忍者ブログ

DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
MENU

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

三行広告

以前、東京スポーツのぶっ飛んだ内容に関して幾つか取り上げたことがあるがマイケルジャクソンが亡くなったという事で久々に夕刊紙に手を出してみた。
亡くなったのが日本時間の早朝という事もあってその記事が間に合うのは夕刊紙が最も早いからだ。
こういう時の東スポはある事無い事の無い事の方も大々的にピックアップしたりするので真実が見えにくいという事もあって今回は夕刊フジを買ってみる事にした。
以前は男の修行でもある風俗に関する情報を得るために偶に買っていた新聞でもある。
という事で数年ぶりに風俗欄を覗いてみると相変わらず大量な宣伝広告が載っている。
なかでも面白いのは所謂三行広告と言われるコーナーだ。
三行広告と言っても別に全部が三行という訳じゃあない。
受け付ける側が一行幾らで掲載料を決めているから載せたい方は少しでも安くしたいので内容を短く纏めたい。
そうするとキャッチ文、内容、連絡先で大体三行になる場合が多いから三行広告と言われているんだ。
面白いのはやはりキャッチの部分で思わずこれはちょっと行ってみたいかもなんて誘惑に駆られてしまうものも多かったりするがそれと同じ位に胡散臭いのも沢山有る。
「爆乳爆尻白ぽちゃ専門」おっいいかもと思ったがよく考えればこれに爆腹が加わればデブ専じゃないか。
「欧風&ロシア風デリ」これは外人専門かと店の名前を見ると金髪美女ホールインワンとそのものズバリだ。
「変態女性が集うスナック」こういう得体の知れないのはぼったくられる可能性大だ。
「男・男全身オイル1万」1万貰ってもお断りしたい。
「貴方だけに若い娘の特別授業」店の場所が巣鴨なので若いというのは幾つの事だか怪しい。
「20代~50代若妻」どうして50代で若妻なんだ。
「人柄の良い普通の女性」普通ならそういう事しないと思うが。
「現役スチュワーデス専門」んな訳ねえだろ。
「20代美人社長達がこっそり集まってデリヘル開業」だから嘘つくなって。
「熟女60分1万円~40才~62才」62才ってのが妙にリアルだが流石にそれはちょっと。
「不況対策!!80分2万ポッキリ!」凄い対策だな。
「希望を叶えます」何でもか?だったら金をくれ。
「華の熟女20代~60代」こういうのは大抵20代は一人であとは全部60代と相場は決まっているぞ。
なぁ、結構笑えるだろ?
でもこんな中からでも本物と偽者を見分ける目を養う事は出来る。
皆もしっかり習得するように。
男の修行はこんな所からも始まっているんだ。
しかし、今日の内容は阿呆すぎるな。
ちょっとだけ反省しよう。
PR

スーパースターの死

忌野清志郎、三沢光晴が死んでしまったとショックを受けていたら今度はマイケルジャクソンが亡くなってしまった。
俺は特別マイケルのファンという訳ではなかったが彼が未だジャクソン5としてデビューした子供の頃からスリラー辺り迄の数枚のレコードは持っている。
俺の世代の人達がビートルズやストーンズのレコードならファンでなくても持っていたりするのと同じ感覚かもしれない。
要するに当時の洋楽の必須アイテムの一つって事だ。
キングオブロックンロールと言われたエルビスプレスリー、自由と平等のシンボル的存在だったジョンレノン、そしてキングオブポップと誰もが認めたマイケルジャクソン。
音楽界で本当に時代を塗り替えた寵児、スーパースターの中であと残っているのはローリングストーンズ位のもんだ。
ピストルズやクラッシュ、ラモーンズ。
レッドツェッペリンにピンクフロイド。
ボブディラン、ボブマーリー、カートコバーン、マドンナなんかを超大物と言うんなら更に超を10個位付け足した存在がエルビスでありジョンでありストーンズだと思う。
そしてポップスという事で軽く見られがちだがマイケルも殆どこの位置だったと思う。
80になる俺の母親にピストルズやボブマーリーは通用しないがマイケルなら知ってるからな。
ところでマイケルの死を聞いて俺が真っ先に思ったのはエルビスの死に似てるなってところだ。
エルビスの死因は違法ドラッグではなく処方ドラッグだ。
彼はストレスが原因で過食症になった。
そして極度の睡眠障害に陥り処方ドラッグに頼らざるをえなくなってしまった。
それがエスカレートして悲劇を生む結果になったとされている。
マイケルの場合は皮膚の色素が薄れていく持病も持っていたらしいがそれ以外に整形手術による感染症にも罹っていたようだし殆ど拒食症に近い状態だったとも聞く。
両者の共通する病の元凶はやはりストレスだ。
これはスーパースターで在るが故のものだと思う。
スーパースターは常にスーパースターで居続けなければならないという強迫観念に追われていたんだと思う。
それが例え自分の目指したものだったとしても人間にはキャパシティーというものがある。
このキャパシティーを越えてしまうと心と体のバランスが崩れてしまうという現象が襲ってくる。
彼等はそれを薬によって撃退しようとした。
ところが薬というのは効能が強力であればある程、副作用も強烈だ。
この強烈な副作用に彼等は心臓を止められてしまったんだと思う。
言わばスーパースターの宿命なのかもしれない。
昔、キャンディーズが普通の女の子に戻りますという名台詞を残してスターの座を捨てた。
それとはあまりにスケールの大きさが違いすぎるが美空ひばりは両足壊死という普通なら歩く事も出来ない状態でステージに上がり全身病に冒されても歌い続け壮絶な死を遂げた。
どちらがスーパースターと言われ続けているかは明白だ。
その後美空ひばりを超える日本のスーパースターは出て来ていない。
やはりスーパースターの最期は悲劇的なものなのだろうか。

自分を信じろ

今迄何回かこの日記の中で説明した怨憎会苦という言葉は憶えているだろう?
そう、人生には必ず自分と相性の合わない人間と付き合っていかなければならないという苦しみが付き纏うという意味だ。
何でまたその話をするのかというと俺の親しい友人が今、正にその状態で悩んでいるからだ。
今この日記を読んでくれている人達の中にも同じ様な悩みを抱えている人が大勢いるんじゃないかと思う。
仮にその友人をA として問題の人をBとしよう。
元々AとBは友達同士だった。
俺もBの事は知っているが別に変な奴とは思えなかった。
だがBは自分の犯した過ちが元で親友のCを失う事になってしまった。
苦しんだBはその事をAに打ち明け相談する事にしたんだ。
AはBに対して優しく慰めるという事も頭を過ぎったがここは敢てBに厳しい態度で接する事にしたんだ。
Cを失ったのはBの過ちが原因なのは明白だ。
ここで優しく出てしまえばBは自分の非に気が付かないでまた同じ過ちを犯すかもしれないと思ったんだ。
本当ならここでBはAに感謝しなければならない筈だ。
だが、それを聞いたBの行動は残念ながら逆だった。
BはAの事をまるで裏では何を考えているのか分からない酷い奴の様に言いふらし始めたんだ。
これはAにとってはとても悲しい事であり辛い事なのは当然だ。
これでAとBの間には大きな溝が出来てしまった。
だが二人は同じ職場で働く同僚でもあるんだ。
さあ、君ならここでどうする?
Bをぶん殴るか?
それとも相手と同じ様に有る事無い事言いふらすか?
実は俺もこれとまるっきり同じ様な目に合った事がある。
未だガキだった俺は当たり前の様に暴力で懲らしめる方法を選んだ。
そして10年間二人の間に会話は無くなってしまった。
相手が誰だったかというのは今更蒸し返す様な事はしたくないので敢て言わないがお互い残ったのは心の傷だけだ。
だから暴力は駄目だ。
言葉の暴力も変な事を吹聴したりも同じ事だ。
こういう時は平常心を保って極普通に相手に接する。
これが最も正しいと思う。
自分の行動に非が無いと思うんだったらそうするんだ。
きつい事を言ったのはBの為を思っての事なら堂々とそうするべきだ。
この思いは時間が掛かるかもしれないが必ずBの心に届く筈だ。
確かに若ければ若い程こんな事態はきついと思う。
だが、必ず解決への道は開けて来るものなんだ。
じたばたする必要は無い。
自分を信じる事だ。
そして、覚悟しておかなければならないのはこの出来事が解決したとしても又、同じ様な事は必ず降りかかってくる。
何故ならこれが人間生まれて死ぬ迄付き纏う怨憎会苦というものだからだ。
これから逃れられる人はこの世に存在しない。
だから如何に対処するかが肝心なんだ。
頑張れ!

爆弾投下

う~む、やってくれたな東国原宮崎県知事。
俺的にはそんな堅苦しい名前よりそのまんま東の方がしっくりくるが。
自分を次期総裁候補にするなら自民党から出馬しても良いだってよ。
かっこいいじゃないか。
美味しい所持ってくぜ東国原。
流石はビートたけしの弟子だ。
何回も逮捕されて来ただけの事はあるな。
肝が据わってるし洒落がぶっ飛んでるぜ。
そんな要求に対して自民党内から猛烈な反発が起こっているのも面白い。
政治は芸能活動とは違うんだ、宇宙全体の事を考えて仕事してんだなんて相変わらずの上から目線の意見もあれば政治はマンゴー売るのとは訳が違うんだなんておちゃめな事言ってた奴もいたし。
しかし、本当に解ってないよ、自民党の人達。
東国原が言いたかったのは自民党はもう抜本的な部分から全部改革しなけりゃ救い様が無いって事だと思うよ。
その位の意気込みが有るのかと訊きたかったんだと思う。
そして、そんな捨て身の覚悟が有るのかという踏み絵として自分の次期総裁候補の件で試したんだと思う。
要は只の票集めの道具にされて使い捨てみたいな今迄のタレント議員の扱いならお断りって事だ。
もし、万が一だが自民党がこの東国原の意向を取り入れると言ったりしたら世の中の自民党を見る目は明らかに変わる筈だ。
本当に諸々の今迄の行いを反省して変えて行こうという姿勢の表れとして高く評価されるのは間違い無いだろう。
まあ、限りなく100%に近い確立でそれは無いけど。
東国原的には例えこれで出馬しなくても益々カリスマ的存在として日本中から評価される訳だからどっちに転んでもイメージアップだろう。
知事の仕事を未だ一期も務め上げていないのに何言ってんだなんて意見も有るかもしれないがもっと大きな視野で国民が真剣に日本を良くしたいと思うなら彼の今回の発言を評価しなければ嘘だと思うよ。
何でも新しい事を起こそうと思えば古い物を壊していかなければならない。
当然そこには古い体質に固執する連中の反発が起こる。
それを出来るだけ波風立たない様に少しづつなんて言ってる奴には改革なんて出来ないんだ。
そういう時には何発もでかい爆弾をぶち込まなけりゃ体制は動かないんだよ。
やり方に問題がかなり有ったとは思うけどそれを実行していたのが小泉さんだ。
だからあの人はいまだに人気が衰えないんだよ。
此処まで歪みまくった日本なんだから爆弾投下はどんどんやらなくちゃならないと俺は思う。
だがそれが出来る人間は相当な度胸が必要だし信念も持ち合わせていなければならない。
まさかあの事件ばかり起こしてエロネタしか無い、たけし軍団の看板が無ければ消えて無くなりそうだった存在のそのまんま東がその貴重な存在の一人だったとは実に痛快だ。
なにしろ加賀まり子の頭に自分の一物をのせてちょんまげって言ってた奴だからな。
この間の鳩山総務大臣の辞任劇もなかなか面白かったが今回もそれに匹敵するな。
あの偉そうな古賀がこけにされていたのが尚更良かったし。
これで政治に全く興味を示さない若い人達が少しでも関心を持ってくれると良いんだけどな。

梅雨の効能

これからやって来る夏の話をこの何日かでしてきたけど実際今は未だ梅雨のど真ん中という事でこれを書いている外では相変わらず雨音が聞こえている。
梅雨というのはじめじめしていて喉には悪くないかもしれないが基本的に体にはあんまり良くない時期の様に感じる。
それじゃあメンタル的にはどうなんだろうと考えるとこれは以外に悪くない気がしないでもない。
気分的にハイかローかと言われれば勿論ローの方ではある。
梅雨時に常にハイテンションなんて奴は聞いた事がない。
じゃあ何処が良いんだというと物事を深く考える時間が他の季節より多いという部分だ。
それは雨だから外出を控える事が多くなるという事もあるがあの雨音が間違いなく影響していると思う。
雨音というのは不思議なもので降り始めのポツポツは意外と耳に障ると言うか気になるものである。
だがこれが僅かの時間で実際は聞こえているのにそれを既に仕方が無いものと受け入れてしまった様に当たり前の状況として自分の中に取り込んでしまうんじゃないだろうか。
要するにポツポツとかザーザーとかいう音が脳には響いているが聞こえていないのと同じになる。
一種の麻痺状態だ。
こんな時っていうのは知らず知らずの内に思考能力が高まる気がしてならない。
と言うか脳の普段と別の部分が僅かではあるが働き出す様な気がする。
解り易い例えだと歯医者の麻酔がそうだ。
あれは麻酔とは言っても他の医者が手術で使うものなんかに比べたらかなり弱いものだ。
眠くなったり何処かが動かせなくなったりなんて事もない。
使う量も微量で効力も弱いからだと思う。
注射した部分が麻痺しているのは分かるが脳にも変化が起きるのは確かだ。
脳の中身がモーターみたいに回転するものだとしたら明らかにその回転速度が速くなっているのが分かる筈だ。
これがもっと強い麻酔なら遅くなるのは明らかだが微量だと逆の現象が起こる様な気がしてならない。
おそらく余計なものを遮断して一つの事に集中して考える事が出来るからだと思う。
この微量の麻酔の齎すものが雨音にも同じ事が言えるんじゃないかと思うんだ。
雨音が無意識の内に外部を遮断する時を作ってくれているって訳だ。
だったらこれをなるべく有効に使いたいものだ。
梅雨の時期の唯一の効能かもしれない。

恋のタイミング

夏は恋の季節という事で俺なりの恋愛論を語ってきた訳だが今日は恋の不思議なタイミングについて話してみたい。
恋には不思議なタイミングが付き物だ。
何だよそれって思った君は未だ未だ恋愛初心者って事だ。
恋に長けた人はうんうんって頷いてるよな。
男と女が付き合う時っていうのは何の障害も無くスムーズに事が運ぶとは限らない。
寧ろその逆の方が明らかに多いだろう。
昨日も言ったけど10人に告白して上手くいく可能性は2割以下だと思う。
何故そんなに低いのかというと好み、価値観の違いも有るが意外に多いのは悪いタイミングに当たってしまうという事だ。
例えば片方に恋人が居たりもっと極端だと既に結婚していたりなんて時もある。
こういう場合は潔く撤退が鉄則だ。
強引に押し進めば犠牲者が必ず出るからだ。
だが恋のエネルギーは逆境になればなる程力を増す傾向がある。
誰かが傷付くと分かっていても前に進もうとするからややこしい事になる。
だが、最も多いバットタイミングはこんなやつだ。
気になる子が複数居たとする。
イメージしやすい様に取り敢えず二人にしておこう。
自分としては一応ランク付けは有るもののどちらにも魅力を感じていてどっちでもいいやみたいな投げやりではないけれどそれに近い心境の時というのはよくある事だ。
そして二人から向こうも満更じゃ無さそうなんて空気も感じていたりして結局タイミングがたまたま合った一人と付き合う事になる。
だが付き合ってみるとやっぱりもう一人の子の方が自分に合っていたんじゃないかなんて後悔する事になるがその時には彼女の心は既に離れている。
又は誰かと付き合っているんだがたまたま理想の人に出会ってしまい今の彼女の気持ちも大事にしたいので心の中で三角関係みたいになってしまっている。
これを優柔不断という一言で片付けてしまうのは簡単だが恋愛というのはこんなものでもある。
まるでリトマス試験紙の様に自分の気持ちを試されてんじゃないかみたいな出来事がいくらでも訪れるものだ。
タイミングが良ければその理想の人と付き合えたかもしれないのに。
恋は迷宮みたいなものとはよく言ったもので迷い込んでしまうと出口がなかなか見つけられなくなってしまうものだ。
そんな入り組んだクロスワードみたいな世界で遊んじまえという割り切った生き方も悪くは無い。
グットタイミングとバットタイミングなら断然恋愛ではバットが多い。
だからってビビッてたら事は何も始まらない。
人生という料理に必要な大切な味付けをしなければ正に味気ない料理が出来上がってしまう。
そんな物を食いたいなんて奴は居ない。
恋愛は真正面からというのが一番だ。
たまたまタイミングが良ければ上手くいく場合もある。
宝くじだって可能性がゼロに限りなく近いのにトライする人が大勢いるんだ。
それよりよっぽどましじゃないか。

大切な柱

昨日は夏の男女の話を少しエロも交えて語ってみたがやっぱり恋愛は人間にとって必要不可欠の大事な行為だ。
それが何故か最近は草食系なんて訳の分からんライフスタイルを気取って恋愛を不必要だなんて態度を取っている不届き者が多発している様だがこんなのは単なる逃げ口上としか思えない。
要するにふられた時に傷付きたくないんだろう?
付き合う相手に気遣う思いやりが面倒なんだろう?
全く持って心の余裕の欠片もないらしいな、そんな連中は。
大人として恥ずかしいぞ。
いや、子供でも恥ずかしいわい。
そんな奴等に言っておくが恋愛ってのは上手くいく場合だけを恋愛って言うんじゃないんだ。
失敗してぼろぼろに傷付いてもそれも恋愛なんだ。
もっと踏み込んで言うと失敗した時の方が大切なんだぞ。
あっ、今、そんな事あるかいって思ったな?
人生においての未熟者は大抵そう思うものなんだ。
じゃあそんな未熟な君にもよ~く解る様に説明してやるから耳の穴かっぽじってよく聞いとけよ。
恋愛っていうのは奪い取るものじゃなくて与え合うものなんだよ。
例えて言えば料理と一緒だ。
料理は自分で作って自分で食べるだけだったらそれは自分の好みの味にするよな。
だけどそれを誰かに食わせた場合に必ずしもそれを美味いと言ってくれるかと言ったらそうとは限らない。
じゃあどうすれば美味いと言わせられるか。
それはああでもない、こうでもないと何度も失敗を繰り返してやっと辿り着けるものだったりする訳だ。
この何度も失敗という部分が肝心なんだ。
これは言葉では失敗だが決して恥ずかしい事じゃない。
寧ろ尊い事だ。
それは自分の為じゃなくて相手の為の行為で結果として失敗しただけだからだ。
これは恋愛にとっても同じ事が言える。
好きな人に喜んでもらいたい、少しでも幸せにしてあげたい、その気持ちが最も尊いんだ。
だけど相手にはそれぞれ事情も有るし好みも有るのは当たり前だ。
そりゃそうだ。
自分とは別の人格なんだからな。
だからそんな君の思いやりを必ず受け止めてくれるとは限らないって事だ。
でもこれも恋愛だ。
何も恥ずかしい事じゃない。
そしてやっと相手が美味しいと喜んでくれた時、これは最高の気分だ。
恋愛で言えば恋が実った時って奴だ。
例えば10人に付き合ってくれと告白したら全員からOKを貰えるなんて事は皆無だ。
良くて二人位のもんだろう。
全員NOだったとしても別に稀な訳でも何でもない。
それ位恋の実る確立は低い。
逆に言えばだからこそ価値が有るとも言えるのかもしれない。
誰でもふられれば心に傷を負う事になる。
だけどこの傷の痛みが癒えた時、人間はまた一つ強くなり優しくなれる。
人間は痛みを知った時にそれを打ち負かす防衛本能で心を強固に出来る。
そして、傷を負うのは苦しいという経験からそれを愛する人に与えたくないという気持ちが思いやりになり優しくなれるって訳だ。
だから失恋したとしても苦しいのは一時で残るのはプラスだけという事だ。
これで少しは勇気が沸いただろう?
恋愛は心の栄養でもあり心を構築する上での大切な柱みたいな物だ。
この大切な柱は無いより有った方が良い。
だって柱が足りなければ家だってぐらついて不安定だろ?

夏と言えば

6月ももう後半じゃないか。
相変わらず月日の流れが若い時の数倍早く感じるぜ。
って事は一瞬で夏がやって来るって訳だ。
夏と言えばやっぱり恋愛の季節だが露骨に言えばセックスの季節だ。
俺の場合は一年中セックスの季節とも言えるが夏の開放感はそれに尚更拍車を掛けるってもんだ。
その原因はやはり女の子の肌の露出度が最高潮になるからだろう。
本当に最近の子は惜しげもなく過激な格好をするもんだからおじさんは目のやり場に困るぞ。
って言いながらしっかり見てるけど。
だけど今から30年以上前に最近の子達でも敵わない程のもの凄い時期があったのを知ってるかな?
それはシースルーというのが流行った時期の事だ。
要するに透けて見える様な生地を使った服が大人気になった時があったんだよ。
自分一人がそんなのを着ていたらとても恥ずかしくて街も歩けないだろうけど誰もがそんなのだったら集団心理で平気に思えちゃうんだろうな。
それがどんなに凄かったかって言ったらもう皆ブラジャーだけで歩いてんのと一緒で過激な子はブラジャーもしてない。
って事は上半身丸出しと同じなんだ。
信じられないだろうけどこれは本当の話だ。
そのブームの時、俺は未だ10代で喫茶店で働いていたんだがその店に20代半ばの綺麗なお姉さんが二人居たんだ。
この人達が真っ先に流行に飛びついてシースルーで仕事に来るんだ。
勿論ブラ無しのもろ見えだ。
こっちは仕事しに来てんのにそれどころじゃない。
あんたらはストリッパーか等とは勿論言わずじっくり堪能させてもらったのは言うまでもない。
それからミニスカートの超短いのが流行った時もあったな。
あれも本当に困ったもんでちょっと急な階段だったりしたら普通にパンツ丸見えなんだ。
女の子の方も見えても仕様が無いって思ってたんだろうけど隠しもしない。
そんなパンツ丸出しで恥ずかしくないのかと思ってもまるで吸い込まれる様な錯覚に陥るから不思議だ。
何でも吸い込んでしまう魔のブラックホールがこんなに身近にあったとは知らなかった。
そんな頃から比べたら今の子の露出度なんて論外もいいとこだ。
全然なってない!
って怒ってどうする!
だけどおじさんになると只単に露出してりゃあ嬉しいという訳でもない。
たまには隠されている所がどうなっているのか想像させてくれる余裕も欲しいってもんだ。
だからって中東の何処かの国みたいに目の部分意外は全部布で覆われているというのも困りもんだけど。
因みにああいう国の男は相手を選ぶ時に目意外は全部想像で判断するのかな?
それはそれでロマンを感じるがそこまで求めようってんじゃない。
体のラインがしっかり出ているのが基本かもしれないな。
う~む、表現の仕方がいやらしいな。
体の凹凸がくっきり見える様に。
ってこれじゃあ露骨過ぎる。
腰のくびれがはっきりわかる様に。
うん、これだな。
本当は注目すべきは出ている所なのにそれを敢て引っ込んでいる部分に焦点を当てるという粋な大人の言い回しだ。
まあ、そんなこんなで夏はわくわくする季節な訳だがこのわくわく感は性欲が影響しているのは明白だ。
性欲は生命力に直結してんだからいくらかっこ付けてそんなんじゃないとか言っててもそれは自分の事さえ分かっていないというだけの話だ。
大胆に心を開放しよう。
大きな声でやりたいって言ってみろ。
夏に性欲が高まるのは男だけの話じゃない。
結局露出を多くして男をその気にさせてんのは女の方なんだから男女共通という事になる。
そうなるとお互いが激しく求め合う時期なんだから夏にカップルが出来やすいというのも当たり前な訳だ。
人間にとっての盛りの時期、発情期が夏だって事だ。
取り敢えず誘惑には乗っとけ。
やる前に考えるんじゃなくてやった後に考えろ。
夏はその位で丁度いい。

窮鼠猫を噛む

アメリカのシンクタンクは北朝鮮との戦争があるとすれば北朝鮮の攻撃するのは韓国ではなく日本だという発表をした。
それとは別に日本の防衛省は北のミサイルの標的は沖縄かグアムかハワイでハワイの可能性が高いと分析しているらしい。
本当にやるのか北朝鮮。
やっぱりやるだろうな。
もう完全に追い詰められた状況だもんな。
これは昔日本がいきなりハワイの真珠湾攻撃をやらかした状況に近いもんな。
窮鼠猫を噛むというやつだ。
弱い者も追い詰められると強い者に反撃するって事だ。
日本ではどうせそんなの大した事ないよと思っている人が大半だと思う。
だけどそれはアメリカが守ってくれると思っているからだろう?
確かに日本はアメリカの同盟国ではあるがアメリカの一部という訳ではない。
そんなアメリカに全面的にお任せで良いのだろうか。
金出してんだから俺達は関係ないで過ごしてしまって良いのだろうか。
迎撃ミサイルの配備は始まっている様だが打ち落とせる確証が有る訳でもない。
その程度なんだぞ。
だからって先制攻撃するべきなんて言ってるんじゃないよ。
もっと積極的に会話の機会を持てる様に働きかけるとか色々有るんじゃないかと思うんだ。
そして国民一人一人がもっとこの問題を真剣に考えるべきだと思うんだよ。
何でもかんでも与えられてそれが当たり前になっている若い人達にも今、日本がどういう立場で世界で何が起きようとしているのかもっと関心を持ってもらいたいと思う。
最悪な事に北朝鮮には核が有る。
これを使って多額の経済的支援をせしめようという魂胆だったんだろうが大バッシングの憂き目にあってしまった訳でじゃあ次に打つ手はという事で軍事的脅しに出てきたというかそれしか道は無かったんだろう。
なにしろ大貧民国の北朝鮮は海外からの支援で何とか成り立ってきた様なもんだ。
あとは偽札作ったり武器や覚せい剤の輸出なんかで凌いできた筈だ。
その海外とのルートを今回の国連決議案で遮断されちまった訳だから後は軍事力で威圧する位しか生きる道が無くなってしまったって事だ。
北朝鮮は今、相当切羽詰った状況だと思う。
これが平穏無事に収まるとは到底思えない。
これから俺達が体験した事のない出来事に巻き込まれる可能性がゼロではないという自覚だけでも持っているべきだと思うよ。

小心者

ビンラディンやタリバンに関する報道等で世界中に知れ渡る事になった中東のニュース専門テレビ局アルジャジーラで先週とても興味深いニュースが報じられた。
それは宇宙人に関する報道だ。
これは日本の情報番組でも紹介されたので既に知っている人も居るかと思うが知らない人の方が多いと思うので一応その内容を先ず説明しておく。
事件は5月にパキスタン北東部で起こった。
ある家族が屋根の修理をしていたところ、体調約10センチの生物が歩いているのを子供達が発見した。
超小型ながらその形は人間の姿に酷似していた。
驚いた子供達はその生物に石を投げつけ殺した挙句にレンガの上で焼き、黒焦げにしてガラス瓶に入れて保管した。
その噂が広がり神の使いかもしれないからという事で丁寧に埋葬されたらしいのだがやはり専門家に鑑定してもらおうという事になり国の重大関心事に発展しているという事なんだ。
この模様は今でもユーチューブで確認出来ると思うので是非チェックしてみて欲しい。
一説によるとこのエイリアンと目されている生物はクルミール人と言われていて2年前に日本でもその死骸が発見されていたらしい。
その時の写真も見てみたが確かに良く似てはいる。
なんでもこのクルミール人は以前から地球に住み着いていて普段は地底に居るという説も有る様だ。
以前、この日記にも書いたが俺は所謂宇宙人と言われている存在は未来の地球人なんじゃないかと思っているんだがそれは他の星にも人間みたいな存在が居るという説を否定する事では勿論無い。
実態は形の有るものより寧ろ意識体といった方が当たっている様な気がするが居て当たり前と思っている。
だが、どうしても日本人はこういった未知の世界に触れる事を拒否したがる傾向が強い。
超能力や超常現象に関する事にしても外国ではその解明に国から予算が出ている所も沢山有るのに日本では半分冗談で済まされてしまうのが現状だ。
この違いは一体何故なのか。
それは今世界中の関心事になっている新型インフルエンザに対する各国の反応で明らかだと思う。
日本人は世界で最も小心な人種だからだ。
島国だから尚更、未知なものに対して敏感になるという部分も有るのかもしれないがこれだけ情報社会な訳だし他の島国もそうかというと日本の様に過剰反応した国は無い。
じゃあ外国の人達は新型インフルエンザに対して恐怖心は無いのかというとそれは違う。
恐怖心のレベルが違うという事だ。
或る文学者の言葉でこんなのが有る。
小心な人間は危険の起こる前に恐れる。臆病な人間は危険の起こっている間恐れる。大胆な人間は危険が去ってから恐れる。
どうだ?俺の言っている事が解るだろう?
だがこの小心というのが必ずしも悪いと言っているんじゃないよ。
裏を返せばそれだけ慎重に事を運ぶし堅実という事にもなるからな。
俺がそういうのは嫌いだからと言えば話はそれで終わりだ。
ただそこにロックな姿勢が有るのかと言えば皆無だと思う。
それで話を終わりにしたくはない。
人間は常に成長しなければならない。
何故なら人間は愚かだからだ。
飯食って決められた事をこなして糞して寝るだけだったら人間の存在価値なんて無いのと一緒だ。
常に新しく生まれ変わっていなければ死んでいるのと何も違わないと思うんだ。
常に新しい自分に生まれ変わる事への足かせが小心という心だ。
俺だって自分を小心者と思う事は有る。
だけどそれに向き合って乗り越える心構えは常に持っている積もりだ。
大切なのは自分を小心者と認めてしまう事。
そしてそんな心に反発して闘う事だと思う。
皆がそんな気持ちになれば日本はもっと面白くて明るい国になると思うんだが。

三沢の死

衰退の一途を辿るプロレス界に致命的なダメージを与える事件が起こってしまった。
三沢光晴の死はあまりにもでかい。
現在日本のプロレス団体はおよそ40は有ると思う。
だがこの中で俺が思う本当のプロレスをやってきたのはノアだけだ。
そのプロレス団体ノアの中心選手でもあり社長を兼ねていたのが三沢だった。
えっ?新日本や武藤の全日本が有るじゃないかって?
ふざけちゃいけない。
あんな子供騙しの茶番田舎芝居みたいな新日本や半分はお笑い志向の全日本と命を削る様な試合を毎回提供してきたノアを一緒にされたら迷惑ってもんだ。
たしかこの日記の中でも1回だけ触れた事が有ったと思うが俺は超が付く位のプロレスマニアだ。
なにしろ大のプロレス好きの父親と爺ちゃんに赤ん坊の時からプロレス学を叩き込まれているから並のファンとはレベルが違うぞ。
小学校の頃は昼休みの時間になると教室を特設会場にでっち上げてプロレス大会を開催していた時期も有った位だ。
因みに俺の必殺技は脳天杭打ちと言われるパイルドライバーという技だったがマットも何も無い所で本当にそんな事やるもんだから対戦相手は迷惑だったと思う。
当時の俺にとってプロレスラーは憧れの存在だった。
昔は今の様に団体が沢山有るという訳ではなく日本プロレスという巨大団体がほぼ全体を牛耳っていた。
勿論、創設者は国民のヒーローと言われた力道山だ。
そしてその力道山の死後、馬場と猪木の両エースが盛り上げて行ったのだがこの二人が相次いで独立して立ち上げたのが馬場の全日本と猪木の新日本だ。
力道山のスタイルを継承していったのは馬場の方だった。
そしてその馬場さんも亡くなりその馬場イズムは三沢の立ち上げたノアに受け継がれていったという訳だ。
因みに全日本は武藤敬二が買い取ったんだが旧全日の選手は渕正信と太陽ケアのみでファイトスタイルも一新されてしまったので本当の王道スタイルはノアのみという事になる。
だから俺にとってプロレス団体と言えばノアしか有り得ないんだ。
その団体のトップが亡くなってしまったんだから相撲なら朝青龍と白鵬が同時に死んじまった様なもんで皆が大好きなサッカーに例えたら日本代表が全員一気に死んでしまったと同じ位の衝撃とダメージが有ると思ってくれれば解ると思う。
古いものは必ず淘汰されていくのが世の流れだがあまりにも唐突過ぎた。
後を引き継ぐ準備も何も無いに等しいかもしれない。
プロレスのリングには神が宿ると言われている。
だとしたらこれは無いだろう?
三沢は本当に良くやって来たと思う。
その彼に対する仕打ちがこれなのか?
本人はもう疲れたから楽にさせてくれと思っていたかもしれない。
だが、プロレスの神が居るのなら彼にもっとご褒美をあげて欲しかった。
三沢さん、本当にお疲れ様でした。
有難うございました。

色気とは3

という事で昨日の続きだ。
色気の有る男になる為には3つのポイントを押さえておかなければならない。
先ず自分の中に絶対に譲れない核になるものを持っていなければならない。
これは仕事でもスポーツでも楽器を弾くことでも何でもいい。
要するに打ち込めるものを持っているかどうかって事だ。
女の子との会話で仕事の出来る人が好きってのをよく聞くだろう?
あれは仕事が出来れば給料もいいから結婚したら楽かもなんて意味じゃないんだぞ。
仕事に打ち込んでいる姿に男の色気を感じるって事なんだよ。
何かに打ち込んでいる人は輝いて見えるもんだ。
それが女からすれば色気という部分に繋がるって意味だ。
だからいくらかっこばかり付けても薄っぺらな男には男を見る目が有る女は近付いてこないって訳だ。
それじゃあ次に行こう。
少年の心をいつまでも持ち続ける事。
これは簡単な様で実は非常に難しい。
それは常に成長を求めるのが人間なのにその部分だけ残すという意味だからだ。
じゃあどうすれば良いのかというと何に対しても好奇心を持つ事が大切だと思う。
皆、子供の時には新しい出来事に出合ったり新しい発見をした時はわくわくした筈だ。
そのわくわく感を忘れない事だ。
そんなわくわく感の中には無意識の内に自分の成長のきっかけを感じている筈なんだ。
これが若さの原動力になっている場合が非常に多い。
若さの原動力というのは人を生き生きさせるものでもある。
実際の歳が若くてもこれが足りなければ老人と同じという事でもある。
そして最後は周りに対しての思いやりを常に持っているかどうか。
これがどうして男の色気に繋がるんだと思った人は多いと思う。
解りやすく説明するからまあ、聞いてくれ。
思いやりっていうのは優しさの象徴の様なものだ。
だがこれの大小というか有る無いでその人の器の大きさがはっきり見て取れるものだ。
俺はこの日記の中で散々、男は器だという事を言ってきたが女っていうのはこれを嗅ぎ取る臭覚が男の数倍鋭いのは知っておけ。
器が小さければ余裕も無い。
余裕ってのは経済的な意味じゃなくて心の問題だ。
余裕がないから思いやりにも欠けるし人間もちっぽけに見えてしまう。
ちっぽけな男にもし魅力を感じる女がいるとしたらそれはあくまで暇潰しのおもちゃとしてだったり自分の心の隙を埋める為の道具として位のもんだろう。
男たるものそんなおもちゃや道具になりたいなんて思わないだろう?
どうだ?
これで少しは色気ってものが理解出来たか?
色気を辞書で調べりゃ異性を引き付ける性的魅力とか書いてあると思うがそんな言葉で言い尽くせる程単純なものじゃないって事はよ~く解っただろう?
男も女も常に自分にとって最高の相手を探しているものだ。
だけど、その最高の相手は自分自身を高めなければ近寄っては来ないし出会う事も無いって事だ。

色気とは2

昨日は解ったかな~、あんまりよく解んなかったんじゃないかな~なんて思ったので今日はその続きを話すことにしよう。
男は50代になると女性を見る場合に顔や胸やヒップじゃなく全体から醸し出される色気を重要視するという話をした。
これが女性が見る立場になった場合は男のどこを見ているのか。
20代だと未だ顔というのが1番だとは思うが20代も半ばあたりから男とはかなりの違いが現れてくるものだ。
半ばから30に掛かる頃にはもう既に色気を1番に挙げる人達が表れてくる。
これはどういう事かといえば女の方が男より数段成熟するのが早いという事だ。
だから若い子でも彼氏がもの凄く年上だったりなんて事はそんなに珍しい事じゃないだろう?
その逆は殆ど無いけど。
成熟した感性を持っていれば相手の中身が子供だと感じればつまらないと思うのは当たり前だからな。
母性本能を擽られる事はあっても新しい発見も無いし付き合う事によって自分が成長する事も出来ないんだから面白くないという風になってしまうという訳だ。
そこの所が解っていない男があまりにも多過ぎる。
最近は男でも眉を綺麗に整えたり中にはパックしたりとそんな所ばかりに気を使っている連中が多くなったがそれでもてる様になると思ったら大間違いだ。
そんな所をチェックしているのは未だ10代の小娘か中身の無いアホ女だけだと思っておいた方がいい。
顔を磨くんだったら人間としての中身を磨けという事だ。
それが出来なきゃ色気の有る男には絶対になれないぞ。
男の色気には幾つかポイントがあるからその事にも少し触れてみよう。
先ず自分の中に絶対に譲れない核になるものを持つ事。
そして少年の心をいつまでも保ち続ける事。
もう一つは周りに対しての思いやりを常に持っている事だ。
こうやって言葉にすると簡単だがじゃあ実際にこれが出来るかというと生半可な事じゃあない。
次回は具体例を挙げて話してみたい。

色気とは

昨日、或る飲食店に居た時の事だ。
斜め前に20代と見られる女の子が一人で座っていた。
俺は別に気にも留めていなかったのだがこの子が何回も俺の方を振り向くんだ。
なるべくさり気なく不自然に思われない様にしている積もりなんだろうがそれを何回もやられるとこっちも意識をしてしまう。
そして何回目かにとうとう目が合ってしまいなんだか見られていたこっちが気まずい思いをしてしまった。
あんたさっきからあたしの事ずっと見てたでしょみたいな顔しやがって自意識過剰も甚だしいぞまったく。
だが、この時の俺は違ったが男女共、異性を観察するという事は常日頃から行われている事でもある。
言い方は悪いが要は品定めだ。
男の場合、女性を見る時に何処を最重要チェックポイントにするか。
これは年齢によってかなりの違いがある。
若い時は先ず顔だろう。
顔のチェックで80%、あとの20%は胸だろうな。
これが30代になると顔が50%、胸が30%、脚とヒップで20%かな。
そして40代ともなると顔が30%、胸が30%、脚とヒップが40%と比重がだんだん下に下がって来る。
40代後半ともなると顔20%、胸35%、脚とヒップが45%とこの頃にすけべ親父が完成されるという訳だ。
まあ、これは一般論の話だから例外は幾らでもあるので誰でも40後半にすけべ親父丸出しになる訳じゃあない。
内面性とかセンスとか他に重要視するべき点は幾らでも有るし好みの違いも有るしね。
だが、本能的には大体こんなもんなんじゃないかな。
雄と雌という部分の話だけだとね。
じゃあ40を通り越して50代になっちまった俺は女性の下半身しか見ていないのかいう事になるがこれが全く違うんだ。
50代になるとオーラというかその人の全体から発している雰囲気を一番に見ている事になるんだ。
言い方を変えればバランスって事になるかもしれないな。
本能的感覚で言えば色気だな。
若い人に色気というとエロそのものの様に受け止められてしまうかもしれないがそれは浅はかな発想だ。
色気というのはその人の醸し出す人間的味の様なものなんだ。
だから、どんな生き方をしてきたかとかどんな考えで毎日過ごしているかとか本人から滲み出ている色の事だ。
風情、情緒、味わいだよ。
解るかな~、解んないだろうな~。
続きはまた明日だ。

早朝目に付く事

俺は仕事柄、帰宅時間が毎日早朝になる。
早朝というのは昼間の光景とは違うものが見える時刻な訳で当然行き交う人の数も極端に少なかったりする。
そんな中、週末になると明らかに平日とは違う光景が目に付くものだ。
それは何かというと酔っ払いの数ではない。
沢山のジョギングをしているおじさん、おばさん達だ。
俺の家からバイクで5分位の所に比較的大きな公園が有るのだが週末の早朝ともなるとそこを目指して走ってくる人達が溢れている。
溢れているという表現はちょっと大袈裟かもしれないが百人には満たないだろうがそれに近い数十人は確実に居たりする。
勿論、皆、健康管理の為なんだろうが俺にはどうしても悲しい光景にしか見えない。
若い内は体を作っている全ての部分も若いからマイナスよりプラス面の方が多いのは誰でも分かる。
だが40代、50代になっても同じ様な結果が出るとは到底思えないんだ。
っていうかマイナスの方が絶対多いような気がする。
俺も30代迄は殆ど毎日体を鍛えていて腕立て200回、腹筋200回なんて今では信じられない様な事をしていたものだがこれを今やったらあちこち痛くなるだけで寿命を縮めるだけの様な気がする。
人間誰しも死に向かって生きている訳だが生きている内には絶対に体験出来ないこの死という未知の世界に対して無意識に恐怖を感じている筈だ。
スポーツジムに通ったりしている人達は見た目を良くして異性にもてたいとかかっこよくなって自信を付けたいとか優越感に浸りたいとかそんな解りやすい事が目的の人が大半だと思う。
それは或る意味とても健全で悪い事ではない。
だが、早朝にジョギングしているおじさん、おばさん達からはそんな健全な空気はまるで感じられない。
感じるのは悲愴感だけだ。
病気の中には適度な運動が治療に役立つものもあるのでそんな目的の人達も当然いるだろう。
だが、あの早朝の公園にそんな人はせいぜい1割位なんじゃないかな。
殆どは病気じゃないけど1秒でも長く生きたいからとそれだけの理由の様な気がする。
それを否定する訳じゃないがもうちょっと明るく出来ないのかなと思っちゃうんだ。
自分はあと何年生きれるかなんて事を考えて毎日暮らしていたらその時点で人生を履き違えていると思うんだ。
自分はどうせ死ぬんだから生きてる内に少しでも悔いの無い生き方をしよう。
やっぱり大切なのはこっちだろう?
あのおじさん、おばさん達に直接何で走ってるんですかなんて訊いた訳じゃあないからあくまで予想の範囲だけどマイナスのオーラが出まくっているのは確かだ。

セックスレス

昨日、3年間で自己中心的な愛しか育てられなかったカップルはたとえ結婚や同棲をしていたとしてもセックスをしなくなったり別れたりする場合が多いという話に触れた。
実はこのセックスレスのカップルが急増している様に思えて仕方が無い。
なにしろ俺の周りだけでも確実に2桁は居るからな。
勿論、爺さん婆さんや健康を害しているとかいう事ではなく健康な若いカップルの話だ。
内訳はおそらく昨日の内容に該当しているカップルが半数で後は最初からセックスに対する欲求に欠けた草食系カップルなんじゃないかと思う。
そんな人達に今日はセックスの必要性に関する話をしてみたいと思う。
昔から恋をすると女の人は綺麗になると言われている。
これは医学的にも間違いじゃない事は知っているだろう?
恋をすると女性ホルモンの分泌が活発になり肌の状態に変化が起こる。
肌に潤いと弾力が生まれ滑らかになり血色も良くなるから輝いて見えるという訳だ。
そのうえ副交感神経も刺激する事になってこれは内臓にも良い影響を齎すらしいんだ。
だが、そこにセックスが介在すると男女問わず最大の効能が生まれる事になる。
それは幸福感だ。
セックスをすると脳内にエンドルフィンというのが分泌される。
これが所謂脳内麻薬、またの名を脳内モルヒネって奴だ。
モルヒネって位だから鎮痛効果も有る訳でこれが本物のモルヒネの6.5倍の威力が有るそうだ。
6.5倍っていうのはかなり凄いぞ。
そうするとSMプレイなんかで鞭でぶっ叩いたり乳首を針で貫通させたりっていうのももしかしてやられている方は意外と痛みを感じていないのかもなんて思えるよな。
俺は男だから確かな事は言えないが処女喪失の時に滅茶滅茶痛がる子と全然痛がらない子がいるがあれはエンドルフィンの出方の違いなんじゃないかとも思えるんだがどうだろう?
まあ、それだけでも凄いのにもっと大切なのはこのエンドルフィンっていうのは多幸感を与えてくれるという部分だ。
多幸感っていうのは身も心も幸せな気持ちに包まれるという事だ。
言わば合法ドラッグだ。
いや、ちょっと言い方が良くないな。
至福の時を得られるって方がいいな。
安らぎの時でもいいかな。
要するに最高の幸せって事だな。
セックスでは最高の幸せを与え合えるって事だよ。
やっぱりこれを無しにして愛してるって言ってもちょっとなあって思うだろ?
セックスは子孫を残す為の本能的作業でもある訳だけどそれ以上に愛し合う者達の最も大切な行為な事は間違いない。
だからセックスレスのカップルはもう一度向き合って見詰め合わなくちゃいけないと思うよ。
セックスは愛の終着点でもあり、より豊かな愛の生まれる出発点でもあるんだからさ。

× CLOSE

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[06/28 オニオンシュテン]
[03/27 heavensdoor]
[03/20 heavensdoor]
[03/18 酔客]
[03/15 いつもお世話になってます]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
heavensdoor
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

× CLOSE

Copyright © DIARY : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]