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運命の人

これは誰にでも当て嵌まる事だと思うが初対面の人に対して何か口では言い表せない不思議なものを感じる時ってあるだろう?
そういうのを前世での係わりがあったからっていうのが輪廻転生を信じる人の考え方だと思う。
実際はどうなんだろうと言ったって誰にも確かめる術が無いんだから何となくそうかもねって思うしかないのかもしれないが。
だけどここはもう一つ踏み込んでみたいと思うのが誰もが持つ好奇心というものだ。
だが、人の心というのは厄介な構造をしているものでそんな事をいつも意識していたりすると判断ミスをする事も多かったりするのでややこしい。
例えば良く言う運命の人との出会いなんていうのは典型的な例だ。
俺なんか今迄に何百人そんな人に会ったと錯覚したか分かんないもんな。
まぁ、女性を口説く時には実に都合の良い言葉ではあるが運命の人が数百人も居たとしたら俺の前世はどんな奴だって事にもなるよな。
実は最近その運命の人を見極める方法が少し分かってきた気がするんだ。
それは、先ず第一印象も大事ではあるがそこにあまり囚われすぎると見誤るという事。
恋愛だったら付き合い始めは猫を被っている事が多いので一回相手が本気で怒るような無茶をしてみる事。
それでそんな時の相手を良く見てみてそれでもまだ何かピンと来るものを感じるのならこれはかなりの確率で本物だ。
だから相手によって異なるが二段構えで判断するのがベストだと思う。
いくら勘が良いという人でも事これに関してはそんなもんだと思うよ。
なんか試しているみたいでちょっと感じ悪いと思うかもしれないが意図的ではなく結果的にこうなるというのが望ましい。
とにかく平常心で相手と向き合えば或る程度は判断出来るが雰囲気に流されるのが男と女だ。
そして、運命の相手と錯覚させたがるのが男と女だ。
錯覚させたら本物かどうかを試してみるのも男と女の楽しみではあるので責められる程の事ではないだろう。
今日の話の核心は実はここからだ。
運命の人との間に魂のベクトルの差があった場合にはもし出会えたとしてもすれ違いで終わる事になる。
それは前向きに努力する者が堕落しきった人間に興味を示さない事に象徴されるように光と闇は交わらないという事だ。
だが、暗闇は生涯暗闇でしかないとは限らない。
そして、光が差し込む事によって暗闇も明るくなる時もある。
どんな闇夜にも夜明けの時があるようにそれは本人次第だ。
ところで最近俺の心を釘付けにする或る若いバンドがいる。
諦めてると僕らは何故か少し生きやすくなると彼等は歌う。
これが現代のリアルなロックだと思う。
こんな詩を好きなわけではないのに何度でも聴きたくなる。
それは彼等の心の振り子がネガティブにせよ振り切られている事と時代を真っ向から受け止めてしまった素直さと悲しさが心に響くからだ。
有名になると言いつつゆうれいになる僕が居ます、もし死んだら目撃してくれるか君。
これも彼等の歌だ。
光の方へ向かいたいのに諦める事を自分の居場所と決め付ける。
若くして既に絶望の崖っぷちだ。
彼等は闇の中で運命の人に出会えるのだろうか?
光を求めると同時に拒否するのが暗闇の習性なのはそこに捩れが生じるからだ。
だが、この捩れが実は彼等を闇から光に変えようとしている事に本人達はおそらく気付いていない所がまた魅力だったりするわけだ。
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