類は類を呼ぶとよく言うが正確には類は友を呼ぶが正しいことわざのようだ。
俺も誤用する事が多かったがこの日記を読んでくれている人も大勢いるので今後は少し気をつけなきゃななんて反省している。
とは言ったものの内心はそんなの意味が通じりゃ何でもいいんだよなんて思っている所が俺のいい加減な性分であったりする。
そんな俺の周りには何故かいい加減な奴が集まるから不思議だ。
まさに類は友を呼ぶだ。
うちを根城にするバンドマンの中にも相当いい加減な奴等がいる。
そんないい加減でよく生きてこれたななんて俺が脱帽するくらいの猛者が大勢いるから呆れてしまう。
こいつ等は先ず時間にルーズだ。
約束の時間を守る確率は宝くじで3億円当たるのと同じくらいに奇跡的な事だと思わなければならない。
そして、金にもだらしがない。
いい歳こいて10円しか持ってないくせに飯食いに行こうとか言うから恐ろしい。
極めつけは自分の言った事を忘れてしまうという大技を持っている所だ。
これは俺の得意技でもあるんだが相手に与えるダメージも大きかったりするのでフィニッシュホールドになる場合もある。
その人との仲がフィニッシュする危険性も多分にあるので技をかける時には注意が必要だ。
自分の周りにこれだけろくでなしが集まるという事はやはり俺がろくでなしだという事なのだろうか?
自分自身、そこまででたらめとは思っていないのにおかしな話だ。
だが、自覚が無い所が救いのような気がしないでもない。
俺は適当に生きりゃあいいやなんて思った事は金輪際一度も無い。
だがちょっと何かが抜けているという事は稀にある。
この稀の部分が傍から見れば多いという事なのだろうか?
納得出来ないが百万歩譲って一応認めよう。
だとしたらこれは優先順位の問題だ。
自分にとってやらなきゃならない事をランク付けして上位にランクインされたものから順にこなしていけばどうしても後まわしにしなければならないものが出て来るのは仕方が無い。
その勢いで後まわしの積りがほったらかしというのは人としての御愛嬌だ。
例えばヒット曲のベスト10とかやってても9位、10位の曲なんて流さない場合も結構あるじゃないか。
あれと同じだ。
かなり強引な理屈のようでなんだか墓穴を掘ってるような気もしないでもないが人生なんてそんなもんだ。
手を抜いているんじゃない。
精一杯生きりゃあいいんだよ。
結果より過程を重んじるのが俺の生き方だ。
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