何気ない一言で誰かを傷付けていたという事は良くあるものだ。
勿論俺も例外では無い。
というか常習犯に近い。
とにかく言葉遣いが荒いのだ。
最近はこれでも大分ましになってきたとも思っているのだがそれでも過去が酷すぎたので平均値に近付いたというのが正しい見解かもしれない。
俺は3人兄弟の次男で上も下も男だ。
これがかなり影響している様な気もするが最大の要因は親父と言って間違いないだろう。
そんな親父の言葉の荒さは尋常ではなかった。
だがその尋常ではない言葉を毎日聞かされていると知らず知らずの内に感化されるのかそれが普通になってしまうものなんだ。
いや、感化というのは少し語弊があるな。
防衛策というのが正しいかもしれない。
要するに酷い言われ方をされたら酷い言い方でやり返していたって事だな。
それが自分が傷付かない方法だと自衛本能が働いていたのかもしれない。
それじゃ毎日喧嘩じゃないかと思うかもしれないがそこはやっぱり家族な訳でどんな酷い言われ方をしてもその言葉の裏には愛情や信頼が有るって事も感じ取っていたから成り立っていたんだと思うんだ。
だけど傍から見れば喧嘩してる様にしか見えなかったと思うけどね。
そして世の中に出るとこれが必ずネックになっていざこざが起こる。
こっちは普通に話している積もりなのに何でそんな言われ方しなきゃいけないのよと何人の付き合った相手に言われて来た事か。
その都度、反省はするのだがこの生まれながらに染み付いたものはそう容易く変えられるものではない。
流石に最近は少なくなったがほんの数年前まで俺がバンドマンに一番多く言われたのは何で怒ってるんですかという言葉だ。
その都度、え~、全然怒ってないよ、普通だよって言ってはみても相手からはそう聞こえるのだろう。
だが、これが利点になる事も無い訳じゃないんだ。
例えば誰かが俺をやり込めようとして辛辣な言葉を投げかけて来ても傷付く事がほぼ無いという点だ。
ふ~ん、だから何?それで?みたいにね。
親父に散々鍛えられた俺には精々蚊が止まってる程度でしかないんだ。
言い得て妙な言葉に喧嘩する程仲がいいというのがある。
喧嘩というのは怒りである。
怒りというのは本能から生まれるものでこれは言い方を変えれば素の部分でもある。
要は素と素を出し合えるのは仲がいい証拠だという風にもとれる。
って事はきつい言葉のやり取りは決して悪い事とは決め付けられないってなるだろ?
う~む、かなり強引なこじ付けではあるな。
何とか自分の言葉の荒さを肯定的に持っていこうとしているのが見え見えだが一概に間違っているとも言えない筈だ。
言葉の使い方って本当に難しいとは思うけど大切なのはそこに相手に対しての愛があるかどうかだと思う。
一見思いやりのある様に聞こえる言葉でもそれが上っ面だけのものなら決して相手には届かない。
怒鳴り散らしている様に聞こえてもそこに愛が有ればその場は嫌な思いをしたとしても気持ちは通じるものだ。
やっぱり全ては愛なんだよ。
でも反省する所はちゃんとするけどね。
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