何年か前に究極の選択といってどちらかを選ばせる言葉の遊びみたいなものが流行った事があるんだが、これを読んでくれているみんなの世代だと知っているのかな?
例えば、可愛い女の子のしたうんことブスの鼻くそとどっちか食わなきゃいけないって事になったらどっちにする?とかね。
俺ならうんこは、誰がしたとしてもやっぱりうんこだからやっぱりブスの鼻くそだな、なんてまじめに考えたりして。
う~ん、例えが汚すぎだな。
凄い美人だけどあそこがガバガバなのと凄いブスだけどあっちは最高なのとどっちがいい?
女性に訊く場合は、凄いハンサムだけどちんこはつまようじなのとブ男だけど巨根なのとどっちがいい?という事に当然なる。
知るかそんな事と言ってしまえばどっちらけだ。
俺は、ブスを選ぶよ。
ブスは、愛情を一杯注げば幾らでも綺麗になれるからね。
なんて洒落っ気のある言葉の一つも出てこないようじゃあ場が盛り上がらない。
どうでもいい話から初めてしまったが、今日は、みんなに訊いてみたい究極の選択があるんだ。
生きる為の飯と音楽とどちらか選ばなきゃいけないとしたらどっちを選ぶ?
俺は、この質問を何人にもした事がある。
答えは、大きく割れる。
だが、ここで音楽と答えた奴を俺は、信用出来ない。
音楽の仕事をしているのに何故って?
それは、順番が違うからだ。
考えてみてくれ。
生きているから音楽が聴けるんだろう?
奇麗事で理想と現実を履き違えるな。
本当に行き詰まった状態になりゃ分かる。
俺も過去に何年間か音楽を聴かなかったというか聴けなかった時代があるんだ。
だからといって音楽に対する愛情や興味が無くなったとかそういうんじゃないんだ。
究極っていうのは、そんな生っちょろいもんじゃないよ。
なんでこんな話をするのかといえば時期が時期だからだと思う。
似非は、やめろって事だ。
偽物がいくら奇麗事を並べても似非は似非でしかないぞ。
そんな嘘八百を並べるより自分のエゴを正面からぶちまける方がよっぽど心に届くってもんだ。
昔、同情するなら金をくれってドラマの中の捨て台詞が流行った事があったが、あれは、その内容の良し悪しは抜きにして逼迫した常態ならそうだよなってドキッとさせられたからだよ。
嘘も方便とも言うが、自分の心にも嘘をつくのは止めにしよう。
音楽が飯の次だとしても、それの何処が間違ってるって言うんだ?
次で結構。
次に音楽と言える事に誇りを持って何が悪い?
上等じゃないか。
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