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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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非力は力の源也

ふぃ~、東京でも38度を超えたらしいじゃないか。
ちよだ寿司で買った半額セールのまぐろが1時間事務所に置いておいただけでどす黒く変色していたのは暑さのせいだけなんだと信じたい。
そして、出勤前にそば屋で食った冷奴がヨーグルトみたいな味がしたのもきっと猛暑の仕業に違いない。
そういえば2~3日前に食べたラーメンの支那竹も不思議な臭いがしたなぁ。
これだけ暑けりゃ腐りかけた物を食わされても仕方が無いよね。
って、んなわけねえだろ!
やっぱり暑くなり過ぎて良い事なんて女の子の肌の露出度が高くなる事ぐらいしか無いよな。
いっその事、水着でいいんじゃないのなんて思ったりするんだがどうだろう?
流石に自分一人だけっていうのは恥ずかしいかもしれないけど皆がそうだったら別に何とも思わないだろうし。
そうなったら気温が40度だろうとずっと外に居るぞ、俺は!
ちっ、暑さのせいで冗談言っても面白くも何とも無いぜ。
暑さで思い出したが去年だったか一昨年だったかに流行ったクールビズってどうなったんだろう?
今年は全然そんな事誰も言わなくなっちゃったと思わないか?
クールビズのし過ぎで熱中症になったら馬鹿みたいだからかな?
う~む、途轍もなくつまらない話をまたしてしまったようだ。
さて、真面目な話をしよう。
この異様な暑さは現代人が自らの手で作ってしまったものでもあると思う。
それは土をアスファルトで覆い隠してしまったからだ。
地面が土のままなら熱も反射しないから陽が当たっていなければここまで暑く感じる事は絶対にない筈なんだ。
実際に俺が子供の時分は真夏でも夜になると結構涼しかったりしたからね。
やっぱりしっかり考えている積りでも底が浅いんだよ、人間って。
自分達で作り上げた物のせいで逆に困ってるんだもんな。
車と排気ガスの関係なんかもまるっきり同じだと思うし。
でも、この未熟さがあるお陰で明日を夢見る事が出来るのかもしれないなんて思う事って無いか?
そう考えると未熟も悪いもんじゃないような気もしてくるよね。
未熟は次に進む為の活力源なのかもしれないなぁ。
非力は力の源也、なんちゃって。
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終戦記念日

8月15日は終戦記念日だったがこの日になると必ず取り沙汰されるのが靖国神社参拝問題だ。
日本の首相が参拝するのは是か非か、意見も大きく分かれる所だ。
なんて言っても若い君らの中には何の事やら意味が分からんという困ったちゃんも居ると思うので今日はこの神社について少し話してみよう。
そもそも靖国神社っていうのは日本の為に命を落とした戦没者の魂を祀る為に造られた神社だ。
でもそれは太平洋戦争じゃなくて明治維新の時の戦没者の為というのが当初の目的だったようだ。
国の為に死んだ人を祀ってあるんなら終戦記念日に参拝に行こうと思っても何の不思議も無いし遺族の人達がそこへ向かうのは当然ではある。
だが、しかし、247万人の戦没者の中に14人のA級戦犯も含まれている事から話は複雑になっているんだ。
神社に祀られているって事は神なわけだから戦争を起こした張本人を拝みに行くという事にもなってしまうだろ?
それを国の首相が行うとなったらアジア諸国の人達の感情もそうだろうけど日本人としても複雑な心境になってもおかしくないと思うんだ。
昭和天皇ですらそれまで参拝していたにも係わらずA級戦犯も祀られるようになってからは参拝をしていないんだから。
A級戦犯も戦没者という括りに嵌るのかもしれないがこの両者を同一扱いするというのはかなり無神経なような気もする。
だけど、実際にそうなってしまっているのだから問題も避けられないというものだ。
色々な意見があるがやはり行き着く所はどんな状況でも戦争は否という事だ。
戦争を決行する時というのはそこに正義があると思うのかもしれない。
でも、例外無くそれは錯覚であり人間の驕りでしかないと思う。
戦争を実際に体験していない俺達が終戦記念日にしなければいけない事は戦中に生きた人達の思いを聞き、それが出来なければ少しでも情報を集め、二度と悲惨な状況を招かない事を誓うしかないと思う。
君等の歳に日本の為と叫んで命を落としていった人達はどんな思いだったんだろう?
空襲警報が鳴り響き防空頭巾を被って防空壕に逃げ惑う人達はどんな気持ちだったんだろう?
この世の地獄でしかなかったと思うよ。
戦争を美化するような映画とかドラマも有るけどそんなもんじゃないだろう?
人としての最も愚かな行為は戦争意外に無い筈だ。

過去の自分の一面

今日は自分の気持ちがストレートに顔に出る人の話をしよう。
顔に出ると言ってもそれが一概に悪い事という意味じゃないよ。
誰でも瞬間的に大笑いしたり怒ったりっていうのはあるけどそうじゃなくて注意されたり面倒臭い事を頼まれたりした時に露骨に嫌な顔をする人の事だよ。
君等の周りにもきっと居る筈だ。
こういう人ははっきり言って未熟で子供っぽくてわがままなんだと言ってしまえばそれで今日の話は終わってしまうんだが良く言えば正直なんだとも受け取る事が出来ると思う。
実際に皆もそうだと思うが未だ世の中に馴染んでいないような子供の時分は誰でもそうだったんじゃないかな?
子供って正直だろう?
勿論、大人に比べての話だけど。
正直っていう事は心も綺麗だとも言えると思う。
だからこういう人を納得させる時は、先ず何で嫌な顔をするのか訊くべきだと思うんだ。
そして、それが単なるわがままだったりしたらその嫌な顔がどういう道程を経てどういう結果を巻き起こす事になるのか分かり易く説明してあげればいいんだ。
負の行動は必ず負の結果を導くものだ。
これをしっかり教える人に今迄出会わなかったというだけだと思うよ。
俺の経験上、その人が若ければこういう説明を数回すれば大きく変わるものだ。
だが、やっかいなのは年齢がいっている場合だ。
その人の心の度量にもよるがこういう大人は大抵柔軟性も何も無いものだ。
理解は出来ていてもそれを実践するとなると下手したら今迄の人生を否定されたような気にもなったりするからね。
人としての向上心を持っていれば人間はいつでも変わる事が出来る筈なんだが大人はそれを邪魔するプライドも有ったりするから厄介なんだ。
天秤に掛けてどっちが重いかって事なんだが、もしプライドの方が重ければその人は残念ながら人として向上出来るチャンスを一つ逸するわけだ。
勿体無い話だろう?
人生の目的の一つを自ら放棄するんだもんな。
俺はこういう説教がましい話をする時は、それを自分自身に当て嵌めてみる事にしている。
あの時はこういう気持ちだったからああいう結果になったというふうにね。
そう考えると昔、散々注意されて怒鳴られた一つ一つの出来事が如何に今の自分に役立っているかが分かるというものだ。
そして、こういうものは若い人達に伝授していかなきゃ俺を怒鳴ってくれた先輩達に申し訳が立たないってもんだろ?。
俺は元々世の中から弾かれそうになった人間だ。
何処へ行っても必ず誰かと衝突して問題児扱いされてきたと言っても過言ではないと思う。
そして、自分の方が悪かったのなら必ず悪い結果も付いて来る。
そんな時に状況を打破するには生きる術を身に付けるしかないんだ。
今日の話も過去の自分の一面でもある。
これを読んでああ、そうかと思ってくれる人が一人でも居たのなら書いた甲斐もあるというものなんだが。

愛の結晶

友人のお父さんが亡くなった。
奇しくも入院していた病院は俺の親父が最期に息を引き取った場所と同じであった。
友人もあの時の俺と同じ思いをしているのかと思うと言葉に詰まるものがある。
そして、ああ、今はお盆じゃないかと遅れ馳せながら気が付いた次第だ。
毎年そうなんだ。
お盆の時期って必ず親父の事を想い出す切欠みたいな出来事が起こるんだ。
あの世からお盆の時ぐらい親を想い出せって言っているのだろうか?
亡くしてみて初めて分かる親の有り難さとはよく言ったものだ。
生きている時だって一応大事にしていた積りなんだがやっぱり心の何処かでいつでも会えるからいいやなんて蔑ろにしていた部分が無かったとは言えないと思う。
でも、感謝の気持ちを忘れていたというのとは訳が違う。
俺が思う最大の親孝行っていうのは息子である自分が毎日精一杯生きる事だと思っている。
だからその為に親に会えない日が何年も続いたとしてもそれは間違っているとは今も思っていない。
だが、実際にそんな生き方をしてきた息子の親の立場になるとどうなんだろうか?
なにしろ長い時は4年も音信不通で会いに行かなかったんだもんな。
口では強がったとしても腹の中じゃあ無茶苦茶心配するよな、普通。
もう、危篤状態であと数時間かもしれないという時も俺は駆けつけなかった。
丁度その日が自分が主催するイベントツアーの初日だったからだ。
男は強く生きなきゃいけない、責任は最後まで全うしなければいけないという親父が背中で教えてくれた事を今、実践する事が俺の最大の愛情表現だと思ったんだ。
そして、これが俺流の最後の親孝行でもあった。
今、これを読んでいる君は親を大切に思っているか?
面倒臭いとかうざいとか思ってんじゃないのか?
もし、そうだとしたら君が産まれた時の両親の顔を想像してみろ。
きっと涙を流して喜んだ筈だ。
その涙は愛の結晶で出来ている事を一生忘れちゃいけない。

魂を受け継いだ若者

やはり、骨のある奴は居るもんだ。
ギター一本で言いたい放題腹の内をぶちまけるパンクな若者が登場した。
東の幕府を倒しに行くという意味とも言われている高杉晋作の別名を名乗る所がまた勇ましい。
意味も分からずただ世の中を批判するのがパンクと思っている勘違い君とは訳が違う。
その歌いっぷりに解き放った言葉の責任は全て俺が取るという肝の据わった部分がはっきりと見える。
彼が影響を受けたのは昔のフォークソングだという。
彼の口から出て来たそのフォークシンガー達の名前は俺が中学生の頃に衝撃を受けた人達と同じだった。
そうなんだ、その頃のフォークっていうのは実にパンクだったんだよ。
放送禁止になる曲が凄く多かった事でもその過激さが分かるというものだ。
そんな彼等のメッセージが30年の時を越えて今も彼のような若者達に届いているというのは素晴らしい事だと思う。
そして、もっと驚かされた事はその魂を受け継いだ若者が今、新たに俺の心を突き刺したという現実だ。
やはり、本気のメッセージに時代は関係ないという事なんだろう。
彼はこれから人並み外れた苦労をする事になると思う。
パンクな生き方はすればする程、過酷な人生が待ち受けているものだ。
彼が難無く生きられる程、この国は成熟しちゃいないから。
だが、そんな難関を一つづつ乗り越えて行く度に彼の曲は益々研ぎ澄まされていく事になるだろう。
こういう若者を発見してしまうとやっぱり俺は死ぬまで此処から離れられないような気がしてしまう。
そんな覚悟はとっくに出来ているけどね。

他人に厳しくの前に

へぇ~、最近は海岸でビーサン飛ばしっていうのが流行っているのか。
自分の履いているビーチサンダルを振り抜いてどれだけ遠くに飛ばせるかっていう競技みたいだね。
ビーサン飛ばし世界選手権っていうのも有るって言うんだから凄いな。
ルールの中に始める前に必ずビーチの掃除をするっていうのがある所がとてもユニークだ。
最初はどうすれば海岸のゴミを無くす事が出来るかと考えてその方法としてこのビーサン飛ばしっていうのが発案されたらしいんだがこれは名案だと思う。
これを考えた人はかなり頭が良いと思うがそんな騙くらかすような事をしなくちゃ誰もゴミを拾わないっていうのも情けない話だ。
でもさ、自分の行動を振り返った時にゴミを放ったらかしたり煙草のポイ捨てをしたりみたいな事を今迄一度もした事が無かったのかなんて言ったら勿論俺も有るもんな。
っていうか、した事無いなんて人は居るのかな?
どんなに奇麗事を並べたって所詮人間なんてその程度のような気がするよ。
だから仕様が無いって言ってるんじゃないんだ。
先ず、俺達はその程度なんだって自分で認める事が大切だと思うんだ。
偶に他人に迷惑を掛ける事も有るけどそういう時はお互い気をつけようというのが正しいような気がするんだ。
これを頭からゴミを放ったらかす奴はけしからん!厳罰だ!みたいにしちゃうとじゃあお前は完璧なのかみたいな下らない方向へ行っちゃう事もあるし不自由な空気が生れるだけだと思うんだ。
こういうのって人付き合いの中でもよくある事で例えば仕事場で誰かがミスをしたとするだろう?
そうするとそれを責める奴が必ず居るよな。
それは確かにミスる奴が悪い事には違いは無いがバッシングする事が目的のように責める奴が居るだろう?
こういうのは駄目だ。
だってゴミの話と同じようにそれじゃあお前はミスをした事が一度も無いのかって話になっちゃうからね。
そうじゃなくてどういう理由でミスったのかというその原因を認識させる事を目的に責めるべきなんだ。
それなら責められた側も前向きな気持ちは失わずに済むだろう?
でなきゃ自信喪失と恨みが残るだけだよ。
他人に厳しくっていう前に先ず自分はなんぼのもんなんだって問い掛けるべきだと思うよ。

裏舞台

夏も中盤から終盤に差し掛かってきたが皆どうなんだ?
彼女は出来たのか?
あれもちゃんとやったんだろうな?
まさか悶々と一人でシコシコばっかりやってんじゃないだろうな?
馬鹿野郎!
自家発電は幾らやってもエコカーも動かせないぞ!
そんな事で放出するくらいなら風俗へ行かんかい!
しかし、俺ももう随分長い事風俗には行っていないなぁ。
あっちの世界は独特の流行り廃りというのがあったりするのでちょっとご無沙汰すると状況が激変していたりして知らない事だらけになってしまったりするんだ。
という事で今日は最近の風俗事情に詳しいK君に色々教えて貰ったので少し参考にしてみてくれ。
彼の話によると最近流行っているのはエロなんだけど寸止めで終わるマッサージなんだそうだ。
う~む、俺は絶対にパスだな。
そんなの欲求不満が残るだけじゃないか。
しかし、彼が言うには射精しなくてもイッたのと同じ感覚になれるらしいぞ。
そう言われると何となく納得も出来なくは無いな。
所謂、気持ちだけイクっていう状態の事だよな。
リンパマッサージって言うんだそうだ。
他にも睾丸マッサージってのも少し前のトレンドだそうだ。
随分痛そうなトレンドだがこれもかなり気持ちいいらしいぞ。
だけど、手入れが入った時の言い訳が出来るからこんなのが流行ってるんじゃないのかなって思ったりもするがどうなんだろう?
それに若い君等にはちょっとマニアック過ぎるかもしれないし。
俺のお勧めはやっぱり王道と言われるソープだな。
男なら一度は経験しとかなきゃ肝が据わらないってもんだ。
これを知っていればヘルスとかピンサロなんてのはガキの遊びだよ。
例え借金しても行く価値は十分あると思っといた方がいい。
こういう事ばっかり言ってると必ず女性蔑視だとかいう奴が出て来るんだがそれは大きな間違いだ。
相手は仕事としてやってるプロフェッショナルなんだからそういう事を言う方が失礼なんだよ。
それに男ってのはこういう道を通って少しづつ大人になっていくものなんだ。
世の中には表舞台と裏舞台があるんだ。
この表と裏の両方を知って、経験して初めて出て来る人間の味というものもあるんだ。
薄っぺらな男に成らない為にも少し覗いてみるのも悪い事じゃないよ。

恋愛相談

今日は俺の友人であるT君の話をしよう。
歳は俺よりふた周り位下だと思ってくれ。
彼は今或る女性と同棲している。
俺も二回ほど会った事はあるが明るい感じの細かい所にも気が付くようなとても感じの良い人だ。
だが、その時ふと感じたのは彼との相性に対する不安だ。
本当にこれでいいのかな?という俺流の勘が働いてしまったんだ。
あれから何ヶ月経っただろうか。
数日前に彼から電話が掛かってきた。
彼女と別れたいと思っているんだがなかなか切り出せないという相談だった。
あ~、やっぱりな、という感じだ。
だけど、恋愛に関する相談はよく受けるがこういうのは俺に訊かれても困るだけだ。
深い部分の二人の関係は本人同士にしか分からないし踏み込む事も出来ないもんな。
20~30年前の言い回しだとこういうのはフィーリングが合わなかったと言うんだろうがこの二人に関して言えばまさにそのままのような気がする。
元々他人同士なんだから何から何までドンピシャなんて事は有り得ないのが恋愛だ。
でも他人から見てもこの二人は無理だろうって思っちゃうってのはやっぱり駄目になる可能性も相当高いような気がするな。
じゃあ、何で同棲しちゃったのかって事だよな?
此処から先は俺の想像の範疇だから実際は全然違うのかもしれない。
例えばセックスの相性が良かったとかそういうのは分かんないもんな。
俺も彼を友人として信頼しているしどういう人間かっていうのもある程度分かっている積りで言うんだが彼は物凄く優しい奴なんだ。
自分より常に相手の立場を優先しちゃったりする性格なんだ。
だから、おそらく同棲したのは彼女の方から望んだんじゃないかと思うんだ。
自分の気持ちを確かめるなんて事は二の次で相手がそうしたいのならそうしようみたいな感じだったんじゃないかと想像出来るんだ。
良く言えば優し過ぎるという風になるが悪く言えば完全に優柔不断だ。
その上、軽率で無責任だよな。
そして、何ヶ月かの間にだんだん自分の気持ちが見えて来てどうにもこうにも苦しくなって救いを求めてきたような気がするんだ。
友人のそんな悩みをブログに書いたりしていいの?と思うかもしれないがそこはちゃんと本人の了承も取ってあるから大丈夫だ。
本人も自分の行動を反面教師にして欲しいみたいな思いがあるらしいんだ。
結果的に俺が彼に言ったのは自分がそうしたいのならそうするしか無いんじゃないのって事だ。
何故なら恋愛って最終的には自分より相手を大切にする事だとは思うけどそこに誰よりも好きで誰よりも愛してるって感情が含まれていなければ成り立たないものだろう?
そこが抜けていて相手の気持ちがどうのこうのっていうのは単なる偽善だし相手に対しても失礼だと思うんだ。
でも、色々あって良いと思うよ。
恋愛の苦しみを知らなきゃ人生を知らないのと同じだからね。

ネグレクト

最近ネグレクトという言葉をよく耳にするようになった。
例の二人の我が子を放ったらかして死なせた母親の事件が切欠になった事は明らかだ。
本来の意味は無視する事ではあるがこれが日本では児童虐待、高齢者虐待等の時に使われる事が多いので虐待という意味に捉えている人も多いかと思うが実際はそうではない。
そうではないが無視は立派な虐待ではある。
虐待には肉体的に被害を受ける暴力的なものと無視も含まれる精神的なものがあるわけだがどちらにしても非人道的な行為には違いは無い。
一見、暴力的虐待の方が残酷なイメージがある。
だが、原因として物事を深く考えずに起こる衝動と言うか短絡的な部分も多々あると思うのでこの場合は改善されてまともになる可能性も大いに含まれているような気がする。
しかし、精神的虐待というのは被害を受けた側からすると傷が癒える迄費やす時間は非常に長いように思う。
というか一生心の傷として残る人も多いんじゃないかと思う。
こういうのは普段の生活の中では自他共に分かりづらい部分もあるが例えば今回の事件の母親が小さい時に精神的虐待を受けていたとしたらその反動が自分の子供に向かう可能性は非常に高いように思う。
大人が大人にするネグレクトというのもある。
所謂一種の虐め行為なわけだがこれは非常に情けないものがある。
もし君等が大人だとしても仕事場なんかでこういう事をされないとは限らない筈だ。
だが、心配する必要は無い。
やられたらやり返す必要も無い。
これをやりだすと毎日憂鬱になったりするからね。
正しい対処法は哀れみの心で接してあげる事だ。
何故なら相手は中身が未だ子供なんだって自分で言っているのと同じだからだ。
歳はそれなりに取っているのに心は未成熟っていうのは或る意味可哀想な存在ではあるんだ。
こういうタイプの人は必ずと言っていい程、自滅するもんなんだ。
君が何かしなくても本人がそこに気が付く事が無ければ世の中に消し去られてしまうんだ。
他人がどうこう出来る問題じゃない。
あくまで本人次第という事だ。
そんな事より何より自分が虐待する側には絶対にならない事が肝心だ。
虐待行為程、卑怯で陰湿なものはないからね。

進学も就職も無職も関係ない

今年卒業した大学生の就職率は60%だったそうだ。
そして、残りの40%の内大学院等への進学が13%いるが就職も進学もしなかった人も16%いたそうだ。
って事はあとの11%は落語家の弟子とか仏門に入ったりとか極道の使いっ走りとかそういうのかな?
まぁ、細かい事は置いといて就職も進学もしなかった16%の若者の話をしよう。
数にすると87000人だそうだ。
勿論、就職したくても出来なかった人も多数含まれるわけだが彼等はどうやって生活しているのだろうか?
取り敢えずのバイトか親の脛かじりって所なのかな?
あとは有閑マダムに食わして貰うとかヒモとかパチプロなんかもあるか。
だけどその中に自分なりの目標を立てて敢て就職しなかったという人も結構いるんじゃないかと思うんだ。
当然、この中にはバンドマンも沢山含まれている事と思う。
そんな彼等を応援する側に居る自分ではあるが誰でも彼でも応援すればいいというのとも少し違うように思う。
何故ならバンドを続けるには色々なものを犠牲にしなけりゃならないからだ。
そしてその志が高ければ高いほどその犠牲も多くなるのは目に見えている。
それが本当に本人にとって幸せなのかどうかって事だよね。
バンドマンに限らず音楽以外でも絵画なんかの美術の世界もそうだろうし映画や舞台の役者だったりスポーツ選手として生きようとする人達も同じ事が言えると思う。
ボクサーなんか食えるのは世界チャンピオンだけだって言うからね。
俺はライブの後に殆どと言って良い程、今日はどうだった?と感想を求められる。
仕事上、そういう役回りだから仕方が無いのかもしれないがそういう時に俺はいつも出来る限り感じたそのままを言う事にしている。
という事は良かった部分が有れば何処が良かったと言うけどつまらない時はつまらないと言うし酷いなと思ったら酷いよと言うわけだ。
これが彼等に対する礼儀だと思っているんだ。
中には酷い事を言われたからもう出ないというバンドも偶に居るがそれはそれで仕方が無いと思っている。
彼等に対する誠意がそういう結果を招いたのならそれは縁が無かったという事なのだろう。
だけど、才能が有って志も高いバンドはそんな事を言われた位じゃ絶対に止める事は無い事も知っているので心配は無用だが。
人の幸せに対する価値観は色々だが最初に言った16%の中で親の脛をかじって何もしていない事を何とも思っていない奴が居たとしたらそいつが一番不幸なような気がするなぁ。
だって、生きているのに自分の存在意義が見つからないと思うからね。
自分はどう生きるべきかをしっかり考えて前に進もうとしているのなら進学も就職も無職も関係無い事は確かだと思うよ。

挑発すんな!(嘘)

う~む、毎日暑過ぎるわい!
こう暑いと股間も熱くなってたまらん!
こういうのって絶対に男だけのもんじゃないよな。
そこら辺を歩いてる女の子達もきっとそうに決まってるよ。
だって目付きがエロい子がいっぱい居るもんな。
露出度が高いとどうしてもじ~と見ちゃうだろ?
そうするとあら、見たいの?
いいのよ、もっと見なさいよなんて思ってそうな表情してる子が凄く多いもんな。
くっそ~、なめやがって!
目茶目茶にしてやるぜ!
なんて若い時は直ぐその気になっていたもんだが流石にこの歳になるとそうはいかん。
理性が邪魔して大人の行動をとろうとする所が情けないというか嫌らしいよな。
でも、そんな大人の男に興味を持ってる若い子って意外に多いんだぞ。
俺も過去に自分の娘でもおかしくないような子と付き合った事が何回かあるからね。
だけどそういうのって大抵俺の方がきつくなっちゃうんだ。
やっぱり無理しちゃうからね。
ジェネレーションギャップなんて当たり前で最初の内は面白かったりもするんだが直ぐに気を使わなきゃ会話にならなくなるからね。
これが結構苦痛なんだ。
相手もそれなりの歳ならストレスを感じないような会話でも相当疲れるもんな。
体力的にはまだまだいけてると思うけど精神面ではあまり歳が離れているとやっぱり不自然なのかもしれないね。
相手の方も大人の男ってどんななんだろうっていう好奇心から始まった部分も多いと思うからこれを長く持続させるにはお互いかなりの努力が必要になるような気もするし。
だから挑発して欲しいけど挑発しないでくれと言っておこう。
う~ん、本心のような振りして絶対に本心でないような気もするなぁ。
それから参考の為に言っておくけど男って誰もがセックスするんなら若い子の方がいいって言うだろ?
でもそれは一概にそうとは言えないというかおそらく間違っていると思うんだ。
確かに肌の肌理の細かさというか張りみたいなものは若い子には敵わないと思うけど大人の女性っていうのは、って話がどんどんリアルになっていっちゃうな。
まぁ、そこから先は適当に想像してくれ。

死とは生也

人は死んだら何処へ行くんだろう?
色々な説があるにはあるがこうだと断定出来る者はいない。
死んでから戻って来れる人がいないんだから仕方が無い。
一番それに近いのは仮死状態を経験した人の感想ぐらいのものかもしれない。
実は俺の母親は過去にこの仮死状態を経験している。
俺が未だこの世に生まれる前の兄貴を出産する時の事だ。
母親の話によると確かに三途の川らしきものは有ったらしい。
そしてその川の向こうで自分の母親、俺からすれば婆ちゃんが迎えに来ていたらしいんだ。
だけど、行こうとしても行けなかったのは後ろで誰かが自分を引き止めようと声を掛けていたからだと言うんだ。
家族達が頑張れとか死ぬなとかいう声は仮死状態でも届くという事なんだね。
昨日、椿山課長の七日間という何年か前の映画を観ていてふと母親のそんな話を思い出した次第だ。
映画は原作を超えられないとは良く言うがこれに関しても例外ではなかった。
なので是非原作を読んで欲しいと言いたい所だがストーリー事態がとても斬新で面白く出来ているので本を読んでいる時間の無い人は映画でもその内容の良さは伝わるとは思う。
簡単に言えば悔いを残したまま死んでしまった3人が現世に舞い戻ってやり残した事へのけじめを付けていくという内容だ。
そして、その期限というのが初七日の明ける前までという所がまた程好いスピード感を持たせてくれて子気味好いんだ。
だけど、この初七日の明けるまではこの世に戻って来れるという部分は非常に気になる。
実際、初七日の内は魂は未だ今生に有ると言われているからね。
この小説では死んだらあの世へ行くかこの3人のように現世に立ち寄るか消滅するかの選択を出来る場が設けられているんだがこれが本当だとしたら皆はどれを選ぶのかな?
俺は出来る事ならそのままあの世へのコースを選択したいけど。
そんな事を考えていると如何にこの世の最期を迎えるかという事とこの世に生ある内にどう生きるべきかというのは同意義だという事に気が付く。
まるで禅問答のようだけど死とは生也、って事なんだね。

認識の差

先日、何気なくテレビのスイッチを入れるとヨーロッパの或る国の風景か写し出された。
おそらく現地に住む人達からするとどうという事もない極普通の街並みなんだろう。
だが妙に落ち着く風景だ。
真相は直ぐに理解出来た。
建物がどれもこれも物凄く古いんだ。
そして、一つのアート作品のような造りをしているんだ。
そこには数百年の歴史をもった物もざらに有るという説明を聞いて納得せざるをえない気持ちになった。
そんなアパートやレストラン、雑貨屋、教会なんかがまるでトータルコーディネイトされたように並んでいるのを見てこれはやっぱり敵わないなぁなんて思ってしまった。
日本人とのアートに対する認識の差を尽く見せられたような気がした。
アートの意義、アートの本質を理解する器をしっかり持っているという事の表れだと思う。
どうして日本の街並みには何も感じる物が無いんだろうと思うとやっぱり個性と画一性の無さからきていると言わざるを得ないだろう。
簡単に言ってしまえば趣味が悪い上に周囲との絵的バランスを無視しているという事だ。
そんな事より経済的な効率とか機能性を重視した結果が現代日本の姿だと思う。
しかし、俺達日本人はもう気付かなければいけない時期に来ていると思うんだ。
歴史的文化を軽んじてきた原因が豊かな心と貧弱な心の差だという事を。
価値観の相違だと言いたい所かもしれないがそれは違う。
なぜなら大勢の日本人もそういった歴史的文化を求めて旅をするわけだからね。
それはそういう物に触れて少しでも心を豊かにしたいという想いがあるからだろう?
そんなの経済的に余裕のある奴しか出来ないだろうっていうのも違うよ。
それは画一性は無いにしても過去に風情の有る古い家を幾つも見てきたからだ。
風情の有る家イコール金の掛かった家という発想事態が貧困だと思うよ。
センスは金じゃない事を良く知っているのは俺よりずっと若い君等の方じゃないか。
ファッションで言うセンスは個性であり主張でもあるけど豊かな気持ちになれるっていうのが大前提として有るんじゃないか?
だとしたら今日俺が話した事はそれと同じだよ。

幸の判断基準

人それぞれ向き不向きというものは誰にでも存在する。
そして、自分に向いているものは何かを少しでも早く見極める事がその人の幸、不幸に大きな影響を与える事になる。
しかし、早く見極める事が出来たとしてそれで直ぐに幸せに近付けるのかというとこれは少し意味合いが違ってくる。
あくまで幸、不幸に大きな影響があるという言葉の意味そのままの範疇だ。
何故なら幸、不幸の判断は単なる結果が全てという意味ではないからだ。
例えば野球をする事が得意でそれが自分にとって向いているものだったとする。
それを早くから見極めて結果的にプロ野球選手になって生涯を終えたとしよう。
おそらく幸せな人生だったと自他共に認めるだろう。
だけど本当はプロ野球選手になれたから幸せだったんだというわけではない筈だ。
プロ野球選手になってそれに纏わる人や出来事のお陰で幸せを感じる事が出来たというのが正しいと思うんだ。
最近、こういった本質の部分が理解出来ない若者が非常に多いように感じるので今日は軽く一石を投じてみたんだがどうだろう?
そしてもう一つ、物事を端的に捉える事は合理的ではあるが本質を見失う事が多々あると知るべきだ。
そして、一見無駄なようで非合理的と思えるものの中に実は大切な物が含まれている事も忘れてはならない。
君は真面目なラーメン屋の店主だ。
毎日同じ時間に仕込みをして黙々とラーメンを作り続ける。
一日も休まず無駄口は一切利かず休憩時間も無しだ。
これを何年も続けたとしよう。
金は残るかもしれない。
資金を貯めて店も大きくなるかもしれない。
だけど、それがどうした?という事だ。
こういう生き方を立派と世間は言うが幸せとは意味合いが違う。
もし、金を貯めて店を大きくする事が君の価値観の中の幸せだと言うのなら随分心の貧しい価値観だと思う。
物質でしか幸せを感じられないというのはあまりにも寂し過ぎると思わないか?
手段と目的を混同しちゃいけない。
手段を目的と勘違いした時点で物事の本質は見えなくなる。
そして、それは生きる意味さえも見失う事に繋がる筈だからね。
今日の話はちょっと堅苦しかったかもしれないが偶にはこういうのも悪くないだろう?

殺伐とした遊技場

もう1年以上パチンコ屋に行っていないが最近はどうなんだろうってどうでもいい話から今日の日記は始めてみた。
俺のパチンコ歴は実は非常に長い。
なにしろ小学校低学年の頃から行っていたからね。
と言っても勿論親父と一緒にだが。
昔は今のように18歳未満入場禁止とはなっていなかったんで保護者が一緒なら店の中にも入れたんだ。
入ってしまえばやっぱり打ってみたくなるだろ?子供だって。
一応、子供はやっちゃいけない事になっていたらしいが注意なんか一度もされた事無かったな。
俺の記憶では当時のパチンコ屋っていうのは今よりずっと健全な場所だったように思う。
だから子供連れも非常に多かったし家族全員でパチンコなんていうのも別に珍しい事ではなかったような気がする。
なにしろ左手で一発づつ穴に入れた球を右手でレバーを弾いて打っていたんだからのどかなもんだよ。
ホールの雰囲気も今のように殺伐とした空気の欠片も無くてもっと穏やかな感じだった筈だ。
その原因を探ればやはり換金という制度が殆ど浸透していなかったか無かったからだと思う。
パチンコを丸っきりやらない人も居るだろうから一応説明しておくが出た玉を現金に交換するのが当たり前なのがこの何十年かのシステムだ。
これを利用する人が少なかったんだよ、昔は。
実際、親父が換金している姿を見た事は無かった。
景品と言えば煙草かお菓子みたいな食料品とか日用雑貨とか、まぁ、そんなもんだった筈だ。
誰もが換金制度を利用するようになったのはそれから10年位経ってからだと思う。
知らない人に誤解の無いようにまた説明しておくけどパチンコ屋で直接換金出来ると言う事じゃないからね。
それやっちゃうと違法なのでパチンコ屋では換金用の景品に換えてもらってそれを換金所へ持って行ってやっと現金になるんだ。
あの頃は未だ庶民の些細な楽しみ程度のもんだよ。
だが、パチンコ台がどんどん改良されてギャンブル性が高くなるに連れてパチンコ屋を利用する人達の層も様変わりしていったんだ。
もう日銭稼ぎに来ている奴とパチンコ依存症患者しか居ないんじゃないか?
純粋にパチンコを楽しもうなんてそんな雰囲気じゃないよ。
そんな中、いつこんな事が起こっても不思議じゃないよなぁ、なんて思っていた事が実際に起こってしまった。
自分が打っていて台を移動した後に座った人がいきなり大当たりを出した事が気に食わないって刃物で切り付けた奴が居るんだ。
被害者は首を切られて亡くなったらしい。
俺も同じ様な状況で文句言われて言い返した覚えがあるから他人事とは思えないよ。
こんな話を聞くと益々パチンコやる気が薄れるよ。
遊技場と銘打っていながら空気が殺伐としているんじゃやっぱりまともとは言えないよな。
昔は良かったとかあんまり言いたくないんだけど悪い意味で大きく変わってしまったのは事実だよ。
あそこに行くと必ずと言って良い程、親父と並んで打っていたあの頃を想い出したりしてそれが嫌いじゃなかったんだが・・・・。


恐ろしい生霊

以前にも何回か夢の話をしたけど夢というのはほんの少しの時間で記憶が消えてしまうものだと言われている。
確かに俺もそう思う。
それを克服するには目が覚めたら直ぐに今見た夢の記憶をメモする習慣を付けるといいなんて話を聞いた事がある。
俺はこの夢のメモを数回書き留めた事がある。
だけどそれはその夢が凄く面白かったので何かのアイデアとして役立つかもなんて思ったからだ。
でも習慣付けるなんて事は出来無かった。
というか最初からそんな気は更々無かったけど。
夢は夢でいいと思うのが当たり前だとも思うしね。
そうすると3日程前に見た物は一体何だったんだろう?
メモを取ったりしていないのに鮮明な記憶として残っているあの出来事は。
俺は自宅のソファーでいつの間にか眠ってしまったようだ。
ふっと目が覚めたのはそこに人の気配を感じたからなのかもしれない。
おかしい、何故か数年前に別れた彼女が目の前に居るじゃないか。
じっとこちらを見て何か言おうとしているのが分かる。
俺はどうにもこの状況を把握出来ないままでいたようだ。
呆然として言葉が出て来ない。
すると今度は聞き慣れた同居する彼女の声がする。
えっと気を取られて視線を戻すとそこにはもう誰の姿もないんだ。
おかしいなぁと思いながらもまた横になった瞬間、俺の顔から30センチ位の距離から見下ろすようにまたその彼女が現れたんだ。
そして今度は一瞬で消えた。
怖いとかそんな事を思っている暇も無かった。
それ位の数秒の出来事だ。
夢の記憶は時間と共に消えていくというのなら現実のようにはっきりと覚えているこれは一体何なのだろうか?
実は今から20年程前にも俺はこれと非常に似た体験をしている。
どう考えても夢とは思えない程リアルな場面が未だに脳裏に焼き付いている。
あの時も過去に別れた女性だった。
あまりにも鮮明なんだが物理的にも有り得ない筈なんだ。
だって鍵掛けてるんだから。
そう考えるとやはり生霊という物なのだろうか?
生霊というのは激しい感情が元になって発生する人から離脱した霊の事だ。
一般的には強い恨みや憎しみから起こると言われているがその逆も有るようだ。
20年前と3日前に現れた彼女達がもし生霊だとするのなら前者の可能性は皆無だと思う。
それは当事者の俺が言っているんだから間違い無い。
すると俺が今するべき事は何なのだろうか?
答えは見えているのだが一筋縄ではいかない事も見えている所が辛い。
結局、生霊とはどう転んでも恐ろしい物のようだ。

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