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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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未来を知る事の是非

この間、映画の2012の話をした時にケーブルテレビのディスカバリーチャンネルの話もしたよな。
あそこはそういった未来の事とか自然界や宇宙の不思議とかを取上げたりするのが専門の局らしいんだが内容に関しては如何な物かと思ってしまう事が多い。
その筋の権威みたいな学者とかが深刻な表情で解説したりするんだがどうにも胡散臭いんだ。
要するに先ず先に視聴者が興味を引く答えを決めてからそこへ強引にこじつけるという手法を用いていると俺は推測している。
だから真実を追究するのが局の方針というわけではなく単なる視聴率稼ぎのバラエティー番組を放送するテレビ局というのが本当の所だと思う。
まぁ、どっちでもいいんだけどね、そんな事は。
俺が言いたいのはこんな有っても無くてもどうでもいい局でもちゃんと成り立っているのはやはり誰しもが未知の世界や未来に対して大きな興味を持っているからだと思うんだ。
それで今日はその一方の関心事、未来の話をしようと思う。
確か、この日記を書き始めた当初にタイムマシンの話をした記憶があるが俺は将来必ず時間の壁を移動出来る乗り物のようなものが作られると思っている。
だけどそれが世の中に姿を現すのは未だ先の事だと思うので取り敢えず未来へ行く事は出来ないという現状のままで話を進める事にする。
100年後、10年後に限らず俺達はほんの1分後の事さえ知る事が出来ない。
これが分かれば世の中と言うか人の一生に対する心構えは大きく変わらざるを得ない。
そりゃあそうだ。
過程の前に結果が分かっているんだから。
明日の試験に受かる為に勉強しているのに落ちるのが分かっていたら努力する奴は殆ど居なくなるだろう?
病気を治す為に治療を受けて少しでも長生きしようとしているのに来週死ぬって知ってしまえば生きる勇気も失くしてしまう事になるだろう?
こんな例を挙げれば未来を知るという事が必ずしも人間にとって良い事とは限らないって思わないか?
前向きな姿勢を削ぐ大きな原因になるもんな。
無駄な事はしたくない、効率良く物事を進めたい。
だから先の結果を知りたい。
これが大方の人の考えだと思う。
一見賢いようだが実は非人間的行為とも言える。
なのに誰もが未来を知りたがる。
それは何故かと言えば恐怖心から逃れたいからだ。
その恐怖心は何処から生れるのかと言えばそれは行き着く所、死に辿り着く筈だ。
誰もが死から逃れられない事は納得済みの筈なのに恐怖を覚える。
怖いんだからそんな先の事は考えなければ済むのに死ぬ時を知りたがる。
未来を知るというのは死期を知る事でもあるんだ。
なのにディスカバリーチャンネルは潰れないし2012はヒットした。
これが人間の弱さでもあり存在自体の理不尽さでもあるわけだが克服する道が無いわけではない。
それは臨死体験をして死後の世界を覗いて来れば解決する筈だ。
勘違いするな。
決して自殺未遂してみろって言ってるわけじゃない。
意図的でいて危険の全く伴わない臨死体験は実際に行う事が出来るんだ。
アメリカにあるモンロー研究所という所が既にその方法を解明している。
この日記でも過去に詳細を記しているから探して読んでみてくれ。
人間は死んだらどうなるのかを実際に体験すれば既に未知ではなくなるのだから恐怖心は薄らぐ筈だ。
未来を知る事が人間にとって結果的にプラスに作用するのは精々こんな場合だけなんじゃないかと思う。
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運命の人

これは誰にでも当て嵌まる事だと思うが初対面の人に対して何か口では言い表せない不思議なものを感じる時ってあるだろう?
そういうのを前世での係わりがあったからっていうのが輪廻転生を信じる人の考え方だと思う。
実際はどうなんだろうと言ったって誰にも確かめる術が無いんだから何となくそうかもねって思うしかないのかもしれないが。
だけどここはもう一つ踏み込んでみたいと思うのが誰もが持つ好奇心というものだ。
だが、人の心というのは厄介な構造をしているものでそんな事をいつも意識していたりすると判断ミスをする事も多かったりするのでややこしい。
例えば良く言う運命の人との出会いなんていうのは典型的な例だ。
俺なんか今迄に何百人そんな人に会ったと錯覚したか分かんないもんな。
まぁ、女性を口説く時には実に都合の良い言葉ではあるが運命の人が数百人も居たとしたら俺の前世はどんな奴だって事にもなるよな。
実は最近その運命の人を見極める方法が少し分かってきた気がするんだ。
それは、先ず第一印象も大事ではあるがそこにあまり囚われすぎると見誤るという事。
恋愛だったら付き合い始めは猫を被っている事が多いので一回相手が本気で怒るような無茶をしてみる事。
それでそんな時の相手を良く見てみてそれでもまだ何かピンと来るものを感じるのならこれはかなりの確率で本物だ。
だから相手によって異なるが二段構えで判断するのがベストだと思う。
いくら勘が良いという人でも事これに関してはそんなもんだと思うよ。
なんか試しているみたいでちょっと感じ悪いと思うかもしれないが意図的ではなく結果的にこうなるというのが望ましい。
とにかく平常心で相手と向き合えば或る程度は判断出来るが雰囲気に流されるのが男と女だ。
そして、運命の相手と錯覚させたがるのが男と女だ。
錯覚させたら本物かどうかを試してみるのも男と女の楽しみではあるので責められる程の事ではないだろう。
今日の話の核心は実はここからだ。
運命の人との間に魂のベクトルの差があった場合にはもし出会えたとしてもすれ違いで終わる事になる。
それは前向きに努力する者が堕落しきった人間に興味を示さない事に象徴されるように光と闇は交わらないという事だ。
だが、暗闇は生涯暗闇でしかないとは限らない。
そして、光が差し込む事によって暗闇も明るくなる時もある。
どんな闇夜にも夜明けの時があるようにそれは本人次第だ。
ところで最近俺の心を釘付けにする或る若いバンドがいる。
諦めてると僕らは何故か少し生きやすくなると彼等は歌う。
これが現代のリアルなロックだと思う。
こんな詩を好きなわけではないのに何度でも聴きたくなる。
それは彼等の心の振り子がネガティブにせよ振り切られている事と時代を真っ向から受け止めてしまった素直さと悲しさが心に響くからだ。
有名になると言いつつゆうれいになる僕が居ます、もし死んだら目撃してくれるか君。
これも彼等の歌だ。
光の方へ向かいたいのに諦める事を自分の居場所と決め付ける。
若くして既に絶望の崖っぷちだ。
彼等は闇の中で運命の人に出会えるのだろうか?
光を求めると同時に拒否するのが暗闇の習性なのはそこに捩れが生じるからだ。
だが、この捩れが実は彼等を闇から光に変えようとしている事に本人達はおそらく気付いていない所がまた魅力だったりするわけだ。

悪魔の生贄

スタッフのI君が今日は救世主兄弟についてブログで書いてくれと言う。
何だろう?救世主兄弟って?
新手の新興宗教かな?
それとも亀田兄弟の新しいキャッチフレーズか?
確かにボクシング界では救世主に違いないもんな。
なんて色々想像しながらネット検索してみると何やら重苦しい内容の文面にぶち当たった。
救世主兄弟とはsaviour siblingsの訳で簡単に言えばドナーベビーの事のようだ。
ドナーベビーというのは臓器等を移植するのが目的でこの世に生まれた子という意味だ。
人間の体の部位を移植する場合ってその相手が誰でもオーケーってわけじゃないのは知っているだろう?
そこにはドナーとしての適合性がなければならないわけだ。
これを遺伝子操作によってドナー適合させ、予め病を持つ兄や姉の為のドナーになる事を前提に産み落とされる存在がドナーベビー、救世主兄弟という事だ。
実際にアメリカやイギリスには既に数百人存在するらしい。
去年公開された私の中のあなたという映画がこんな救世主兄弟を題材にしたものなので興味を持った人は観てみるといいだろう。
しかし、こういった事が実際に行われている現実に関して皆はどう思う?
確かに我が子の命を救う為なら藁をも掴むという親の気持ちは理解出来る。
だけどその子を救う為に生まれた子も我が子には違いないわけだ。
俺の考えを結論から言うと悪魔の選択だ。
人間には例え難病を抱える子の親だろうが何だろうが人の命を道具にする権利は無い。
それが我が子を救う為だから構わないと言うのなら戦争を正当化する事、原子爆弾を正義の為と大義名分掲げて投下する事と同じだと思う。
そこに親子、兄弟の関係という奇麗事が存在するから犠牲愛や菩薩愛と混同しがちだがこれは単なるエゴだ。
ここに気付かずに何百人も救世主兄弟という名の犠牲者を誕生させている人間という存在はやはり愚かとしか言えないだろう。
こんな行動は人間が未成熟な生き物だという証だ。
この日記の中でも何回も言ってきた事だが人間がこの世に生を享けるという意味は進化する為だ。
その進化というのは心の進化も伴わなければならない。
そして、その心の進化を妨げる大きな原因が人が人を殺すという行為なんだ。
何が救世主兄弟だ。
これはまさに悪魔の生贄だ。

不安の布教活動

へぇ~、国際宇宙ステーションって一般人が観光目的で行く事が出来るんだね。
料金は31億円だってさ。
31万なら考えてもいいんだけどなって桁が違いすぎるわい!
やっぱ高けぇな。
だけどいずれ誰もが宇宙へ旅立つ時が来るんだろうな。
何でそんな事が言い切れるんだって?
そりゃあどんな星にも寿命があるからだよ。
そして、それは地球にも当て嵌まるからだ。
だいたいが星っていうのはどれも元々はガスとチリの集まりなのは知ってたか?
こんな物が永久にそのままって方がおかしいだろ?
ところでそんな話に関連してってわけじゃないが映画の2012がDVDとして発売されたけど皆は観たか?
俺はああいうタイプの映画はあんまり好きじゃないんだが題材そのものに興味があったんで取り敢えず観てみたんだが凄かったな。
何がってあの酷さ加減が凄すぎる。
よくもこんな駄作中の駄作が作れたもんだよ。
俺も映画好きとしてかなりの数の映画を観てきたが生涯ワースト10には絶対入るであろう酷さだったぞ。
もう途中まで観て何の話だか訳が分からん程のとっちらかりぶりでとにかく制作費が多けりゃ文句無いだろ的な低俗作品だ。
こんなのをわくわく期待しながら映画館まで行って観せられてたら本当に気分が悪かったと思うよ。
それに長すぎなんだよ、まったく。
今時流行んないよ、2時間40分なんて。
中身が無いうえにだらだら長いからうんこの垂れ流しみたいなもんだよ。
そんなうんこの中でもちょっと気になる部分が無かったわけではない。
それは天変地異を箱舟の中で過ごした連中がリセットされた新たな人類の歴史を作っていく事になると示唆しているところだ。
だが、その箱舟に乗れるのは大金を払った奴等だけっていう設定になっている。
そして、それに異議を申し立てる役柄も当然用意してあるんだがここでの詰めが甘いから只の子供向け映画になってしまっているんだ。
この映画は人間が最も恐れる未知のものをテーマにしているわけだがそれは裏を返せば最も興味を引く題材と言う事も出来る筈だ。
という事はそこそこの物を作っておけばヒットするのは最初から分かっている。
だからこそストーリーはしっかり作って欲しかった。
大勢の人が観るのが分かっていたんだから映画の影響力というものをもう少し理解しておいて欲しかったよ。
この映画を観た人の何%かはもしかして本当にこのストーリーのような出来事が起こるかもって思ってしまうというか潜在意識として残してしまう筈だ。
だとしたらこれは駄作、低俗、俗悪なうえに無責任で悪趣味なオカルト映画という事になってしまう。
言い換えれば人の心理につけ込んだ卑怯なやり方が実は最もビジネスチャンスを得る事が出来ると証明したにすぎない。
2012を利用してビックビジネスを企む連中はこの作品に携わった連中だけじゃない。
ケーブルテレビのディスカバリーチャンネルにはそんな奴等が幾らでも居る事を教えてくれる。
とにかくこういった悪の汚染、不安の布教活動みたいな行為は改めるべきだ。

浮気について

例の不倫騒動から試合出場を自粛していたタイガーウッズがとうとう復帰するらしい。
だからどうしたってんだ。
だいたい自粛なんてする必要も無かったんじゃないの?
なにがセックス依存症の治療の為だ。
只のヤリチンってだけじゃないか。
確かに不倫は良くないけどゴルフと何の関係が有るんだよ。
関係が有るのはスポンサーとの事だけじゃないか。
分かっているだけでも不倫相手が19人っていうのは凄いかもしれない。
だけどこれがプロの売春婦19人とやったって事なら別に大した事でもないよな。
こういう所はタイガーも反省が必要だな。
浮気相手がプロなら奥さんだってゴルフクラブ振り回して追い掛け回したりしなかったのに。
そんな事ないよ、同じ浮気じゃんなんて思った君は青過ぎる。
愛してるなんて言い寄って口説き落とすのと金払ってやりまくるのじゃ全然意味が違うだろって。
プロに金払うっていう事は商品を買うのと同じなんだから愛情の欠片も無くていいわけだからね。
金払った時点でイーブンパーだ。
だけどその相手が素人なら愛の言葉も囁くだろうからボギーだ。
奥さんに対する裏切りも合わせてダブルボギー。
そのうえ全員に多額の生活費まで渡していたっていうからトリプルボギーだな。
行き着く所、ずるくて卑怯だから失格だ。
そんな奴は出場停止だ、謹慎しろって、あれ?辻褄が合ってるじゃないか。
冗談はさておいて俺は浮気が大嫌いだ。
それはあくまで憶測ではあるが俺の親父が生涯一度も浮気をしなかったと思うからだ。
俺は親父のそういう面を男らしいと思うし尊敬している。
そして、もう一つは母親の人生を見てきたからだと思う。
俺の母親は同居していた親父側の家族達にこれでもかと言わんばかりの酷い扱いを受けていたんだ。
はっきり言って奴隷のような扱いだった。
それを目の当たりに見せ付けられていた俺は毎日悔しくて仕方が無かったんだよ。
どんな事をしても守ってやりたいっていう思いで一杯だったんだ。
そんな母親の唯一の生きる希望が親父を信じ抜くって事だったんじゃないかと思うんだ。
だから親父は一度も浮気をしなかったんだと思う。
しようと思えば幾らでも出来たろうし誘惑もあったと思うがそれを断ち切れたのは自分だけを頼りに必死に生きようとする人が居たからだと思うんだ。
そんな両親を見てきた俺が浮気なんか出来るわけないじゃないか。
相手が居ない時期はやりたい放題だが恋人が出来れば絶対に浮気はしない。
この姿勢はおそらく死ぬまで変わらないと思う。
だが、こんな生き方を誰にも押し付けようなんて思ってもいない。
価値観は人それぞれだもんな。
だけど、もしどうしても浮気をしたくなったら恋人や奥さん、旦那には絶対に秘密にしなければならないのは当然だ。
自分の欲求を満たす為に誰かを傷付けてはならない。
今日は人として当たり前の話をしただけだったな。

50年後の日本

前にも話した事だけど日本人の現在の総人口はおよそ1億2千7百万人だ。
だが高齢化、少子化の影響で50年後には9千万人にまで減少すると言われている。
こうなると経済面なんかからすると結構厳しい状況が予想されるんじゃないかと思うんだ。
そりゃあ、そうだろう?
だって単純に考えても商売だったら1億2千7百万人が対象だったのにその3割が居なくなるって事だもんな。
これを数字通りに当て嵌めたら1日100杯売れていたラーメンを同じ方法で売っていたら70杯しか売れないって事になるんだぞ。
ラーメンが一杯650円でトッピング付けて客単価750円だったとしたら1日22500円、1ヵ月で売り上げが675000円も下がるって事になる。
これを減少したお客さんの数で同じ売り上げにもって行く為には320円も値上げしなけりゃおっ付かないって計算になるんだ。
そうすると一杯1070円のラーメンを食わされる事になるんだ。
あくまで単純計算だが4割アップって事だよ。
そうやって何でも値上がりしても給料も同じペースで高くなってんならいいが企業側だって台所事情は厳しくなるんだからそんな事は有り得ない。
逆に賃金カットか人員削減が常識になる筈だ。
そのうえ今迄に積りに積もった莫大な国の借金を減少した人数で返していかなきゃならないんだから当然税金も今に比べてとんでもなく高くなっているだろうし。
お先真っ暗だな、君等の老後は。
俺は多分あの世に行っているだろうから関係無いけど。
そうは言ってもこんな無計画で無能な日本の政治家を選んできた俺達にも責任は大いにある筈なので一応今後の対策は打っておかなければあまりに無責任という事になるよな。
となると大量の移民を受け入れるしか方法は無いかもしれないな。
そんな時にもし反発が起こるとすれば治安が悪くなるとか文化を維持出来なくなるとかいった問題だ。
俺はそうは思わないがこういう事を言い出す連中は必ず現れると思う。
それも国民の何割ってくらいの数でだ。
文化の維持って事では朝青龍の問題の時も意見が大きく分かれただろう?
彼を好きな人も多かったけどその逆もかなりの数だったじゃないか。
だけど治安の良し悪しに関してはちょっと失礼な話だと思うよ。
日本人だけがまともだみたいな発想はとんでもないし恥ずかしすぎて滑稽だよ。
身の程知らずもいい所だ。
じゃあ、そんな政策は進めないとして9千万人のままだったとしたら悪い事ばかりかと言うと満更そうでもないかもしれないとも思うんだ。
経済的に破綻して貧しくなるのを差っ引けば心の余裕は今よりずっと持てるかもしれないって気もするんだよ。
現在の壊れかかった精神状態を持つ大勢の日本人が出来上がってしまった原因の多くは人が増えすぎた事にあると思うんだ。
この部分が間違いなく緩和されるんだからそういう意味では今よりずっと人間らしい生活が送れるかもって思うんだけどどうだろう?
まぁ、どっちにしてもこの何年かの動向で今後の日本の運命が決まるような気がするな。

ロックと差別

以外と思うかもしれないがヘブンスドアにもアイドルが出演している。
それも偶々というわけではなく略純レギュラー的存在としてだ。
ロックなイメージが前面に出ているハコではあるが他を排除するような狭い了見は持っていないという事だ。
お遊びでやっているのなら論外だが高い意識がそこに存在すれば拒否する理由は何も無い。
出たいというのならそのアイドル精神という物がどんな物なのか見せ付けて欲しいものだ。
俺はアイドルと言われる存在には全く興味がない。
だが、ロック精神というのは自由と開放の精神がその根底に無ければならないと思っている。
となるとロック以外のものも受け入れる度量が無ければロックとは言えないと言い換える事が出来る筈だ。
昨日の話じゃないがロックには他を認めないというか差別化して見下すような傾向が強いように思う。
俺はここに大きな疑問を感じるんだ。
ロックとはけつの穴の小さい奴等の音楽という意味じゃない。
常に堂々と主張を持って世の中に立ち向かい問い掛ける姿がロックの本質の筈だ。
そんな器のでかいロックがスタイルが違うというだけで一生懸命やっている者を差別してどうする。
差別こそロックの敵だろ?
そして、開かれた空間こそがロックのライブハウスというものじゃないか?
上辺だけというのなら蹴落とされる。
だがそこに高い意識が存在するのならそれがアイドルだろうと何だろうと受け入れる姿勢を持つ事がロックスピリットなんじゃないかと俺は思うんだ。
それから話は少しずれるかもしれないが関連のある事で自分の好きなバンドを頑なに決め付けて他を一切受け付けないという人がいる。
これなんかも本来のロックのスタイルからすれば間違った行動という事になるよな。
しつこく言うがロックとは何処までも自由で開かれたものの筈だ。
それを何故か忘れがちだが忘れた時点で上辺だけの理想の世界になりかねないという事は認識しておいた方がいいだろう。

人種差別のもう一つの本質

アメリカの或るスーパーマーケットで黒人は店から出て行けという店内放送が流された事を知っているだろうか?
これを流した張本人が誰なのかは未だ分かっていないんだが再びアメリカ国内での人種差別の問題がクローズアップされる切欠になったようだ。
一般の日本人の認識ではアメリカの人種差別が酷かったのは昔の話で今はそれ程でもないと思われているかもしれないが実際は全然違う。
今回の出来事なんかは極普通に起こりうる事でこれが現代アメリカの真の姿と言ってもいいと思う。
差別の実態を例に挙げれば切りが無い。
だいたいが住んでいる地域からしてはっきり分かれているし出入りする店も特に飲食店だと区別されている場合が少なくないように思う。
黒人に対する程酷くはないがアジア系、特に中国人に対してもはっきりと蔑んでいると言えると思う。
どんな人種も受け入れる開放された自由の国というのがアメリカのポリシーの筈なのにアメリカ人自体は全然開放されていないって事だ。
オバマさんが大統領になってそういう部分も変わるかもって少し期待していたんだがなかなかどうして根は深いようだ。
宇宙単位で見れば同じ星に住む同じ生き物なのに悲しい事だ。
だけどこんな差別、偏見は日本にもある事は自覚しておかなくてはいけないよな。
若い人の中では随分少なくなったとは思うがちょっと歳のいった人だと特に中国人と朝鮮人に対しては蔑視する傾向が強いだろう?
これは過去の歴史が影響しているわけだけどその事に関する俺の考えはこの日記の中でさんざん述べたから今日は別の尺度から言わせてもらう。
差別する側、される側が居るって事はその両者の間に気持ちの上での上下関係が成立するという事になる。
そりゃあそうだろう?
見下したり見下されたりって事なんだから。
立場としての上下があるのは分かるよ。
例えば一番理解しやすい職場関係なんかだったらこれがなければ成立しずらいもんな。
だからって上司が部下を軽蔑したり馬鹿にして良いかってなるとこれは話が違うだろう?
気持ちの上で人間としての上下を付けるって事は物凄く愚かな行為だと思うんだ。
だって上下って言ったって人それぞれそんな大した差なんかないじゃないか。
こういう発想っていうのは例外無く差別する側の方に問題がある筈だ。
上下を付けようとする物差し自体が偽物だし陳腐な代物だと思うんだ。
そして化けの皮を剥がせばそこには異物に対する恐怖心が存在しているとも言える筈だ。
小心で保守的な心が差別を生むと言い切ってしまってもいいだろう。
こういう発想は人としての未熟さから生れるものだと思う。
他人、他国人、他人種すら認める事の出来ない人類に進化は有り得ない。

たった一度の後悔

正規社員と非正規社員の最近6年間での結婚の割合には1,8倍の差があったそうだ。
そうすると結婚はやっぱり収入が影響するって事になるのか。
恋愛と結婚は違うという意味はこういう事ではない筈なんだがな。
そして、平均的結婚費用は433万円だそうだ。
結婚式の費用が大部分を占めるんだとは思うが新婚旅行に53万円という数字も出ている。
ふ~ん、なんかちょっとかかり過ぎなんじゃないの?
433万の内、半分位は親の援助みたいだしさ。
俺は3回結婚をしているが式を挙げたのは1回だけなんだ。
何故かというと1回やって後悔したからだ。
俺は自分の人生において後悔という思いをしたのはこの結婚式の時だけなんだ。
日本人の行う一般的な所謂結婚式っていうのは一体どんな意味があるのか未だに理解に苦しむ。
べつに普段から宗教活動をしているわけでもないのになんでその時だけ宗教的儀式を挙げなきゃならないんだ?
披露宴にしたって最近はレストランを借り切ってやったりする人も増えたけど割合からすればホテルや結婚式場みたいな所を使う人の方が断然多いだろう?
それが何か当たり前みたいになってる所がどうにも腑に落ちない。
いいじゃないか気持ちが籠もってれば何処でやったって。
だいたいが結婚式っていうのは本当は本人達のものだろう?
でも実際は親の為のものになってるよな。
はっきり言ってこれは大きな間違いだ。
確かに親に対して長年育てて貰ったんだから晴れ姿を見て貰おうっていう気持ちは大いに分かるよ。
だけど8割のカップルが親に金出してもらって自分も無理して出してって何かおかしくないか?
それなら少しでもその分二人の生活に余裕のある所を見せといた方がよっぽど親孝行だと思うんだけどな。
結婚式なんか数時間で終わるのに結婚は別れなければ一生だからな。
何か本末転倒のような気がしてならないんだ。
俺の経験からすると結婚したんだという実感を得る時って式を挙げた時じゃないんだ。
入籍する時なんだよ。
親に挨拶して指輪とか何か気持ちの籠もったものをプレゼントでもして入籍してそれから自分でけつ拭ける様になってからパーティーとかやるのが理想的なような気がするんだけどどうだろう?
皆がやってるからとか世間の常識だからっていうのは如何なものか。
今日の俺のこの意見には反論がかなりあるとは思う。
だけどそんな所に理不尽を感じないっていうのは生き方としてダサいと俺は思うんだ。
長い物に巻かれるのが大好きで調和を重んじるのが美徳の日本人ではあるが分別はもう少し持った方がいいと思うのはこういう所でもあると思うんだ。

プライドの大小

毎日色んなバンドを観ていて最近よく思う事なんだがバンドにとってのプライドとは一体何なのだろう?
音楽を追求する高い志を持つ事と思っている人が断然多いとは思うんだが果たしてそれはどんな所で見極める事が出来るのだろうか?
或る二つのバンドの例を挙げて話してみよう。
Aは人間としても物凄く真面目でそれが音楽に対する姿勢という面にも現れており、常に完璧な物を求めているのがお客さんからも見て取れるタイプ。
それに対してBは自分が今出来る事を100%出す事が全てと思っている。
Aの様にパーフェクトを追求するタイプとは違い自分の持っている物を全て曝け出せれば多少粗くてもそれで良いと思っている。
さあ、この二つのバンド、どっちが人気があると思う?
キャリアとか技術面とかは略互角だと思ってくれ。
ライブハウスの仕事をしている俺なんかからしての知名度というか認識度も同じくらいだ。
結論から言うとBの方が断然人気でAのライブは殆ど閑古鳥だ。
なんでこんな話をするのかというとつい最近この2バンドが対バンとして同じ日にライブを行ったからなんだ。
そして、気が付いたんだ。
なんで同じ様に頑張っているのにAを観に来る人が殆ど居ないのかが。
そこには違った大きさのプライドが有り、それが大きな差に繋がったんだと思うんだ。
勘違いのないように一応言っておくがその差というのは音楽活動家、音楽表現者としてというのではなくあくまで第三者的評価という意味での事だ。
もっと簡単に言えばアーティスト云々よりパフォーマンスも含めた総合評価という意味だ。
Aがライブハウスでライブをしたいと思った動機は何なのか。
それは少しでも多くの人に自分達の音楽を聴いて貰いたいと思ったからだ。
そうでないならステージで演奏する必要なんか無い筈だから否定は出来ないだろう。
なのにそれを聴きたいと思う人が現れない。
こんなに頑張っていい音楽をやってる筈なのに何故誰も振り向いてくれないのか。
それはちっぽけなプライドが邪魔しているからだ。
プライドには大小があるんだ。
小さなプライドは小さな世界でしか通用しないんだよ。
それに対してBはどうだろう?
全てを曝け出すのが彼等のスタイルだ。
これは或る意味プライドを捨てたスタイルとも言える筈だ。
だがこのプライドを捨てるというのは裏を返せば大きなプライドを持っているという事にもなると思うんだ。
大きなプライドを持っている奴は小さなプライドなんか幾ら捨ててもどうとも思っていないんだよ。
逆を言えば小さなプライドを捨てて来たから大きなプライドを持てたのかもしれない。
そして、その大きさが多くの人を魅了する事に繋がるんだと思うんだ。
これが本当の意味でのプロフェッショナルとアマチュアとの大きな差なのかもしれないな。
勿論、上辺だけのプロフェッショナルなんていうのは論外であくまで本物に限られた話だけどね。
所謂プロだからいい、アマだから駄目って言ってるんじゃないんだ。
これは何処までも姿勢の問題だ。
大切な時間とお金を使って観に来てくれるお客さんの前で演奏しようってんならちっぽけなプライドは邪魔になるだけだって事を言いたいんだ。
そうでなければライブハウスへ演奏をしに来る事自体が道理に合わないって話になるんじゃないか?

気分転換

あ~~、正月休み以降未だに休みが一日もないぜ。
別に休みたいってわけじゃあないが息が詰まる感じがするのは否めないよな。
肉体的には全然疲れていないんだが精神的にあまり良い状況じゃあないのは分かっている。
それは気持ちの面で疲れているって言うんじゃなくて気分転換をする時間が無い所が宜しくないんだと思う。
とはいえまるっきり気分転換をしないというのも限界があるのでその場その場で意識して気を抜くようにはしているんだが。
じゃあ、どんな抜き方をしているのかというとなるべく一人の時間を増やすようにしているんだ。
一人の時間に抜くって何かいやらしい響きだな。
一人で抜くといえば誰もがオナニーを連想するが俺はオナニーはしない主義だ。
主義じゃなくて手技だろってくだらん事を言わすな。
何故しないかといえばもう卒業したからだ。
それは勿論性欲が無くなったという意味じゃないぞ。
確かに昔は猿の様に一日に何回もした時期はあるよ。
だけどオナニーはあんまりしょっちゅうやってると際限が無いだろう?
自分で幾らでもコントロール出来るから寸止めばっかりして時間もいっぱい掛かるしさ。
あの寸止めっていうのはヤバい。
寸止めを100回とか続けたら頭おかしくなるぜ、多分。
流石に100回は無かったけど20回なんていうのはざらだったな。
20回寸止めを続けたら確実にセックスの快感を上回る筈だ。
そんな事を言ってもやっぱり女性には敵わないよな。
だって寸止めなんかしなくても何回も出来るんだもんな。
そんなわけで寸止めに没頭した俺は或る日思いもしなかった不幸に見舞われた。
彼女とセックスしようと思っても出来ないんだ。
気持ちはもういけいけなのに肝心なところにパワーが出ない。
原因は明らかだ。
寸止めのやり過ぎだ。
寸止めし過ぎて寸止めオナニー以外に反応しない体になっちゃったんだ。
あたしの事好きじゃないのねなんて言われても尚更プレッシャーが掛かって再起不能になるだけだし。
そんな時に必要なのはやっぱり気分転換だよな。
一人になって気を抜くのが一番っておい!
ひょんな所で話が元に戻ったじゃないか!
何の話をさせるんだよまったく!
そういえばもう何年もエロビデオを観てないな。
俺は女の子にいやらしい言葉を無理矢理言わす所謂隠語系ってやつが好きでそういうのは結構観たなって、だから違うだろ!
今日の話は何だったっけ?!
ああ、気分転換か。
気分転換っていえば性転換を連想するな。
何年か前にタイのプーケットっていう島に行ったんだがあそこは観光客以外はオカマしか居なかったぞ。
それも並の女じゃ到底太刀打ちできない位に皆凄く綺麗なんだ。
俺なんか何人にも言い寄られちまって大変だったぞ。
その度にオカマさんオカマいなくなんちゃって、くだらな過ぎるぞ俺!
ああ、もう疲れたから寝よ!
いっぱい寝るのが一番の気分転換だもんな。

目糞鼻糞を笑う

反捕鯨団体シ-シェパードの抗議船の船長が逮捕されたみたいだけど何で今迄放っておいたのか意味が分からん。
今回は日本の船に勝手に侵入したからって話だけど過去に何回も体当たりしたり物を投げてきたりして来たじゃないか。
出来るだけ外国とのいざこざは避けたいって事なんだろうけど放って置いたからどんどんエスカレートしたんだと思うよ。
あいつ等のやってる事はテロと同じだよ。
暴力で主張してんだから。
だいたいがあいつ等の旗ってどんなのか知ってるか?
黒地に白でドクロのマークだからな。
あれじゃあ俺が小学生の時にやってたエックス団っていうチャリンコ暴走族のマークと同じじゃないか。
一体、何様の積りなんだ。
パクリやがって。
って冗談言ってる場合じゃないぞ。
国や民族なんかの違いで価値観が違うのは当然の事だ。
だから彼等が主張しようとしている事は理解出来る。
だけどそれならそういう事を話し合う場も有るんだからそこで意見をぶつけ合えばいい事じゃないか。
それを暴力行為で阻止しようってのは最悪だ。
これじゃあ北朝鮮のやり方と同じだよ。
何がシーシェパードだ。
警察犬がシェパードだから海の警察犬って意味か?
だったら犬掻きでもしてろよ馬鹿野郎!
だけどあいつ等に資金援助をしている連中の中にロックの帝王ミックジャガーが名を連ねているのが気になる。
ミックは昔ポピュラー音楽に多大なる貢献をしたという事で国から勲章を貰っている。
ロックという反体制的なポジションに居ながらそういう所はちゃっかりしている彼なら偽善的とも取れる行動を起こしても納得出来ない事はないんだが。
因みにキースはミックが勲章を貰った時に糞食らえ!って吐き捨てているんだがこの一言があったから今でも彼等がロック界のドンとして君臨している様な気がしないでもない。
まあ、どっちにしても外国から何を食うなとか言われるのはおかしな話だ。
国によっては犬を食ってる所も有るし日本を含め馬や羊や熊だって食うだろう?
そういうのはお咎め無しで何で鯨には文句を付けるんだよ。
それでちょっと調べてみたんだがオーストラリアなんかでは子供のころから教科書で鯨は非常に知的な生き物なので尊敬するようにって教えているらしいんだ。
だから殺したら可哀想って気持ちが日本人とは比較にならない位に強いんだと思うよ。
俺なんかからすると牛を殺す事の方がよっぽど可哀想って思うけどそこはやっぱり価値観の相違だから仕方が無い。
だけど冷静に考えてみればおかしな話だよな。
だって人間って生き物を殺しまくって食いまくって来たからこそ生き長らえて来たんじゃないのか?
動物達の立場になったら相当酷い事してるぞ人間って。
それを今更何を食っちゃ駄目とか何なら良いとか言えた柄かよ。
そんな事言う資格なんか誰にも無いんじゃないの?
目糞鼻糞を笑うだぜまったく。

進化するセックス

う~む、最近何か変だと思ったら暫くセックスしていない事に気が付いた。
それでいて別にやりたくて仕方が無いってわけじゃないのはどういう事なんだ?
原因は彼女の体調が良くないからなんだがオナニーしたいとか浮気したいとか風俗行きたいとかも思わないのは何故なんだろう?
普通はそこで歳だからで済むのかもしれないが俺の場合は明らかに違うんだ。
だってついこの間迄週2回位のペースだったもんな。
言っとくがこれは日本人なら20代のペースと同じなんだぞ。
20代なら2×2=4で4日に一回、30代なら3×3=9で9日に1回、40代なら4×4=16で16日に1回、50代なら5×5=25で25日に1回っていうのが平均値みたいだからな。
だけど予想はしていたけどやっぱり日本人っていうのはセックスが弱い国民らしいぞ。
主要34カ国でセックスの年間回数のアンケートを取ったらしいんだが日本はなんと34位のどんけつだったそうだ。
因みにアメリカだと20代で1.25日に1回、30代は2・8日に1回、40代では5日に1回、50代になると8日に1回だったらしい。
って事は俺はアメリカ人の上をいってるじゃないか。
なかなかどうしてやるもんだな俺も。
セックスの回数が少ないと病気になりやすいって言うからお前等もがんがんやらなきゃ駄目だぞ。
話は戻るがそんな俺が暫くやらなくても全然平気っていうのはその動機にあるのかもしれない。
若い時っていうのは明らかに溜まった物を出したいって欲求があるだろう?
それが歳と共に薄らいで感情優先になったんだとしたら納得は出来るよな。
だが、もしかしてこれは人間として進化したという事かもしれないぞ。
動物的欲求によるセックスから愛情優先型へ移行したんだからな。
若くても愛情を優先しているって思ってる人も大勢いるかもしれないが悪いけどそれは思い込みだ。
取っ掛かりは確かに愛情かもしれないがそれは最初の内だけの筈だ。
数をこなせばこなす程、肉体的欲望の比重が大きくなるんだよ。
セックスによって分泌される脳内麻薬の快感に溺れていくってわけだよ。
これは断ち切る必要もないがそう簡単に拒否出来るものじゃないんだ。
自分が好きでやっている趣味とかスポーツとか遊びとかでもそうなんだけどそういうものを行っている時って必ず脳内麻薬が分泌されているんだ。
それを止めろって言われてもなかなか出来ないだろう?
例えばパチンコ屋に一ヶ月通ってみりゃあ分かる事だ。
来ている人達は殆どが常連の筈だ。
あれは一種の中毒みたいなもんだ。
パチンコをする事によって分泌される脳内麻薬の中毒だよ。
それのもっと強烈なのがセックスによる麻薬症状なんだよ。
だけど害なんか無いし逆に精神的にも肉体的にも良い影響があるんだからやりまくればいいんだ。
そして、ある程度の歳になってやっとセックスの本質が見えて来るものなんだろうな。
これってやっぱり進化って言えるんじゃないかな?

世の中における役割分担

ヘブンスドアのホームページには幾つかコーナーがあるのは知っているだろ?
まぁ、極当たり前の内容ではあるんだがその中にイベントを紹介するコーナーがある。
今日は毎月そこで使う為に何日分か書いている文章も引用して仕事って何なのかって話を少ししてみようかと思う。
俺が企画しているイベントでopposition to popsというのがあるんだが取り敢えずこれに対してさっき書いた文章はこんな感じだ。

所謂ポップスとは真逆という意味のこのイベントだが一言で言えば純粋な意味でのオルタナティブという事になる。
日本で一般的に使われる一つのジャンルとしてのオルタナではなくポップス以外のという解釈が正しいと思う。
それはマニアックという事かと言われるとそうではない。
少しでも大勢の人に聴いて貰いたいという気持ちは同じ筈だ。
明らかに違うのはその姿勢に対する優先順位だろう。
ビジネスと音楽に対するアーティスティックな姿勢のどちらを最重要課題にするのかという問題だ。
そして正しい判断は常にリスナーサイドに委ねられているわけだ。

イベントの紹介用としては随分硬い文章になってしまった感は否めないが趣旨的な部分は大方伝わったと思うんだがどうだろう?
このイベントはもうかれこれ100回近くはやって来たと思う。
それじゃあ何でそんな趣旨のイベントをやっているのかというとこの中で伝えようとしている事が俺にとってのライブハウスを続けている意義というか役割のような気がするからだ。
仕事っていうのは多かれ少なかれ必ず誰かの為に貢献していなければ成り立たないものだ。
そして、長く続けて行く中で自然と世の中での役割分担的ポジションが見えてくるものなんだ。
これは客観的視線も持てるような余裕が出来てからという条件が付くから1年、2年じゃ無理な話ではある。
だが、必ずそう感じる時はやって来る。
そしてそのポジションを確信した時に初めて働く事の悦び、世の中への充実感みたいなものを得られるんだと思う。
仕事なんかやりたくねぇって思っている人も大勢いるとは思うがそれはこのポジションが未だ見つけられていないからだと思うんだ。
取り敢えず自分は何が好きで何をしている時が一番楽しいのかよく考えてみる事だ。
そしてその方向に進んでみる。
後は自分を信じる事だ。
何年か続ければおそらく今俺が感じているものと同じものが得られる筈だ。

何をやっても上手くいかない奴

何をやっても上手くいかない奴っていうのは何処にでも居るものだ。
俺の周りにもそんな奴が居る。
友人と言うほどの仲ではないが仕事上での付き合いは結構長いので彼がどんな失敗を繰り返してきたのかはよく知っている。
そして、つい先日、彼に会う機会があったのだが相変わらずの駄目駄目具合だ。
一言で言ってしまえば夢に溺れてしまうタイプなんだ。
発想はいつもなかなか独創的で面白い。
だが、肝心な物がいつも抜けている事に気が付かない。
それは愛だ。
彼は自分の中で構想を練り、自分が操りやすい人間だけを使って事を進めようとする。
それを否定するわけじゃないがその操りやすい人間だけを選ぶ基準が自分の意思以外を受け付けないという部分から来ている所が弱点でもあるんだ。
誰でも前向きに仕事をしようと思ったら自分の意思や発想を反映させたいと思うものだ。
部下に対して愛情があればその気持ちを汲み取ってやる事が成長にも繋がる事が分かる筈なんだ。
だが使われる側の人間は支持には従うものの自己発想をしない。
何故ならそこに愛を感じないからだ。
自分を成長させてくれる上司と思えなければ頑張る気力も失せて当然だ。
世の中は何でも自分の思った通りに事が運ぶわけではない。
寧ろ思いもしなかった事が起こる可能性の方が高いんだ。
そんなアクシデントに出くわした時に指示された事以上の行動がとれなければ失敗を導く事になるのは明白だ。
なんでそこで適切な対処が出来ないのかと言えば指示する側に愛がなかったからなんだ。
だが、未だに彼はその事に気が付いていない。
出て来るのは部下への愚痴だけだ。
勿論俺も彼に助言したが暖簾に腕押し状態で一向に聞こうとしない。
こんな事を何十回も繰り返している彼を見ていて最近気が付いた事がある。
人相が異様に悪くなったんだ。
一言で言えば貧相極まりないといった感じだ。
心の貧しさが諸に見える。
こうなってしまうとマイナスのエネルギーを出しまくる状態になるので同じ空気を持った人間しか近付かなくなってしまうものなんだ。
少し可哀想な気もするが俺にはもう何も出来ない。
自分に対する愛しか持っていない人間は助けを攻撃と見做すので彼にとって俺は敵にしか見えなくなってしまっているからだ。
人に対する愛っていうのは言い方を変えれば思いやりだ。
思いやりを持たない人間は心が貧しい。
心が貧しければ思いやりも貰う事が出来ない。
そして、いつのまにか誰も信用出来なくなり信用もされなくなる。
やがて心に壁を作り人間ではない表情になっていく。
君等が一番愛しているのは誰だ?
両親?
恋人?
嘘つくんじゃねぇよ。
心の奥底はそうじゃないだろ?
本当は自分だろ?
それでいいんだよ。
全然間違ってないよ。
だけど独り占めは良くないぞ。
そんな事してると愛が何だかも分からなくなっちゃうからな。
人を愛すれば愛するほど君等にも愛は返って来るんだ。
打算は駄目だけど世の中っていうのはそういうふうに出来ているんだ。
そんな事誰が決めたんだって?
それはこの日記をずっと読んでくれてる君なら分かるだろ?

感謝の気持ちと金銭

もう冬も終わったと思っていたのに外はとんでもなく雪が降っている。
そんな雪の中、今日は彼女が入院する事になり早くから起きて付き添いをしていたのでいつもとは随分違う時間にこれを書いている。
まぁ、命に係わる様な大きな病気じゃないのでそれ程心配というわけではないが一応手術もあるので不安が無いと言ったら嘘になるが。
だけど病院っていうのは不思議な空間だ。
何て言えばいいのか色んな気持ちが入り混じって交錯しているのが手に取る様に分かる。
訪れる人達は当然ながら不安を抱えている筈なんだがそれを医者や看護婦さん達が出来る限り消し去ろうとしているのがひしひしと伝わって来る。
常ににこやかで微笑みを絶やさず居る姿はプロフェッショナルであり尊敬の念さえ覚えてしまう。
でもおそらく心の中は違うんだろうな。
この患者さん大丈夫かしらとかきっと思っているに違いないよ。
だけど病気ってやっぱり心の状態が大きく影響すると思うから絶対にそんな素振りは見せないけどさ。
俺は以前、元看護婦さんと同じ職場に居た事が有ったんだけど聞いた話によると物凄いストレスを感じるらしいんだ。
その発散の仕方も半端じゃないって言っていたのを思い出すよ。
非番の時なんか大酒飲んで知り合った男とはとにかくやりまくるっていうのが当たり前みたいな事言ってたしな。
看護婦さん全てがそうだってわけじゃないだろうけどその位大変な仕事だって事だよな。
誰だって痛くて苦しい思いはしたくないからそれを消し去ってくれる医者や看護婦さんに頼るけど頼られる側も同じ人間なんだって事を忘れちゃいけないな。
一般には医者って物凄く儲かる仕事だっていうイメージがあるだろう?
でも、痛みや苦しみから逃れさせてくれたり命を救ってくれたりって途轍もなく責任の掛かる仕事をしているんだから報酬もでかくて当たり前かなって今日はちょっと思ったよ。
担当の先生や看護婦さんに挨拶した時の微笑みに対するお返しは感謝の気持ちと金銭でしか出来ないもんな。

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