは、ただのボケだって?うんにゃnot、これは、宇宙パワーの一つで全てのマイナスをプラスに転化する事が出来て常に新鮮な気持ちで物事に対処出来ると言う有り難い無敵のパワーなのだ。例えば自分にとってマイナスの出来事が有ったとしても普通の人の数倍の速さで忘れるから心のダメージも殆ど残らないし常に前を向いていられるというポジティブ思考の源みたいなものだ。
人間は、誰しも忘却という素晴らしい能力を持って生まれている。これが無ければ人は生きて行けない。心に受けたダメージがストレスと成り身体を滅ぼすからだ。だが、その大切な忘却能力を世間一般では、あまり好ましく無いものの様に捉えている。物忘れが激しいのは、やる気が無い証拠だとか言われた事が有るだろう?物心付いた頃から親にそう教わって来て学校でもそうだった筈だ。有る一定の年齢迄は、生きて行く上での術を覚えなければならないのでそんな教育を全面否定はしないが独り立ち出来る様になってからは、今度はそれを逆方向に軌道修正するべきというのが俺の意見だ。大切な事は、メモを残しておけば良い。あとは、どんどん切り捨てて行けば良いのだ。印象深かった事は、切り捨てたつもりでもいつ迄も記憶に残っていたりするものだが所詮過去の出来事だ。そんなものは、ああ、そう言えばあんな事が有ったな程度で良いのだ。大事な事は、知らず知らずの内に身に付いているものだ。極論を言えば過去なんか何の意味も無い、有るのは、今だけだ。今のお前だけだ。
バンドをやっている人には、特にこの忘却能力を鍛えてみる事をお勧めしたい。試しに物事を忘れるという行為を意識的にやってみてくれ。物事を記憶する能力というのは、左脳の仕事だ。だが忘却能力を磨くと左脳の働きが緩やかに成りその分右脳の働きが活発になるのだ。これは、経験値から言っているので誰でもが当てはまる事なのかどうかは、定かでは無いが少なくとも俺はそうだった。この術を身に付けてから創造性や直感が磨かれたのは、間違いなく事実だ。

念力

実は、今度の日曜日に代官山のUNITでイベントを開催するのだが昨日の朝ズバの天気予報では、台風直撃になっていた。だが俺的宇宙天気予報では、晴れとなっている。科学的根拠等は、一切無いが絶対晴れる筈だ。
このコーナーは、あくまで俺の個人スペースなので宣伝、告知めいた事は、一切していなかったし今日の話も宣伝の意味で書いているのでは無いので内容が知りたければUNITのH.Pで調べてくれ。
さて、話は戻るがこのイベントは、制作期間に6ヶ月を費やしスタッフの数は、30人を優に超える俺としては、かなりモチベーションを上げないと厳しい本気モードの代物なのだ。一体感を重視する為に敢えてイベンターや制作会社の力を借りずに手作り感覚で進めて来たので細かな事を決めるだけでも時間と労力が必要なのだ。スタッフに素人の子も多数混ざっているのでミーティングの数も半端ではなかったがその分良い結果は、必ず出ると信じている。
そして、天気の話に戻るのだがこういう時は、必ず俺の中に何かが宿るのだ。過去のヘブンス10周年や15周年の時もこの日は、絶対雨や雪は降るなと念じた時は、天気予報で1日雨の日でも本番中だけ止んだりして不思議だった。
麻雀でピンチに陥った時に極限に近く念じると必ず必要牌が来る時と多分同じだと思う。この念力みたいなやつは、普段からいつでも出せれば良いのかも知れないがこれがそうはいかないのだ。何故か普段は、頭の片隅にも無い。此処という時しか出ないのだ。麻雀でも集中力を出せる様なメンツと状況下でなければ出た試しが無い。
俺が思うに多分こういう力は、人間誰しもが生まれながらに身に付けている様な気がする。極限の集中力をコントロール出来るかどうかだけの違いだと思う。頭から信じない人は、勿論、論外だが。まあ信じない人の確立は、99%位有ると思うが。
ということで21日は、イベント開催時間だけでも晴れる筈だ。俺の集中力が衰えていなければの話だが。

母は強し

世界的に有名な日本の登山家が東京の奥多摩で熊に襲われ顔面70針、上腕20針を縫う程の重傷を負うというニュースが流されていた。この熊は、小熊を連れた母親熊だったらしく出会い頭に人間に遭遇し、小熊を守ろうとする防衛本能から自ら攻撃して来たのではという事らしい。熊というのは、なんとなく凶暴なイメージが有るが、元来人間を襲ったりする様な動物では無いそうだ。母熊としても我が子を守る為に必死だったのだろう。
実は、先日、俺もこれと同じ様な出来事に関わってしまった。
その日のライブも終盤に差し掛かった頃、なにやら店内で揉め事が起っていたらしく、うちのスタッフがなんかやばそうですと言うので店内を見渡すと2人の女性が激しく言い争いをしている。お互いに今にも殴り掛からん勢いだったので泥酔していた方の女性を取り敢えず半ば強引だったかも知れないがホール内から連れ出した。そして激しく俺に食って掛かって来たので何とか落ち着かせようとしていたのだが、そんな矢先にもう一人の女性も後を追って怒鳴り込んで来たのだ。話を聞くとこの女性は、親子連れで娘さんが泥酔した方の女性に暴力を振るわれたらしいのだ。喧嘩の仲裁役は、今迄何度も経験して来たがこの時のお母さんの勢いは、俺も思わずたじろぐ程のものだった。普段は、優しいお母さんなのだろうが、やはり母は強しだ。あの怒りの炎に満ちた眼光で射すくめられたらどんな屈強な男でも太刀打ち出来無かっただろう。娘さんというのは、未だ中学生位でライブハウスに来たのも今回が初めてだったそうだ。泥酔女性の方は、既にライブハウス慣れしていて大騒ぎするのが大好きなタイプでそれは良いのだがおとなしく観ていた少女に無理矢理自分の楽しみ方を押し付けようとしてこういう結果になったようだ。
俺は、怒りの形相のお母さんを宥めながら、この状況下で不謹慎かも知れないが我が子を守る為ならなり振り構わぬこんなお母さんに守られている娘さんは、なんて幸せなんだろうと思ってしまった。
帰り際に頭を下げた俺にお母さんのありがとうと言う一言がしっかりと心に届いた。
久しぶりに一人暮らしをしている母に電話をしたくなった。

協調性欠如

最近の小学校の通信簿というのがどんなふうなのか知らないが俺の頃には学科毎の1~5の評価と長所、短所を記入される項目が有った。俺の場合、この短所の部分の内容が6年間を通して同じだったので今だに頭の中にこびり付いているのだがこの歳になっても一向に反省のかけらも無いという所から今日の話を始めよう。
その内容とは、協調性が無い。もしくは足りないだ。だがこれは、本当に短所なのだろうか。要は、わがままで自分勝手な利己主義という事だが良く取れば、独創性が有り流れに逆らっても自分を貫こうとする性分だと受け取れる。
そんな性格だからライブハウスをやっているのかも知れないが、その俺が完全にマイノリティーとして扱われ、時には排他的な空気さえ感じてしまう日本って国がどうしても好きになれない。自分の国を愛してないという事では無い。好きでは無いという事だ。解りやすく言えば大多数の所謂日本人らしい日本人が嫌いだという事だ。この気持ちは、今も昔も一貫している。
多数派は、相手と意見が合わなかった時に争いを避ける為に中間を採って事を丸く収めようとするが少数派は、自分を押し通すか自分の非を認めて相手の意見を取り入れるかのどちらかだ。これは、例え出た結論が同じだったとしてもかなりの隔たりが有る。
このエッセイみたいな日記をいつも読んでくれている人達は、多分少数派か少数派に興味を持つ人か少数派に転じようと思っている人だろう。俺は、無意識の内にそんな若い同士達に何か少しでもエネルギーを与えたいと思ってこの日記を始めたのかも知れない。
いつの時代もマイノリティーが新しいものを生み出し世の中を変えて来たのだ。臆する事は無い。誇りを持とう。

最近の若い者

俺が未だケツの青い小僧だった頃には、最近の若者は、本当に根性が無いとかだらしがないとか始終言われていたものだがいつの間にか言う側の立場に成ってしまった。世代間の価値観の違いと言ってしまえば聞こえは良いが結局大人側の言っている事に変化が無いとするとやはり言われる側に非が有るって事になる。そこで今日は、君達若者を扱き下ろす為のみに時間を費やす事にした。たまには、こんな企画も面白いだろ?

お前等は、精神年齢が低すぎる!政治の事もろくに知らんし世界情勢も当然解っていない。将来の目標すら持っていない。そんなのは、世の中じゃ通用しないぞ!
お前等は、我慢と言うものを知らない!ちょっと辛い事が有ると直ぐに諦めて他へ移ろうとする。なにがフリーターだ。只の根性無しじゃないか。ふざけんな!石の上にも3年だ!
お前等は、外見ばかり気にして中身の無い奴ばかりだ。少しは、中身を磨く事を考えろ。人生の修行がたらん!
お前等は、どいつもこいつも弱々しすぎる。飯喰ってんのか。全員自衛隊へ行け!
お前等は、流行りものばかり追いかけやがって自分の信念ってもんが無いのか。そんな事でこれからの日本をしょって立てんのか!
お前等は、親の苦労が分ってない。どれだけ苦労してお前等を大きくしたと思ってんだ。甘ったれるのもいい加減にしろ!
お前等は、遊ぶ事しか考えてない。苦しい事を乗り越えてこそ実り有る人生だ。そんな生き方は、時間の無駄だ。糞の役にもたたん!
お前等は、自由が一番大切だとかぬかすが自由の意味すら解ってない。てめえのケツも拭けないでなにが自由だ。自由とわがままの違いも解んねえ様な奴は小便で顔洗って出直して来い!

俺もこんな事を言われ続けて育って来た訳だがはっきり言って余計なお世話だ。言われれば言われる程、反発したもんだ。だが逆の立場になると歯痒くて怒鳴りつけたくなる時も有るんだ。そんな時ってのは、自分の考えを押し付けてる様に聞こえるのかも知れないがちょっと違うんだ。本人に気付かせようとしてるんだ。そこんとこを解っていて欲しい。
聞き流したり反発するのも良いがたまには、耳を傾けてみる姿勢も大事だと思う。言葉の裏の愛を少しは、汲み取ろう。

因みにこの殆どエッセイとしか言えない様な日記をいつもは、週に6日は書く様にしてきたのだが今週だけは、超激務とパソコンが使えない環境の中に数日滞在しなければならない事情も有り3~4日しか書けないかも知れないので毎日読んでくれてる人には、今からお詫びを言っておきます。別に書くのが嫌になったり、体調が悪かったり、捕まったり、借金苦で逃げたり、人生に疲れて死んじまったりって訳では無いので心配なく。って誰も心配なんてしないか。

老人社会の夜明け

15日は、敬老の日だ。現在日本の総人口の内で75歳以上の人は、1320万人、10.3%だ。これが65歳以上と言う事になると22%に成ってしまう。今現在、町を歩いていてもそれ程多い様には、感じないのだが2050年に成ると40%が65歳以上に成る計算らしい。これは、想像しただけでも相当凄い状況だと思う。なにしろ5人に2人は、年寄りって事だからな。42年後だから今23歳以上なら全てこの枠に入る訳だ。俺は、生きてるか分らんが。

世の中も相当変わっていると思うって言うか変わってないと成り立たないと思うぞ。
音楽なんか静かでスローテンポの物が大流行してデスメタルやハードコアは、ショック死する恐れが有るって事で全面禁止だな。ライブハウスは、ルノアールに置いてある体が沈み込む位のソファーが並んでいて飲み物は、日本茶が主流、1時間以上居れば昆布茶がサービスだ。
食い物屋に至っては、うどんやお粥なんかの消化にいい物が大人気!流動食カフェは、オシャレなじいさんばあさんのプレイスポットとして注目され、とんこつラーメンの店は、血管が詰まると非難を浴び鍋焼きうどん屋へ衣替えが続出!マクドナルドは、あんこを挟んだ新商品が大ヒット、手作り感覚が売りのモスは期間限定つぶあんバーガーで対抗!
電化製品はどんなだろう?先ず携帯電話は、細かい機能が理解出来ずポケベルが復活。パソコンなんぞは、立ち上げる事すら出来ず町内新聞や回覧板で情報収集!就寝時のエアコンは、体に悪いと冬は、湯たんぽ、夏は、窓を開けて蚊帳を吊るのが一般的に。テレビに至っては、地デジの意味が解らず壊れたものと勘違い。掃除機は、ダイソンを買ったはいいが吸引力がどれだけ強いか手を当ててみたら指を吸い込まれて骨折する騒ぎが続出!
まだまだ有るぞ!車なんかは、動体視力が付いて行けず30キロ制限に強制改造が義務付けられ、トイレもウォシュレットは、水が出た時にびっくりして心臓麻痺を起こす恐れが有ると言う理由で全面廃止され和式トイレが大復活!拭く時は、勿論ちり紙だ。
この様に年寄りからすれば切羽詰まった問題が山積しているのだ。俺は、別にふざけて書いているんじゃない。幾つか当たっているかもしれないぞ。
でも、のほほんとしてて意外といいかもね。

チルアウト

チルアウトと言う言葉が有る。クラブ系ミュージックのジャンルの一つである。
元々は、ダンスフロアとは別のスペースで一休みしてリラックスさせる為に流されていた音楽の事だ。
この言葉が今では、一人歩きして日頃の生活用語の中でも使われる様に成りつつある。特に必要以上にストレスの溜まる都会生活の中では、チルアウトは、必要不可欠な存在と言うかひとときである。
そんな瞬間を貪る迄にスピードを求められている現代のライフスタイルってのは、一体なんなのだろう。今日は、そんな話をしてみよう。

最も早くは、幼児の時から、遅くても小中学校の頃から受験勉強と言うものが始まっている。元を手繰れば多分これが大元の原因だと思う。学校なんてのは、生活をしていく上での最低限の知識を身に付ける場所位の位置付けでいいんだと思っている俺からすると実に不可解だ。自立心が未だ生まれているかどうか微妙な時期から頭ごなしに子供に荷物を背負わせてしまおうとする親達とは、結局の所自分の価値観を子供に押し付けているだけなんだという事を理解していない。勿論、勉学の先にしっかりとした目標を本人が持っていれば話は、別だが。
そして、社会人へと移行した後も安定した老後に向けて速度を速めて行くというのが所謂まともな人としての大義名分な訳だ。
俺は、そういう生き方の中にも幾らでも楽しい事や素敵な事、満足感も有るのだからそれを頭から否定しているのでは無い。ただ振り返った時に自分の人生は、なんだったのだろう等と思ってしまう様な生き方だったら気が付いた時に軌道修正した方が充実した今後を送れる筈だと言いたいだけだ。スピードを上げれば上げる程、周りの景色は、見えなく成って来る。人の心も見えなく成って来る。
たまには、スローダウンして周囲を見渡せば振り落とされてしまった物も取り返す事が出来るかも知れないし心の奥底で探し求めていた宝物を探し出す事が出来るかもしれないのだ。

偽善者の本性

この日記を始めてからいつの間にかもう1ヶ月半も経過してしまった。毎日の様に読んでますよ!なんて声を掛けられたりするもんだから当分止められない状況になってしまった。と言うか始めた当初は、取り敢えずやってみようかな位の軽い気持ちだったのだがこれが自分でも不思議なくらいに面白くなってきてしまったと言うのが本音だ。
日記の名目で始めたのにいつの間にか殆どエッセイと化してしまったのは、自己主張の場が欲しかったのか将又サービス精神なのかは、定かでは無いのだが若い世代に何かを伝えたいと言うのがある程度の年齢に達した者の正直な気持ちなのかもしれない。

一般的に読む側からするとどんな事を書いてあると興味を引くのか、今日は、そこらへんを少し語ってみよう。

当然の事として読者側が今一番興味を持っている事について書く事が一番なのだろうがそんな事は、人それぞれ千差万別なのでもっと単純に考えてみるとそれは、多分、誰かの不幸を書く事なのではないかと思う。それも固有名詞迄入れたやつだ。
意外と思うかもしれないが偽善者的建前をひっぺがした時の人間の心理は、君の思っているより数倍残酷な物だと思う。
残虐な殺人事件なんかは、恰好のネタにされてしまうのだ。なんて酷い事をとか可哀想じゃないかと思っている事に嘘が有るとは思わない。深層心理の事を言っているのだ。深層心理と言うのは無意識のうちに思っている心の奥底に潜んでいる本性だ。自分の周りの出来事じゃなくて良かった。殺されたのは、自分じゃなくて良かった等と不幸を対象にして自分の幸せを感じたい。これが大方の人間の本性だと思う。
この意見に対して反発を感じる人は、多いと思う。それは、あんたの心が荒んでいるからだとかね。それに対して言い返してやる。じゃあ新聞、テレビ、雑誌等で残虐な事件で有れば有る程大きく取り上げられるのは、何故だと。それは、マスコミ連中がそんな事件が金を産む事を知っているからだ。大衆の深層心理を知っているからだ。

今日は、皆を少し暗い気持ちにさせてしまったかもしれない。その事は、謝る。しかし、何度も言って来た事だが物事は、本質をしっかり見なければ駄目だという事を肝に銘じて欲しい。君等を踊らせて美味しい所は、全部持って行こうとする連中は、幾らでもいるって事を知っておいてほしい。

最大の難敵

同時テロ事件から早いものでもう7年も経ってしまった。ついこの間の様に感じるのは、未だに収拾がついている訳では無いからであろう。この事件がどうして起こってしまったのか。色々な説が有るが究極の真実は、こういう事なのではないだろうか。

アメリカの歴史は、戦いの歴史と良く言われる。それは、確かにそうかも知れないがもっと視野を拡げると人類の歴史は、戦いの歴史でも有る。
これは、どうしてなのか。俺の推測は、こうだ。生命体が単なる細胞の一つでしか無かった時代を除いて全ての地球上生命体には、生きる為の手段として戦いの遺伝子が組み込まれている。そう考えると陸上生物が誕生した今から4億年前よりはるか昔から生物には、戦いが必要不可欠な事になる。植物は、別にしても少なくとも全ての動物と言われる生き物は、戦いの本能を持って産まれて来ている事になるのだ。
文明の進化によって自制する事を覚えた人間は、生きる為の戦いを悪と位置付けてはいるが。必ずしも行動が伴っているとは言えない。未だその程度なのだ。
類人猿から枝分かれした人類の歴史は、500万年続いてはいるがそれ以前に地球上を支配していた恐竜の時代は、1億6500万年だ。地球に小惑星が衝突して起こった天変地異の影響が無ければもっと続いていたのかも知れない。
人類と言うのは、本当に愚かだと思う。戦いの歴史を繰返す部分は、恐竜と同レベルとしても恐竜時代には、行われていなかった大きな過ちを犯している。
それは、間違い無く自然破壊だ。自然をなめきっている。人間が一番偉いと勘違いして己の欲望を満たす為のみの理由で偉大な大自然を破壊し大気中に汚染物迄撒き散らして来た。ここ数年でやっと少しは気が付き始めエコロジーとか騒いでいるが既に始まっているオゾン層破壊の本当の恐ろしさが解っている人は少ないのではないかと思う。温暖化による異常気象なんて未だほんの序の口で行き着く所、陸上に生物は、住め無くなってしまうのだ。それは、強烈な紫外線によって全てのDNAが破壊されてしまうからだ。
各国でこのオゾン層破壊の進行を止める為の行動が行われつつ有るが戦争に現を抜かしている様なこの現状では、間違い無く不可能だと思う。全人類が一丸と成ってこのオゾン層破壊と言う人類最大の難敵に戦いを挑むしか無いのだ。存亡を賭けたこの戦いにこそ埋め込まれた戦いのDNAを駆使させる時の筈だ。

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