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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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過去の恋人2

じゃあ、昨日の続きにするか。
今付き合ってる人がいるのに前の彼女から復縁を迫られたらどうするかの答えを絞って2つ残ったのがこれだ。
1、電話にも出ないで無視する。
2、もう別れたんだから二度と電話して来んなとはっきり言う。
このどっちかを選ばなくちゃいけないんだったな。
だけど皆はもしかして3のまんざらでもないような振りをしてあんまり傷付かないようにするっていうのを選びたかったんじゃないか?
おそらく頭で思っているだけじゃなくて実際にこんな瀬戸際に追い込まれた時はそんな行動をとる人が多いんじゃないかと思う。
その理由は簡単だ。
それが一番楽だからだよ。
そして、自分がいい人でいられるからだよ。
嫌らしい話だが人間ってのはそんなもんだ。
これももしかして身を守る防衛本能の一つなのかもしれないな。
だが、今回の話の中心であるT君は男のロマンを追及する人だ。
彼がそんな中途半端な行動を好むとは思えない。
っていうとやっぱり2なのかな?
だけど相談相手として2を薦めるにはちょっと気になる事があるんだ。
彼のその元彼女というのは確か物凄く孤独な境遇に居た筈で身寄りも殆ど居なかったような気がする。
そういう人を突っぱねるっていうのは結構精神的にキツイよな。
それがその人の為だって頭の中では分かっていても頼って慕って来ているわけじゃないか。
それを足蹴にするような事ってそう簡単に出来るもんじゅあないぞ。
そしてもう一つの電話にも出ないで無視するっていうのはどうなんだろう?
これも中途半端と言ってしまえばそうなのかもしれない。
だけど友人からのアドバイスとしてはこのどっちかから選んだらという所迄しか言えないよな。
当人同士がどういう付き合い方をしてどんな別れ方をしたのかなんて細かい所迄知ってるわけじゃないし敢て詳細を訊くっていうのもちょっとどうかと思うし。
・・・・・なんて無難な終わり方をしたんじゃどこにでも転がってる面白くも何とも無いブログと変わんないよな。
ここはやっぱりズバッといっとくか。
こうやって悩むって事は少なからず前の彼女に対する愛情が残っているのかもしれない。
だったらそれが愛なのか情なのか確かめてみてもいいんじゃないか?
そして、それが愛と感じるんなら今の彼女とどちらを選ぶのかケジメを付けなければならない。
結局誰かが傷付くわけだが恋愛というのはそういうもんだ。
って事で俺がT君に薦めるのは最も危険を伴う4の取り敢えず会ってみるだ。
人を傷付ける事が怖いんなら恋愛なんかする資格は無い。
綺麗事だけで済むんなら悩む奴なんていないんだよ。
自分に正直に生きる事がやっぱり大切なんじゃないかな?
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過去の恋人

さてと、今日は何の話をしようかな。
皆が大いに興味のある恋愛の話でもしようか。
俺の友人にT君という人がいる。
彼はもうそこそこの歳なんだが今でも恋愛に関してはお盛んなようで偶に会うとその度に付き合っている人が違っていたりするんだ。
だからといって決して遊び人というわけではない。
常に恋人には誠心誠意尽くすタイプだと俺には感じる。
そんなT君と話していて彼の口からよく出るのが俺は浮気はしないんだという言葉だ。
そういうスタンスは俺も全く同じだ。
いくら相手がころころ変わってもそういう姿勢は貫けるんだという事は俺自身重々承知している。
この話は少し前にもしたが俺の場合は父親の影響がでかい。
子供は父親の背中を見て育つというがそんな典型的な例かもしれない。
そしてこれが俺にとっての男のプライドの一部に確実になっていたりするわけだ。
おそらくT君にとってもそこは男として譲れない所なんだろう。
そんなT君の悩みは最近、昔の彼女から頻繁に電話が掛かってくるようになった事だという。
どうやら復縁を迫られているらしいんだ。
他人事とはいえ旧知の仲のT君が困っているのを知って見て見ぬ振りは出来ないので俺も色々考えてみた。
選択肢は大体こんなものだろう。
1、電話にも出ないで無視する。
2、もう別れたんだから二度と電話して来んなとはっきり言う。
3、まんざらでもないような振りをしてあんまり傷付かないようにする。
4、取り敢えず会ってみる。
5、取り敢えず一発やってから考える。
6、二股をかける。
彼の性格からすると5と6は先ず有り得ない筈だ。
ここからが結構難しいな。
クイズ$ミリオネアだったらライフラインのフィフティフィフティといきたい所だ。
男のプライドを重視するとなると3はパスだな。
4というのは非常に危険だ。
会ってしまえば情が残っていた場合、お互いが辛い思いをするだけになってしまうかそのままズルズル行ってしまう恐れもある。
となると1か2しか無いのか。
う~む、皆もちょっと考えてみてくれ。
続きは次回だ。

ツイッターってどうなんだ?

或る企業が調査したところによるとツイッターの利用率は8.2%だそうだ。
これは15歳から64歳迄のネットユーザーのみを対象にしたものなので国民全体のというわけではないが思ったより数字が低かったんでホッとしたよ。
最近はミクシーよりツイッターだよねって声をよく聞いていたので意外と言えば意外だ。
俺は個人的にはミクシーもツイッターもやらないがうちのスタッフでツイッターをやってる奴がいるんでちょっと覗かして貰ったんだ。
はっきり言ってわけがわからん。
あれの何処が面白いんだ?
確かに情報ツールとしてはスピードと広範囲という意味で物凄く便利なのは分からんでもない。
だから宣伝効果という意味でも理解出来る。
だけど、それなら利用率が今の10倍位になってからじゃないとそれ程の効果は期待出来ないんじゃないかな?
どうなんだろう?
10倍位になるのかな?
それから、これって単なる呟きみたいな部分もあるけど要するに誰かとコミュニケーションとりたいんだろ?
そりゃそうだよな。
本当の呟きなら活字にして人に見て貰う必要なんてないもんな。
このブログだって毎日大勢の人が読んでくれてるのを知ってるから真面目に書いてるんだもんな。
だけどツイッターで「このラーメン上手い!」とか「今くしゃみしました」とか「醤油買い忘れた」とか「パオーーン(ぞうさんのまね)」とか「お腹ぺーっこぺこ!」とかそんな事書いてどうすんだよ!
だからどうしたってんだよ馬鹿!
お前等キチガイかよ、まったく!
こういうのもやっぱり集団心理で皆がやってるから普通の事だと思ってるのかな?
ちょっと冷静に考えてみろよ。
まともな人間のする事じゃないぞ。
あんなのやってる奴らは全員精神異常者だ!
さっきも言ったけどツイッターは情報を素早く流すという意味においては画期的だ。
だけどこういうものを普及させようとするんなら使用目的をもっと明確にするべきなんじゃないかな?
使用目的を間違えると人間にとってマイナス面の方が大きくなるかもしれないだろう?
どうせそんな事より儲かりゃ何でもいいってスタンスで始めたんだろうけどね。
たばこだって喫煙は肺癌になりやすくなりますみたいな事が書いてあるじゃないか。
ツイッターは使用方法によってあなたの精神が異常をきたす恐れがありますとか他人とのコミュニケーションのとり方が下手になりますくらいの事は書いとけよ。

思い込み

思い込みとは誰にもあるものだが実はとても恐ろしいものだったりする。
こういう話の例としてよく出て来るのが宗教絡みのものだ。
輸血は教えに背く行為だからといってそれを拒否した為に死に至ってしまったなんていう話は今迄に何回もニュースとして報道された事もあるから知っている人も多いと思う。
イスラムの自爆テロだって彼等からすれば正しい行いという事になっている筈だ。
他教を一切認めないという所もあってそこなんかは邪悪なものという決め付けから他宗教の寺に火を点けまくったなんていう過去の事実も残っているくらいだ。
オウムにしても信者からすれば地下鉄サリン事件は正義の行いなわけだし。
ここまで言うと思い込みで人を殺したりしたって言うのかと猛反発が返って来そうだが例として出してるだけだから勘違いすんな。
話の本質を理解せずに文句だけ言うな。
そして、宗教に入っている人達は思い込みとは失礼なと思うかもしれない。
だが、俺もこう見えても宗教団体には入っていないが仏教徒の端くれだ。
いい加減な気持ちでこれを書いている積りは無い。
さて、話の続きだ。
それじゃあ、こういう心理っていうのは一体どこから生れて来るんだろう?
洗脳の一言で済ますのは簡単だ。
だけど、洗脳されるっていう事はされる側の心の奥底にその行為を肯定する心理が含まれていたっていう事にはならないだろうか?
良く言えば心の隙間と言えなくもないが実際はやはり深層心理として潜んでいたっていう方が正解のような気がする。
輸血拒否の件に関しては神の教えだからというよりもその神と言われる存在に従属する所に自分の存在価値があると遺伝子に刻まれていたんじゃないかな?
宗教絡みのテロっていうのも根源的法則は同じに思える。
深層心理っていうのは簡単に言えば無意識だが素質は持っているという事にもなる。
素質を持っている人に確信を持たせるのが洗脳という行為なんじゃないかな?
洗脳を辞書で調べれば主義、思想を根本的に改めさせる事と出て来る筈だが俺はそんな他動的なものじゃなく、もっと自発的部分を多分に持つものだと思うんだ。
だから全ての悪の根源は人の心にあると行き着く。
しかし、人間は悪の真逆の善も同時に兼ね備えている。
要は対極の法則だ。
だから人生は面白い反面、辛く悲しい事も同じ量だけあるのが普通なんだ。
今日は自分に降りかかる現象は全て自分の責任だという話を思い込みを例に出してしたかったんだが妙に難しい話になっちゃったかもしれないな。


孤独な君へ

どうも最近は孤独な若者が多いように感じる。
それも便利な世の中にする為に作り出した筈の携帯電話やインターネットの弊害と言ってしまっても既に否定する人はいないだろう。
だけどここまで普及してしまうと、もうよっぽどの事が無い限り状況は変わらないと思うし変える事も困難かもしれない。
だったら発想を少し変えてみよう。
確かに今ほどの事は無いにせよ若者に孤独はつき物とも言える。
それは何故かというと自分自身が常に大きく変化する時期でもあるからだ。
簡単に言えば発展途上だからだよ。
人間は死ぬまで発展途上とも言えるわけだがその中でも最も進化の早い時が若者と言われる歳のうちなんだ。
そんな時には自分の価値観というものも変わっていくんだ。
今迄自分がやってきた事は何だったのかとかあいつを友達だと思っていたがあいつの考えはおかしいとか今迄当たり前と思ってきた事に理不尽さを感じたりとか悩みも多くなる筈だ。
そして、世間に対する納得出来ない気持ちが募って孤独に陥ったりするもんだ。
過去の自分と今の自分の間の帳尻を上手く合わす事が出来ないんだよ。
だけど、そういう孤独とは向き合う事が大切だ。
決して逃げたり誤魔化したりしちゃ駄目なんだよ。
良く見る光景として孤独による心に出来た穴を埋める為に彼女や彼氏を作ろうとする人がいるだろう?
別に特別心を許しているというわけでもないのに妙に友達ぶるっていうのも同じ様なもんだ。
はっきり言ってそういうのはろくなもんじゃないぞ。
自分に嘘ついてるのと同じだから結果もろくなもんじゃないのは明らかなんだよ。
なにかそれなりの切欠があって穴埋めが本気になればそれはそれでオーケーだ。
でも、人間関係っていうのはデリケートだからそんな単純なもんじゃないって事は一応頭に入れておいた方がいい。
そんな穴埋めみたいな事を一杯やって痛い目に何度も会ってきた俺が言うんだから間違いないぞ。
まぁ、俺の場合はそれも人生経験だと思ってきたから後悔しないっていう腹積もりがあるんならやってみなって言うけどね。
話を戻すが孤独に陥った時はしっかり自分を見つめ直す事が出来るという利点がある。
そして物事の奥深い本質が見れるという時でもある筈だ。
こういう時に人は大きく成長するんだよ。
決して寂しくて辛いだけってわけじゃないんだ。
孤独を感じたら、ああ、成長出来る時がやって来たんだって思えば寂しくも辛くもないだろう?
それを乗り越えた時に感じる清々しさは君がまた一回り大きくなった事の証でもあるんだ。

教育し直しだ

最近はニュースもテレビよりネットで見る事が多くなったなあ~。
やっぱり自分の時間に合わせて見れるっていうのが最大の理由だがもっと知りたいみたいな時にその関連記事みたいなのも読めたりするのも利点だよな。
という事で今もネットニュースを見ていたんだが俺的には反応せずにはいられない記事を発見してしまったぜ。
タイトルは「服装乱れで生徒21人正座3時間」だ。
前にも言ったけど俺は中学の時にこの服装の乱れだとか髪型なんかの事で学校側と闘った経緯があるから最近のガキはこういう問題にどう対処するのか非常に興味があるんだ。
なになに?長髪や眉を細く剃っていた女子生徒に「男の気を引く為に高校へ来たのか?」ってほざいた教師がいただと?
まさかここで違いますなんて言ってないだろうな?
こういう時ははい、先生の言う通りですって堂々と言えばいいんだ。
女の子も高校生ともなればセックスの1回、2回は経験してて当たり前だろ?
処女なんていい年まで守っていたってホルモンのバランスが崩れるだけだぞ。
教師だったらそういう事を教えてなんぼのもんだろ?
コンドームの付け方まで教えていたらよりべターだ。
なのにこの教師は何なんだ?
これじゃあ高校生は恋愛しちゃいけないみたいじゃないか。
まったく馬鹿馬鹿しい話だ。
それでその21人には反省文を書かしてそれが出来上がるのに3時間掛かったから結果的に3時間の正座って事になったらしい。
って事はこの21人は教師の言い分に納得したって話だな。
ガキとはいえダサすぎるな。
そんな屁っ放り腰なら最初から大人しくしときゃあいいんだよ。どん臭ぇ。
だけどこの話にはもっとダサいオチが着いているんだ。
結局、この指導のやり方はおかしいっていうクレームがあったのかどうだかで教師側が生徒と保護者に謝罪したっていうんだ。
教育に対する信念も何も有ったもんじゃねえな。
生徒もダサいが教師はもっとダサいな。
こんな教師に教えられてるから生徒もダサくなるんだよ。
子供っていうのは物心ついた頃から世の中の矛盾というものに気が付き始めるんだ。
そして、純粋であればあるほどその矛盾に対して歯向かおうとするんだよ。
こんな時に大人がその歯向かって来る者を頭から押さえ付けようとしたらどうなるか。
子供は人生に対して諦めるという術を覚えてしまうんだ。
自分を通せば壁にぶち当たる。
そんな時は素直に諦めれば物事は無事に進んでいくってね。
学校っていうのはこんなカスみたいな人間を生み出す場所じゃない筈だ。
そういう事をこの教師は理解していない。
先ずは先生の方から教育し直しだな。

中途半端は目障りだ

ロックは愛の下に自由と開放を訴えるものだと思うがそれが分かっているようで実は勘違いしている人の方が多い事が残念だ。
この日記でも何回も取り上げて来た話だがやはり若い人には伝わりきっていないと思うんだ。
自分のやりたい事を行動で表すというのは素晴らしいんだがそれでやりっぱなしっていうのは話が違うんだ。
ケツは自分で拭くんだよ。
例えばイベントをやったとする。
内容的には凄く良かったんだが予定時間を大幅に過ぎてしまった。
お客さんも沢山入ったし店も儲かったんだから文句無いだろってそうじゃないだろ?
そのイベントの裏で自分の時間を犠牲にして何人も頑張った連中が居るんだから一言労いの言葉を掛けて帰るべきなんじゃないか?
面白いイベントだったら誰も文句は言わないよ。
だからって放ったらかしはかっこ悪いぞ。
有りがちな事としてこんなのもあるぞ。
世の中は腐ってるみたいな事を歌う奴ってロックやパンクと言われている連中には多いだろ?
だけど、自分がその世の中に背を向けたままじゃあ只の負け犬の遠吠えだよ。
世の中にしっかり向き合ってこそ本物の歌と言えるんだよ。
向き合うって事は自分の行動に責任も負わなけりゃならないんだ。
そして、責任を負うって事はケジメも付けていかなければ嘘になるんだよ。
それが出来ないんなら我がままな奴として吐き捨てられるだけだ。
その境界線に立たされた時に誰もが躊躇するんだ。
放ったらかしても別にいいんじゃねえのってね。
確かに一見その方が自由でロックなのかもって感じるかもしれない。
だが、それは錯覚だ。
甘ったれのガキのする事だよ。
楽な事だけしてんのと自由は似て非なりなんだ。
自由でいたい、ロックでいたいって思うんなら全ての責任はお前がとれ!
俺は社会の歯車になって生きる事を否定なんかしない。
そんな中でも幾らでも幸せを感じて生きる事は出来る筈だ。
だけど、そんな仕組みに反発を感じて自分の生き方を貫きたいっていうんなら先ずやるべき事は自分のケツは自分で拭く事だ。
中途半端は目障りなだけだ。

儚い一生

ジャイアンツの木村拓也コーチがくも膜下出血のため亡くなった。
37歳だった。
37歳って随分若いよな。
くも膜下出血っていきなりぶっ倒れて意識を失っちゃうんだろ?
周りの人達からすれば亡くなった事は当然悲しい出来事だけど苦しまずに人生を終えた事はせめてもの救いかもしれないね。
俺は最近、彼女の付き添いで病院に行く事が多くなった。
そこは総合病院なので単なる風邪の症状で来ている人もいれば重症患者も入院していたりするわけだ。
昨日も痩せ細って殆ど骸骨状態の老人が体に沢山の管を付けられて移動式ベットで運ばれていく場面に出くわした。
あれはいつか見た光景だ。
そう、俺の親父もあんな風に骨と皮だけになってあっちこっちに管を付けられていたなぁ。
家族は本当に辛いんだよ。
何が一番辛いかって元気な時の姿を知っているだろう?
それがどうしてこんな悲惨な状況になってしまったんだっていうギャップを目の当たりに突きつけられてそこから逃げられないって事が辛いんだよ。
なのに本人は必死で生きようとしているからこっちが辛い表情を見せるわけにもいかないだろ?
心の行き場が無いんだよ。
黙って見ているだけだもんな。
身内が苦しんでいるっていうのに。
だけど、その病院には産婦人科もあるから産まれたばかりの赤ん坊も見れるんだ。
ガラスで覆われた中には何人も新生児が並んでいるんだ。
あの子達を見ていると色んな事が思いつくから不思議だよ。
この子は将来何になるのかなとか10年経ったら顔も全然変わっているのかなとかね。
いずれ大きくなったらセックスをして今度は自分達が親になるんだよね。
そして、何十年と生きた後、あの老人のように痩せこけて体に管を沢山付けられる日がやって来るんだな。
やっぱり不思議な空間だよ、ああいう総合病院っていうのは。
人生の最初と最後が同時に見れちゃうんだから。
考えてみるとその間って数十年しかないんだよな。
赤ん坊は自分の人生が途方も無く長いものって感じているかもしれないけどね。
そして最期はああなるっていう自分の将来の姿が同じ建物の中で存在しているのに気が付かないでいるんだよ。
人の一生って何なんだろう?
自分では分かっている積りでもやはり儚さは拭い切れないもんだ。

デリケートで厄介な存在

この間、2012という映画を観て俺が今迄観てきた映画の中でワースト10には絶対に入るという話をしたばかりなのにまたまたそれに匹敵するどうしようもない作品を観る羽目になってしまった。
タイトルはファイトクラブだ。
そう、あの何年か前に話題になったブラットピット主演のあの映画だ。
ストーリーは現実に生きる自分と理想の中の自分が別々の人格となって存在しているという設定で進行する。
ここまではちょっとありがちだがそれなりに観れる。
だが、仲間を集めて破壊工作を始める所あたりからお決まりのハリウッド製駄目映画のパターンが始まってしまう。
そして、最後は殆どギャグとしか思えない程のお馬鹿で詰めの甘い奇麗事でジエンドだ。
実に情けない。
何がってこんな糞映画を観てしまった自分が情けない。
自分の意思で観ようと思って観たわけではないが最初から最後まで観てしまったって事は誰のせいでもない。
責任は俺にある。
今迄映画に捧げて来た愛情を自分で踏み躙ってしまったような感覚だ。
もう何年か前に或る人と俺の大好きな監督の映画を観に行った時の事を思い出す。
素晴らしい作品だったと感動に浸っていた俺は当然この人も同じ思いに違いないと自信を持って尋ねてみた。
「どうだった?」
帰ってきたのは信じられないような「ああ、つまんなかった。時間の無駄だったね。」という一言だった。
俺は、いや、あそこはこういう意味があるんだよとか何とか作品の弁明をしたかった気持ちを抑えて会話を閉ざした。
この出来事を切欠に少なくとも俺の中には二人の間に大きな壁がある事を感じずにはいられなくなったものだ。
自分の大好きなものを馬鹿にされるというのは許しがたい感情が沸きあがるものだ。
だけど、価値観は人それぞれ千差万別だ。
ファイトクラブだってそれなりにヒットしたと記憶している。
そして、酷評されたという話も聞いていない。
という事は作品を観て満足した人が大勢いたっていう事なんだと思う。
肝心なのはここからだ。
価値観は人それぞれだからそれはそれでいいんだと認めてしまうというのが一般的な意見かもしれない。
だけどその対象が映画みたいに大勢の人の心に影響を与えるものだったりした場合は違うんじゃないかと俺は思うんだ。
駄目な物は駄目と言うべきだ。
糞は糞だと言うべきだ。
それをしないで本質以外の部分でいい加減な評価しかしてこなかったからアメリカ映画の質が落ちたんだと思うんだ。
映画はその時代の文化と言っても差し支えないと思う。
だったらその時代に生きる俺達には俺達の文化を見極めて育てていく責任があると思うんだ。
これは音楽も含めた文化的存在全てに対しても当て嵌まるような気がするな。
価値観の相違というデリケートで厄介な存在はプラスにもマイナスにも左右する面倒な感情だという事は間違いない筈だ。

詰め込みすぎな世の中

複数の作業を同時に行ってもいつもと同じかそれ以上上手く作業をこなせる人の事をスーパータスカーって言うらしいぞ。
脳の構造からして普通はこういう事は有り得ないらしいんだが40人に1人は存在するらしい。
ふ~ん、そんなもんかな~?
俺なんかうんこしながら小便する事が出来るがこれは意味が違うのかな?
あ、そういえば飯食いながらうんこする事も出来るぞ。
遅刻しそうな時にはよくやるんだよって、おい!
何でうんこばっかりなんだ!
だけど電話しながらパソコン使ったりしてもべつに作業が捗らないとかって思わないけどな。
電話しながらオナニーするっていうのもあるがこれは意味が違うか。
飯食いながら新聞読むってのも効率が落ちるとは思わないが話が全然普通の事になってきたな。
飯食いながらテレビを観るなんていうのも誰でもやってるしな。
そうか、テレビを観る事って作業とは言わないのか。
だったら飯食いながら鼻糞ほじくるってのはありかな?
ってくだらなすぎるぞ、今日の話は。
だけど人間ってこういう複数の事を同時にこなす事で世の中を便利に生きられるって絶対に思ってるよな。
携帯電話の普及なんて間違いなくそうだろ?
ウォークマンなんかも典型的ないい例だよ。
でも本当は脳がそんな構造になってないって所が間抜けだよな。
実際はそれをこなす能力がないのに無理矢理詰め込もうとすればどうなるか。
結果は現代人を見れば分かる事だ。
キャパオーバーしてストレスが溜まりまくって挙句の果ては神経症だよ。
スーパータスカーはたったの2.5%しか居ないっていう調査結果が出てるんだからその2.5%に合わす必要性なんて無いんだよ。
もっと人間らしい生き方をしたいもんだと思っているのは俺だけか?

全ては君の為

早いなあ~、もう四月だもんな~。
ついこの間、別れと出会いの話をしたばかりだが新しい出会いを経験した人の中には新社会人も大勢居る事と思う。
どうだ?調子はって言ってもそんな事を悠長に語ってる余裕も無いっていうのが正直な所かもしれないな。
だけど、その余裕が無いっていうのにも二種類あると思うんだ。
一つは憶える事が一杯有ってそれ以外の所に思考能力を使えないという余裕の無さ。
そしてもう一方は理想と現実の大きなギャップに着いていけないで物事を前向きに捉える事が出来なくなってしまう余裕の無さだ。
前者なら勿論問題なしだ。
それだけ充実しているって事だからその余裕が無くなるほどパンパンな状態を大いに楽しむべきだ。
だが、後者の場合は君の発想を少しでも早く切り替える必要がある。
こういう状態をいつまでも引き摺っていると心の病になるからな。
そんな事言ったってどうすりゃいいのか分かんないって?
なかなか難しいって思うよな、普通。
だけど全然悲観する事はないぞ。
今からそんな事態を乗り切る幾つかの方法を教えてあげるよ。
先ず、今の状態がずっと続くわけじゃないって事を頭に叩き込むんだ。
どんな世界でも最初から何でもこなせる奴なんていないんだ。
夜の闇は永遠に続くものじゃない。
闇の向こうには必ず夜明けが来るんだ。
その夜明けが例外なくやって来る事を知っていれば全ては夜明けを迎える為の前段階って分かるだろう?
そして、上手くいかない事があっても決して他人のせいにしない事。
失敗したら先輩や上司が教えてくれなかったからなんて思っちゃいけない。
それは分からない事を訊かなかった君が悪いんだ。
遅刻をしたのは通勤に使うバスが渋滞に嵌ったからだとバス会社のせいにするのも駄目だ。
アクシデントに対応出来ない君が悪いんだ。
全ての結果の原因は自分にあると思わなければならない。
それを誰かのせいにしてしまえばあんな奴と同じ職場に居たくないなんて毎日ストレスの中で仕事しなきゃならなくなるだろ?
そんな憂鬱な職場に居たら暗くなるだけだ。
自分はミスをしたわけじゃないのに上司に怒鳴られたとしよう。
そこでその上司を嫌ったり恨んだりっていうのも止めた方がいい。
そういう時は自分には可能性があるから怒鳴ってくれたと解釈しろ。
可能性の無い奴に怒鳴っても仕方が無いとその上司も思っているよ。
そうか、あの上司は俺の為に怒ってくれたんだと感謝の気持ちまで持てたらよりベターだ。
ここまで気持ちを持ってこれた時にはもう毎日が楽しくて仕方が無いという所まで行っている筈だ。
自分の周りで起こる現象というのは全ては自分の責任だという事は知っておくべきだ。
そして、それは全ての結果も含むという意味でもある。
これは仏教の教えでもあるが宇宙の摂理でもあるんだ。
この事を理解しているかいないかで人の人生は大きく左右される。
同じ花を見て「なんだ、ただの花じゃないか。」というのと「ああ、何て綺麗な花なんだ。」っていうくらいの差が有ると思っておいた方がいい。
自分に降りかかって来るものを不幸な出来事と思っちゃいけない。
その全てが君の為だという事に気付くんだ。

イーブンな関係

もう随分前からずっと出演してくれているHというバンドがワンマンライブを行った。
今では年に1回しかうちの店に出る事はない。
何故かと言えば完全なキャパオーバーになってしまうからだ。
彼等にとってのステージは既にライブハウスの域を超えてしまったという事だ。
なのに年に1回は出演してくれるところが嬉しいじゃないか。
そんな彼等も長い下積み時代を経験している。
お客さんが殆ど居ない状態のライブが何回もあったのを憶えている。
そんな時に勿論、悩み苦しんでいたのは当然だがだからといって彼等は決して諦める事をしなかった。
そして、いつもそんなライブの中からでも何かを必ず掴んで帰っていったような気がする。
ライブの後にはバンドとの清算というものがある。
だが、彼等との清算は異様に長かった。
いや、実際の清算に費やす時間は短いんだがその後のミーティングが長いんだ。
俺も彼等をこんな小さな場所に閉じ込めておくのは罪だと思ったし飛び出して行って欲しいと願っていたのでとことん付き合う事にしたんだ。
そんな中で彼等が一つ要望を出したのを俺は今でも覚えている。
自分達が此処でワンマンをやる時が来たら必ず打ち上げには来てくれと。
俺はいつも仕事が終わるのが夜中を通り越して朝に近い。
だから打ち上げに誘われても殆ど行く事が出来ないんだ。
俺からも要望は出した。
人気が出ても決して調子に乗るな、調子に乗ったらそれが終わりになるからと。
彼等は未だに俺との約束を守ってくれている。
俺も彼等との打ち上げは必ず行くようにしている。
ライブハウスの人間は決して勘違いしてはいけない。
バンドはライブハウスのものじゃない。
バンドはバンドのものなんだ。
だからそのバンドが大きくなった時、俺達は送り出してやらなくてはならない。
バンドが大きくなるという事はそのバンドに力があったからにすぎない。
たとえ助言があったにせよそれを受け入れるか無視するかもバンドの力なんだ。
だから人気バンドが生まれたとしてもそれはライブハウスが偉いわけでも何でもないんだ。
俺達は常にイーブンな関係でなければならない。
上も下もないんだよ。
これを誰に向けて言っているのかは言われている側は分かる筈だ。
ロックの原点は何だ?
怒りと反発か?
それは表に出ているものだろ?
そうじゃなくてそのもっと奥にあるものだよ。
その奥には愛しかないんだよ。
それがあるから俺達はイーブンでいられるんだよ。

不自由な花見

東京は今が桜の季節のようだが俺は昔から花見というのはどうも好きになれない。
だからって桜を嫌いなのかと言えばそういう意味じゃあない。
寧ろ大好きかもしれない。
っていうか桜が嫌いな人なんて聞いた事ないけどね。
まぁ、捻くれていると言われてしまえばそれは的外れではないかもしれない。
だけど、俺的にはどうもあの皆がするから自分もしなけりゃいけないみたいな空気が大嫌いなんだよ。
右向きゃ右じゃあ個性もへったくれも無いだろ?
それも早朝から場所取りとかしちゃって滑稽なんだよ。
確かに桜の花が開いている期間は短いかもしれないけどだからってべつに無理して観に行く程の一大事ってわけじゃないだろ?
花は桜だけじゃないんだし花に触れたいなって思った時に無理なく出掛けりゃそれでいいだけの話じゃないか。
だいたいさ、普段から桜が観たくて仕方が無いってんならまだ分かるがそんな奴なんて居ないだろ?
夜桜観ながら飲む酒は美味いっていうのも分かってるよ。
だけど、狭い所に大勢集まって尚且つ早朝から場所取りしてって何か変だと思わないのかな?
冷静に考えたら阿呆だろ?
反発の声が沢山聞こえてきそうだけど阿呆は撤回しないぞ。
あっ!分かったぞ。
皆はピクニックとかってあんまりした事ないんだろ?
俺なんか年がら年中ピクニックしてたからな。
やっぱりピクニック経験が豊富だと無理して花見っていう感覚は有り得ない事なんだよ。
だって自然の美しさに触れながら開放感の中で宴会するのはいいけどそこは自由じゃなきゃおかしいだろ?
だったら無理してって時点で不自由じゃないか。
だから自由な花見はいいけど不自由な花見は阿呆だって言うんだ。
そこらへんを歩いてたら桜の綺麗な場所があったんで友達集めて花見したりなんて凄くいいと思うけど上野公園とかに何十万人も集まってっていうのは気持ち悪いよ、やっぱり。

辛い別れ

去年の今頃も確かこんな話をしたような気がするが4月というのは出会いと別れの季節でもある。
出会いというのはそれなりにわくわくしたりして不安もあるがまぁ楽しいものだ。
問題はもう一方の別れだ。
何が問題かってそれはやっぱり悲しかったり苦しかったりが問題だよな。
出来る事ならそんな気持ちには誰だってなりたくないもんな。
皆は一体今迄に何回辛い別れを経験しているんだ?
流石にゼロって奴は居ないだろうな?
学校を卒業して友達ともう二度と会えなくなったなんてのも別れには違いないもんな。
だけど一番辛い別れっていうのはどんな時だと思う?
それはやっぱり親との別れだと思うだろ?
でもそれは当たっているようで少し違うんだ。
親子の仲という部分は間違っていないがその親の側の方なんだ。
それも死に別れで親より子の方が先に死んでしまったりなんていう時がこの世における最も辛い別れになるんだ。
こういう状況を逆縁と言うんだがのた打ち回って発狂するくらいの辛さと思えばいい。
親が未だ健在なのに自殺なんか考えてる奴がいたらそれは自分の親を地獄の苦しみに晒す事になるんだと思った方がいい。
他に辛い別れといえば当然恋人や夫婦の別れというのもあるよな。
但しこっちの別れは肉親との別れと違って長い目で見れば悪い事ばかりではないとも言える筈だ。
それはその先があるからだ。
別れがあれば次の出会いがあるって事だよ。
だからそんな時はスパッと気持ちを入れ替えるに越した事は無い。
いつまでも情を引きずっていれば新しい出会いも始まらないしさ。
そして、もう一つの利点として別れが人を成長させるという面もある。
辛い思いを重ねれば重ねるほど人は優しくなれるもんだ。
心の痛みを知っているから他人の痛みも分かるようになるって事なんだろうね。
それが思いやりのある人間を形成していく事に繋がっていくんだと思うよ。
年寄りって若者に比べて見るからに優しそうな人が多いと思わないか?
それは辛い思いを沢山してきたからだよ。
そしてその原因には悲しい別れもいっぱいあった筈なんだ。
これが一番分かりやすい別れが人を成長させるという事の証だ。
棘だらけの心が丸くなるって事はそれだけ成長したって事だもんな。
だから君等も恋人と別れなければならないって時が来たら決して意味も無くずるずる引き延ばしたり適当に誤魔化そうとしたりしちゃいけない。
よくある何となく連絡を取り辛くして相手に気付かせようなんていうのは最悪だ。
それは相手を少しでも傷付けない為なんてそれらしい弁解も大嘘でしかない。
そんなのはただ単に自分を悪者にしたくない偽善者のする事だ。
しっかりその悲しさ、辛さと向き合わなきゃ駄目だ。
悲しかったら大声出して泣き喚けばいいんだよ。
その涙は君にとって心の財産になる筈だ。
生きる糧に必ずなってくれるよ。

壁の向こうに居る自分

今日は本当に久々に東京の外へ出た。
信じられない事だがおそらく2年ぶりくらいだと思う。
以前はバンドのツアーで海外にもちょくちょく出かけていたのに随分と行動範囲が狭くなった事が嘆かわしい。
そして、電車に乗ったのも久しぶりだ。
普段は原付か車での移動なので偶に電車に乗ると色々気付く事もあったりして或る意味面白いのだがやはり好きにはなれない。
何処がと言われればやはりあの重苦しい空気だ。
今日も向かいの席に座っていた女の子にずっと睨まれたりして意味が分からん。
べつにスカートの中を覗こうとしてたわけじゃないのに。
そこはやっぱり見えたらラッキーって気が無かったわけじゃないが.....。
それにしても相変わらず疲れた顔した人ばっかりだったな。
皆本当に今にも自殺でもしそうな表情だよ、まったく。
そういえば自殺する人って4月と5月が一番多いの知ってるか?
やはり環境の変化がありやすい時期だからなんだろうな。
新しい環境に馴染めなかったり友達や家族とも離れ離れになったりって事もあるしね。
そして、時間帯でいえば朝の5時、6時台が自殺のピークらしいぞ。
これは一応少しでも周りに迷惑が掛からないようにっていう配慮の積りなのかもしれないが迷惑の掛からない自殺なんて無いのにね。
だけど自殺者が年間3万人以上を12年間もキープしてるってのはやっぱり異常だよな。
1日にすれば多い日で100人以上だっていうから驚くだろう?
職業別だと如何にもという感じで管理職がダントツらしいぞ。
やっぱり上と下に挟まれて悩みも多いって事なんだろうな。
そんな中、意外なのはその男女比なんだ。
なんと3対1だってよ。
男の方が多いのは大方予想はついたがここまで差が有るとは思わなかったな。
女っていうのは根本的に男に比べて図太いもんだがこうやって数字を突きつけられると男が如何に情けない生き物かってのが分かるってもんだ。
今日はこんな暗い話になっちゃったけど自殺っていうのは当然の事ながら人間として最悪の行為だ。
そんな行動をとる人達は自殺をすれば全てがチャラになると思ってんのかもしれないがそれは大きな間違いだ。
自殺をすれば次に生まれ変わってくる時も同じ苦しみを味わう事になるんだぞ。
その時にまた自殺すればまたその次もだ。
これじゃあ一体何の為に生まれて来たのか分かんないじゃないか。
自殺する為に生れて来る事になっちゃうだろう?
生きる事より自殺する方が楽だと思ってそうするのかもしれないが生きていれば辛い事の後に必ず楽しい事がやって来るんだよ。
そう思えば辛さも楽しい事の前触れって割り切って乗り越えられるじゃないか。
何でもかんでも自分の思い通りにいくと思ったら大間違いだ。
思い通りにいかせてくれないのが人生ってもんだ。
辛い事があった時、壁にぶち当たった時はその向こう側を見ればいいんだよ。
向こう側に居る自分をイメージ出来れば乗り越えられない壁なんか何処にも有る筈ないんだよ。

初黒星

いやぁ、昨日は亀田とポンサクレックの試合を録画するのを忘れちまったぜ。
あの試合は亀田の本当の実力が試される最大の正念場だって事は分かっていたのに。
ボクシングを知っている人なら実力ではポンサクレックの方が全然上だと思っていた筈だ。
だけど特別な星の下に生まれたような光を放つ亀田ならもしかして勝てるかもなんて高を括っていたんだがやっぱり駄目だったみたいだな。
結果的にはこれで23戦して初の黒星って事だけどもしかして負けて良かったんじゃないか?
どんな世界でも本当に強い奴っていうのは負けを知らなきゃいけないもんだよ。
彼も誰もが認める真のナンバーワンを目指すなら良い勉強になったと思うよ。
ポンサクレックはその誰もが認めるナンバーワンだったんだから仕方ないよ。
キングの座は未だ未だ険しいって事だ。
また新たな目標が出来て今後が楽しみだと思えばいいんだよ。
ところで試合後に亀田の親父が立会人とレフェリーにいちゃもんをつけたらしいな。
毎回の事なんでああ、またかって感じだが今回の捨て台詞は強烈だ。
「採点がおかしいやんか、言い訳すんな!クビや!」
ってライセンス無期限停止処分中のあんたが言うなって。
「俺を怒らしたらどないなるか、覚えとけよ。おのれの首とったるぞ、こら!」
昔の極道ならまだしも最近のヤクザだってこんな事言わないぞ。
仁義無き戦いかよ、まったく。
だが、恫喝の後に一言洩らした「俺はもうどうでもええんや」という部分が泣かせる。
我が子の為なら自分はどんな酷い処分でも受けるというこの捨て身の親心が彼のいい味でもあるよな。
過去を辿れば息子達も随分と暴言を吐いてきたし次男の反則負けの試合は極めつけだ。
常識から言えばこんな無茶苦茶な親子は淘汰されても仕方が無いのかもしれない。
だが、皆知っているんだ。
親子って本当はこういうもんだって事を。
恥ずかしげも無く親父を称えて涙する息子達。
子を守る為に感情を剥き出しにする不器用な親父。
俺はやっぱり好きだよ、こういう親子って。
皆ちょっとスマートに振舞い過ぎだよ。
彼等みたいに感情をストレートに表に出せる人って実はとても魅力的だと思うんだ。
周りに迷惑を掛けるのは行き過ぎだけど気持ちはしっかり伝わるしさ。
人間は感情の動物って言うだろう?
だけど人間が動物と違うのはその感情をコントロール出来るという部分だ。
それは言い換えれば生きる知恵が感情を上回るという事でもあると思うんだ。
現代人と言われる我々はそれが正しいと心に刻み付けている。
でも、本当はそれを解き放つ事が出来るものならそうしたいと心の奥底で願っているんじゃないか?
だから、それを実践している亀田親子に人気が集まるんだと思うよ。
なんか朝青龍とそっくりだな。
人間臭い部分で人気はあるけど行き過ぎちゃって墓穴を掘る所がさ。
或る意味ロックな生き方ではあるよな。

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