思い込みとは誰にもあるものだが実はとても恐ろしいものだったりする。
こういう話の例としてよく出て来るのが宗教絡みのものだ。
輸血は教えに背く行為だからといってそれを拒否した為に死に至ってしまったなんていう話は今迄に何回もニュースとして報道された事もあるから知っている人も多いと思う。
イスラムの自爆テロだって彼等からすれば正しい行いという事になっている筈だ。
他教を一切認めないという所もあってそこなんかは邪悪なものという決め付けから他宗教の寺に火を点けまくったなんていう過去の事実も残っているくらいだ。
オウムにしても信者からすれば地下鉄サリン事件は正義の行いなわけだし。
ここまで言うと思い込みで人を殺したりしたって言うのかと猛反発が返って来そうだが例として出してるだけだから勘違いすんな。
話の本質を理解せずに文句だけ言うな。
そして、宗教に入っている人達は思い込みとは失礼なと思うかもしれない。
だが、俺もこう見えても宗教団体には入っていないが仏教徒の端くれだ。
いい加減な気持ちでこれを書いている積りは無い。
さて、話の続きだ。
それじゃあ、こういう心理っていうのは一体どこから生れて来るんだろう?
洗脳の一言で済ますのは簡単だ。
だけど、洗脳されるっていう事はされる側の心の奥底にその行為を肯定する心理が含まれていたっていう事にはならないだろうか?
良く言えば心の隙間と言えなくもないが実際はやはり深層心理として潜んでいたっていう方が正解のような気がする。
輸血拒否の件に関しては神の教えだからというよりもその神と言われる存在に従属する所に自分の存在価値があると遺伝子に刻まれていたんじゃないかな?
宗教絡みのテロっていうのも根源的法則は同じに思える。
深層心理っていうのは簡単に言えば無意識だが素質は持っているという事にもなる。
素質を持っている人に確信を持たせるのが洗脳という行為なんじゃないかな?
洗脳を辞書で調べれば主義、思想を根本的に改めさせる事と出て来る筈だが俺はそんな他動的なものじゃなく、もっと自発的部分を多分に持つものだと思うんだ。
だから全ての悪の根源は人の心にあると行き着く。
しかし、人間は悪の真逆の善も同時に兼ね備えている。
要は対極の法則だ。
だから人生は面白い反面、辛く悲しい事も同じ量だけあるのが普通なんだ。
今日は自分に降りかかる現象は全て自分の責任だという話を思い込みを例に出してしたかったんだが妙に難しい話になっちゃったかもしれないな。
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