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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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たばこが好きな理由2

たばこなんて体には悪いし煙いし臭いし金も勿体無いしって吸わない人は皆思っているんだろうな。
実際あんなものは無駄意外の何物でもない。
確かに間違いではないと思う。
だけどその無駄に意味があるんだという事を愛煙家の代表として言っておきたい。
無駄な事っていうのは人生において実は本当の意味の無駄ではない場合が多分にあるものだ。
例えば仕事中にお茶を飲んだりっていうのも一見無駄な時間のように思えてもその後の効率を高める結果に繋がったりするだろう?
何処かに就職して自分に合わないからと辞めたとしてもその間全て無駄だったのかといえばそうでは無い筈だ。
結婚して離婚しました。
じゃあ、その結婚していた時間の全てが無駄だったなんて事も無いだろう?
結婚っていうものがイメージだけではなく実態として分かったろうし異性の見極め方も進化した筈だ。
1日中家で寝ていました。
それにしたって寝ている間に体力を蓄えたり神経を休めたりって意味もあったりするし。
たばこにしても同じ事なんだ。
一服が気分転換になって次の行動のバネになったりアイデアが生まれる切欠になったりって事も多分にある。
それからもっと大きな意味としてはかっこ付ける為ってのもある。
かっこ付けの何処に意味が有るんだよって思うだろうがこれが特に男の場合は大有りなんだ。
まあ聞け。
俺が初めてたばこを吸ったのは15の時だ。
そんな年頃っていうのは大人への憧れと反発が同時にやって来る時期でもある。
視線が子供だったのが少しづつ視界に大人の姿が入って来る訳だ。
それは綺麗な女の人を連れて歩いていたり酒を飲んで楽しそうにしていたりかっこいい車を運転していたりする大人への憧れとずるい事をして金儲けしたり奥さんに隠れて浮気したり戦争をして人を殺したりする大人への反発が入り混じっている。
だから15のたばこには俺も大人だぜって背伸びしようとする自分と大人に悪態をつこうとする自分が含まれている事になる。
でも勝っているのは完全に背伸びの方なんだ。
たばこは法律で二十歳未満は禁止されているんだから大人の吸うものだ。
って事はたばこを吸えば大人になれるのかもしれない。
眉間に皺を寄せてプハァーってやればあなたって大人なのねって言われるのかもしれない。
咥え煙草で優しそうな目で見つめればセックスさせてくれるのかもしれない。
とか思うんだよ。
要するに子供からすればたばこっていうのは大人の代名詞みたいなものなんだな。
最初はむせ返って吸う事なんか出来やしない。
それが徐々に吸えるようになってそれと同時進行で大人への階段を登っていく訳だ。
単なるかっこ付けに実も伴っていく事になるんだ。
だけど味なんか分かりはしないんだ。
たばこの美味さが分かるのは30過ぎてからだよ。
人生の酸いも甘いもをある程度経験してからだな。
そんな年齢になって何かをやり遂げた後の一服、辛い事を乗り越えた後の一服、たばこってこんなに美味いものだったんだって教えてくれるのはそんな時だ。
そして煙を吐き出しながら人生って満更悪いものじゃないなって知る事になるんだ。
どうだ?たばこってそんなに意味の無いものじゃないって少しは分かってくれたかな?
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たばこが好きな理由

麻生政権の時に取り沙汰されたたばこ税値上げが民主党政権下でも再び審議されようとしている。
1箱300円のものを500円にという案もあるしニコチンの量で差を付けようとか内容に関しては未だこれからの話のようなんだが。
アメリカではもう随分前から州によっては1箱1000円だから日本も1000円にしようという意見もある。
だが、そういう発想はナンセンス極まりない。
だってアメリカって日本より全然物価が安いんだぞ。
今、日本はデフレ傾向だから物価が全面的に下がっているけどそれでもアメリカより殆どのものが高い筈だ。
え~っ、自分がアメリカ行った時は結構何でも高かったよって思った人はおそらくニューヨークとかロスみたいな所しか行ってないからそう思うんだよ。
ああいう所はアメリカって言ったって本当のアメリカじゃないからな。
そういう観光化した所じゃなくてもっと人種差別なんかがバリバリあるようなリアルなアメリカは相当何でも安いからな。
タクシーなんか日本の4分の1位だったと思うし最近安くなったガソリンにしても日本に比べれば4割は安いと思うよ。
だから真っ当に仕事をしていれば日本より数段生活は楽な筈なんだ。
日本人に比べればあんまり働かない人が多いようには思うけどね。
そんな中の1000円と何するにも金がかかって仕様が無い日本の1000円とじゃ意味が全然違うだろ?
多分アメリカでたばこ1箱5000円にしましょうって言うのと同じ様な感覚じゃないかと思うよ。
だけど麻生さんの時は反発を感じたがこんどの民主党がそう言うんならまあ仕方が無いかという気持ちもある。
だって自民党より全然クリーンだし一所懸命日本を良くしようっていう意気込みを感じるからな。
今、多少ギクシャクしているのは自民党が作ったツケをチャラにする事がかなり無理があるからであってイーブンの状態から始めていたらもっと力を発揮出来ているような気がするな。
だけどこの不景気な時代にたばこが500円になったら今吸っている人の3分の1は止めるだろうな。
1000円なら7割から8割の人は止めるか本当の贅沢品として1日寝る前に1本とかそんな風になるかもしれないよ。
たばこに含んでいるニコチンっていうのは習慣性があるからなかなか止められないんだけどそれで生活出来なくなったんじゃ仕様が無いもんな。
俺はどうしようかなって考えるふりは一応するがたばこを止める積もりは毛頭ない。
以前に1ヶ月吸わなかった事があるがそれは偶々胃の調子が悪くてたばこを吸うと気持ち悪くなるから吸わなかっただけの話であって止めようと思った事は今迄に1度も無いんだ。
それはニコチンの誘惑に弱いという訳じゃあなく他の部分に理由がちゃんと有るんだ。
核心部分は次回に話そう。

情け無い話

7歳の我が子の下着姿の写真をインターネットオークションに出して8ヶ月で90万円稼いでいた両親が逮捕された。
フラッシュメモリー2個に収めたもので1組15000円だったそうだ。
そうなると60人が買った事になる。
こういう親は逮捕されて当然だがこんなのを買う奴はやっぱりいるんだな。
それも1人、2人じゃなくて60人だからな。
嗜好は人それぞれの自由だけれどこういうのは流石に如何な物かと思ってしまう。
子供の写真でオナニーするんだろうがどんなトラウマがあってそんな風になってしまったのか訊いてみたいものだ。
この夫婦は手っ取り早く生活費を稼ぐ為にやったと供述しているんだがやった事は最低ではあるが発想の着眼点にはなかなか興味を惹かれる部分もある。
だってこんなのが売れるんだったら俺の裸の写真でもオークションに出せば売れるかもなんて思っちゃうだろう?
パンツ一丁のを10枚セットで10000円ぐらいでどうだろう?
3人ぐらいは買うかもしれないぞ。
しかし、いつの時代にもどんな手を使っても金儲けを企む悪党は居るものだ。
今では信じられない事だが俺が子供の頃はこんな可笑しな話があったんだ。
当時は未だポルノに対して厳しい時代だ。
親父達大人が読んでいたエロい雑誌には必ず変な広告が載っていてそこには恥ずかしい部分とか絡み合う肉体とか全裸とか書いてあって要するにそういう写真を通販で売っているんだ。
それでこっそり申し込んだりすると象やカバの写真やら相撲の写真なんかが送られてくるんだよ。
確かに象やカバは全裸だしケツも出しているから恥ずかしい部分かもしれないし相撲は絡み合う肉体と言えば言えなくも無い。
一応謳い文句に嘘は無いと言えば無いので詐欺にはならず買う方が阿呆だという事になる。
こんなとんでもなく馬鹿馬鹿しいやり口が実際に横行していたのは事実なんだ。
それじゃあ現代はどうかというと家や事務所のパソコンには毎日100件位の変なメールが来る。
その殆どがセックスしてくれたら50万円あげますとか人妻ですけど付き合って下さいとか里佳子だけどあたしの事憶えてる?とか家出して寝る所無いから泊まらせてとか今直ぐ会えない?とかバイアグラ買えとかあなたの有効期限は切れているので今直ぐ手続きをとか訳のわからんメールばかりだ。
流石にもうガキじゃないからそんな手口には引っ掛からないが俺がカバの写真を買わされた当時の純真な心を持っていた頃なら間違いなく騙されていると思うよ。
エロ雑誌の広告がメールにはなったけどあれから何十年って経っているのに何にも変わっていないって事だよ。
なんとも情け無い話だよな。
まだカバの方が夢があったような気もしないでもないけど。

愛のある言葉

何気ない一言で誰かを傷付けていたという事は良くあるものだ。
勿論俺も例外では無い。
というか常習犯に近い。
とにかく言葉遣いが荒いのだ。
最近はこれでも大分ましになってきたとも思っているのだがそれでも過去が酷すぎたので平均値に近付いたというのが正しい見解かもしれない。
俺は3人兄弟の次男で上も下も男だ。
これがかなり影響している様な気もするが最大の要因は親父と言って間違いないだろう。
そんな親父の言葉の荒さは尋常ではなかった。
だがその尋常ではない言葉を毎日聞かされていると知らず知らずの内に感化されるのかそれが普通になってしまうものなんだ。
いや、感化というのは少し語弊があるな。
防衛策というのが正しいかもしれない。
要するに酷い言われ方をされたら酷い言い方でやり返していたって事だな。
それが自分が傷付かない方法だと自衛本能が働いていたのかもしれない。
それじゃ毎日喧嘩じゃないかと思うかもしれないがそこはやっぱり家族な訳でどんな酷い言われ方をしてもその言葉の裏には愛情や信頼が有るって事も感じ取っていたから成り立っていたんだと思うんだ。
だけど傍から見れば喧嘩してる様にしか見えなかったと思うけどね。
そして世の中に出るとこれが必ずネックになっていざこざが起こる。
こっちは普通に話している積もりなのに何でそんな言われ方しなきゃいけないのよと何人の付き合った相手に言われて来た事か。
その都度、反省はするのだがこの生まれながらに染み付いたものはそう容易く変えられるものではない。
流石に最近は少なくなったがほんの数年前まで俺がバンドマンに一番多く言われたのは何で怒ってるんですかという言葉だ。
その都度、え~、全然怒ってないよ、普通だよって言ってはみても相手からはそう聞こえるのだろう。
だが、これが利点になる事も無い訳じゃないんだ。
例えば誰かが俺をやり込めようとして辛辣な言葉を投げかけて来ても傷付く事がほぼ無いという点だ。
ふ~ん、だから何?それで?みたいにね。
親父に散々鍛えられた俺には精々蚊が止まってる程度でしかないんだ。
言い得て妙な言葉に喧嘩する程仲がいいというのがある。
喧嘩というのは怒りである。
怒りというのは本能から生まれるものでこれは言い方を変えれば素の部分でもある。
要は素と素を出し合えるのは仲がいい証拠だという風にもとれる。
って事はきつい言葉のやり取りは決して悪い事とは決め付けられないってなるだろ?
う~む、かなり強引なこじ付けではあるな。
何とか自分の言葉の荒さを肯定的に持っていこうとしているのが見え見えだが一概に間違っているとも言えない筈だ。
言葉の使い方って本当に難しいとは思うけど大切なのはそこに相手に対しての愛があるかどうかだと思う。
一見思いやりのある様に聞こえる言葉でもそれが上っ面だけのものなら決して相手には届かない。
怒鳴り散らしている様に聞こえてもそこに愛が有ればその場は嫌な思いをしたとしても気持ちは通じるものだ。
やっぱり全ては愛なんだよ。
でも反省する所はちゃんとするけどね。

すかいらーく

最近は何処のファミレスに行ってもあんまり混んでいる状況を目にしない。
絶頂期には入る時に名前を書いてソファーで空きを待っているなんて当たり前の光景だったのに。
なんて思っていたら今月末でとうとうすかいらーくが消滅するらしい。
その分ガストに移行したって事だろうからそれ程店舗数が減ったって事じゃあないんだろうけど。
だけどすかいらーくのブランドが無くなるのは俺としては少し寂しい想いもあるんだ。
あそこはファミレスの草分け的存在なんだ。
だから、すかいらーくが出来ていなければファミリーレストランって言葉自体も生まれなかったかもしれないんだぞ。
すかいらーくは元々はひばりが丘にあったスーパーマーケットが転業したもので1号店は府中だった。
だけど創業がひばりが丘だったからそのひばりを英語にしてすかいらーくになったんだ。
1号店が出来たのが今から40年位前なんだがそれから数年の間に東京近郊に店舗を増やしていく事になるんだ。
当初、東京の中心部には決して入り込んで行かなかったのは車での来店客をターゲットにしていたのでわざわざ土地代の高い都内に進出する必要も無かったのだと思う。
そして、俺が17~8歳の頃、当時俺が住んでいた川崎市の元住吉という町の外れにもとうとう開店する事になったんだ。
とにかく物凄い人気だったよ。
物珍しさも有ったんだろうけど1時間待ちなんて当たり前だったりしたもんな。
その頃俺は当時の彼女と同棲を始めて間も無い頃だった。
そんな俺達にとって親友と言える或る女の子が居たんだがその彼氏がすかいらーくで働いていたって事もあって3人で彼氏のいるその店にはよく行ったんだ。
俺達4人は本当に仲が良くて休みの時はいつも一緒だった。
酒も飲んだし飯も食ったし旅行にも行ったしボーリングも麻雀もいつも一緒だったんだ。
だからすかいらーくに行くとどうしてもあの頃の思い出が蘇って来てそういえばあいつ等どうしているんだろうなんて青い記憶を辿る事もしばしばだったんだが・・・・。
友達っていうのはそこに何かの接点が必ず有って尚且つお互いに必要とするから友達でいられるんだと思う。
だけどそこに男女の関係が有ってそれがもし別れたりすると周りの友達とも別れなければならなくなる場合が往々にしてあるものだ。
もう二度とあいつ等に会う事は無いって分かってはいたがすかいらーくが消えてしまう事でバラバラになってしまった4人の接点まで消えてしまう気がして胸の奥が少し痛む。

泣きっ面

以前その理由を語ったように俺は高校野球が大嫌いだがそれでも今年大注目を浴びた菊池雄星は知っている。
だいたいあの名前からしてやばい。
雄星って巨人の星の星飛雄馬からパクッたのは見え見えだもんな。
おそらく親父が巨人の星を大好きだったんだろうな。
その菊池が昨日の記者会見で日本でプレーする事を泣きながら明言した。
あれだけ大リーグに行きたいってはっきり宣言していたのに。
これはやっぱり親とか監督とか周りの大人連中に説得されて折れたんだと思う。
全く持ってダサい。
18歳にもなって自分の意志で将来を決められないのか。
誰の為の人生なんだよ。
そりゃあ大人連中に相談すれば日本でやれって言うに決まってるじゃないか。
それは特に親なら心配するのは当たり前で当然の進言だと思うよ。
だから大人連中を責める積もりは毛頭無いが本人が泣きながら会見っていうのは本当は納得していないって事だろう?
納得してたらもっと清々しい会見になる筈だもんな。
未だ18の子供に随分酷い事言うなって意見が聞こえてきそうだが誰もが認める逸材なら自分の意思を貫き通す力強さを18にもなって持っていないんじゃ話になんないぜ。
ゴルフの石川遼を見てみろ。
あいつだって同じ18歳だぞ。
スーパースターになる奴ってのはあの位の逞しさを持っていなけりゃ勤まんないんだよ。
同い年だってのに大人と子供じゃないか。
入団会見で感動して泣いたってのは初々しくて好感が持てるが大人の意見を尊重して自分の夢を蔑ろにして泣いたってのは見た事が無い。
あんなのが男として認められるのは精々中学生位迄だ。
俺は元々大の巨人ファンだったんだがその巨人ファンを辞める切欠になったのは江川という選手の入団のさせ方がフェアでなかったからだ。
それはドラフト会議の前日の事だった。
その日は予備日ではあったのだけれど一切の拘束が解かれる日でもあったんだ。
その無防備状態の1日を利用して江川は巨人入団を唐突に決めたんだ。
だが、当然の様に他球団は反発し野球機構もそれを認めず巨人と対立する事になった。
それは巨人がセリーグ脱退の噂が流れる所まで行ったんだ。
そしてドラフトでは阪神が入団交渉権を手にして江川は阪神入団という事で決着が付いたかに見えた。
実際、江川は阪神と入団契約を結び背番号3というのも決まっていた。
だが、直後に信じられない事態が起こった。
新人選手の公式戦開幕前の移籍は禁止というルールを破りそれまで地道に這い上がってきてやっと巨人のエースになった小林というピッチャーと強引にトレードというやり方で巨人に入ったんだ。
物心付いた頃から野球好きの親父に連れられて球場通いしていた俺からすれば大変なショックだった。
今迄憧れの対象だった野球界が江川というたった一人の新人の為に踏みにじられた思いだったんだ。
そんな俺にとっては大悪党の江川だがたった一つだけ認めてやりたい事がある。
それは日本中の野球ファンを敵に回しても巨人入団という意志を貫き通した所だ。
実際そんな事件の前年のドラフトでも他球団が1位指名したのだがそれを拒否して1年間浪人生活を過ごしているし。
そこら辺の徹底した頑固さは大したものだと思う。
そんな奴も見て来ているから尚更昨日の菊池の泣きっ面が情けなく思えたのかもしれない。
プロのスポーツ選手っていうのはファンからすれば憧れの的なんだよ。
俺なんか未だに野球観る時は子供の頃の心境となにも変わってないもんな。
だから例え未だ入団していなくてももう片足突っ込んでる状態ならかっこよくいて欲しいって思うだけなんだ。
それから繰り返し言うけど18歳にもなって周りの意見によって泣きながら夢を先送りにするのって男としてどうかと思うよ。
やるんならスカッといかなくちゃ。

解任騒動

最近の若い子に野球の話をしてもあんまり興味ないからと軽くいなされてしまう事が多い。
スポーツなら断然サッカーが1番人気のようだ。
俺からすれば糞食らえだ。
あんなもの何処が面白いのか丸っきり分からん。
何なんだオフサイドって。
どれだけ説明されても未だに意味が分からんのはやっぱり興味が無いからなんだろうな。
これも世代の違いって事なんだろう。
って事で今日は君等には全然興味が無い野球の話をしよう。
30代半ば以上の人は好きな人が多いからその人達に向けて話そう。
楽天の野村監督が昨日のクライマックスで敗れてとうとうラストゲームになっちゃったけど最後に日ハムの選手も一緒になって胴上げしたのは感動したなぁ。
解任騒動で大揺れだったけどなんかあの胴上げでスッキリした部分もあるよな。
楽天では3年契約で1年延長しての4年間だったけどやっと優勝に絡める位の戦力に育て上げたのに辞めなくちゃいけないってのは相当悔しいと思うな。
世間ではもう完全に球団側が悪役になっているけど冷静に考えてみると実は全然真っ当な処置ではあると思うんだ。
だって契約の延長を決めた時の条件が成績に関係なく1年のみってうたわれていたんだからな。
ファン心理からすると何で折角此処まで来たのにクビなんだとかクライマックスシリーズに突入する最中にクビ発表は酷すぎるとか思うのは当たり前だ。
だけどこういう事は経営サイドでないと絶対に理解出来ない事っていうのが有るんだ。
俺は両方の立場が理解出切るからちょっと複雑な気持ちではある。
と、ここら辺までは極々普通の話ではある。
しかしこれで終わっちゃあこの日記も何処にでも転がっているオナニーショー的ブログと同じ事になっちまう。
ここから先はあくまで俺の想像なんだが実はあの騒動は意図的に作られたものなんじゃないかとも思うんだ。
だって実際にあれで世間の注目が一挙に集まっただろう?
楽天っていう会社はアイデアでのし上った会社だ。
そのアイデアっていうのは人の心理を巧みに突かなければ商売には結び付かない。
要するに馬鹿じゃないんだ。
っていうか飛び抜けて頭が切れる筈だ。
そう考えると自らプロレスで言うヒールをかってでて盛り上げ役に徹したんじゃないかと俺は疑ってしまう部分もある。
だって盛り上がれば盛り上がるほど放映権も高く売れるしグッツの売れ行きにも影響するだろうし。
楽天が球団を持っている最大の理由は宣伝の為だ。
今回の解任騒動でどれだけスポーツ新聞や夕刊紙のトップに楽天の二文字が躍った事か。
だからあれは実は出来レースみたいなもんでノムさんも敢てそれに乗っかってパフォーマンスに徹したんじゃないかと思うんだ。
こういう辞め方をしておけば次に行く球団でも野村人気が期待出来るから契約条件も破格に釣り上がるだろうしさ。
おそらく近い内に球団側はああ、そういう事だったのか的ニュアンスのコメントを発表すると思うんだ。
それでイメージダウンを解消すれば残るのはプラスしかないからね。
かなり捻くれた発想だが短期間に急成長する会社っていうのはこんな普通では考えられない様な発想を持っているものだ。
ユニクロにしてもドンキホーテにしてもそうなんだよ。
普通の発想じゃあ普通の結果しか出て来ないって事だ。
天下取ってやるって思ってるような奴はこの位の事はしても不思議じゃないって思うんだ。
俺は根本的にこういう人達と目指しているものが違うから興味は無いがそういう連中が居るって事は知っておいた方が良いかもしれないな。

喜劇と悲劇

それにしても最近の中国の勢いは凄いな。
この世界的大不況の中でも大幅な経済成長率を記録したしずっと日本がトップだった自動車生産数でもとうとう日本を抜いてナンバー1になっちゃったもんな。
さっき朝のニュースを観ていたら最近の中国は別荘ブームだそうだ。
それも7億円もする超高級別荘がどんどん売れているってんだから相当なもんだ。
だけどそんな映像が流れているのを観て俺はこんなニュースを過去に観た記憶がある事を思い出した。
それは俺が未だ子供の頃の話だ。
当時日本は高度成長期の真っ只中だった。
そしてその勢いに拍車を掛けたのが東京オリンピックだ。
オリンピック以降の日本は経済面では敵無し状態に突入したんだ。
それまで最も豊かな国と言われていたアメリカを追い越し世界中が日本に注目したものだ。
そんな時にブームになったのが別荘を持つ事だった。
いわば別荘はその時代のステイタスシンボルだったんだ。
民主主義国家ではない中国や北朝鮮を除いたアジア諸国はルックイーストと言って日本を見習おうとしたものだ。
それは嘗ての日本が何でもかんでもアメリカの真似をしようとした姿勢と同じものだ。
だが、日本は調子に乗り過ぎた。
バブルの時代なんて言葉まで生み出しマネーゲームに没頭した挙句バランスを保てなくなってしまった。
要するにあぶく銭に惑わされて土台をしっかり作る事の大切さを忘れ、それを疎かにしたしっぺ返しを食らう事になったのだ。
日本が過信に現を抜かす頃中国はそれまでの平均主義を大改革して経済開放へと踏み切った。
なにしろ地球人の5分の1は中国人なんだからそんな数のそれまで抑圧されていた人達が本気になったら物凄いパワーを生むのは目に見えている。
そして日本がそうなった様に中国もオリンピックで弾みを付けてとうとう経済大国へと変貌を遂げたという訳だ。
そして中国もまたバブルの時代を向かえその泡が弾ける時が来るのだろうか。
そうなった時の世界に与える影響は日本の比ではない。
日本の失敗を目の当たりで見てきた中国がもし同じ失敗を犯すならやはり人間はその程度という事になってしまう。
そして大幅な軍備拡張は過去のアメリカにそっくりだ。
世界の警察と言われるアメリカの立場をも中国が奪取する積もりなのは明らかだ。
5年後には世界の中心は誰もが中国と思う様になるだろう。
だが、世界の中心が変わるだけで俺の生きて来た半世紀、人類の本当の進化は丸っきり無かった様に思えて仕方が無い。
強いて言えば科学の大幅な進化が有るのだろうがそれに伴うべき心の進化が寧ろ退化している様では停滞と言うのがせいぜいだ。
これは喜劇と悲劇を併せ持つものだ。

秋の空

どうやら完全に秋になったようだ。
なかなか清々しい毎日が続いている。
本来、秋というのはもっと気候の変化が激しい筈なのにこれも異常気象のうちなのだろうか。
だとしたら唯一歓迎出来る異常ではある。
そんな秋の空に例えられるのが女心だ。
女心と秋の空とは上手い事を言ったものである。
男から見たら女心はやはり移ろいやすいものにどうしても思えてしまう。
それは理想や夢の世界に生きられる男と現実重視の女性とのギャップに他ならない。
そう言えば別に大した事無い様に聞こえるが実はこのギャップが悲劇を生む事は往々にしてあるものだ。
男女間のいざこざの大元を辿れば9割方はここに辿り着くんじゃないかとも思ってしまう。
理想や夢っていうのは言葉のイメージとは裏腹に一旦固まってしまうとなかなか動くものではない。
それに反して現実主義的な生き方というのはまるで変動相場の様に瞬間瞬間でくるくる変化するものだ。
俺は君を愛してるという言葉は永遠の意志を意味していても私もよという返答に永遠が含まれているとは限らないという事だ。
こんな事を言うといつもこれを読んでくれている女の子達から大バッシングを受けそうだが男からすれば女っていうのはそれ程残酷な部分を持っていると言わざるを得ない。
この男女間の差が顕著に現れるのが結婚相手を決める時だったりする。
男は純粋にというか単純に恋愛の行き着く所と考える。
だが女性は確かにそこまでは同じでももう一歩踏み止まって経済力だったり諸々の現実を重視する傾向が強い。
男が無我夢中でロマンを追い求めても女は常に冷静な部分をキープしているって事になるのかもしれない。
だから女は怖いのだ。
男女の交わりにしても女の喘ぎ声の8割は演技だという説があるがあれは一概に嘘とは言い切れないようにも思う。
真実を問い詰めるなんて無粋な事をすれば否定は見えているが疑いは晴れる事はないだろう。
このお互いの格差が有るから恋愛は面白いという事にもなるのだが昨今多い草食系はここに踏み込むのに躊躇が先に立つというのが真相なのだとも思ってしまう。
男と女の仲は何処までも行き着く所の無い迷宮の様なものだ。
身も心も一つになった積もりでもその瞬間が永遠とは限らずまた新たな迷宮に引きずり込まれる運命が待ち構えている。
それでも誰もが恋を追い求めるのは或る意味人間に課せられた悲しい性なのかもしれない。
そんな想いにさせられる秋の空ではある。

キャパシティーオーバー

最近、ツイッターっていうのが流行り始めているみたいだけどどうなんだろう。
あれってブログの凄く短い版みたいなもんで自分が今何してるとか要するに呟きみたいな事を打ち込むだけだろ?
機能としてはちょっとした事を瞬時にコンピューターが答えてくれたりって役立ちそうな部分や宣伝みたいな事を一斉に送信したりと便利な所もあるみたいだけど俺は大いに反発を感じる。
今の世の中は完全に乾ききっている。
それって洗濯物がよく乾いていいじゃないですかってボケかましてる場合じゃないんだ。
心が乾ききってるって話だよ。
誰も彼もが心の余裕を無くしてバランスを保てなくなっているのに気が付かないか?
鬱病に苦しむ人が多発しているのも心の乾きが大きな原因の一つになっているのは解るだろう?
若い君等は今の世の中のシステムが普通なんだと思っていても仕方がないよな。
だって生まれた時からこうなんだからな。
だけど30代半ば以上の人は危機感を感じている筈だ。
それはもっとまともな人間らしい世界で育ってきた筈だからだ。
これがもっと年上の俺位の歳になると危機感を通り越して絶望に近いものさえ感じずにはいられないんだ。
はっきり言って君等はキチガイだ。
何を滅茶苦茶な事言ってんだこのおっさんと思うかもしれないがこれは真面目な話だ。
勿論、例外もいるが君等の大多数は既に犯されている。
喧嘩売ってんのかって思ってくれて構わないがその意味が解らない所が既に末期症状なんだよ。
人間は自分達の生活を快適に過ごす為に科学という分野を発展させた。
だけどそこで人間自体の心の成長も伴っていれば問題はない。
と言うかとても良い事だ。
だけどその科学が心のキャパシティーをオーバーしてしまった場合、それがマイナスに作用する事が解っていない。
マイナスってどういう事だと言えば自滅を導くって事だ。
自滅ってどういう事かって?
人類滅亡に決まってんじゃないか。
成熟していない生き物は必ず殺し合いを始めるんだ。
それは全ての現象は愛のエネルギーで成り立っている事に気が付いていないというか理解出来ないからだ。
それが理解出切る所迄人類が進化していたら戦争は絶対に起こらない。
残念ながら現段階で進路は丸っきり逆を向いている。
携帯電話で例えてみればよく解ると思う。
確かに便利にはなったけどその分携帯を利用してのいざこざや犯罪が多発しているだろう?
これは科学の進化に心の進化が追い着いていない事の証だ。
ツイッターにしても長所は確かにあっても必ずこれを利用した犯罪が多発するのは見えている。
現在最悪なのはキャパオーバーした科学が人類の心の進化を止めようとしている所迄来ている事だ。
そして、それは人間本来の有るべき姿まで破壊しようとしている。
この日記を最初から読んでくれている人には俺が何でこんな事を言うのか既に察しが着いていると思う。
此処から先はそれが分かった人に言っておくが俺と同じ立場の人間は世界中に沢山いるんだ。
その人達はそれを小出しに少しづつ表に出している筈だ。
何で一気に出さないかというとこの方法を取らざるを得ないからだ。
一気に出せばどうなるかも理解しているからなんだ。
変な宗教に嵌ってんじゃないのとか洗脳しようとしてんじゃないのとか思ってもらっても全然構わないぞ。
何故なら俺は愛のエネルギーを沢山持っているからね。

アートに係わる人

世の中を普通に生きようと思えば当たり前の事を当たり前に過ごす事が一番だ。
だが、アートに係わる人間は当たり前の事を当たり前にこなしていれば斬新で面白いものが出来る可能性を小さくする場合が多い。
そんな事ないよって反発の声が沢山聞こえてきそうだが或る意味そこら辺を見極める目を持たなければやっていけない仕事に身を置く手前、この際言い切ってしまっても構わないと思っている。
例えば或る楽器を毎日血の滲む様な練習をして素晴らしいテクニックを身に付けたとする。
じゃあ、それでアーティストなのかというと俺は全然違うと思う。
勿論、テクニックが磨かれている方が表現力も幅広いからそれが大方はプラスに作用するのは当然だ。
だけどそれを上回るのが感性だ。
これが磨かれていなければいい演奏でしたで終わりだ。
長年、絵の勉強をして綺麗な作品を描けるまでになったとする。
じゃあ、それが人に何かを伝える事の出来る作品かと言うと一概にそうとは言えない筈だ。
だけど理屈や技術なんか何も無い子供がたまたま描いた絵が妙に心を動かす事ってあるだろう?
あれはほぼ感性だけで描いているからだと思うんだ。
感性っていうのは磨かれて光る事もあるがその逆に時が経てば経つほど薄れていくものでもあるんだ。
その薄れていく方の感性は赤ん坊の時には誰でもが持っているものだと思うんだ。
それは赤ん坊の表情をじっと観察していれば分かる事だ。
俺達が当たり前と思って何も感じなくなってしまったものにも反応する事が多い筈だ。
そんな豊かな感性を削っていくのが極々普通と思っている社会のシステムだと思うんだ。
だから最初に言ったようにそのシステムを当たり前の事として当たり前の生き方を続けていれば生まれ持って身に付けていた豊かな感性は失われていく事になると言ったんだ。
だけど失いかけていた感性は磨きをかければ復活する可能性も高い。
だから人間誰もが例外なくアーティストの資質を持っているって事でもあると思う。
この論理が正しいかどうかは本物のアーティストに触れれば一瞬で解る事でもある。
それは彼等が妙に子供っぽい部分を必ず持っているからだ。
そう考えると最高のアーティストは子供という事になるが子供はそれを表現する術を知らない。
ならば子供の心を失わず表現の術に磨きをかける事が最も大切という事になるがこれを普通の生き方をしていて可能なのかというと非常に難しい。
だからアーティストと言われる人は自分では普通の生き方と思っていたとしてもどこか当たり前じゃないんだよ。
そしてもう一つ、アートは偶然から生まれるって事も知っておかなければならない。
例えばそうとは知らずに絵の具の赤と白を混ぜたらピンクになってびっくりしたなんて事がアートでは大いに必要なんだ。
だけどこの偶然っていうのは意図的に作り出す事も出来るんだ。
セッションなんて諸にそうだけど要は摩擦を起こさせればいいんだ。
摩擦っていうと勘違いを招く恐れもあるが例えば普段通っている道と違う道を使ってみるなんていうのも普通に摩擦を加えた事になるし初対面の人と話す事だって一種の摩擦なんだよ。
この摩擦が偶然を生みそこから感性が刺激されてアートが生まれる事もあるって事だ。
こういう話をしだすと一冊の本になる位の長さになってしまいそうだからここら辺で止めておくが俺がこの日記を書き続けているのは君等との間で摩擦を起こそうとしているって事でもあるんだぞ。

あの素晴しい愛をもう一度

命かけてと誓った日から素敵な思い出残してきたのに、あの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない、あの素晴しい愛をもう一度、あの素晴しい愛をもう一度。
俺が初めてレコードを買ったのは怪獣王子っていう怪獣と暮らす少年の物語をドラマ化したものの主題歌だった。
そんな事はどうだっていい。
肝心なのはその次に音楽として聴いてどうしてもレコードが欲しくなり買い求めた作品の事なんだ。
言わば俺がその後音楽に係わっていく切欠を作ってくれた作品でもある。
それがザ・フォーク・クルセダ-ズの帰って来たヨッパライって曲なんだ。
俺が10歳位の時だったと思う。
これを境に同時期流行っていたグループサウンズにのめり込みビートルズやローリングストーンズに至る頃には随分ませた音楽小僧に進化していくという訳だ。
そのフォークルの中心人物が昨日自殺した加藤和彦だ。
俺の中から何か大きなものが消えていく想いだ。
プロレスラーの三沢光晴が死んでショックを受けていたら清志郎まで死んじまって心にポッカリ穴が空いてそれが未だ埋まりきっていないっていうのに。
加藤和彦はフォークル解散後にサディスティックミカバンドというのを始めたんだがこれがまた凄かった。
タイムマシンにお願いって曲を初めて聴いた時はこれが日本のバンドである事が信じられなかったよ。
その頃の日本には未だ白人コンプレックスが明らかに存在していたんだがそんな中、イギリスで大成功を収めたんだから誇らしくもあったし。
イギリスではその数年後、YMOが大成功を収めているがそれは元ミカバンドの高橋幸宏が参加していた事が無関係とは思えない。
要するに当時の日本では世界に通用する唯一のロックバンドだったんだ。
そんな偉大なミュージシャン、加藤和彦の残した遺書には音楽でもうやるべき事が無くなったと記されていたそうだ。
生涯を音楽に捧げた彼のこの言葉の真意は何だったのか。
もう才能を出し尽くしたという事なのか。
それとも音楽に絶望を感じていたのだろうか。
咲き誇っていた花はいつか必ず朽ち落ちてしまう。
悲しくて悲しくて、とてもやりきれない、このやるせないモヤモヤを誰かに告げようか。

古い水夫と新しい水夫

どんな時代のどんな分野でも新陳代謝というものがある。
昔は最先端の事をやっていた筈なのにいつの間にか古臭さが目立って今では誰にも相手にされなくなってしまった人や企業なんかがどれだけあるだろうか。
これは俺の係わっている音楽の世界でも言える事でそれはお客さんの反応を見れば一目瞭然だったりするものだ。
だが、たとえ古いスタイルだったとしてもそれが徹底して突き抜けたものであれば時代の流れに逆らっているとしても支持を得る事も出来るし素晴らしい光を放つ事も出来るものだ。
今現在日本にはありとあらゆるジャンルの音楽が渦巻いている。
うちの店が出来た19年前に比べればおそらく当時の10倍位のジャンルに拡大されていると思う。
これは何故かといえばそれだけ日本が自由の国になった証でもあると思う。
自由を求めると必ず結果は枝分かれする事になる。
そりゃそうだよな。
人それぞれ感性も違うし嗜好もまちまちなのは当たり前だからな。
それを受け止める土壌がやっと出来つつあるって事だ。
これが10年前だと未だ大きな偏りが有った様に思うがこの何年かで完全にカオス状態になったんじゃないかと思うんだ。
これはライブハウスを経営する側からすると非常に難しい時代になったって事かもしれないが日本全体の音楽シーンを考えれば確実に面白くなったのは間違いない筈だ。
もう流行りだからそれに乗っかれば何でも受けるなんて阿呆臭い時代は終焉を迎えようとしているって事だ。
こうなると完全に実力主義の時代が始まるって事でもある。
これはほんの少しかもしれないが日本人の文化レベルが上がったって事の証でもあると思う。
そして、今から10年後にはより細分化された状況がやって来るだろう。
俺達が思っている古典的音楽っていうのは本当は色々なジャンルをひっくるめたものだ。
そして、50年後、100年後には今俺達が係わっている音楽も古典音楽と言われるのかもしれない。
少し寂しい気もするがそれが進化するという事なら受け入れるしかないのだろう。
だが、そんな新しい波に立ち向かう古い人達っていうのがどんな時代にも必ず存在するものだ。
そこで切磋琢磨する事がどんな分野でも最も大切な出来事なのは忘れてはならない。
吉田拓郎のメジャー進出する前の曲で「古い舟をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という曲がある。
俺はこの曲を中学の頃にリアルタイムで聴いて大いに感銘を受けたものだ。
だが、だからって古い水夫をぼろ雑巾扱いするのは間違いだ。
お互いしのぎを削って若い水夫は古い水夫から受け継ぐものを受け継いで古い水夫は新しい水夫に今後を委ねるというのが理想のバトンタッチになる筈だ。
俺を引き摺り下ろす奴はいつ現れるのだろうか。
準備万端で待ち構えているんだけどな。

夢を叶えるコツ

今日は何の話をしようかとテレビを着けたらウオッ!永ちゃんと星野仙一が対談やってるじゃねえか。
君等の歳だと彼等の存在がどう写っているのか分からないが俺からすると男はこうあるべきっていう手本の様な最高にいかしたスーパースターの二人なんだ。
貧しい逆境の中から這いずり回って自分の腕一本でのし上って来た様は映画で言えばロッキーそのままでもある。
おっと、ロッキーって言っても君等にはあんまりピンと来ないのかもしれないな。
今で言えばルーキーズみたいなもんかな。
男は常に夢を追いかけなくちゃいけない。
夢を追いかけない人生なんて生きてる意味が無い。
そんな事を60過ぎた昔だったらお爺さんの年齢の二人が言い切っていた所が最高だ。
俺は彼等よりずっと年下だけど気持ちは同じだ。
夢は追いかけなければ只の偶像に過ぎない。
思っていて何もしなければ叶う事は有り得ない。
そして、その夢に向かって進もうとすれば数々の困難が待ち受けている。
残念ながら殆どの人間はその困難に負けて志半ばで挫折する道を選んでしまう。
それが諦めの人生を選択するという意味になるというのに。
これが一般のごく普通の人の生き方だ。
俺はそういう人を誹謗中傷する気は全く無い。
それはその人が選択した最高の結論である筈だからだ。
但し、俺は違うというだけの話だ。
夢を叶えるコツとは何か。
そんな事は分かりきっている。
とにかくどんな時でも何処までも地獄の底まで諦めない強い意志を持つ事だ。
たったそれだけだと思う。
言葉で言うのは簡単だが生易しい事じゃあない。
っていうか夢が大きければ大きい程、殆どの人は成し得る事が出来ないで人生を終える事になる。
だけど忘れちゃいけないのは人間は夢を可能にする力を誰でもが持っているって事だ。
それを叶えるには色々な物を犠牲にする事になる。
それが出来るかどうかって話だ。
臭い言い方をすれば夢に命を掛けられるかって事だ。
安定したものを求めて平凡に生きるのも人生。
夢に向かってリスクを一杯乗り越えて生きるのも人生。
さて、君等はどっちを選ぶんだ?

病んでる人々3

この二日間病んだ心について話してきた訳だけど今日は俺が過去に心が病む直前迄行った時の話をしよう。
あれは確か小学校高学年位の事だったと思う。
俺はその頃人生に絶望していたというか人生そのものに不信感を抱いていた。
ガキのくせにと思うかもしれないがそれは物心付いた頃から自分の母親が周囲から激しい虐めに遭っていたのを目の当たりにしていた事に起因していたと思う。
大人は誰もが嘘つきに見えたし友達に対してもいつ裏切り行為に遭うかもなんて根拠もなく思っていた時期があったんだ。
そして直接の切欠になる大きな出来事があった訳でもなくおかしな心境になってしまった様に記憶している。
今から想えばその原因はわがままという事に行き着く様な気がする。
そして、その時俺のとった行動は誰とも口を利かない事だった。
まあ、こんな事は子供の成長過程には頻繁に起こる事かもしれないが要するに心のバランスが丸っきりコントロール出来なくなったって訳だ。
こんなのは些か本題から外れている様に思うかもしれないが実はヒントはこんな中に隠されている様にも思うんだ。
もしここで家族が心配して妙に優しくなったりしていたら俺は殻に閉じこもったまま出られなかったかもしれないとも思うんだ。
俺の家族のとった行動はそれまでと一切変わらないものだった。
勝手にやってろって感じだ。
少し時間は掛かった様にも思うが或る日自分の行動に阿呆らしさを感じたのか少しづつ殻から出てみると何の事も無かった様に元の自分に戻っていたものだ。
当然周りの環境には何の変化も無い。
変わったのは自分の意識の持ち方だけだ。
俺は16歳から大人の世界に入って仕事をし始めたんだが丁度その頃、また過去の不安定な自分が蘇ったんだ。
だが今度はそんな時期は一瞬だった。
なにしろちょっとでも覇気のない表情なんかしていたらそれだけでパンチやビンタが飛んで来る職場だったから生きていく為には無我夢中になるしかなかったんだ。
そして先輩から掛けられた一言が大きかった。
お前、でっかい声だしてハイって返事してみろ!
これが俺の全てを変えたんだと今でも思っている。
あれからこの歳になるまで俺の前向きに生きる姿勢に1度の迷いも無い。
勿論、殻に閉じ篭ろうなんて思った事も無い。
だとするとバランスが崩れかけた時は無我夢中で何かに打ち込む事が大いに効き目があって尚且つでかい声を張り上げなくちゃいけない様な場所へ自分を叩き込む事が特効薬になるって事だ。
今現在苦しんでいる人達にとってはかなりの荒療治になるかもしれないが効き目がある事は間違い無いと思う。
心の病も重症になるとバランスが崩れるどころの話じゃなく自分自身の体のコントロールが丸っきり利かなくなる事も知っている。
そんな時に医者に頼って薬で治すというのも間違っていないとも思う。
だけど人間には生きようっていう意識が誰の遺伝子の中にも含まれているんだ。
その本能の部分を引っ張り出すには時には荒療治もあっても良い様に思うんだ。
自分の内側に潜り込もうとしたらパンチやビンタを浴びてきた俺からすれば君等は贅沢な環境に居るって事も知っておかなきゃいけないと思う。
マイライフアズアドッグって映画を知ってるか?
心が病んだ時にはあの映画を観るといいよ。
生きてるって事がどんなに素晴らしくて尊いものだか教えてくれるよ。
内に閉じ篭っている事がどんなに勿体無い事かもきっと教えてくれる筈だ。

病んでる人々2

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決まった。
それに対して各国で批判の声が上がっている。
色々素晴らしい宣言をしているが未だ結果を出した訳ではないのにおかしいというのだ。
果たしてそうだろうか。
俺はもう或る意味結果は出したと思っている。
世界中に勇気を与えたし彼の言葉を切欠に平和に向かって核廃絶の空気が大きく広がったのは確かだと思うんだ。
他に誰がこんな事を出来たのか。
いないだろ、絶対。
さて、今日は昨日の続きを話す約束だったな。
なんでその前にオバマさんの受賞に触れたかというと世界を見る事も大事だという事を言いたかったんだ。
狭っ苦しい日本で此処だけが自分の居場所だなんて小さな発想は捨てて地球全体の広大な大地全てが自分の居場所なんだという事に気が付いて欲しかったんだ。
心の病んでいる人と話すと必ず共通する部分がある。
それは自分が小さな世界に住んでいて八方塞の様な状態になっていると思い込んでいる所だ。
だけど冷静に考えてみればそうやって悶々としている間にも世界中では有りと有らゆる出来事が起こっている訳で自分はそんな中の小さな存在の一つでしかないという事を認識するべきだと思うんだ。
現象としては全く同じではあるが受け取り方の違いで天と地の差ぐらいはあると思う。
こういうものの考え方は自分に対して物凄く勇気を得られるし前向きな姿勢を産むものでもあるんだ。
そして、こんな発想をもっと極端に言うとこの世は天国でもあり地獄でもあるという部分に行き着く事が出来る。
全ては意識の問題でしかないという事だ。
だから心の病んでいる人達は敢て自ら地獄に居るだけと言って良いだろう。
同じ場所に天国が存在している事を知るべきなんだ。
世界中に暗雲が立ち込める中、そんな大勢の人の意識を瞬時に切り替えさせたのがオバマさんだ。
天国は此処にあると間接的に訴えたことになると思うんだ。
だから彼がノーベル平和賞をもらっても何の不思議も無いと俺は言いたいんだよ。
次回は俺の心が病みそうになった時にどうやって発想転換したのかを具体的に話してみよう。

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