東京都知事の石原慎太郎が、突然ともいうべきタイミングで辞表を提出した。
前回の都知事選挙って去年の4月だぜ。
こんなに早く辞めるんだったら立候補なんかすんなよって言いたいよな。
俺は、彼に投票しなかったから辞めてもらっても結構だが。
記者会見では、新党を結成して政界に復帰すると宣言した。
今の連中には、困窮する日本を立ち直らす力が足りないから自分が引っ張るって事らしい。
日本と中国の関係を目茶目茶にした張本人がよく言うよって言ってやりたいぜ。
日中関係がおかしくなった原因は、勿論尖閣諸島を野田首相が国有化するって言っちゃったところにあるわけだけど、そう言わざるを得なかったのは、石原が東京都が買い取るって言い出したのを阻止する為でもあったんだからね。
尖閣諸島は、お互いの歴史認識の違いからとてもデリケートな存在なのは、両国とも認識していたんだ。
だから、古い世代が、未来の有能な人達に託しましょうって棚上げしていたのは、俺でも知ってたよ。
それを中国との相談も無しに一方的に買い取るって言い出したのが石原だ。
もうちょっと平和的なやり方があったろうに。
そして、中国内では、当然のように過去最大の反日運動が起こり日中両国経済にも大きなダメージを与える結果になってしまった。
石原は、尖閣を国が国有化しちゃったから自分が政界に戻って監視するって言ってるよ。
中国って国は、確かに周りの国を侵略して国土を拡げてきた国だ。
だから尖閣を切欠に日本もいずれ中国に侵略されるんじゃないかと彼は危惧してるんじゃないかと思うんだ。
それで先手を打つ積りで東京都が買い取るなんて言ったんじゃないかな?
彼なりの愛国心は、よくわかるよ。
だけど、その手法が独善的過ぎるんだよ。
オリンピックの招致に関してもそうだ。
都民の大半は、しらけていたじゃないか。
独りよがりもいい加減にしろって言いたいよ。
確かにカリスマ性があるのは認める。
でもカリスマも独善的になり過ぎるとアドルフ・ヒトラーみたいになっちゃうからね。
今の日本でカリスマ性を感じるのは、石原と橋下とビートたけしと王さんくらいのもんだ。
橋下は、物凄い実行力があると思うが、石原を尊敬しているって所が危ない気がする。
たけしは、アーティストだから別ジャンルだし。
王さんが政治家になって総理大臣になったら日本も良い国になると思うけどね。
一昨日の呼びかけは、届かなかったのだろうか?
日本中に2万人いると言われるワンダラーからの連絡は、今のところ全く無い。
このブログを読んでいる人がかなりいるのは分かっているのに何故一人も反応が無いのだろう?
音楽とかアート系に係わっている人達の中には、特に多い筈なのになぁ。
自分をワンダラーだと認めちゃう事が怖いのかなぁ?
俺に連絡したからって別に何か怪しい事をしようってわけでもないんだが・・。
まぁいいか、焦らずじっくり待ってみる事にしよう。
話はがらっと変わるが、そろそろ学生達の就職活動の時期が近付いているようだ。
バンドマンの中でも分岐点に立たされている人も多い事と思う。
現在大学生でサークルが切欠となってライブハウスに出演するようになった人も結構いるからね。
悩みどころだよね。
バンドを続けていこうと思ったらなかなか就職出来ないもんな。
フリーターになってバンドを選ぶか、社会人としてちゃんと就職して空いてる時間に出来ればバンド活動を続けるか、若しくは、バンドは青春の想い出としてキッパリ諦めるか。
一番大事な事は、人の意見に左右されずに自分の気持ちに素直になる事だと思うよ。
自分の価値観の中の幸せとは何なのかって人それぞれだからね。
俺は、長い事この世界にいるからバンドを選べと言うと思ったかもしれないが、全然そんな積りはないよ。
こいつは才能あるなぁと思ったとしても最終的に尊重しなきゃいけないのは、本人の意思だからね。
以前、このブログにも書いたけど俺は、まともに学校へ行っていない。
高校も3ヶ月しか行ってないから中卒という事になる。
普通に考えれば大きなハンデなのかもしれないが、自分でそんなふうに思った事は、生涯一度も無い。
勿論学校を辞める時は、頭をフル回転させて考えて考えて考え抜いたよ。
迷いが有る内は、行動に移すべきじゃないと思ったからね。
それで考え抜いて出て来た最終的な答えが学校に行く必要が無いという結論だった。
妥協はゼロだ。
いきなり子供が大人の世界へ飛び込むんだから不安と恐怖は目茶目茶あったよ。
でも、自分の意思を貫いたわけだから後悔は何も無かったな。
悩んでいる人達に一言言えるのは、自分の道は、自分で選べ。
そして、決断したら自分を信じて決して後悔するなっていう事ぐらいかな。
そして、日本には、自覚が有る無しは別にして2万人以上が存在するそうだ。
2万人という数字が多いのか少ないのか何とも言いがたいが、それを疑ってしまう人の方が多いのは確かだろう。
本屋に行けば、その系統の出版物が明らかに多くはなっている。
だが、それは数年前に比べればという話で、実際は、数十冊もあるというわけではない。
誰もが簡単に本を出せるというわけじゃないからそれは仕方ないのかもしれないが。
という事で、それじゃあもっと手軽なネットで検索してみると・・・。
うーん、やはりかなりのワンダラーらしき存在が言葉を発しているのがわかる。
そんな中で興味深いものを発見したのでみんなにも教えてあげよう。
それは、ワンダラーの見分け方というか特徴だ。
先ず、ワンダラーは、価値観が多くの人とずれている。
そして、繊細でデリケートで芸術的なものに非常に興味を示す。
変な人、変わってる人と思われがち。
魂の核の部分が元々地球のものではないという理由からだと思うが、協調性に欠ける部分が多々ある。
みんなが普通と思っている事に対して苦痛を感じる場合が多い。
はっきり言って俺は、全て該当している。
小説に書いたように俺は、ワンダラーに間違いないと思うので当然なんだが。
現在、日本の総人口は、去年より25万人減ったから1億2700万人だ。
その中の2万人というと10万人に約15人、1万人に1.5人という事になる。
1万人に1.5人となるとパチンコで大当たりが出る確率より低いのは当たり前だが、宝くじで1等が当たる1000万分の1より大幅に高いという事になる。
だとすると今迄にヘブンスドアのホームページを見た人の中にワンダラーがいた確率は、非常に高いのではと思う。
その中で俺のブログと小説を読んだ人がどれだけいたかが問題だ。
それもUFOや宇宙の話をした部分でという限定付きでね。
俺は、他のワンダラーと是非話をしたいと思っているんだ。
電話でもメールでもこのブログのコメント欄でも何でもいいから連絡をくれないか?
これから地球に起こる大変動に対して俺達ワンダラーのとるべき行動について語り合いたいんだ。
小説を書いていた1年間という長いようで短い期間にブログを休んでいたわけだけど、世の中は、確実に悪い方向に向かっているように思う。
最近では、中国との尖閣諸島の問題、韓国との竹島問題が印象深いが、虐めによる子供の自殺というのも随分多かったように思う。
何故こんな事態になってしまったのか。
世の中では、その原因を虐めた側の子供に一方的に非があるように報道しているが、俺の意見は、全く違う。
虐めというのは、どんな時代でもあって当たり前の筈なんだ。
子供は、未だ人間形成が出来ていないから子供と呼ばれるわけだよね?
そんな未熟な存在が集まれば虐めや喧嘩があって当然なんだ。
というよりも虐めや喧嘩から色々なものを学ぶのも子供社会では大切な事なんだよ。
俺は、昔虐められっ子だったんだ。
だが、ある事を切欠にいじめっ子になった。
虐められていた頃は、こんな事じゃ駄目だといつも自分を責めていたような記憶がある。
そして、いつかきっと強くなってやると心に誓っていたものだ。
それが虐める側に転身したのは、俺を虐めていたボス的存在をやけくそでぶん殴ったらまぐれで強烈なパンチが顔面に入ってそいつを泣かしてしまった時からだった。
それを機に俺は、粗暴な暴力少年に変身してしまった。
気に入らない事があれば全て暴力で解決しようとする不良少年の仲間入りだ。
しかし、やる事なす事が荒々しくなるに連れ友人は、俺を遠ざけるようになった。
子供にとって一番大切なのは、親でも兄弟でもなく友達なんだ。
そして、子供ながらに孤独というものの苦しさを知った。
反省し大人しくなるまでに若干時間は掛かったが、とても身になる勉強をしたと思っている。
暴力は、やられる側も辛いが、やる側も結局辛い思いをするんだと。
そうやって子供から少しづつ大人になっていくというのが、極普通の出来事なんじゃないかと思う。
当時、虐めが原因で自殺をする子供は皆無だった。
だが、現在はそうではない。
この違いは、いったい何なのか?
それは、大人が子供に対して夢を教えないからだと思う。
夢を知らなければ生きる目標が見えない。
夢があれば辛い事でも我慢しよう、乗り切ろうとするじゃないか。
これは、大人にも当て嵌まる事だが、目標が見えないと人間というのは不安定になるものだ。
何処かに安定した居場所を求めるのは、極自然な振る舞いだろ?
子供というのは、世の中を未だ知らない。
でも、そんな中でもはっきりと安定したものに見えるのが、死なんじゃないかと思うんだ。
もう一つ原因を挙げれば、それは、バーチャルな世界へ逃げ込める仕組みを与えてしまった事だと思う。
そっちへ逃げ込めば自分本位でいられるわけだし。
でもそこには、無の世界しかないんだからね。
要は、至る所に愛が足りないって事だと思うよ。