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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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ツルッパゲとうすらハゲ

これは前々から思っていて今やってる国会中継を見ていても思った事なんだが日本の政治家ってズラ被ってる奴って異常に多くないか?
なんか全体の半分くらいはズラに見えてしょうがないんだけどな。
だって明らかにずれてたりなんていうのはよく見るし顔が完全にお爺さんなのに髪の毛だけが黒々つやつやしてたりしてる人も随分いるだろう?
そんなくだらない所に注目してどうすんだって思うかもしれないが一応国民の代表なんだからそこんとこははっきりしてもらいたいと思うんだ。
ハゲなのか地毛なのかさ。
俺ははっきり言ってかつらってのは好きじゃない。
どうも潔くない気がしてしまうんだ。
いいじゃないかハゲだって。
だけど、やっぱりうすらハゲっていうのはかっこ悪いとは思うよ。
中途半端にハゲてて残った髪をバーコードみたいに撫で付けてたりっていうのは哀愁を感じるどころか情けない気もするだろう?
そんなんだったらいっその事全部剃っちゃった方がいいと思うんだよね。
それもツルッツルのツルッパゲにさ。
ツルッパゲって男らしい男性器剥き出しみたいな逞しさやどうにでもしやがれ的潔さも感じるが或る意味お洒落だとも思うんだ。
ツルッパゲそのものが所謂一つのファッションアイテムだったりするわけだ。
例えばバーコードハゲだったら似合うものって言ったらねずみ色の地味なジャケットとか如何にも存在感の薄いものしか思い浮かばないんだよ。
髪が薄い分存在感も薄いみたいなさ。
だけどツルッパゲだったらたとえ年食ってたとしてもTシャツとかスニーカーとかでも全然違和感感じないだろう?
そこら辺のセンスはやっぱり白人の人達は分かっててちょっと薄くなったりすると直ぐツルッパゲにするよな。
白人のうすらハゲって日本人に比べて断然少ないと思うけどツルッパゲは物凄く多いだろう?
俺も将来バーコードになる前にツルッパゲにしようと思っているんだがやっぱりそうする時には戸惑いもあるんだろうな。
周りの反応とか気にしちゃったりしてさ。
だけどその反面、それがリセットの切欠になって新たなツルッパゲ人生が始まるみたいなわくわく感もあったりするんじゃないかと期待もしているんだ。
ツルッパゲは前向きな人生の象徴なのかもしれないな。
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本物と偽物

どんな物にも本物と偽物はあるものだがこれは俺が毎日観ているバンドの中にも当然存在する大きな分かれ目だ。
だが、これを見分ける作業というものは簡単なようでそう誰にでも出来るというものでもない。
それは何故かと言うと偽物でも通用する場合が大いにあるからだ。
って言うか偽物の方が罷り通っているのが日本の音楽事情だったりするわけだ。
勿論この本物、偽物の尺度は完全に線引き出来るものじゃあないがこれが見極められなければ俺の仕事は存在しないという事になる。
じゃあ、本物の条件って何だって事だよな。
これを技術と捉える人は多いと思うがこれは大きな間違いだ。
それが正しいのならスタジオミュージシャンとかで飯を食っている人達のバンドとかが一番面白いという事になってしまう。
そうじゃないから音楽は奥深いんだ。
磨かれた感性とセンス、偶然を必然に変えられる幸か不幸かの個性の出会い、音楽に向き合う高い意識、切羽詰った中から曝け出される開き直り等、その要素を挙げればきりが無い。
こういう事を言葉で表そうという方が無理があるという話だ。
そして受け入れる側の感性の磨かれ具合によっても大きく左右される事になるのは当然でもある。
音楽っていうのは音を楽しむって書くぐらいだから別に深い所まで行こうとしなくったって誰も困るものでもない。
だけど色々聴いて行けばもっとかっこいいもの、もっと感動できるもの、もっと楽しいものを追及したくなるのは人の常だ。
それは何故かと言うと音楽はそれだけ奥が深いし深みに嵌れば嵌るほど喜びも増すものだからだ。
要するに耳が肥えている人の方が音楽をより楽しむというか味わう能力が勝っているという事になる。
楽しめば楽しむほどその楽しみも倍増するって言うんなら誰だってその深みに嵌ってもいいかなって思うだろ?
そうやって年月を経て耳の肥えた人達も随分増えたと思うんだ。
だけどメジャーと言われている大手レコード会社はそこら辺を把握する事が出来ていない。
いや、出来ていないというよりも踏み込んで行こうとしないんだ。
例外も僅かに有るには有るが微々たるもので大方は音楽性よりも話題性重視だ。
こんなものの中に本物が有るとは到底思えない。
だが商売にはなるからそこに縋り付くわけだ。
そして残念なのは音楽で飯を食おうと思えばやっぱりそっちに追随しようとする奴が大量にいるという現実だ。
こういうのが全部偽物だって言うんだ。
そういう輩はただ単に音楽を利用しようとしているだけで音楽に対する愛なんて欠片も無いと言い切っても構わないと思う。
今から30年程前にアメリカで全米カレッジチャートという団体が産まれた。
この団体はその10年程前から各地の大学が主催するFMラジオ局が独自の注目曲を流して地域ごとに独自の盛り上がりを見せていたものを纏めようと組織化したものだ。
簡単に言えば一般の人達が聴いていたポップスの真逆の位置にいた所謂オルタナティブと言われる音楽の中にこそ本物があるんじゃないかと戦いの狼煙をあげたわけだ。
そして結果的に音楽業界をひっくり返したんだ。
これなんかは音楽に対する愛が有ってこそ起こせた結果だと思うんだ。
本物なんだからそれなりの位置に持っていこうよっていう姿勢の表れだ。
日本だってそれくらいの事出来るんじゃないか?
ライブハウスに埋もれてしまっている本物は星の数程あるんだぞ。

優しさの塊り

昨日は音楽による癒しの話をしたがそういう感覚的なもの以外での癒しとなると何だと思う?
やっぱり人と人との触れ合いの中から生まれるちょっとした言葉だったりするんじゃないかな?
それは身内とか友達とか恋人とかからだけに限らずあらゆる状況の中からでも受け取っている筈なんだ。
俺は男だから男の気持ちを代弁すると落ち込んでいたり疲れ切っていたりした時なんかにたった一言元気出しなよなんて女の子に言われただけでパワーを注入された気分になったりするもんだ。
これはもしかして俺の事好きなのかもなんていう助平根性じゃなくて無意識に母性みたいなものを感じるからなんじゃないかと思うんだ。
癒しっていうのは優しさの塊りみたいなもんだろう?
そうすると男にとっての優しさの象徴ってやっぱり母親だと思うんだ。
だから女性から優しくされると母親を連想するって所迄はいかないけど母親のイメージは細胞が感じ取っているって事なんじゃないかな?
これはマザコンとかそういうのじゃなくて本能としてそう感じているような気がするな。
男っていうのはどうしても自分を大きく、強く見せようとするものだ。
これは弱さの裏返しでもあるんだけど生きていく為の手段でもあるわけだ。
そして大きく、強く見せようとすればするほど癒して欲しいんだよ。
だって本当は小さくて弱いんだから。
無理ばっかりしてたら疲れちゃうだろう?
お母ちゃんの胸に抱かれてすやすや眠りたいんだよ。
そんな事出来やしないんだけど心の奥深い所ではきっとそう思っているに違いないんだ。
男なんて所詮その程度の生き物だと思うよ。
世間に対する見栄というか虚栄というかそんなものや理性なんかを全部取っ払って素っ裸の自分になった時って本当に弱々しいと思うよ、男ってのは。
俺もその中の一人だけどさ。
おっぱいの谷間が恋しいぜ。

ダライ・ラマ14世

現在のダライ・ラマ14世が音楽に人を癒す力は無いって言ったっていうのは本当なのか?
人から聞いた話だからこれを言葉そのままに受け取って良いのかどうか判断しかねるが気になるのは確かだ。
俺が思うに何かもっと深い意味が含まれているような気がするんだが・・・。
詳しく知っている人がいたら是非教えてほしい。
俺はどんな宗教にも入っていないが信仰はと訊かれれば仏教と答える事にしているので、もしそれが本当なら俺なりの仏教感でダライ・ラマ否定派となって自らの理論を確立しなければならなくなってしまう。
日本でもダライ・ラマの存在は有名だが皆はあの人の事をどれくらい知っているのかな?
一応言っておくけどダライ・ラマっていうのは彼個人の名前じゃない。
あれは名跡であって現在のダライ・ラマの本当の名前はラモ・トゥンドゥブ、法名はテンジン・ギャツォっていうんだぞ。
テンジンさんで14人目だからダライ・ラマ14世だ。
ダライはモンゴル語の大海って意味でラマはチベット語の指導者だ。
大海の指導者って名前からして途轍もなくでかい器を感じるよな。
それから驚くのはその引き継がれ方なんだ。
どこの国でも行われている血の繋がりによる世襲制度や選挙とかじゃないんだ。
じゃあどんな選び方だと思う?
それはなんと輪廻転生制度だ。
これは高僧の予言や聖なる湖に現れる予言を元にして地域や特徴を割り出してその一帯の子供の中から生まれ変わりを探し出すってやり方だ。
一見物凄く原始的な気もするが或る意味超科学的とも言える。
仏教自体が超科学的な教えだから違和感より寧ろ自然な感じもするけど。
って事で話を音楽が人を癒す力が有るかどうかに戻るが俺はあくまで肯定派だ。
それも単なる肯定どころじゃなく音楽ほど人の感情に影響を与えるものは無いとすら思っている。
同類と思われるものの中には他にも映画とか絵画とかも有るし大自然の与えてくれる癒しというのも大きいと思う。
だけど音楽ほど瞬間で尚且つ直接的に心に響くものって他に無いんじゃないか?
癒しもそうだけど高揚感とか絶望感とか怒りの感情とか5秒も有れば影響を与える事が出来ると思うんだ。
これをダライ・ラマが全部否定するっていうのか?
音楽の力を信じそれを生業にしている俺からすれば自分自身の存在すら否定されたようなものだ。
仏教は釈迦族の王子ゴータマ・シッダッタが広めそれをダライ・ラマを含む歴代の偉大な指導者達が伝承してきたものだ。
だからダライ・ラマの直接の教えではない。
仏教は宇宙の成り立ちであり仕組みを教えたもの、宇宙の中の人間の立位置、道筋を説いたものの筈だ。
言い換えれば集団になって皆で学ぼうとするのも良いが本当は既に誰の心の中にも存在している極自然な遺伝子でもあると思う。
だから俺にとって仏陀は心の中に常に存在しているんだ。
その仏陀は音楽の癒しの力を認めている。
ダライ・ラマに会ってその事を是非伝えたい。

人生丸損

今日、ステージでブログに野球と宗教の話はタブーですって言ってるバンドがいたんだがそうなると俺の日記は諸にタブーを犯している事になるな。
ふ~む、だけどタブーって何なんだ。
差し障りが無い事を並び立てても別に面白くも何ともないと思うんだけどな~。
だけど協調性を非常に重視する我が国日本にとってはやっぱり大事な事なんだろうな。
自慢じゃないが俺の小学校の通信簿の備考欄には必ずと言っていい程協調性が無いと書いてあったんだ。
その頃は協調性なんて言っても何の事やら意味が分からなかったがどっちにしろ反省の気持ちはおそらく皆無だったと思う。
そしてその身勝手ぶりは今のこの歳迄しっかり継続されている。
ふと考えるんだがもしあの頃通信簿に書かれた事を反省して協調性を身に着けていたら俺の人生は大きく変わっていた筈だ。
間違いなくロックのライブハウスはやっていないと思う。
そう考えると何か面白いよな。
サラリーマンになって今頃課長かなんかで仕事帰りに部下を連れて安い赤提灯とか行っちゃって愚痴こぼしてんだろうな。
俺は本当は音楽に携わって生きていきたかったんだなんてね。
埼玉あたりに35年ローンで小さな家買って化粧っけの無い大人しいけど芯の強い奥さんと二人の子供を抱えてしんみり自分の人生を振り返ったりしてさ。
だけどその時どんな事を考えるんだろうな?
満足してんのかな?
うちの店では常に若い子達が働いている。
皆音楽に係わって生きていく積もりで集まった連中だ。
だが必ず大きな分岐点がやってくる。
切欠になるのは学校を卒業する時期だったり一人暮らしを始める時もそうだし中には恋人と新しい生活を始める時っていうのもある。
共通して言えるのは何らかの責任が自らに掛かって来る時っていうのが大半だ。
経済的に安定しているものを採るか自分の好きな道に進むのか普通だったら悩み所だ。
うちのライブハウスは開店してから20年経つが働いてくれたスタッフの人数を数えたら軽く100人は超えているだろう。
その中で今でも音楽に携わって生活している人は2割にも満たないかもしれない。
それをどっちが正しいなんて言っているんじゃないんだ。
どっちに進もうがそれは本人の人生なんだから俺がとやかく言う事じゃあない。
ただ、自分で決断した結果なら納得がいくまでとことん貫き通さなきゃ駄目だぞ。
そうでないと自分自身に対して誇りが持てないからな。
迷うんなら徹底的に迷って一旦決断したら出来る限りの所迄やってみる。
決断した後でやっぱりああだこうだ言うような奴は何をやっても中途半端な事しか出来ない。
居ても居なくてもいいような存在価値の無い人間って事だ。
人それぞれ色んな事情もある。
結果的に自分の進みたい方とは違う道を選ばざるを得ないかもしれない。
だけどもしそうなったとしても誰かのせいにしたりなんか絶対にするな。
そんな奴は捻じ曲がった糞の様な人生しか送れないぞ。
最終的に決めるのは自分しか居ないんだ。
迷いはぶった切って誇り高く生きなきゃ人生丸損だからな。

魔界への道 2

夢か現実か、はたまた異次元の世界に足を踏み入れてしまったのか。
辛うじて言い切れるのは此処が渋谷のマクドナルドという事だけだ。
一体今が何年の何月かも見当がつかない。
過去ではなく未来なのはおそらく間違ってはいないとは思うんだが。
1階カウンターは俺の知ってるマックに近いと言えば近い。
但し0円のスマイルは消滅したようだ。
驚いたのは2階に上がった瞬間だった。
そこは店内がガラスの壁で二つに区切られていた。
こちら側は椅子テーブルの並んだお馴染みのマックなんだがガラスの向こうはなんとダンスフロアなんだ。
表情は能面の様だがそれなりに皆楽しんでいるんだろう、多分だが。
呆然と立ちすくむ俺には状況を把握する準備が足り無さすぎたのかもしれない。
そんな中、周囲の空気が一変した。
今迄踊っていた能面野郎達は一瞬の内に壁際に追いやられフロアの中心は何処からやって来たのか黒人に覆い尽くされていた。
益々、何が何やら意味が分からん。
分かるのは彼等のダンスが信じられないくらいにかっこいい事だけだ。
ヤバイ!頭が割れそうだ。
俺の使命は現在の政権政党が民主党なのかどうかを確かめる事だ。
序に小沢さんが逮捕されたのかどうかも確認したい。
あの~、ちょっと訊きたい事があるんだけど・・・。
何人の若者に声を掛けたんだろう。
全く持って無反応だ。
ん?いや違う。
全身に鳥肌が立つのを禁じえなかった。
彼等は反応しないんじゃなくて出来ないんだ。
喋る事が出来ないんだ。
日本人は喋る事が出来なくなる時代が将来やって来るって事らしい。
マジかよ。
鬱病の蔓延が未来の日本人をここまで変えてしまうって事なのか?
頭がくらくらする。
また気を失いそうだ。
ふっと目を開けると書きかけのブログが目の前にって、うう、どうなってんだ。
夢だったのかな?
それにしては随分鮮明な夢だ。
いや、まてよ。
もし夢だったらもう一回眠ってさっきの続きを見ようと思ってもそうはさせてくれない筈だ。
それは過去に何度も試したから間違いない。
今なら未だ相当の眠気を感じているから試す事が出来る。
俺は再度夢の世界へ向かった。
うおっ、気が付いたらまたしても渋谷のマックだ。
これでまともな夢じゃないのは証明された。
あれ?さっきの若者達は一人も居ない替わりに店内が全員黒人で埋め尽くされているじゃないか。
日本中の黒人を渋谷のマックに集めたのかな?
いや、違うようだ。
外に出るとやっぱり黒人比率が異様に高い。
もしかすると黒人を大量に受け入れる取り決めが未来の日米間で結ばれるって事かもしれないな。
それはひょっとしてアメリカ国内で白人と黒人との激しい対立が起こるって事を意味しているような気がする。
米国内で人種間の戦争みたいな事態が勃発して和解案として黒人がアメリカの同盟国に移住させられるって事かもしれない。
これがいつの時代か分からないがオバマさんは世界の救世主ではなかったらしい。
激しい眠気の中で辛うじて現代に辿り着いた途端、俺は深い眠りに落ちた。
不思議な体験だった。
俺のお気に入りの赤いソファーベッドと未来の渋谷マックの間に何かの切欠で時間を超越したトンネルみたいなものが出来上がってしまったのかもしれない。
まるで魔界へ続く道のようだ。
あれは単なる夢だったで終わらすのは簡単だかどうも腑に落ちない。
再チャレンジ出来るものならしてみたいがあんな未来は見たくはなかった。

魔界への道

今、政治の世界では大変な事が起ころうとしている。
ニュースを見れば必ずトップに取り上げられている民主党の陰のボスである小沢幹事長が逮捕されるかもっていう例のあれの事だ。
これはどの位大変な事態かというと現役の総理大臣が逮捕されるのと同じ位のものだと思った方が良い。
実際に逮捕に至った場合には政権政党である民主党は大ダメージを受ける事になる。
俺の予想ではそうなった時に鳩山さんの進退は問われる事になり民主党自体が分裂するような気がする。
何故分裂かと言うと民主党内には反小沢的な考えを持っている議員が大勢おり選挙に強いという理由だけで小沢氏の存在を容認していたという状況があるからだ。
このグループと小沢氏の豪腕で当選した多くの議員や恩恵を受けている連中とが対立関係になるのではというのが俺の推測だ。
だけど日本の今の不安定な現状でもしこんな内紛が起こったりすると本当にこの国はどうなってしまうのかという危機感を感じる事になるだろう。
小沢氏が逮捕されて鳩山さんが詰め腹を切らされるだけで民主党自体は一枚岩のまま新たな頭を挿げ替えて微動だにしないのならどうでも良い話なんだけどね。
カリスマ的ヒーローになりえるかもしれない自民党の舛添さんやみんなの党の渡辺さんが弱小野党に身を置く立場なだけに頼りには出来ないのも悪材料だ。
折角、民意による政党が世の中を綺麗にしてくれると思ったのにまたしても金銭疑惑が湧き上がるとは本当に残念だ。
ところで皆は今回の出来事をどう思っているのかな?
政治家なんて皆腹黒いに決まってるからそれが表に出ただけじゃんとか思っているくらいなら未だ良い。
最悪なのは政治の話なんか難しいし面倒臭いからどうでも良いみたいな何にも考えていない人達も居る事だ。
国が安定している時期ならそれでも問題は無いかもしれないが今はそうではないんだ。
途轍もないくらいの不安材料を今の日本は抱えているって事を認識していなければならない筈なんだ。
数年前まで何処の会社よりも安定しているという理由で常に新卒就職希望者の憧れの的だった日本の代表的企業のJALが会社更生法を申請したのは知っているだろう?
会社更生法申請っていうのは実質倒産したって事だからな。
これは日本の顔的存在がぶっ潰れたって事なんだぞ。
それくらい今の日本は危なっかしいって事だ。
経済事情以外でも沖縄基地移転問題なんかで日米間に亀裂が出来かかっているし新たなパートナーにと与党が進めていた中国偏重路線も最大のパイプを持っていた小沢氏がもし逮捕となればどう展開するか見えてこない部分も出てくる訳だし。
おい!お前等どう思ってんだ!
ってとこで俺は気を失ってしまった。
目覚めた場所は渋谷だった。
これは一体いつの時代なんだ?
明らかに未来のようだ。
未来に来たからには確認しなければならない。
政権政党は民主党なのかどうかだ。
嘗て東急本店通りと言われた通りに面したマックに入ってみる。
店内は俺の知っているマックとは様変わりしていた・・・・・つづく。

マイナスの燃えかす

前回の日記の内容に関して少し誤解を招く部分があったと思うので今日は補足を加えておきたい。
俺はマイナスを飲み込むくらいのプラスのエネルギーをうちの店事態が発したいという意味の事を言ったんであってマイナスのオーラを出すバンドを全て否定した訳ではない。
マイナスを出す事がそのバンドのロックならそれはOKだ。
どんなスタイルでもそれが突き抜けているのなら認めるのは当然だ。
だが、中途半端な姿勢でマイナスのオーラを出すバンドがいた場合、燃え尽きていない分マイナスの燃えかすが残るんだ。
これが厄介だと言ったんだよ。
このマイナスの燃えかすはウイルスと同じで人に伝染するんだ。
それも一瞬で。
皆も経験があるだろう?
何人かで楽しくわいわいやっていた所に負のエネルギーを出す奴が来て一瞬で重苦しい空気に変わってしまったみたいな事が。
世の中の全ての現象はプラスとマイナスで出来ている。
プラスに感じる事はマイナスがあるからこそプラスに感じるのであってマイナスが無ければプラスには感じない筈だ。
勿論逆の立場でも同じ理論が成立する。
だからマイナスを消し去る事は出来ないと言うか敢て必要とも言い換えられると思う。
マイナスを悪と例えるのは間違いだが解り易く説明する為に敢てそう表現すると世の中に蔓延する必要悪と言われるものはこれにあたる。
必要悪があるからこそ世の中は成り立ちバランスを保つ事が出来る。
違法ギャンブルや売春なんかはこれに入る訳だ。
法は犯す事になるがストレス解消して気持ち良くなれたり幸せを感じる人も大勢いるだろう?
政治家が槍玉に挙げられる違法な資金集めも彼等の言い分を聞くとしたらこれに当て嵌まるのだと思う。
そんな事を言っても悪は悪なんだからそんなの無くす事が良いに決まってんじゃないかって思うのが普通かもしれないがもし世の中の悪と言われるものが全て消滅したらどうなると思う?
そこは最早人間の住む所じゃないんだ。
神の領域だ。
勿論そこを目指すべきだが全ての人がそこへ行き着けたならその時点でこの世は存在意義を無くす事になるんだよ。

それは譲れない

今日はプラスとマイナスのエネルギーの話をしようと思う。
これは前から感じていた事なんだがこういうエネルギーって発しているのは明らかに人間だと思うんだ。
だけどそのエネルギーが強かった場合に周囲に伝染してその空間そのものがエネルギーを放つような気がしてならないんだ。
これは電車に乗った時に一番感じるんだが俺はどうしても強い負のエネルギーを受けてしまう。
それだけ悲愴感とか失望感とか絶望感とか人生に明るいものを見出せない人達が多いって事なんだと思う。
こういう波動は出来る限り受けたくないものだがうちのライブハウスでも時たま感じる事がある。
自分がリハーサルの段階から店に入っている時は自らのエネルギーでそんな負の空気を消し去るようにしているんだが本番からの時はもはや手遅れだったりするので困る。
こういう時は何をやっても駄目だ。
いくらいいライブをやったバンドがいても丸っきり無反応だしお客さんにも楽しもうなんて余裕は全く感じられず目当てのバンドが終わったらまるで逃げるように外に出てしまう。
じゃあこういう状況の時にどう対処すればいいのか。
物凄く破壊的なエネルギーを発するバンドを頻繁に入れるという作戦を俺は過去にとったのだがこれはとても良い結果が出たと思う。
強ければ強い程ハコに染まるので持続力もあるんだ。
だが、時代と共にこういった強烈なバンドも減ってきた昨今、スタッフのパワーを倍増させる事が一番の特効薬だと今は思っている。
精神的バランスを崩してしまった人達が蔓延しているのはバンドマンも同じ事でこの勢いは一向に止まる気配がない。
ならばその全てを飲み込むプラスのエネルギーで立ち向かって打ち負かす以外に方法は無いように今は思っている。
最早止まる事を知らない負の空気に染まってしまえばそれはそれで楽な事かもしれない。
だがロックな場所がその道を選んだら存在価値の無いものになってしまうと俺は思っている。
譲れないものは死んでも譲れない。

量より質

昨日の日記は俺としては随分当たり前の事を書き過ぎた。
今、読み返してみて全然面白くも何とも無い。
文句ばっかり並び立ててじゃあどうするべきかって部分がまるで無いし。
否定するだけして対応策を何も示す事が出来ないっていうのは最悪だ。
なんて自分にしっかり駄目出ししたところで今日のテーマは何にしようかってかれこれ1時間は考えていたんだが婆ぁの小便のようになかなか出てこない。
1時間かけても出てこない時はやっぱり自分の得意分野に走るしかないよな。
ってなるとやっぱり助平方面しかないじゃないか。
う~む、エロい話となると泉のように幾らでも出てくるぜ。
そうだな~、じゃあ今日は皆の大好きなおっぱいの話でもすっか。
人の好みは千差万別だが皆はどんなおっぱいが好きなんだ?
普通サイズかな?
それとも爆乳か?
中には貧乳が一番って奴も結構いるよな。
俺はと言えば実はサイズはあまり関係無いんだ。
大きさよりも質重視だ!
量より質って事だ。
おっぱいの質ってどういう事ですかだと?
馬鹿野郎!
質感だよ。
質感って言ったら硬いか柔らかいか、肌理が細かいか粗いかとかに決まってんだろう!
肌の肌理は細かいに限る!
これは絶対譲れないところだ。
触れた時に男には有り得ない女性特有のスベスベツルツル感が求められる。
そしてそんな事より最大限に重視しなければならないのは柔らかさだ。
筋肉と大して変わらないような硬いのは論外としか言えない。
いくらでかくて形が良くても話にならん。
こういうのを見掛け倒しって言うんだ。
見るだけならいいけど。
俺としてはおっぱいはマシュマロのようにプニョプニョしてて初めておっぱいと認める事が出来る。
タプタプとかフニャフニャとかフガフガっていうのも同じ様に聞こえるかもしれないが微妙にニュアンスが違うんだ。
あくまでプニョプニョだ。
こんな事ばっかり言ってると女性蔑視だとか言う奴が必ず居るがそれは大きな間違いだ。
これは男の本能が言わせているんだよ。
男に生れておっぱいに興味が無いなんて言う奴の方がよっぽど女性を馬鹿にしていると思うぞ。
魅力的な存在を魅力的だと言って何が悪い!
何が変態だ!
女性を愛するが故の発言じゃないか!
お前等もこういう所でかっこつけたりしちゃ駄目だぞ。
おっぱい触らせろとか一発やらせろとかがんがん言わなきゃいかん!
これは男の義務だ!
これが男の自然な姿だろ?
不自然に生きればそれだけ歪みが出るのが人間なんだよ。
男も女も本能の部分をもっと自然に出すべきだ。
そう思わないか?

























心の後進国

なんだか民主党の実質のボスである小沢さんの周辺が怪しい雰囲気になってきたな。
またしても金銭がらみの疑惑だ。
政治に金がかかるというのは分からんでもないがああ、またかという感じでこの手の話題にはもううんざりだ。
国民の方がこんな話にもう慣れっこになってきている状況が実は一番まずいと思うんだが。
何から何まで金、金、金だ。
日本を動かしている言わば国民の代表がこんなじゃこれが日本の価値観になっても仕方ないのかもしれないな。
やっぱりいつまで経ってもこの国は心の後進国だ。
心の後進国って事は心の貧乏な国、貧しい国って意味だからな。
この日記の中でも何回も言ってきたが欲望っていうのは求めればきりが無い無限地獄なんだ。
ほどほどの所で上手い事バランスをとらなきゃいけないのにもっともっととなってしまう弱さが人間を駄目にしていくんだよ。
欲望を貪れば貪る程心は必ず貧しくなるんだ。
いったいいつになったら軌道修正出来るのかな?
いい加減に気が付けよ。
猿と変わらねえぞ、これじゃあ。
性質が悪い分猿以下だよ。
このままじゃあ丸っきり明るい未来が見えないよ。
ありきたりな言い方だがやっぱり政治家はろくなもんじゃないな。
この間、或る番組で叩けば埃が出るようなやり方をしていかなければ政治家なんて出来やしないんだなんて開き直っていた議員がいたがとんでもない事だ。
必要悪的な事を言いたかったんだろうが果たして本当にそうだろうか。
既に出来上がってしまったシステムを根本的な部分から変える事は容易ではないのは百も承知だ。
だが変えていく以外にこの国が本当の意味での先進国になれる日は絶対に訪れないぞ。
もう爺さん達に期待しても同じ結果しか出てこないのは十分分かった。
彼等に期待する事は時間の無駄だ。
そろそろお前等の出番がやって来るぞ。
大丈夫だろうな?

鳥の目

毎週録画して観ているサンデーモーニングの中での会話に出てきた例え話なんだが鳥の目、虫の目というのがあったんだ。
これは鳥のように高い所から地上を見れば大きな視野で物事が見えるし虫の立場になって見れば足元がよく見えるというものだ。
そして現代にはこの両方の目が必要なんじゃないかと言うんだ。
全く持ってその通りだと思う。
そして、俺が思うに世間では虫の目で物事を捉えている人は大勢いると思うんだが鳥の目となるとそこまで意識が回らない人の方が断然多いように思うんだ。
だが、この鳥の目で物事を見る事が出来るかどうかでその人の人生が一変するのは間違いない。
全然意味が分からないって?
じゃあ、簡単な例を挙げて説明してみよう。
君には死ぬほど恋焦がれた女の子が居たとする。
頭の中は彼女の事一色で自分に最も適した恋人候補は彼女以外に存在しないと思っている。
そこで思い切って告白したんだが見事にふられてしまった。
じゃあ、どうする?って事だ。
ずうっと悲しい気持ちのままいつまでも落ち込んでいる積もりか?
そんな奴は恋愛に限らず何処で何をやっても駄目なんだよ。
こういう時こそ鳥の目で物事を見るんだ。
実際に自分が鳥になって高い所から君が今居る場所を見てみろよ。
狭い所でこちょこちょ動いてるくらいにしか見えないだろう?
そんな鼻糞みたいな小さなとこでうだうだしてたって馬鹿馬鹿しいって思うだろう?
そして、君の周囲以外にも魅力的な女の子がわんさか居るのも見える筈だ。
そう考えたらいつまでも彼女に執着する必要も無いって気付く筈だ。
気持ちをスパッと切り替えて新しい出会いに期待してわくわく出来るじゃないか。
自分の思ったように何でも物事が進むんなら誰も苦労しないんだよ。
最後まで諦めないっていう姿勢はとても大事な事だが時には思い切って発想転換出来る心の柔軟性というのも同じくらい大切な事なんだ。
これは一見、相反するように聞こえるかもしれないがそうじゃないんだ。
角度を変えて物事を見詰めた時により良いと判断出来たら大きく舵を切る勇気も必要なんだよ。
今迄正しいと決め付けていた事が新たな視線で眺めた時に間違っていたって思えたら自分の非というよりも器の小ささをあっさり認めて新たな方向に向かうべきなんだ。
そこで頑なに固執する事を意固地って言うんだ。
そんな奴はでかい器には決してなれないぞ。
意志を貫き通す強靭な精神力と物事を多角的に判断出来る柔軟性が君を大きくするんだ。
この二つは頭の中に叩き込んでおけ。

本音と偽善

世の中にはなかなか本音を出そうとしない人がいる。
いや、こんな言い方は少し違うな。
だって過半数がそうだもんな。
君達の周りにも沢山いるだろう?
上っ面の良い事ばっかり言っている連中がさ。
ビジネストークなら分からんでもないが常にこんな対応ばかりされると本当の意味での人と人との交流なんか絶対に出来ないよな。
なんでこんな風になってしまうのかというと原因は二つあると思うんだ。
先ず挙げられるのは思いやりだ。
だがこの思いやりは偽者の場合が殆どだ。
相手の事を少しでも持ち上げていい気持ちにさせたところで会話に持ち込むという言ってみれば姑息な小心者の手口でもある。
時代劇に必ず出てくる悪代官に媚を売る悪徳商人の姿そのままだ。
そして、もう一つは防衛本能の為だ。
上辺のおべんちゃらは単なる偽善で結局は自分を良く見て貰いたいだけなんだ。
言い方を変えれば世の中と上手く調和していく為の平和主義者ともとれるがそんなものは本当の意味での平和主義とは言えない。
あくまで利己的な偽善者でしかないんだ。
どうだ?
あっ、認めたくないけどそれって自分の事かもって思ったんじゃないか?
知らず知らずのうちにそうしてないとまともに生きていくには支障をきたすのが日本って国だからな。
皆はこんな日本をどう思っているんだ?
染まっちゃってるから何も感じないってか?
そんなのは世界中何処へ行っても同じだなんて思っている奴は少し認識不足だぞ。
たしかにどんな国にもある事だが使用頻度というか割合は大きく違うからな。
常日頃から本音より建前の方が多い国なんて日本以外にないぞ。
まあ、こういうのは風潮だから一概にじゃあ本音の国にしましょうって言っても簡単に変えられるものじゃあない。
皆一人々が変えようという意識を持たなければ100年でも1000年でも続くものだ。
だけど現在のこの心のバランスを崩してしまった人が蔓延している状況はこんな部分も大きく影響していると思うんだ。
上っ面の偽善者が大嫌いな俺としては息苦しくて仕方が無い。

もう一つの尺度

人と人との出会い程不思議なものはない。
全てはタイミングなのだろうか。
上手くいっていたと思っていた彼女ともいつのまにか連絡が途絶え自然消滅したかなと思っていた矢先に磁石が引き付けあうように新たな女性が目の前に現れた。
そして、まるで産まれる前から既に決まっていたかのように俺達は自然に付き合う事になった。
ほんの少しでもタイミングがずれていたら今の結果は無かったのかもしれない。
だが、おそらく100%こうなるように決まっていたような気もしないでもない。
俺の人生のストーリーはいったい誰が台本を書いているんだろうか。
彼女は何の目的を持って俺と出会う羽目になったのだろうか。
俺に何を気付かせようとしているのか。
そして、彼女は俺に欠けている何を教える為に目の前に現れたのだろうか。
人と人との出会いには必ず意味があるものだ。
人間は魂を磨く為にこの世に生まれて来ている筈だ。
泥に塗れた原石を洗って更に光輝かせるように。
いったいいつになったら光輝く事が出来るのだろう。
もう人生の半ばはとうに過ぎているのに。
なんて事を考えていると一生考え続けなければならない事も薄々分かってはいる積もりだ。
人間なんて所詮その程度なのだろう。
何も考えずに成すがままに人生を送る事は決して悪い事とは思わない。
だが、ふと立ち止まって考えるとあれ?何か変だな、誰かに何かを試されているみたいな気がする。
そんな時って皆はないか?
目の前の自分のやるべき事に全力を尽くすのは最も大切な事とは思うが丸っきり違う尺度から自分自身というか人生を考えてみる事も実は大きな意味があるんじゃないかなんて思ったりしている昨今だ。

和顔施

以前にも話した事があるが仏教用語で和顔施という言葉がある。
これは所謂お布施の一つでもある。
お布施っていうのは分かるだろう?
慈悲の心を持って他人に物とかお金とかを施す事だ。
だがこのお布施には3種類あって物やお金意外にも困った人を慰めたり教えを説いたりっていう形の無いものもあるんだ。
そんな中で相手に笑顔を見せるというのがあるんだがこれを和顔施って言うんだ。
困った人を慰めたり教えを説いたりっていうのが人に何かを与える事になるってところは誰でも理解出来るよな?
だけど笑顔を見せて何を与えた事になるんだって思うかもしれない。
でもこれを貰って困ったり怒ったりする人は何処にも居ない筈だ。
だって思いやりを貰った事になるんだから。
勿論、打算があっての作り笑いなんかは別物だぞ。
慈悲の心を持ってなんだから無償でなきゃ駄目だからな。
無償で笑顔なんか作れるのかななんて思う人もいるかもしれないがこれを出来ない人はいない。
だから皆は知らず知らずの内に誰かに無償の愛を与えている事になるんだ。
その笑顔を貰った人は思いやりを貰い優しい気持ちになれたり心が癒されたりする事になる。
そして、この無償の愛って奴は見返りを求めていない筈なのに必ず見返りが返って来るものでもあるんだ。
だからいつも笑顔でいられる人程心が豊かになれるんだよ。
人間の心は1つ1つの細胞を作っている元素の中にあるんだ。
そしてその心は愛の粒子で出来ている。
だから誰しも例外無く無償の愛というものを持っている筈なんだ。
無償の愛を貰ったら無償の愛を返したくなる。
これは愛の粒子同士が反応しあうからだ。
となると誰もがこの和顔施を与え合ったとしたらどうなると思う?
世界中が愛に包まれ平和になり全ての人が幸せを感じる事になるんだ。
これが人間が次のステップに進める方法だ。
心の進化って奴だよ。
科学だけが進化しても心の進化が伴わなければ人間は科学に滅ぼされる事になる。
これが現在向かっている方向だ。
心の進化も伴って次のステージへ向かう事が出来るのか、それともバランスの崩れた状態で科学に滅ぼされるのか。
近い将来その結果を知る日が来る筈だ。

ひめはじめ

12年間ブッキングを共に行ってきた盟友M君が店を辞める事になった。
毎日プレッシャーだらけのこの仕事をよく頑張って続けてくれたと心から本当に感謝している。
そんな事もあって年が明けたら少しは楽になると思っていた仕事も以前の倍の仕事量をこなす羽目になってしまった。
好きでやっている仕事だから苦ではないのだがこの日記を書く時間がなかなか作れない事が新たな問題点ではある。
いつも読んでくれている君等に対して悪いなぁという気持ちと書きたくて仕方が無いのに時間が丸っきり無いという現実の狭間で悶々としていたんだよ実は。
だが何とか時間の割り振りを調整してまた以前のぺースで書けそうな状態になったのでこれからも宜しく頼む。
さてと、今日は何の話にすっかな。
皆も正月気分が未だ抜け切らない時分だろうからあんまり硬い内容じゃあ読む気もしないよな。
って事はやっぱりエロしかないのかな。
どうだ?今年の1発目は済ませたのか?
所謂ひめはじめって奴だな。
ん?未だだって?
馬鹿野郎!
年が明けてもう1週間経ったんだから若いお前等は7発はやっとかなきゃ駄目じゃないか!
俺でも3発やったっていうのに。
ところで皆は一回にどのくらい時間をかけるのかな?
1時間くらいってのを良く聞くけどそれって本当かな?
だとすると俺はかなり短いって事になるかもしれないな。
30分だっておそらく滅多にかかってない気がするし。
以前観たAVで一時間以上ずっと愛撫してんのを観た事があるがあれってちょっとやり過ぎだよな?
だって1時間も色々揉んだり舐めたりやってたら途中で素に戻って萎えちゃうと思うよ。
まぁ、時間なんて本当はどうでもいい事だけどね。
大切なのはやっぱり気持ちだよ。
愛だよな。
愛があれば1時間だろうと1分だろうと関係無いよ。
っていうのは男の言い分で女の場合は少しの時間しかしないんなら最初からやらない方がましってのが本音らしいぞ。
それってやるからには絶頂までいけなきゃ欲求不満になるだけだから最後までしっかり保たせろって意味だよな。
そうすると男ってのは一旦いきそうになるとそう簡単に止められるもんじゃないからやっぱり愛撫の段階で女の方をかなりの所まで気持ち良くさせとかなきゃいけないって事になるだろ?
だとするとやっぱり1時間くらいはやらなきゃ愛のあるセックスって言えないってわけだ。
あれ?
じゃあ俺駄目じゃんか。
自虐ネタかよ新年早々。

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