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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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母校みたいなもの

或る調査会社が世界中の2万人以上の人を対象に映画を観に行く目的は現実逃避の為なのかというアンケートを実施したらしいんだが40%の人がイエスと答えたそうだ。
国によっては70%近い数字を弾き出した所もあるらしい。
因みに日本は41%だったそうだ。
なんでこんな意識調査をしたのか定かではないがちょっと微妙な心境だ。
それは俺が映画に対して持っている気持ちとは大きく懸け離れているからかもしれない。
俺にとって映画っていうのは色々な事を教えてくれたり新たな発見をさせてくれる学校みたいな存在だったんだ。
映画の魅力に取りつかれたのは確か小学校高学年位の時だったように記憶している。
その切欠になったのはサウンドオブミュージックというミュージカル映画だった。
おそらく今でもスタンダードナンバーと言われていると思うがドレミの歌とかエーデルワイスとか名曲を沢山世に出した作品だ。
それまでディズニーのアニメと怪獣映画しか映画館で観た事の無かった俺には衝撃だった。
子供ではあったにせよ映画ってこんなに感動させて貰えるものとは知らなかったんだ。
子供の好奇心とは恐ろしいもので一旦興味を持ったら最後、限度とか方法論とかはまるで無視だ。
自分の小遣いでは到底足りないので毎回親の財布からくすねた金で映画館に通うのだがもっと観たくて仕方が無い。
そんな欲求が一気に解消されたのは中学に入ってからだった。
同級生に途轍もなく金持ちで映画好きの奴が居たんだが俺はまんまとこいつの友達になる事に成功した。
当然会話は映画の事ばかりだ。
そして観に行く時は常にこいつと一緒という事になるんだが料金は向こう持ちだ。
気が小さくて一人で映画館に入れないこいつの付き添いをしてやるんだからその位の報酬を受けても当たり前くらいの気持ちだった俺は調子付いた。
日比谷の映画街へ朝から行って次はこれを観ようなんて急かして一日にロードショウを3本も立て続けに観たりしていたんだ。
そんな事を繰り返しているうちにそいつも何となくこの関係に不信感を持ったのかだんだん俺との距離を取るようになっていった。
まぁ、当然と言えば当然だが。
そして、作戦変更した俺はロードショウ路線を諦めローカルな3本立て映画館に的を絞る事にしたんだ。
またもや資金は親の財布からくすねるわけだがこっちはかなり安かったので気付かれる事はなかった筈だ。
この頃になるともう映画好きを通り越して映画依存症と言えるほどになっていたかもしれない。
学校に行くふりをして家を出るんだが行き先は映画館という日が週の大半を占めるようになっていたんだ。
そして、最早俺にとっての学校は映画館でありスクリーンに映る名優や脇役達が教師でもあったのは当然の成り行きとも言える。
小学校6年生から中学一年生にして既に学校教育に対する不信感を抱えていた俺にとってやっと望んでいた信頼出来る教師に巡り会えたというわけだ。
だから今回の調査での結果は俺としては信じられないと言うよりも残念で仕方が無い。
君等だって母校を現実逃避の場みたいに言われたら複雑な心境になるだろう?
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心に届く言葉とは

俺は自分でブログを書いているにも拘らずブログなんてろくなもんじゃないと思ってきた。
それは以前にも話したように他人のオナニーなんか見たくもないという思いと大差ないからだ。
そのうえ奇麗事のオンパレードじゃ反吐が出るってもんだ。
だが先日、或るミュージシャンのブログを偶々期待もせずに読んだ時に衝撃を受けてしまった。
このブログも大抵の人がそうなように毎日というわけではなく週に1回かそれ以上の間隔でしか書いていない。
俺の想像では、やる事無いからブログでも書くか的などうでもいい暇潰しみたいな物では決してない。
自分で思い悩んで苦しみ抜いた挙句に出て来た答えの贅肉を全部削ぎ落として短めの曲に纏め上げたような感じと言えば分かってくれるかな?
要するに一言一言が粒立っているというか活きているんだ。
どれもほんの短い文章なんだが状況も浮かぶし何よりこの人の心の中がよく見えるんだよ。
こう言うと詩集みたいな物かと思われてしまうかもしれないがそれもちょっと違うんだ。
もっとリアルなんだよ。
それはおそらくリアルタイムで書いているものだからだと思うんだ。
実際に俺が読んだ時がリアルタイムというわけじゃなくても刻印されたリアルがそこにはあるんだ。
新鮮なうちに冷凍保存したものを解凍して読んでいるみたいなさ。
くだらねぇなぁと思いつつも反面教師的意味で参考にする為に色々な人のブログは読んできたけどこんなのは初めてだよ。
俺の場合はブログと言うにはちょっと長過ぎてまるでエッセイみたいになっちゃってるけど本当はブログってこの人みたいに簡潔な方が良いのかもってちょっと思っちゃったしな。
言葉っていうのは本当に不思議な物でちょっとした使い方の違いで単なるオナニーにしか思えなかったりドキっとするほど心に響いたりって大きな差が生じるものだ。
そこのところは同じ食材を使ってんのにその腕によって不味くて食えなかったり絶品に仕上がったりっていう俺が昔やってた料理の世界と共通するものがあるかもしれない。
そんな当たり前の事を再認識させてくれたよこの人は。
歌の世界でもそうだよな。
いくら綺麗な言葉を並べ立てたって心の片隅にも入り込めないものもあればほんのワンフレーズが奥底までグサッと突き刺さる事もある。
この違いはやはり上辺だけか本心か、想像か現実か、未経験か実体験か、処女か男の騙し方を知ってる女か、童貞か女ったらしか、嘘つきか正直者かとか色んな原因があると思うんだ。
だけどこれだけは言えると思う。
あるがままの言葉は心に届く。

進化推進主義

東国原宮崎県知事が現代の若者に対して1年か2年位の徴兵制があった方がいいんじゃないかと発言したと思ったら今度はなんと自民党内でもそんな議論がされたらしい。
世間への風当たりを考慮してどちらも直ぐに撤回、弁明しているがこれは聞き捨てならない。
おっと、勘違いしないでくれ。
俺は徴兵制に対して反対ってわけじゃあないんだ。
寧ろ断然賛成だ。
そして、彼等みたいなへなちょことは訳が違う。
後から撤回、弁明も無しだ。
だからといって戦争したいとか言ってんじゃないぞ。
戦争は人間の行う最低の行為だし人類の心の退化の象徴的行為だとも思っている。
じゃあ、何でとなるとこれはやっぱり日本人としてと言うよりも人類の将来を考えた時に大いに危機感を感じるからだ。
世代間のギャップによって生じる価値観の相違とかそんな甘っちょろいものとは違うぞ。
そして、俺の世代の価値観を押し付けようというのとも違う。
価値観が違っても若い連中が活き活きと力強く生きているのなら過去の価値観なんてどうでもいいんだ。
だが、現実は全く正反対の方向に向いているとしか思えないんだ。
こんな屁っ放り腰の集団みたいな連中に未来を託す訳にはいかないんだよ。
誰の為ってそれは若い君等の為でもあるんだ。
若いんだから何をやっても自由なのに本気にはなりきれない。
そして、そこに責任も掛かって来るとなったら真っ先に逃げ出す。
これじゃあ保守的とか弱腰も通り越して後は死を待つだけの死にぞこないと同じじゃないか。
だったら君等の背中に一本ぶっとい芯を埋め込むしかないだろう?
その手っ取り早い方法が徴兵制だと思うんだ。
戦う為じゃなくて強い心を身に付ける為だ。
本当はこんな物は人から与えられる物じゃないのは分かっているが何でもかんでも与えられる事が当然という中で育ってきた君等には最早こんな方法しか無いのかもなんて思っちゃうんだよ。
これは冗談で言っているんじゃないぞ。
全く持っての本気だからな。
だからと言って俺は国粋主義の右翼とかそんなのじゃないよ。
右翼なんか大嫌いだし。
敢て何とか主義って言うんなら人類に対する進化推進主義者だ。
人間は進化する為にこの世に生まれて来てんだ。
進化っていうのは科学だけじゃないんだよ。
心も伴って初めて進化って言うんだよ。
じゃあ、心を進化させる為にはどうすれば良いかと言えば常に前向きに生きる事だ。
常に生き切る事だ。
今の若い連中って勿論例外も居るけど大方はそうじゃないだろう?

セックス依存症?

そういえば先週だったかタイガーウッズの謝罪会見っていうのをやっていたな。
記者側の質問は無しにして自分の母親も呼んだりしての一方的な謝罪だったんだが何かちょっと不自然なものを感じたなぁ。
だって考えてみれば別に誰かを怪我させたとか殺しちゃったとか何か大きな事件を起こしちゃったとかいうのと違うだろう?
勿論夫婦喧嘩は罪じゃないし愛人を19人作る事も法律に触れるというわけじゃあないしな。
タイガーが品行方正でパーフェクトなイメージが強かったから愛人が居たとなるとマスコミの格好の餌食になりやすかっただけの話でもあるしね。
俺自身は結婚している時に愛人が欲しいなんて思った事が一度も無いので愛人を19人作る男の心境は解らない。
解りたいとも思わないしどうでもいい事だ。
捉え方次第でそれだけ男として甲斐性があるという見方もあるし社会人としてのモラルが無いとも言えるのかもしれない。
このモラル欠如の部分を槍玉に挙げる人が多いと思うがこれがアフリカなんかの一夫多妻制の国であればべつに間違った行いじゃないという事になってしまう。
だが、凄く極端な例として韓国だったらおそらく死刑なんじゃないかとも思う。
じゃあモラルって一体何だろう?
倫理か?
倫理って事は人として守ろべき道、行うべき道の事だぞ。
これが国によって違うってのはどういう事なんだ?
人の行うべき道っていうのは真理って事だ。
真理が国によって違うというのは有り得ない事の筈だ。
真理っていうのは全人類的、宇宙的な話なんだからこの答えが幾つもあるというのは理不尽という他ない筈だ。
真理に邪道は無い。
だからタイガーの謝罪会見に不自然さを感じたのかもしれない。
そして、彼はセックス依存症だと言われている。
その治療の為のリハビリも受けているという。
阿呆臭い。
何がセックス依存症だ。
そんなの只の助平って事じゃないか。
実に健康な男子ってだけの話だ。
セックスっていうのは元来依存的な部分が有るんだよ。
それはドラッグ的な強いものじゃ無いにせよ脳内で脳内麻薬が分泌されるんだから依存的感情が起こるのは当たり前の事なんだよ。
だから俺位の年齢でも毎日続けて行おうと思えば出来るんだと思うよ。
でも性欲という部分では若い時のように常に頭の中を支配しているわけじゃあないからセックスせずにいようとすれば結構無理せず長い期間でも平気だったりするんだけどね。
要するに性欲という本能的なもの以外に脳内麻薬に対する依存性も加えた物がセックスの魅力だと思うんだ。
あの快感は自由と開放を最高に感じられる時でもあるからな。
そんな素晴らしい行為に無理矢理病名付けてどうすんだよ。
そんな意味でもあの謝罪会見は偽善と打算に満ちた茶番劇でしかないと思う。

でかい声を出せ!

君等のあまり興味の無いプロ野球ではその年に入った新人に対して新人選手研修会というのが行われる。
これはプロ野球選手としての心得をレクチャーして自覚を促すというものだ。
そんな模様をスポーツニュースで放送していたんだが、ああ、やっぱりなという部分があったんだ。
それは西武に入った雄星が声が小さいと指摘され、あ、い、う、え、お、と言わされて口の開け方まで注意されていた箇所だ。
卒業式までは一応高校生という事になるがそれでももう18歳だ。
18歳でそんな子供みたいな事で注意されるとは情けない限りだがこれが一般的な18歳の男の子の姿なのは良く分かる。
実は俺にもそんな時期があった。
彼より若い16の時ではあったが。
家を飛び出して繋ぎのバイトをしていた俺は食う為に小さな洋食屋に就職したんだ。
一文無しの俺にとって募集の張り紙の片隅にあった食事付きという文字が光り輝いていたからだ。
だが、厨房に入る事になったものの俺の仕事が無い。
というか実際はやるべき事が山の様に有ったんだが一向に俺には仕事が回って来ない。
周りの先輩達は忙しく動き回っているのに俺は只突っ立っているだけだ。
その内、邪魔だから退いてろなんて罵声を浴びる事になるんだが俺にやる気が無いわけではない。
なのに一向にそのやる気は通じていないようだ。
この状況を打破しなければお払い箱になるのは目に見えている。
もうスーパーで万引きして食い繋ぐのは懲り懲りなのに。
そんな時に一人の若い先輩がヒントをくれたんだ。
お前、とにかくでかい声出してみろ。
何か言われたら思いっきりでかい声でハイ!って言ってみろ。
次の日から俺は馬鹿みたいにでかい声を出しまくったんだがそこから周りの空気は一変したんだ。
今迄邪魔者扱いしていた先輩達がやっと気が付いたのかという顔で色々指導してくれるようになったんだ。
俺にとって以前と違うのは声を大きくしただけなのにもやもやしていた空気が一気に晴れ上がったんだ。
そして、これでまた賄いにあり付けたばかりか飲みにも連れて行って貰えるようになった。
金が無くて銭湯に月に1回しか行けなかった俺を気遣って風呂も貸してくれるようになった。
とにかく当時付き合っていた彼女の兄さんから乞食みたいな奴と罵られていた俺にとっては見返す事の出来る武器を手にした心境だ。
この時俺は初めて働くとはどういう事なのか、自分の力で生きていく術とはどういうものなのかが少し分かったような気がしたものだ。
あの先輩の一言が俺の人生を大きく変えたんだ。
いくら感謝しても足りないくらい今でも有り難く思っている。
だから若い子達にはでかい声を出せと口を酸っぱくして教え続けなければならないと思っている。
それがあの先輩に対する俺の恩返しでもあると思うからだ。

真理と宇宙の原理

ブログの世界には色々タブーと言われるものがあるらしい。
野球もその一つだと言うんだがこれはもう過去の話だろう。
昔だったら東京に住む人の9割以上が巨人ファンだったから阪神ファンだとか言ったら喧嘩を吹っかけられても仕方が無いなんて時代もあったものだ。
だけど今はもうサッカーに追い抜かれてるわけだしタブーと思っている人も少なくなったと思う。
他には何だろう?
宗教かな?
宗教団体と言われているものの中には他教を前面否定する所が多いからこれは嵌っているだろうな。
という事で今日はタブーをぶち壊す意味で敢てその宗教の話をしてみよう。
そんな中で新興宗教というのはとかく悪者にされる事が多い。
それは何故かというと実際に貧しさや病気、人間関係の苦しみ等、色々な悩みを抱えている人達が神にもすがる気持ちで頼ってきた切羽詰った状況を利用して金銭を巻き上げたりする悪徳団体が後を絶たないからだ。
まさに弱者を食い物にしてきた奴らがあまりにも多いからこんなイメージが染み付いてしまったんだと思う。
じゃあ、全ての新興宗教がインチキかというとそれは間違いだ。
なんでそんなにはっきり言い切れるのかというと知り合いで新興宗教に入っている人を何人も知っているからだ。
俺の知り合いが偶々そうなんだと言ってしまえばそれまでだが彼等と話していると心を洗われるような気持ちになる事が多い。
それはやはり彼等の心が澄んでいるからだと思うんだ。
そんな彼等が所属する宗教なら真っ当なんじゃないかと思うのが普通だろう?
だが、その反面納得出来ない部分もある。
それがさっき言った他宗教を認めない部分とその宗教団体の価値観を押し付けようとする部分だ。
おそらく彼等は自分の所の教えを広める事が世界の平和に繋がるし人間としての正しい道だと言いたいんだと思う。
それに対する俺の是非はというと非だ。
何故かと言えば正しい道は既に誰でも心の中に持っているからだ。
それを開く事が出来るか出来ないかの違いであって他人に教えられてどうのという問題ではないと思うからだ。
心の中に有るものを引き出す事と教えられる事は根本的に違う。
教えが切欠で開けるというのも一見正しいようで間違いだ。
開くというのは受身ではなく自然に時が来れば開くんだ。
それが若くからの人もいるし死ぬ直前の人もいる。
それでも開かない人は来世か来々世かもしれない。

信仰と宗教は同じ意味のようで実は別物だ。
信仰とは個人のもので宗教は団体なんだ。
そして宗教は人間が広げているだろう?
これが大きな間違いで不完全でしかない人間がどうして完全なものを教えられるんだという矛盾がある。
新興宗教に多い他教への批判もそれが恨みや憎しみに繋がる事を理解していない。
これは本当の信仰とは既に懸け離れたものなのは明確じゃないか。
確かに俺の知り合い達のように或る意味救われて綺麗な心を持った者もいる。
そこまでは大いに結構だ。
だからインチキとは言わない。
でも正しいとは決して言えない。
俺は必要とする人にとっての宗教は拠り所、支えだと思う。
そして信仰とは真実の道理、宇宙の原理だと思う。

竜宮の使い

ついこの間、ハイチで大地震があったと思ったら今度は南米のチリでもマグニチュード8.8という巨大地震が起こったのは知っているだろう?
どちらも遠い国での出来事だから対岸の火事ってわけじゃあないけど自分の国じゃなくて良かったなんていうのが大方の人達の本音かもしれない。
だが、なにやら不吉な記事を見付けてしまった。
富山、京都、島根、長崎、岩手、兵庫、山口、石川県なんかの沿岸でリュウグウノツカイという謎の深海魚が立て続けに発見されているというんだ。
しかし、凄い名前だよな。
何かちょっとロマンチックというか名前からして只者じゃないだろう?
こいつは写真で見るとえらくでかい。
なにしろ4メートルから特大サイズだと10メートルはあるそうだ。
頭の赤くて長いひれみたいなのが付いている所が雑魚と一緒にすんなって言ってるみたいでちょっと神々しい。
しなやかに波打つ泳ぎ方から人魚のモデルになったという説もあるらしいんだ。
さて、このリュウグウノツカイだが普段は深さ200~1000メートル位の深海に生息していて殆ど人間が目撃する事は無いそうだ。
そしてこいつが現れると地震の前触れっていう言い伝えがあるそうなんだ。
確かに海の深い所を居場所にしているんなら海底の断層の変化にも敏感だろうから頷ける部分も多分にあるよな。
じゃあ、近い内に日本にもでっかい地震が起こるんだろうか?
なんてビビる必要は全くないぞ。
だってそんなの誰にも分かんないんだから。
それが分かるんならハイチやチリであんなに沢山の人が死ななくてもよかった筈だし。
勿論、地震予知の研究は各国で進められているのは知っているけど予知出来るとこまで全然いってないだろう?
だったらジタバタしたって仕方が無いじゃないか。
来る時は来るし来ない時は来ないとしか言い様がないもんな。
同じ分からないんだったら心配してびくびくしても全く無視しても結果は変わらないって事だ。
だったらそんな事は考える必要もないってもんだろ?
例えば俺達が知能の発達した蟻んこだとしよう。
そして人間がするように生き長らえる為に諸々研究しているとしよう。
だけど幾ら頑張って研究したとしても犬や猫や人間に踏み潰されたり空から鳥が舞い降りて食われたりって防げるとは思えないだろう?
それは何故かというと大きさというか次元が違い過ぎるからだ。
人間って自然界からすればなんかその程度なんじゃないかと思うんだよ。
だとしたら無駄な心配しても意味が無いんだから俺達のやるべき事をやってあとは運命に任せるしか無いじゃないか。
やるべき事っていうのは勿論、瞬間、瞬間を生き切るって事だ。
蟻達もきっとそう思っているんじゃないかな。

取り敢えず笑っとけ!

俺の敬愛するミュージシャンの曲の中に大声出して笑える人の涙ほど美しいものという一節がある。
子供の時に良く聴いた曲というのは何故か何十年経っても脳裏に沁み込んでいるから不思議だ。
普段は何処にしまってあるのか知らないが何かの拍子にポロッと出て来るから面白い。
さて、その一節ではあるが最近やたらに出て来るんだよ、ポロッと。
だからといって俺の周りに大声出して笑う人が多いというわけではない。
っていうか寧ろ非常に少ない。
昔に比べてそんな人が非常に減った印象を受けるのはやはり世の中が暗いからなのだろうか。
まあ、それはそれとして俺が気に障るのは平気で嘘の笑いが出来る人達に出会う機会が増えたという事だ。
そういう意味での大人と多く接しなければならなくなったという事はやはり俺もそれなりに歳を食ったという事なのかもしれない。
生きていく為、家族を守る為にそうしている大人というものを否が応にも認めざるを得ないのかもしれないが。
だがこれが若い子となれば随分意味が違ってくる。
営業や接客業等の仕事柄というのなら理解も出来るが普段の友達なんかとの会話の中からでも見えてきたりするとどうしても一言言いたくなってくる。
ガキはガキらしくしやがれ!
知ったかぶりこいて大人の真似してんじゃねぇ!
大人は好き好んで嘘笑いしてんじゃねぇんだよ!
なんてね。
そんな嘘笑い野郎の事なんかどうでもいいんだがこの笑いというのは人間にとって凄く大切だという事は知っておいた方がいいぞ。
先ず、よく笑うという行為は精神的に非常に良いんだ。
ついこの間、心を開放する事は生きるエネルギーを得られるって話したのを憶えているだろう?
笑いっていうのは或る意味心の開放でもあると思うんだ。
だからよく笑う人は活き活きしててパワフルに感じるだろう?
そして、そんなパワフルな心を持っている人っていうのは体もすこぶる健康だったりする事が多い。
これは偶然っていうわけじゃあなくちゃんと理に適っているんだ。
それは心というものが人の体を作っている細胞の核となる元素の中にあるからだ。
笑う事によって心にパワーが注入され、その心が核を成す細胞が元気になる。
そして、その細胞で構成されている体も元気になるというわけだ。
なっ!だから笑う事は心にも体にもとても必要なんだよ。
だったら嘘笑いでもいいじゃないかって?
馬鹿野郎!
嘘笑いっていうのは只単に表情を笑っているのと同じに作っているだけじゃないか!
そんな事をしてもストレスが溜まるだけで心身共に悪い影響しか得られないんだよ。
それから笑いは周りの人に幸福を与えている事にもなるんだ。
この話は以前したから詳しく知りたければ過去のこの日記を読み返してみてくれ。
和顔施というタイトルで書いたと思うんだが。
まあ、取り敢えず大声で笑っとけ!
きっといい事あるぞ!

21世紀少年

ついこの間、映画の20世紀少年最終章を観た。
最近の漫画に詳しい人は当然原作の方を読んでいるんだろうが俺は去年の映画公開の時に初めてこのタイトルを知ったので映画版の終わり方が原作と違うらしくても一向に気にならないのは当然だ。
なので俺にとっての20世紀少年は映画版のみという事になる。
その映画の中で物凄く印象的な部分が一ヶ所あったんだ。
それはトモダチと言われる悪のヒーローが自分を指して僕が20世紀少年だというくだりなんだ。
要するに人間関係の歪みの中でバランス感覚を失ってしまった自分が20世紀の産物だと言いたかったんだと思うんだ。
少なくとも俺はそう受け取った。
これは非常にリアルで意味深な言葉だと思う。
そして今日まさに20世紀少年そのままのような印象を受けるHというバンドが出演した。
うちに出るようになって未だ1年と少しぐらいではあるが俺は初出演の時から何故か彼等が気になって仕方が無かった。
演奏はお世辞にも上手いとは言えないかもしれない。
その上全員元気が無いというか覇気が無いというのが俺の評価でもあった。
どうしてこういう青年達がステージに上がっているのかその真意がまるで見えない。
ロックバンドの持つ何か主張しようとか伝えようとかそういう積極的な姿勢とは真逆なポジションが彼等のようなタイプの人達の定位置だと思っていたからだ。
そんな中、MCでボソッと洩らした一言がしっかり俺の心に届いたんだ。
僕達全員引き篭もりなんです。
ヤバい、リアル過ぎる。
僕達全員20世紀少年なんですって言ってるのと同じじゃないか。
それから2、3ヶ月に1回くらいのペースでライブを観させて貰う事になるのだが最初に感じた何故彼等はステージに上がるのかという疑問は徐々に解明される事になるんだ。
あれだけ内側に向いていた姿勢が変わり始めたのは半年を過ぎた辺りからだと思う。
そして今では完全にパンクバンドだ。
引き篭もりならではの主張をする21世紀型パンクバンドの出現だ。
トモダチは破壊と殺人と洗脳でトラウマからの脱出を企てた。
そして殺される直前に脱出に成功した。
Hというバンドはパンクバンドになる事でトラウマから略脱出する事に成功した。
さて、次はどんな進化を遂げるのだろうか?
想像出来ないだけにわくわくする。
間違いなく言える事は彼等が俺の全く知らない次元からやって来た21世紀少年だという事だけだ。

宇宙の理屈

トヨタがアメリカで大ピンチだ。
なにか瀕死状態であるアメリカ自動車業界の陰謀の様に思えて仕方が無いが実際に人が死んだとかいう話まで出ているからケジメは付けなければ収まる事はないだろう。
そしてこの波はアメリカに留まらず日本にも押し寄せてきた。
どちらも去年から爆発的に売れて来たプリウスのブレーキに始まってレクサス、カムリ、カローラと止まる所を知らない勢いだ。
これをアンラッキーと言ってはいけない。
起こるべくして起こったというのが俺の見解だ。
今迄に何回かこの日記でも採り上げた事があるがこれはバランスの問題だと思う。
トヨタはバランスをとる事を蔑ろにしたんだと思う。
この場合のバランスっていうのは勿論販売実績に関してだ。
アメリカ自動車業界の衰退とハイブリット車の爆発的ヒットによってトヨタは世界一の自動車メーカーとして突出した地位まで上り詰めた。
そしてこの勢いは誰にも止められないと思われてきた。
だが、そこに大きな落とし穴があるんだ。
彼等はバランスの法則を知らなすぎたのか、もし知っていたとしてもなめていたんだと思う。
彼等の即刻やるべき事は利益の還元だった筈なんだ。
莫大な利益の何割かを社会に還元していればこんな一大事にはならなかったと思うんだ。
企業なんだから利益を追求する事だけに専念するのは当たり前だろうって普通は思うかもしれない。
もし君が経営者になってそういう考えを持つのであれば残念だが君の会社は長続きは出来ないだろう。
理屈から言えば俺の言っている事の方がおかしいのは分かっている。
だが、世の中が理屈通りにいくと思ったら大間違いだ。
今、言っている理屈っていうのは人間の編み出したものだ。
だけど、そんなものが通用しない自然界の理屈、宇宙の理屈というものが有るんだよ。
人間はこの自然界、宇宙の理屈の中で生きているんだ。
だからこの理屈にそぐわない行為をすれば何処かに破綻をきたすのは実は当たり前の結果だったりするんだ。
海外の大物ミュージシャンとか有名な俳優とかスポーツ界のスーパースターとかよく何処々に多額の寄付をしましたなんてニュースでやってたりするだろう?
あれはこの法則を知っているからだ。
財閥と言われるところの連中も同じ事で例えば難病の研究に莫大な基金を提供したりとか聞いた事あるだろう?
例えば君の遠い親戚が莫大な資産を残してこの世を去ったとする。
そして巡り巡って君にも10億円の遺産が転がり込んできたとしよう。
さて、そんな時の君の心理状態はどうだろう。
やった、いきなり大金持ちだって喜ぶのは当たり前だが不安な気持ちにもなるんじゃないか?
だけどその時その半分の5億円を世の中に寄付したとする。
それでも5億円残るんだから大金持ちには変わらないが何となく安心感も得られる筈だ。
その安心感は何処から来るんだっていう話だ。
普段の理屈じゃ説明出来ないだろう?
独占する事によって罪悪感を感じるからっていうのは理屈になっているようで全然なってないからな。
宇宙の理屈は宇宙の法則を作り俺達はその中で生きている事を忘れてはならない。

ろくでなし

類は類を呼ぶとよく言うが正確には類は友を呼ぶが正しいことわざのようだ。
俺も誤用する事が多かったがこの日記を読んでくれている人も大勢いるので今後は少し気をつけなきゃななんて反省している。
とは言ったものの内心はそんなの意味が通じりゃ何でもいいんだよなんて思っている所が俺のいい加減な性分であったりする。
そんな俺の周りには何故かいい加減な奴が集まるから不思議だ。
まさに類は友を呼ぶだ。
うちを根城にするバンドマンの中にも相当いい加減な奴等がいる。
そんないい加減でよく生きてこれたななんて俺が脱帽するくらいの猛者が大勢いるから呆れてしまう。
こいつ等は先ず時間にルーズだ。
約束の時間を守る確率は宝くじで3億円当たるのと同じくらいに奇跡的な事だと思わなければならない。
そして、金にもだらしがない。
いい歳こいて10円しか持ってないくせに飯食いに行こうとか言うから恐ろしい。
極めつけは自分の言った事を忘れてしまうという大技を持っている所だ。
これは俺の得意技でもあるんだが相手に与えるダメージも大きかったりするのでフィニッシュホールドになる場合もある。
その人との仲がフィニッシュする危険性も多分にあるので技をかける時には注意が必要だ。
自分の周りにこれだけろくでなしが集まるという事はやはり俺がろくでなしだという事なのだろうか?
自分自身、そこまででたらめとは思っていないのにおかしな話だ。
だが、自覚が無い所が救いのような気がしないでもない。
俺は適当に生きりゃあいいやなんて思った事は金輪際一度も無い。
だがちょっと何かが抜けているという事は稀にある。
この稀の部分が傍から見れば多いという事なのだろうか?
納得出来ないが百万歩譲って一応認めよう。
だとしたらこれは優先順位の問題だ。
自分にとってやらなきゃならない事をランク付けして上位にランクインされたものから順にこなしていけばどうしても後まわしにしなければならないものが出て来るのは仕方が無い。
その勢いで後まわしの積りがほったらかしというのは人としての御愛嬌だ。
例えばヒット曲のベスト10とかやってても9位、10位の曲なんて流さない場合も結構あるじゃないか。
あれと同じだ。
かなり強引な理屈のようでなんだか墓穴を掘ってるような気もしないでもないが人生なんてそんなもんだ。
手を抜いているんじゃない。
精一杯生きりゃあいいんだよ。
結果より過程を重んじるのが俺の生き方だ。

音楽オタク

所謂オタクと言われる人達の中には勿論音楽オタクもいるわけだが俺はどうもこういう人達とは反りが合わないようだ。
俺としてはへぇ~そんな事まで知ってんだなんてその探究心に関心してしまう事もあるのに向こうからすると多分俺みたいなタイプは要注意な人物なんだと思う。
それは相手の目を見りゃ分かる事だ。
だってそういう奴って大抵目が泳いでるもんな。
何をびびってんのか知らないが自分等のテリトリーの中には入って来てもらっては困るって事なんだろう。
俺は自分の事を音楽オタクと思った事は勿論無いが音楽好きな事には変わりが無い。
だが、彼等からすると別物なんだろう。
何処が別物かというとおそらく音楽に対する姿勢のような気がする。
俺は気持ち良ければ何でもO.K、かっこよければ何でもO.K、面白ければ何でもO.Kといういたって分かりやすいというか単純なスタンスだ。
だが俺の受ける彼等の印象は明らかに違う。
知識というか頭で音楽を聴いているとしか思えない。
要するに音楽インテリっていう部分に誇りを持っているんだと思う。
だから動物的感覚で音楽を聴いていると察するであろう俺みたいなタイプには同調はおろか軽蔑すらしたくなるんじゃないかと思うんだ。
こんな事を考えているといつもの事ではあるがだから日本人は駄目なんだよってなってしまうんだ。
この場合の駄目はダサくてどん臭いって意味だぞ。
だってそうだろう?
音楽って音を楽しめりゃそれでいいんじゃないのか?
うきうきしたり感動したり奮い立たされたり感慨にふける事が出来たり色々感じられればそれでいいじゃないか。
そこに知識がどうたらこうたらなんて入り込む余地は無いんだよ。
ああ、こんな話してる事自体が馬鹿馬鹿しいよ。
そこら辺に有る物を叩いたら音がする。
叩く物によって音が違う。
これを組み合わせて叩いたら何だか楽しくなってくる。
何で楽しくなるのかなんて考えたって仕方の無い事だ。
だって本能に訴える衝動なんだから。

人生の醍醐味

暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、馬耳東風、猫に小判、秋風耳を過ぐ、牛の角に蜂、豚に真珠、犬に論語、豚に念仏猫に経、糠に釘と例えは違えど同じ意味だ。
世代による価値観の違いと言ってしまえば少しは聞こえが良いがそれで済ませてしまって本当に良いのだろうか?
何の話だか分からないって?
ああ、すまんすまん、今の若い子達に対しての俺の思いだよ。
今迄この日記でも散々言ってきたような話を身近な青年にしてみた時の反応がまさに暖簾に腕押しなんかの例えそのものだったんで呆れてしまったんだ。
いや、呆れたというのを通り越して悲しいよりもっと酷い絶望まで行き着いた気持ちだ。
まだ二十歳前後の青年ではあるが俺の感覚からすると小学生位の発想にしか思えなかったんだ。
彼が言うにはとにかく何もしないで生活出来る事が目標らしいのだ。
確かに俺も子供の時にそんな事を考えていた時期はある。
貨幣価値が大きく違って尚且つ金利の高い国にまとまった金を持って移住して利息で生活出来れば最高じゃんとかさ。
ませたガキならそのくらいの事は頭に浮かぶものだ。
今のスリランカ、当時セイロンと呼ばれていたこの島ではそれが可能だった筈で小学生だった俺の目標がこのセイロンに移住する事でもあったのでそんな気持ちも理解出来ないわけではない。
だが小学生の頃の話だ。
生きるという事、人生の意味も分からない遠い昔の話だ。
これをまさか二十歳前後の青年の口から聞く事になるとは思いもしなかった。
それも金利がどうの移住がどうのとか具体的な方法とかも無しにただ漠然と何もせずに楽したいだけって事なんだ。
そしてこの話を別の青年にしてみるとそれは十分理解出来るし最近の若い連中だったらそんなに珍しくないという返事が返ってきてしまった。
そうなのか?
お前等ってそういう連中なのか?
もし本当にそうならもうこの日記は読むな!
そして、うちの店にも来るな!
序に日本から出て行け!
お前等の行き場は太平洋のど真ん中だ。
そこで思いっきり飛び込んでみろ!
海の中は気持ちいいだろう?
よかったな、そのままずっと居ていいんだぞ。
たった一人でな。
望み通り何もしなくていいからな!
二度と帰って来るなよ!
ってそういう事を言っているのと同じなんだよ。
何もしなくていい楽な生活っていうのは何かして楽じゃない生活があるから成り立つんだよ。
降って湧いて来るものと思ったら大間違いだ。
何かして楽じゃない生活をしてもしかしたら人生の最後にそんな時があるかもしれない。
そんなものは人生のおまけみたいなもんなんだよ。
そうじゃなくて楽じゃない毎日を如何に有意義に過ごすかが人生の醍醐味なんだよ。
醍醐味っていうのは本当の面白さって意味だぞ。
その醍醐味を知ったら楽じゃない事も楽しい毎日になるんだよ。
もうちょっと人生を深く考えてみろよ。

貴重な待ち時間

あれっ、日記を書く積もりでパソコン開いたままいつの間にか気を失う様に眠っちまったみたいだな。
実は昨日は殆ど寝れなかったんだよ。
というよりも無理して寝なかったんだけどね。
理由は寝ないで病院へ行って来たからなんだ。
それも名前に大学病院って付いてるでかい所だ。
ああいう病院って早く行って受け付け済ましとかないとどれだけ待たされるか分からないっていうから俺みたいな生活サイクルの奴は寝ないで行くしかないんだよ。
自分が診察受けるんなら不眠状態ってのは何かと支障があるかと思うがまぁ今回は彼女の付き添いというか運転手みたいな役目で行ったんだ。
女性ってそれなりの歳になると男には無縁な病気が色々あるみたいでさ。
受け付けを済ましたのは朝の10時過ぎだったんだが1時間以上経ったのに一向に名前を呼ばれない。
こんなのはおそらく序の口なんだろうな。
なんて思いながら更に待つ事数十分、やっと彼女の順番が回って来たようだ。
そしてここからがまた非常に長い。
・・・・・・・暇だ。
暇すぎる。
携帯でもいじくってニュースとか観とけば暇潰しになるんだろうが此処は病院だ。
電源は落とすのがルールだ。
それにしてもさっきからやたらに視線を感じるな。
そうか、皆時間を持て余してるもんだからマンウォッチングに勤しんでいるわけか。
ならば俺もそれに習う事にしてみよう。
ふ~む、やっぱりこういう場所の空気は重い。
こういう所ってやっぱりそれなりに皆辛かったり苦しかったりするから来ているのは理解しているがそういうネガティブな空気を俺にぶつけるのは止めて欲しいよ。
実はさっきからずっと俺を睨み付けてる車椅子の爺さんが居るんだ。
体の弱ってる人に何見てんだよ、俺に何か文句あんのかとは言えないし困ったもんだ。
斜め前では婆さんが3人座っているんだがこの人達だけは妙に明るいオーラを出している。
多分此処に通う内に仲良くなったんじゃないかと推測出来る。
両脇の二人は杖を持っているのに中央の太った婆さんだけが短い筒の様な物を持っている。
だが両膝にはガチガチにサポーターが巻かれているって事はリハビリの最中って事かな?
なんて思っていると3人が立ち上がる気配だ。
っとその時シャキーンという音と共に中央の婆さんの短い筒が一気に伸びた。
ゲッ、折りたたみ式の杖かよ。
見とれている俺を尻目に婆さんのふん、なめんじゃないよって勝ち誇った視線が眩しい。
そんな中、一人の痩せた御婆さんに注目してみる。
白髪頭を思い切って短髪にしたようなボーイッシュなヘアスタイルがお似合いだ。
凛とした佇まいが品の良さを感じさせる御婆さんだ。
昔はこういうタイプの女性が実に多かったように思う。
穏やかな笑顔の中に一本芯が通っているというか背筋が伸びているというか。
要するに女性特有のしなやかさと強さを併せ持ったタイプだ。
自分の母親がそうなのでこういう老人を見かけるとついついダブって見えてしまうのは俺も人の子だという証なのかもしれない。
この御婆さんも随分苦労してきたんだなと察する事が出来るのはその手を見れば分かる。
か細い中にも刻まれた沢山の皺と青白く浮き上がった血管が全てを物語っている筈だ。
お待ちどう様という彼女の声。
ひたすら硬い椅子に座り続けていただけだが貴重な数時間を過ごせたような気がする。

若さの特権

NHKの大河ドラマとして今放送している坂本龍馬の話は確かこの間したような気がするが懲りずにまた聞いてくれ。
土佐から江戸に剣術修行に来ていた龍馬は黒船を目撃する事になる。
そしてあんな途轍もなくでかいものに自分が打ち込んでいる剣術なんか通用する筈がないと悩み落胆する。
そんな思いを師匠に見透かされた彼は一喝を受け道場を飛び出してしまう。
そうこうしているうちに黒船に乗り込んで世界を見てみたいと密航を企てる吉田松陰に出会い自分も連れて行ってくれと懇願するんだが見事に突き放されここで彼の悩みを払拭する言葉を貰う事になる。
お前のやるべき事は何なんだ?答えは既にお前の心の中にある。
もう放送が始まって7週目位になるが俺の中では一番インパクトの有ったシーンだった。
この一言で龍馬は剣の道を究めるという事は剣術で誰にも負けないように強くなるという意味ではなく心を磨く事なんだという心境に辿り着くわけだ。
俺はどうも時代劇というとそれはそれで面白い物もあるが全てが勧善懲悪でどれを観ても同じストーリーにしか思えないっていうイメージが有ったんだが龍馬伝はこんな固定概念をぶち壊してくれたようだ。
他にも龍馬を観ていて非常に感銘を受ける所は彼が常に好奇心旺盛だという部分だ。
実際に彼を傍から見ていた人達は子供っぽくて危なっかしいと思っていたんじゃないかと推測されるが俺はそうは思わない。
この好奇心の塊りの様な部分を実践してしまう所が彼の器のでかさでありこれが有ったからこそ日本を変える事が出来たんだと思うんだ。
いつの時代のどんな状況の中でもやっぱりこの好奇心という物が新しい時代を切り開いていくんだと痛感させられた。
さて、それでは現代の坂本龍馬はというとこれがパッと浮かばない。
今は情報社会なんだからそんな奴がいればそれなりの情報は入って来ていてもおかしくはない。
それが無いって事はそこまで際立った奴が居ないのかもしれない。
これを読んでくれている皆は今の日本ってどう思っているんだ?
満足なのか?
まともな世の中だと思っているのか?
言っとくが俺はいつ崩壊してもおかしくないって思ってるよ。
だから微力ながらここからメッセージを送っているんだ。
俺も未だ若い積もりだけど皆には俺より数倍大きな可能性があるんだ。
若いって事は何でも出来るって特権があるんだぞ。
君等は日本を引っくり返す事だって出来る可能性を持っているって事を知っておいて欲しいな。

オリンピックの本質

俺が仕事から帰るのは大抵夜中を通り越した限りなく朝に近い時間だったりする。
そんな時間に帰ると家では彼女が冬季オリンピックを真剣に観ているというのが最近の我家の風景になっている。
そんなわけで俺も仕方なくと言っては失礼だが毎日オリンピックを一応は観る羽目になっている。
だけど相変わらずだよな、メダル、メダルって。
確かに世界中ひっくるめての1、2、3番だから途轍もなく凄い事なのは分かるが4番だって5番だって10番目だって物凄い事に変わりはないと俺なんかは思っちゃうんだけどなぁ。
メダルっていう形に残る物を貰えるって所に拘りすぎなんじゃないかな?
これがもし1、2、3位でもメダルが貰えなければどうなんだろう?
逆に1位から10位までがメダルが貰えるってなったらどうなんだろう?
いや、もっと極端に参加者全員が貰えるって方が分かりやすいな。
どっちの場合でも選手のモチベーションは下がるのかな?
そう考えると元々の参加する事に意義が有るっていうオリンピック精神も怪しいもんだって事になってしまうよな。
こんな話をしていると人間って空しい生き物だって思っちゃうのは俺だけなのかな?
俺達は資本主義の国で生きているわけだからやったらやったなりの報酬を受け取ろうと思うのは当たり前の事でありシステムでもある。
だけどそれをそのままスポーツの祭典に当て嵌めるっていうのはちょっと疑問符を付けたくなる。
なんで当て嵌まるんだって?
だって金銭がメダルになっただけじゃないか。
言っとくが俺はそれを否定しているわけじゃないんだ。
そうじゃなくて奇麗事で誤魔化すなって事だ。
いいじゃないか皆メダルの為にやってんだって言えば。
オリンピックの精神はメダルを取る事だって言えばいいじゃないか。
ちっとも恥ずかしい事じゃないのになにかっこ付けてんだよ。
実際、メダル獲ったら国から報奨金が出る国だって幾つも有るんだし。
或る選手が自分のベストを尽くせたから満足ですって言いながら涙を流していた。
その選手は4位だったんだ。
俺はメダルを獲る為に一生懸命やってきたのに獲れなくて悔しいって言って欲しかった。
というよりも言わせてあげたかったよ。
そういう事を言えない空気を作ったのは誰なんだ?
明らかに選手じゃないよな。
運営する側やマスコミや世間一般の人達だろう?
胡散臭い。
スポーツってもっと清々しいものの筈だ。
メダル争いに参加出来なかった選手なんか話題にもならないしテレビにも映りゃしないし。
参加する事に意義が有るって参加したら皆同じ評価をしなけりゃおかしな話じゃないか?
どうだ?1回メダルなしでやってみたら。
オリンピックの本質が見れる事になるぞ。

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