暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、馬耳東風、猫に小判、秋風耳を過ぐ、牛の角に蜂、豚に真珠、犬に論語、豚に念仏猫に経、糠に釘と例えは違えど同じ意味だ。
世代による価値観の違いと言ってしまえば少しは聞こえが良いがそれで済ませてしまって本当に良いのだろうか?
何の話だか分からないって?
ああ、すまんすまん、今の若い子達に対しての俺の思いだよ。
今迄この日記でも散々言ってきたような話を身近な青年にしてみた時の反応がまさに暖簾に腕押しなんかの例えそのものだったんで呆れてしまったんだ。
いや、呆れたというのを通り越して悲しいよりもっと酷い絶望まで行き着いた気持ちだ。
まだ二十歳前後の青年ではあるが俺の感覚からすると小学生位の発想にしか思えなかったんだ。
彼が言うにはとにかく何もしないで生活出来る事が目標らしいのだ。
確かに俺も子供の時にそんな事を考えていた時期はある。
貨幣価値が大きく違って尚且つ金利の高い国にまとまった金を持って移住して利息で生活出来れば最高じゃんとかさ。
ませたガキならそのくらいの事は頭に浮かぶものだ。
今のスリランカ、当時セイロンと呼ばれていたこの島ではそれが可能だった筈で小学生だった俺の目標がこのセイロンに移住する事でもあったのでそんな気持ちも理解出来ないわけではない。
だが小学生の頃の話だ。
生きるという事、人生の意味も分からない遠い昔の話だ。
これをまさか二十歳前後の青年の口から聞く事になるとは思いもしなかった。
それも金利がどうの移住がどうのとか具体的な方法とかも無しにただ漠然と何もせずに楽したいだけって事なんだ。
そしてこの話を別の青年にしてみるとそれは十分理解出来るし最近の若い連中だったらそんなに珍しくないという返事が返ってきてしまった。
そうなのか?
お前等ってそういう連中なのか?
もし本当にそうならもうこの日記は読むな!
そして、うちの店にも来るな!
序に日本から出て行け!
お前等の行き場は太平洋のど真ん中だ。
そこで思いっきり飛び込んでみろ!
海の中は気持ちいいだろう?
よかったな、そのままずっと居ていいんだぞ。
たった一人でな。
望み通り何もしなくていいからな!
二度と帰って来るなよ!
ってそういう事を言っているのと同じなんだよ。
何もしなくていい楽な生活っていうのは何かして楽じゃない生活があるから成り立つんだよ。
降って湧いて来るものと思ったら大間違いだ。
何かして楽じゃない生活をしてもしかしたら人生の最後にそんな時があるかもしれない。
そんなものは人生のおまけみたいなもんなんだよ。
そうじゃなくて楽じゃない毎日を如何に有意義に過ごすかが人生の醍醐味なんだよ。
醍醐味っていうのは本当の面白さって意味だぞ。
その醍醐味を知ったら楽じゃない事も楽しい毎日になるんだよ。
もうちょっと人生を深く考えてみろよ。
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