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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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苦境の音楽業界

CDが何処も彼処も売れていない。それも極端にだ。例えば15年前と比べれば多分10分の1位じゃないかと思う。勿論配信に移行した部分も多分に有る訳だがそれだけではない様だ。とすると過去の数字は音楽以外の所へ移動してしまったか単に不景気による買い控えという事になる。この状況は抜本的な事を改善しないと当面変わらない様に思う。それじゃあ先ずどこから変えて行くかというと価格を大幅に下げる事から始めるべきではないだろうか。はっきり言って日本のCDは高過ぎる。アメリカの2倍なのを皆認識した方が良い。特に邦楽が高過ぎる。今の半額にしても微妙な位だと思う。だがレーベル側がぼろ儲けしようと思っているのかというとそういう事ではないんだ。制作コストが高過ぎるんだ。先ずレコーディングスタジオからして高過ぎると思う。機材も家賃も人件費も高いから仕方が無いと言われるかも知れないがそれで使われる頻度が下がるのなら安くして高回転させる方法へ移動して貰いたいものだ。特にインディーの場合、制作コストの最もかかるところがこの部分なので此処が改善されればそれだけでかなり違う筈だ。プレス代や印刷代はそれ程かかるものでは無いのだが次に問題なのが宣伝費という事になる。作った側は少しでも多くの人に聴いて貰いたいから成る可く広く宣伝したいと思うのは当然である。例えば音楽雑誌にインタビューの掲載を頼んだとするとそれだけで多額な金額を請求されるか同等額の広告を載せる事が条件だったりするんだ。これは所謂バーターと言われるやつで簡単に言えば交換条件って事だ。皆が読んでいるインタビュー記事はそうやって成り立っている訳だ。そのバンドがかっこいいからインタビューされていると思ったら大間違いだ。勿論雑誌側でも純粋にそのバンドを気に入って載せたいという事も含まれるだろうがそれより先に先ず金が有るかどうかが先決になっている筈だ。雑誌側は本が売れてなんぼだけでは無くアーティストサイドからも利益を得ている訳だ。インタビュー記事をみて高評価されていたのでライブに行ったら全然大した事無かったって経験は良く有ると思うがそれはアーティスト側が金を使ったというただそれだけの事だ。不純が罷り通る堕落した世界が成り立っていると言っても過言ではないだろう。そうしなければ成り立って行かないのであれば廃刊にするべきなんじゃないだろうか。音楽の世界にこんな方式を持ち込まれたんじゃ純粋にかっこいい事をやっていても金が無けりゃどうにも成らないという事になってしまう。音楽は文化でも有る訳でその文化を大切にしよう、応援したいという気持ちが先に立つべきであって金が先に来たらその文化を潰す事になるという簡単な事を解っていない連中が多過ぎる。というか本性は金が欲しいだけの連中がこんな世界に偉そうに入ってくんなという事だ。ここで掛かる金が削れたらもっと安くCDを売れるのに。それによってその音楽に触れる事が出来る人が少しでも多くなる筈なのに。という風にインディーでもこんな状況なんだからメジャーはその数倍余計なものがくっ付いて来てコストを下げれないのが実情だろう。そして買い控えられて増々状況が悪化するという悪循環が起きる訳だ。そこに持って来て配信という安価で音を買えるシステムが現れてCDを売る側が瀬戸際迄追い込まれているのが現実だ。こういった価格的な理由の他に売られている物の内容にも大きな原因が有ると思う。はっきり言って皆後追いなんだ。勿論中には斬新な素晴らしいものを作り出している人達も沢山いるのだが大体が売れた物の後を追う様に作風を真似て金太郎飴の様な作品を寄ってたかって出そうとする。これを一つのシーンと言ってしまえば聞こえは良いが業界をリードすべきメジャーが完全にこういう方針だから面白いものがなかなか出て来ない。インディーで高い評価を受けていたとしても今はそういうものは売れないと一蹴されてしまう。そして聞く側はもう一歩先を求めているのにメジャーはそこをリスクが高いと判断して足を踏み込む事を躊躇い後手に回る事になる。だから相手にされなくなってしまうのだ。保守的な発想が功を奏す事も有るが音楽業界にこれを持ち込んでは衰退するのは明らかだ。ゲーム業界を見れば一目瞭然だ。どんどん新しいものを出して来て活況を呈している。リメイクものみたいのをチョロチョロ出しているのとは訳が違う。素晴らしいバンドはいくらでもいるのにそれを世に拡げる事が困難になってしまっている今の状況を歯痒く思っているのは俺だけでは無い筈だ。何とか打破したい。
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破壊願望

この感覚がまたもややって来た。季節のせいなのか。俺は毎年この時期になると無性にとんでもない事をしたくなるんだ。具体的にこれをしたいあれをしたいというよりも体の中からむずむず何かが出て来る感じだ。そしてイメージとして頭の中で渦巻いていた事を実際に形にしてしまうみたいな時期でもあるんだ。巧く説明出来ないが大体そんな感じだ。一見、建設的な様だが実は破壊願望でもあると思う。今言っている聞き方によっては頭のおかしい奴みたいな話は決してネガティブな意味では無く寧ろライブハウスをやってる人間には必要不可欠な事でもある筈だ。だってそうだろう?毎日決められた事を決められた様にこなしてその何処にロックが有るって言うんだ。安定調和の起承転結の中に何が有るって言うんだ。当たり前に存在している物を当たり前に受け入れて当たり前と思うのは当たり前だ。だが皆が皆そう思っているのならライブハウスの存在価値は無い。そんなのは発表の場が有れば良いだけでライブハウスとは名ばかりのレンタルスペースに任せておけば良いだけの話だ。俺は新しい発想や感動は先ず既存の型を壊すところから始まると思っている。古いものを徹底的に貫き通す事も勿論大切だがリスクを負ってもぶち壊すところに意味が有る場合も有る。うちの店は来年の2月で19年になるがオープンしたての時とは随分様子が変わったと思う。開店当初はステージ前に柵が有ったんだ。これを三茶のインディーショップフジヤマの店長である渡辺さんに激しく指摘された。こんな所から何も産まれないよと。渡辺さんというのは俺が最も尊敬する大切な人で大恩人でもあるリアルパンクスだ。俺はショックだった。自分が恥ずかしくて仕方が無かった。ロックが解ってるふりして何も解ってなかった自分が恥ずかしかったのだ。そんなつもりじゃ無かったなんていうのは結局かっこ付けで本性は先ず守りから入ってしまう様なダサイ根性無しの保守的野郎に違いなかった。そしてここから少しづつだったかも知れないが自分の理想の形に改革していった訳だ。言い方を変えれば自分で作った物を自分で壊していったのだ。未だ未だ納得出来ない部分も多々有るが最近は渡辺さんに怒られなくなってきたから少しはマシになったのではないだろうか。ということで今も又むずむずと破壊願望が沸き上がってきているこの状態が楽しみで仕方が無い。この感覚が無くなったら俺にライブハウスをやって行く資格は無いと思っているのだが未だ当分は大丈夫そうだ。

宇宙エネルギー

先日、おっさん4人が集まって麻雀をしたのだが、その時の一人、Tさんが最近首のヘルニアで痛い思いをしているという。腕のあちこちに鍼を打ち込んでいてそれで何とか凌いでいるとの事だった。首のヘルニアというのは首自体が痛くなるというよりもむしろ首からの神経が繋がっている腕が痛くなる事が多分に有るのだ。実は俺も同じ症状を持っているのでその辛さはよく解るのだ。俺の場合は30年程前に起こしたオートバイでの事故が原因なのだがこれがこの何年かの内に後遺症となって現れて来たのだ。いったいどんな症状かというと肩から腕にかけてのあらゆる部分が痺れと強烈な痛みに襲われるのだ。どれ位の痛みかというと俺が知ってる限りの最強の痛みとしか言いようが無い。これが24時間休む間もなく襲って来るのだからどうしようもない。初めて症状が出た時に俺は取り敢えず整形外科に行ってみたのだが手術するしか方法が無いといわれてしまった。それも完治するか解らないし手術になったら3ヶ月入院することになると宣告されてしまったのだ。俺に取って3ヶ月は長過ぎる。仕事柄不可能だ。そこで俺は指圧や鍼灸等で治らないものかと色んな治療を試みたのだがまるっきりと言っていい程良くならない。中国の著名な指圧師の弟子という人の治療も受けてみたが逆に悪くなる始末だ。そして偶々近所の治療院に行った時に奇跡が起こった。そこの院長さんの治療を受けたのだが何回行っても快方に向かう兆しが見えず、ああ此処でも駄目かと思っていたそんなある日、私には無理だがこの人なら何とかしてくれるかもしれないと一人の若い女性を紹介してくれたのだ。俺は院長にも直せないのにこんな若い女の子に直せるとは思えないと失礼ながら思ってしまった。だが藁にも縋りたい気持ちだったので甘んじて治療を受ける事にした。なんだ全然普通のマッサージじゃないかと半ば諦めかけていたのだがどうも様子がおかしい。マッサージと織り交ぜておかしな動作をしている。手は触れずに俺の体に何かしている様だ。そうかこれが気功というやつかと思ったのだがテレビなんかで観た事のあるそれとは明らかに違っている。恐る恐る訊いてみるとその若く美しい先生は若干はにかみながらもこう言い放ったのだ。「宇宙エネルギーを注入しています。」うはっ、それってウルトラマンのスペシウム光線みたいなやつですかと口走りそうにもなったが先生の真剣な表情を前にしてそんなギャグを飛ばす訳にもいかず俺は大人しくスペシウム攻撃を受ける事にした。すると不思議な事に薄ら温かい熱を感じるのだ。先生の手から明らかに何かが出ている。そして俺を立ち上がらせると今度は「じゃあ今度は重心を変えてみます。」と俺の体から10センチ位の位置で両手をゆらゆら動かすとなんと俺もゆらゆらするではないか。そして「はいっここでいいですね。」と手を止めるとおれのゆらゆらもぴたっと止まるのだ。っとその瞬間気が付いたのだがいつの間にか痛みが和らいでいるではないか。そして何回かその先生の治療を受けたお陰で俺はまともな生活をおくれる様になったのだ。嘘みたいな話だと思うかもしれないがこれは本当の話だ。この人はSさんといってその後世界的に著名なピアニストのフジコ・ヘミングさんが殆ど歩けない状況の時に治療にあたり元気に歩ける様にしてあげている。勿論、俺にとっても最大級の恩人である。

売春未遂

昨日は俺の風俗初体験を話した訳だが実は過去に風俗業のサービスをする側に成りかかった事が有る。俺は20代の時にとんでもない額の借金を負った話は以前したと思うがその時に出張ホストというのをやる事を決意した。朝から夜の11時迄自分の店を営業してその後の時間に出来る事を探したのだがなかなか効率の良い仕事が無く唯一見つけたのがこの仕事だった。出張ホストとは一体どんな仕事かというと普通のホストとは当然別物で簡単に言えば男版の売春婦って事だ。気持ち良い事をして多額の報酬が得られる訳だから男とすれば非常に好都合と思っても仕方が無い。事務所に連絡を入れると流石に応募者も殺到していて面接をして数人しか採用しないとのつれない返事だったのだが頭の中はもうSEXと金のみである。そして不安と期待を胸に面接を受ける事になったのだが結果はなんと一発で合格!。だがここで予想外の状況になってしまった。俺は少しだけでも心の準備をする時間が欲しかったのだがいきなりお客さんを付けられてしまったのだ。今直ぐ上野のホテルへ直行しろと言われてしまった。俺の心の中に少しづつ臆病風が吹いてきた。相手の詳細は一切知らされていない。向こうには俺の容姿を伝えてあるのでロビーで待っていれば相手から声をかけて来るというシステムらしい。もう完全に人身売買される側の境地だ。俺の心はスケベ心と金勘定から徐々に重苦しい物へと変わって行った。ホテルに着く頃にはそんな憂鬱感がピークに達し激しい胃痛と吐き気が訪れた。もう駄目だ。俺はここでいったい何やってんだ。最大の屈辱感を抱え俺は敵前逃亡した。余りにも情けなくそして悲しい一日だった。合法、非合法等関係無くいつの世も売春行為は日常茶飯事行われている。だが供給する側は圧倒的に女性である。生理的構造の違いからそうなっているのは理解出来るがはたしてそれだけだろうか。俺はもし同じ構造だったとしてもやはり結果は同じなのではと思ってしまうのだ。それは開き直った時の器の大きさは圧倒的に女性の方が大きいとこの時痛感したからだ。この楽園からどぶ川に突き落とされた様な出来事以降、俺の女性に対する見方が大きく変わったのは当然である。

風俗初体験

こう毎日エッセイみたいなのを書いているとネタが無くなって来るな〜。ネタに詰まったらやっぱりエロネタでいくしかないな。ということで今日もスケベ話でいこう。それもためになるスケベ話だ。皆は風俗店と言われる所に行った事は有るだろうか?そんなのはおっさんや女に縁が無い奴の行く所だとか中にはプライドが許さないとか金で女を買うのは人として汚いとか思ってる人もいるだろう。そんな君に言っておく。男の器量を上げたければ風俗くらい知らなくてどうする!!俺の風俗初体験は中学1年の時だった。風俗の初歩の初歩と言われるストリップ劇場とはどんな所なのか、わざわざそれを見極める為だけに大阪まで悪友と二人でのこのこ出かけて行ったのが最初だ。悪友の名は石橋と言う。何故大阪かというとストリップの本場が大阪だったからというのが一番の理由だが石橋の親父の知り合いが大阪のホテルのオーナーで、いつでもただで泊まらせてくれるというので都合も良かったという訳だ。だが大阪に着いた途端に何故か石橋の様子がおかしい。いきなり無口になりやっぱりストリップは辞めておこうと言い出したのだ。なんだかんだ理由は付けてくるのだがビビってるとしか思えなかったので根性無しはホテルに残して俺は一人で出かける事にした。俺も勿論ビビっているのは同じだが女の裸がどうしても見たいという感情が遥かに勝っていたので迷いは寸分も無かった。そして劇場の前に辿り着いたのは良かったのだが18歳未満入場禁止と書いてある。こちとらなにしろ13歳だ。補導されるかもしれないとも思ったがまたまた女の裸をどうしても見たいという感情が勝りサングラスで変装して強行突破を企てる。もぎりのおばちゃんは吹き出しそうにはなっていたがそこは大阪人情の器のでかさで何とか中に入れてもらったのだった。中は映画館の様な造りでロビーには数人の酔っぱらいがくだを巻いている。もうこの時点でビビりを通り越して頭の中は真っ白だ。まるで夢遊病者の様に分厚いドアを押し開くとそこはまるで天国と地獄が混じり合った様な今迄体験した事が無い不思議な空間が存在していた。華やかなステージとは裏腹に客席では本能丸出しの猿の様な連中が食い入る様な視線を或る一点に向けている。最近のストリップは元AV女優がアイドル並の扱いを受けていたりして随分健全化されている様だが当時はもっと毒々しくて際どい内容が多く営業停止を食らう店も多かった記憶が有る。白黒ショーと言われる本番そのものを観せるショーだったりお客さんをステージに上げて本番をやらせてしまうまな板ショーだったり正にやりたい放題だったのだ。13歳の小僧には流石に強すぎる刺激ではあったがこれが大人の世界なんだと一皮剥ける気持ちで見つめていた様に思う。最も記憶に残っているのが入れポンショーというやつで張り形と言われる当時のバイブみたいなやつをお客さんに持たせてそれを踊り子の大事な所に突っ込ませるって出し物だ。何が記憶に残ったかって突っ込まれてる部分じゃ無くて踊り子の表情なんだ。声出して気持ち良い振りはしているんだが目に涙が滲んでいたんだ。きっと凄く痛かったんだと思う。でもプロフェッショナルな彼女はそれに耐えて真逆な表情を作っている。ろくでもない亭主を食わす為なのか、楽屋で眠っている乳飲み子を養う為なのか、将又入院している母親の治療費稼ぎなのか、一瞬で俺の脳裏にそんな状況が駆け巡ったのだがそのどれもが当てはまらなかったとしても結論は同じ事に違いは無い。女の人って凄いんだな〜。この一言に尽きる。そして踊りの最後にはオープンタイムというのが有り大股開きになってこれでもかと言わんばかりに大事な所を観せてくれる訳だが何人目かの踊り子のオープンタイムの時に何故か俺は手招きされてしまったのだ。恐る恐る近づくといきなり首根っこを掴まれ両腿で顔面を挟みつけられてしまった。目の前には見たくてしょうが無かったあれがこっちを睨んでいる。俺はくらくらしながらもしっかり睨み返してやった。これが俺の風俗初体験だ。これは俺にとって未だ青い日のとても大切な記憶でもあるのだが男の修行の第一歩を踏み出した記念すべき日でもあるのだ。

生派とゴム派

今日は一定周期でやってくる皆の大好きなエロ系話の日だ。これは或る音楽関係の仕事をしている二十代半ばの友人がつい最近体験したSEXについての話だ。彼を一応Mとしておく。Mは数週間前に一人の女の子と仕事で絡む事が有りそれをきっかけに彼女と友人関係になった。彼女の名を一応沙織としておこう。なぜ紗織かというと女っぽいんだけど小悪魔的な要素も多分に持っているのが沙織って名前にぴったりな様な気がしたのでそうしただけだ。二人は一緒に食事をしたりもしたのだがMには他に気になる子がいた事も有りそれ以上の感情は持つ気もなかったし紗織もMに対して友人以上の感情は持っていなかった様なのだ。それがつい最近メールでやり取りするうちにお互い予定の無い日が重なりどちらからともなくどっか遊びに行こうかとなったらしい。Mは別にどこでもいいよと選択権を紗織に預けたところ返って来た返事はじゃあホテルでも行こうかだったそうだ。俺がMの年頃の時代には到底考えられない事では有るが最近はこういう女の子は特別という訳でも無いのだろう。実に羨ましい話だ。男とすれば口説く手間が省けてラッキー此の上無い。実にお手軽な時代になったもんだ。そして二人は事に及んだ訳だがそんな事はどうでも良いのだ。気になったのはMが当然の様に俺に言ったゴムをしてやったという部分だった。これは病気や妊娠の恐れも有るのだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだがどうも引っ掛かってしまった。責任感や相手への思いやりという意味でも勿論間違っているとは思わない。だが俺的に言うとコンドームを付けての行為はSEXでは無い。お互いの生の粘膜が触れ合って激しく交わって初めてSEXと言えると思っている。コンドームがどんなに薄くて殆ど感覚が同じだとしてもそこは認められないのだ。SEXっていうのは本能と本能が混じり合い身も心も一つになる事だと思うのでそこに0.0何ミリだとしても隔たりを作るべきではないというのが俺のポリシーだ。じゃあ子供が出来たらどうすんだって言われれば、それが二人の運命だと思い喜んで受け入れるし病気に成ったとしてもそれも受け入れる覚悟は常に出来ている。まあ古いタイプの責任の取り方と思われるかも知れないが間違っていると思った事は一度も無い。というか責任を取ると言うよりもポジティブに受け入れるという意味だ。勘違いしないで欲しいのだが別にMを否定する訳でも無いし自分と比べてどっちが正しいと言ってるつもりも無い。ただ責任の取り方が違うというそれだけの話だ。

アナログから地デジに変わりますの前に何とかしろ

昨日は久々に長時間テレビを見ていてつくづく思ったのだが本当に救い様が無いくらいにつまらん。べつに子供向けに作ってる訳ではないんだろうがそういうレベルだとしか言えん。昔はもっとましな番組が幾らでも有ったと思うが今はそんなのは1日見ていて一つ有ればいいほうだ。どのチャンネルに変えても同じ様な内容ばかりだし個性も何も感じられない。最も酷いのはバラエティー番組でろくに芸も無い連中が集まって大騒ぎして内輪で盛り上がってる振りしてるだけじゃないか。それから何処何処で話題の料理を紹介とかいって落ち目の女性タレントなんかを使って下手な演技で、ん〜〜おいし〜いなんて言わせる番組も多いな。皆同じだから良く見てみろ。まず口に入れる時はゆっくりなんだ。そして、ん〜っとか言って目を大きく見開く、その後必ず少し長めにおいし〜〜いだ。このしといの間が長いのがポイントだ。さあ皆もやってみろ。ん〜っおいし〜〜いって誰がやるかい阿呆!そんでもってスタジオではグルメ面した中尾彬なんかが吹き出しで顔だけ出ちゃって解った様に頷いたりして、まああいつは年食ってるし金も有りそうだからそれなりに美味いもん知ってそうだが訳の解らんどうでも良いタレントとは名ばかりの連中までうんうん頷いてんじゃねえぞ馬鹿!お前等なんかにうんうんされたくないわい。しかし、いつからあの吹き出しみたいのを使う様になったんだろう。あれが出て来るたびに気分が悪くなるのは俺だけじゃない筈だ。ニュースを取り扱うワイドショーでもあの吹き出しが頻繁に出て来て悲惨な事件の時なんか皆で眉間にしわ寄せて深刻な表情しやがって、偽善者ぶってんじゃねえぞ。暗い事件が増々暗くなるじゃないか。そしてある程度年齢のいった人達は気が付いているかも知れないが昔と大きく違っているのはエンディングでまた来週お会いしましょうとか次回もお楽しみにとかの締の挨拶が無い物が非常に多い。突然、内容とは無関係のプロモーションビデオとか流れてそのまま終わりだったりしていったい何考えてんだ。そんな糞みたいのを垂れ流してるから若い奴でろくに挨拶も出来ない様なのが増えたりするんだ。制作側はテレビの影響力ってのを少しは考えて作ったらどうなんだ。低能な上にセンスも悪いし挨拶も出来ないのか馬鹿野郎!それでアナログ放送が地デジに変わりますってそんな事する前にお前等が変われってんだこの脳無し野郎!その点NHKは頑張っていると思う。内容でいったらやはりNHKが一番まともだと思うし田舎臭すぎるセンスは随分改善されてきた様に感じる。だが極端な事なかれ主義と決別する気はさらさら感じないのでここから新しいものを発信出来るとは思えないのが残念だ。テレビのシステム自体が大きく進化しようとしているが内容の部分では逆に退化している様に思えてしょうがないのは俺だけなのだろうか。

疑惑の銃弾

なんと日曜の昼から丸1日24時間爆睡してしまった。誰か側にいたら死んだと思われたかも知れない程の豪快な眠りから覚め朦朧とした頭で今この日記を書いている。しかし一昨日の三浦和義の自殺には驚かされた。勿論サッカーのカズとは別人のこの人物に関して若い皆はあまり良く知らないのではと思うので簡単に説明しておく。事件は27年前に遡るのだが彼と当時の彼の奥さんがロサンゼルスで何者かに銃撃され奥さんは頭を彼も足を撃たれ重傷の身で帰国するところからこのストーリーは始まる。1年後に意識が戻らぬまま奥さんが亡くなり彼は悲劇の人としてカメラの向こう側で奥さんに対する愛を語り涙を流しながら犯人が許せないと訴えた。そんな彼の悲しい愛の物語に日本中がもらい泣きさせられたものだ。しかし2年後に週刊文春の連載記事として告発された内容が事態を急転させる事となる。事件は三浦本人による自作自演で三浦が保険金詐欺を目論み或る人物に依頼した殺人事件だと誌面で訴えたのだ。彼はテレビ出演は疎か映画にも出演し、商売も成功させ若い奥さんと再婚する等人生を謳歌するその最中の出来事であった。そして日米共同捜査が始まり彼は逮捕される事となる。裁判は長期化し9年後に無期懲役が決定するが彼はこの判決を不服とし上告する訳だがなんとその5年後には無罪を勝ち取ってしまうのだ。事件から22年を費やした途方もなく長い結末だったと思いきやその5年後の今年2月にサイパンで再逮捕される。ロス市警が絶対的な証拠を掴んだと拘束を依頼して来たのだ。彼等は27年間諦めてはいなかったのだ。そして半年以上揉めた末にロスに移送された当日に自殺という誰もが予想出来なかった終焉を迎える事となったのだ。真実は闇の中ではあるが彼のこの自殺という行為は日本で最終的な判決が出ているにも関わらず強引に逮捕に踏み切ったアメリカへの抗議の主張なのか、将又過去の自分の罪を認め自らを罰する為だったのか。俺の推測では後者になる。もし彼がやっていないのなら20年以上正義を貫き通して勝ち取った物をアメリカで簡単に手放すとは考えにくいし死ぬまで貫き通すのが本当の正義感だと思うからだ。人間には良心という物が有る。これはどんな悪人にも有る物だ。年老いた彼はやっと気が付いたのではないだろうか?自分の人生とは何だったのだろうかと。犯した罪を自分の死をもって清算し、ちゃらの状態であの世に行きたいと願ったのではないか。生前彼はタレントや映画スターでも無いにも関わらず時代の寵児的扱われ方をしてマスコミは勿論の事、日本中の注目の的になった。そしてそんな状況を楽しむかの様に派手な振る舞いをし、満足気な表情を浮かべて人生を語っていた。俺はそんな彼を見て良心の無い本当の悪人はいる筈が無いと思っていた自分の考えを勘繰ったりもしたのだが今回の結末を知り人間の本性はやはり良心に行き着くと痛感させられた。あくまで憶測ではあるが彼もそう思って貰えれば本望だろう。

仕事は金で選ぶな

一昨日予告した様に株式市場が2発目の重爆パンチを喰らった。俺の予想では連休明けに少し戻して様子見になる様な気がするがもしここで大幅に下げる様なら来週中に底が見えて来るだろう。そしてそうなったら再来週が大儲けのチャンスになるというのが俺的イメージなのだがこれは金が有ったらの話である。もし俺が3億円位持っていたら再来週に1億はぶち込むだろう。そして3年後にはその1億が2億に膨らんで大儲けだ。だがそんな金が有る訳が無い。ぶち込めるのはポコチン位のもんだ。現実はそんなもんだ。こんな事を言っていると金の亡者と思われかねないので一応言っておくがこれはあくまでゲームとして言ってるだけだから勘違いすんな。パチンコと同じ感覚だ。という事で今日は金について語る事にする。俺は元々金っていうのは過程が有っての結果でしか無いと思っている。勿論、無いより有った方が良いに決まってるが大切なのは過程の方だと言い切れる。人として大切な事はこの過程の方に詰まっているからだ。うちのバイトの中に就職活動を今している者がいるがこれを読んでいる人達の中にも結構いると思うので一つだけアドバイスをしておく。 仕事は給料で決めるんじゃなく自分が毎日喜びを感じれるものを選べ。金は人生の目的では無くあくまで手段なんだ。昔、或る知り合いが大金を掴む事のみを目標にして宅急便の仕事を殆ど寝ずに休みも取らずにとにかくがむしゃらにやっていた。 当時は労働時間の規制も無いに等しい状況だったので20時間労働なんかこなしていた日も有った筈だ。そしてそいつがどうなったかというと勿論そこそこまとまった金は出来たのだが大きな代償も負ってしまった。まず表情が暗くなり屈折した人間に変貌してしまったのでそいつの周りに誰も寄り付かなくなってしまった。そしてノイローゼになって訳の分からない事を口走る様になり、猛スピードで自ら壁に激突して瀕死の重傷を負うはめになった。推測ではあるが彼は自分のやって来た事の無意味さに気付き自ら過去の自分を消して生まれ変わる為に突っ込んだのではないだろうか。金というのは恐ろしいもので人間を変えてしまう力が有る。彼は経済的に豊かにはなったがそれに反比例して心はどんどん貧しくなっていったのだ。 自分のやりたい事をやってそれで後から金が付いてくればベストだ。こんな事を言うと、そんなの只の理想論じゃんって言うんだろ?そういう意見に対しては理想論で終わらすか実現させるかは本人次第でどうとでもなるんだときっぱり断言しておく。理想論って言ってる時点で実現の可能性は消える。自分を信じて理想を現実にしている人はいくらでもいるんだ。それから金っていうのは只の紙切れだ。火を点ければ燃えるんだ。俺は子供の時に実際に1万円札を燃やした事が有る。大人が皆して金、金って言ってるもんがどんなに大層なもんか試したんだ。そしたら火を点けりゃあ良く燃える只の紙切れだった。こんな物の為に人生が左右されて良い訳がない。物事の本質はこんな紙切れの中には欠片も無いんだ。

糞っ垂れ!

北京オリンピックで金メダルを獲った柔道の石井が五輪入賞者を招いての宮中お茶会で天皇陛下の為に戦いましたと発言したという。石井って奴は今迄の突飛な発言で人気者に成っている様だが流石に今回はまずいだろう。相当頭は悪いと思っていたが一応20歳過ぎの大人なんだから言っていい事と悪い事の分別位付けて欲しいもんだ。俺は分別なんて言葉は大嫌いだし真逆の位置にいる人間かも知れない。何を言っても言論の自由だと思うし大抵は気にも止めないがこれだけは駄目だ。過去の戦争でこの言葉を発して死んで行った人間がどれだけいると思ってんだ。知能指数が幼稚園並か思いやりの欠片も無い奴かどっちかとしか思えん。若い世代でこんな奴が未だにいるとは信じられん。本人はその場の体裁で言ったのかも知れないし言葉のあやかも知れないがそれでは済ませられん。勿論、俺は戦争を体験した訳では無いが両親や上の世代から戦争の悲惨さは散々教えられてきている。人が人を殺すという人として絶対に侵しては成らないタブーを身勝手な建前から集団で行うのが戦争だ。そして勝っても負けても誰もが大きな傷を負うのが戦争だ。人が人で無くなってしまうのが戦争だ。時と共に記憶は薄れて行くものだが日本という国が過去に大きな過ちを侵してしまった事は決して忘れてはいけないし伝え続けて行かなければならないんだ。石井慧よ、もしこれを読んでいたら根性を叩き直してやるから俺の前に出て来い。オリンピックで金メダルを獲った事は途轍もなく凄い事だ。だがそれは人として世界一に成ったという事では無い。調子こくのも大概にしやがれ!糞っ垂れ!

大暴落

日経平均株価が大暴落した。日経平均株価という言葉は聞いた事が有っても何の事か良く解っていない若い人達も多いと思うので一応説明しておくと1部上場企業の流動性の高い主要銘柄の中から選んだ225銘柄の平均値の事だ。それが大暴落したからどうしたって言われればどうもしないのだが実はどうもしないのは今現在の話でこれからどうもする事になってしまう指標みたいなものだったりするのだ。俺は今は株なんかに手は出さないが過去にとんでもない借金地獄に落ち込んで当時の有り金全部を株にぶっ込んで儲かった分をまた突っ込んでの繰り返しで返済金を大幅に減らした事が有り多少は勉強したので言えるのだが今回の大暴落は相当やばい状況の前触れだという事は確かだと思う。株価っていうのはその企業の業績や今後の見通し等の材料によって上下するのが普通の状態なのだが社会情勢や日本の経済情勢、世界中の経済情勢によっても変動するものなのだ。今回の大暴落はアメリカの金融危機からの市場の落ち込みが引き金になりこれが世界中に伝染した様なものだ。元々日本は不景気が続いて株価も低迷していた所に政局不安定のバブルパンチを受けてふらついていたのだがそこにアメリカから強烈なストレートを喰らってダウンした訳だ。ここですっくと立ち上がって反撃に移れる程今の日本経済にスタミナが有るとは到底思えない。一応立ち上がろうとはするだろうがこの後、更に重爆パンチを2〜3発喰らう事が予想される。ここは10カウントぎりぎり迄ダウンしたままで体力の温存に賭けるしか無い様に思われる。株価が大幅に下がればそこで必ず買い戻しが入る。安い所を買って上がったところで売り抜ける訳だが下がったところが底値と判断されなければ少し上がったところで直ぐに売りに徹するのでまた下がるという事になる。アメリカの救済処置が遅れれば底値を見いだす材料が見えないので底打ちしない状況が続きどん底迄行くかも知れない。株価というのは時代を先読みする物なので、日本経済はこれから相当厳しい事態に成る筈だ。不況が続き銀行の貸し渋りが起き企業の事業縮小、人件費カット、リストラ、中小企業の倒産、大企業も事業拡大や設備投資し過ぎた所は厳しくなるだろう。そんな中で逆に景気が良くなるのはJRAとパチンコ屋、それから薄利多売で商売しているドンキホーテやビックカメラみたいなとこと安さが売りの飲食店位じゃないかな。でも皆はあんまり心配しなくてもいいぞ。長い目で見れば不景気の後には必ず好景気が来るというのも経済の仕組みだからな。あんたの店は大丈夫かって?そりゃあ大丈夫だ。うちは元々金満主義のライブハウス擬きとは違って最初から儲からないやり方でやってるから不況にはめっぽう強い土台が出来てるからな。まあ好景気でも懐は潤わないが心は潤うのがヘブンスドアだ。なんちゃって。

八百長擬き

大麻問題で世を騒がせた相撲協会が今度は八百長疑惑で揺れている。皆もこの件に関しては既に知っていると思うが朝青龍が1勝80万円で勝たせてもらっていたというやつだ。そこに来て今度は大麻で捕まった若ノ鵬が琴欧洲と春日錦から金を受け取って勝ちを譲ったと週刊現代に暴露したもんだからマスコミの恰好の餌食にされている。朝青龍の件は既に裁判が始まっているが後者の方も間違い無く法廷で争われる事になるだろう。相撲協会と週刊現代の争いはどちらに軍配が上がるのかこれはもう殆ど結果が見えている様なもんだ。おそらく相撲協会の方が勝つだろう。何故なら週刊現代の方はあくまで元力士の証言による記事だからだ。例えば八百長を頼んでいる音声が入ったテープとか物的証拠が有るなら別だがそんな事は一切触れられていなかった。まさか80万円が銀行振り込みだったりして受け取った側の通帳に朝青龍の名前が入っていれば話は別だが。まあ要は証言の真偽のみの争いな訳だ。そして訴えた側が相撲協会の方だという事は、勿論裁判に成ったら勝つ確信が有ったから訴えた筈で下調べはしっかりした上での告訴だと思う。ただ俺の予想としては協会がたとえ勝訴したとしても八百長擬きは間違い無く有ると思う。何十万円も渡しての八百長と言っているのでは無い。あくまで擬き(もどき)だ。もしかしたら多少の金銭のやりとりも有ったのかも知れないがせいぜい飲み代の奢り位のもんじゃないかと思う。そういう事よりもっと心情的な部分での話なんだ。中には相撲の仕組みをあまり知らない人もいるかも知れないので一応説明しておく。相撲には本場所と言われるシリーズが年に6回行われる。そしてその一場所は15日間で争われる事になるのだがこの15日という所がミソである。相撲取りは番付けというランキング表でその位置が決められ勿論横綱がトップなのだがその下に大関、関脇、小結、前頭1枚目から順に2枚目、3枚目と続いて行き、この中で勝ち越せば上に行けるし負け越せば下に行く仕組みになっている。と言っても例外も有り横綱は一旦その位置に上り詰めると陥落する事は無い。しかし、負けが混む様になると半ば強制的に近い形で引退という道を辿らなければならない。もう一つ特殊なのが大関なのだがこのポジションにいる力士が最も八百長もどきに関わっていると思っているのは多分俺だけでは無いだろう。大関というのは関脇まで上り詰めた力士が連続して好成績を収めた時に審議に掛けられ認められた者だけが昇進出来るという非常に狭き門なんだ。そして負け越した時は角番といって一応大関の位置にはいられるがこの角番大関の時に負け越せば大関から陥落する事になるんだ。大関と関脇との差は天と地程有りギャラも当然違うが周りの扱いも全て大幅に違うんだ。例えて言えば課長と部長みたいなもんだな。だから一旦大関迄行った奴はどんな事をしても踏み止まろうとするし、周りの力士が陥落させる事に躊躇いを感じたとしても心情的に解らんでも無い。部長だった奴が課長に格下げされたのを見るのは忍びないと思ったとしても別におかしくは無いだろう?15日間で8敗したら負け越しに成る訳だが大関が7敗迄来てしまいその後の勝負で、え〜〜なんかちょっと不自然だな〜と思った事が俺的には100回は下らない。だが誰もその不自然な状況を口にしなかったのは相撲をスポーツとしてよりも文化として観ていたからだと思う。例え予定調和の部分を含んでいたとしても誰もが当たり前の物として受け入れて来たのだ。だがこの数年で海外からの血を大量に受け入れた事によって文化からスポーツよりなイメージで観られる傾向になった。過去に高見山、小錦、曙、武蔵丸等もいたが現在の非では無い。マスコミで何かと取り上げられる朝青龍が古い体質を守ろうとする横綱審議委員会から苦言を呈される事は多いが一般からは悪役的人気が有ったりするのは今の相撲界が文化とスポーツの正に間に位置する事を象徴している良い例だと思う。さて、裁判が終わった後の相撲界はどう変わるのか、何も変わらないのか。何も変わらないのであれば衰退の道を辿るだろう。いっその事、理事長が相撲はスポーツじゃありません、格闘美を追求したカルチャーですって宣言したら今の数倍お客さんは来ると思うが。

深夜のコンビニ

しかし、深夜のコンビニの店員はなんでどいつもこいつも感じが悪いのだろう。やる気の欠片も見えない奴ばかりだ。〜円になりますって全然聞こえないし、目は死んでるし、態度もいやいやだし、有り難うございましたもろくに言やあしない。よくあれでクビにならないもんだ。だいたい深夜の方が時給も良い筈なのにカスみたいなのしかいないのは何故なんだ。どの店でも店長がいてしっかり教育するべきなのに辞められたら困るから何も言えないのか?あんなのはいない方がましだと思うが。今も腹が減ったので弁当を買いに行ったのだが全く持ってクソもいいとこだ。昔はバイトといえば金の為だけでは無かった。社会に出る前のデモンストレーションみたいなもんで色々な世の中の仕組みを勉強する為でもあったんだ。勿論そういうつもりでバイトしている人も沢山いるとは思うが深夜のコンビニでそんな風に見える奴なんか見たためしが無いぞ。はっきり言って奴等は大きな損をしている。折角沢山の事を吸収出来る環境にいるのにまるっきりそれに気が付いていない。貴重なチャンスと貴重な時間をただ垂れ流しているだけだ。おそらく人としての向上心など微塵も無いのだろう。与えられた事を最低限こなせばそれで良いんだと思っているに違いない。そして自分達はこれは金の為と割り切っているからで自分のやりたい仕事に就いたらちゃんとするつもりだとかぬかすんだろうがそれは大きな間違いだ。好きだろうが嫌いだろうが自分でやると決めた仕事をだらだら適当にやってる奴を誰が受け入れるってんだ。世の中をなめるのも大概にしろ。瞬間、瞬間を精一杯生きようとしない奴がどんな職場に移ろうがクソはクソだ。クソを受け入れてくれるのはクソみたいなとこしかねえ。解ったかクソ野郎。クソカス呼ばわりされたくなかったら気合い入れて仕事してみやがれ。光ってる人間はどんな場所でも光れるもんだ。そういう奴は何をやっても運が廻って来る。クソは何処で何をやっても結局クソだ。悪い運しか巡って来ない。だがクソ野郎にも一つだけ良い事を教えといてやる。光ってる奴とお前みたいなカスとの差は本当は殆ど無いんだ。ほんの僅かな意識の違いだけなんだ。お前はクソのくせに謙虚さが足りない。自分を何様だと思ってんだ。お客さんでも同僚でも何かを吸収させてくれる有り難い存在だと感謝して接してみろ。これで暗い表情が朗らかになる。声はどんな時でも今の3倍は出せ。これで気持ちが常に前向きになる。この2つを実践出来たらその瞬間にクソから光り輝く奴に変身している筈だ。ああそれからクソ野郎にもう一つ言っとかなきゃいけない事があった。今お前の周りにいる友達や彼女はお前が光り出したら徐々に離れて行く事になるがあんまり気にするな。周りの人間も光り出せば良いのだがそうでなければ必ず離れて行く。だが安心しろ。クソにはクソしか集まらないが光ってる奴には光ってる奴が集まって来るもんだ。まあどっちを選ぶかは自分で決める事だ。

まだ若い外道共へ

昨日、久々にパチンコをやった。俺はギャンブルと言われるものは麻雀とパチンコ位しかやらないのだが最近多忙な日々が続きおよそ3ヶ月ぶり位の参上であった。相も変わらず活況を呈していたのだが何時もの顔ぶれも当然の様に玉打ち作業に没頭している。既に社会的貢献を終えリタイア状態のお年寄りにとっては楽しいひと時なのだろうがこれを生業にしている若者も数多い。そんな若い20代前半にしか見えないパチプロの一人と偶々お茶を同席する機会が有り幾つか質問をしてみた事が有る。彼は一見人当たりの良い好青年の様だが一生パチプロをやっていくのか、将来やりたい事は無いのか、時間が勿体無いとは思わないのか、パチンコが自分の仕事だと本当に思っているのか等、彼にとってはきつい内容をぶつけてみたのだ。すると初めのうちは明るかった表情の中に少しづつ反発心が見て取れる様になり、やがて暗い表情に変化して行った。自分の人生は自分で決める物だし余計なお節介はうざいものである。だが二十歳そこそこでこんな世界にのめり込んでしまってそれで良いのだろうか。これを一つの経験として生かすのならそれはそれで良いと思う。またはパチンコで大きく稼いでそれを資金に何かを起こす予定だったりしてもかなり破天荒なやり方ではあるがかろうじて納得は出来る。だが彼は何も考えてはいなかった。仕事をするのが面倒で偶々パチンコをやったら短時間でかなりの額を手にしてしまった。一日バイトして稼げる額の数倍をほんの数時間でそれも椅子に座って煙草をくわえながら盤面を見つめているだけで稼いでしまったのだからその美味しさに惹かれてしまうのは解らんでも無い。 ギャンブルは何でもそうだが脳内麻薬を大量分泌させる。そしてこの麻薬は習慣性も持っていたりするので一旦嵌まるとなかなか抜けられなくなるのだ。そのうえ彼の様に簡単に大金を稼いでしまったりするともう始末が悪い。意思が弱い奴はどっぷり浸かって下手したら一生抜けられなくなってしまうのだ。べつにそれでも構わないと言うなら知った事では無いが若いうちは時間が財産だという事も少しは知っておいて欲しい。有り余る時間を如何に有効に使うかで人としての成長や生まれて来た意義を見いだす事が出来る。それを自分の快楽と欲望のみに費やすというのは外道の生き方だという事は知っておいた方が身の為だと思う。俺はギャンブルを否定しているのではない。むしろギャンブル肯定派だ。ギャンブルも出来ない様な小心者は友人リストから外しているくらいだ。だが、その頻度に関わらずあくまで一服の清涼剤としか思っていない。最後に若いギャンブルを生業にしている奴等に言っておく。お前等の生き方は一見恰好良い様に見えるかも知れないが最高に格好悪いぞ。腐った魚と大差無い世の中には必要無い存在だ。少しは他人の為に行動してみろ。その方がよっぽど価値の有る人生だって事を早く気が付け。他人の為に働く事の中に人生の意義や本当の歓びや脳内麻薬よりずっと大きな快感も有るんだという事を知っておけ。そんな事は言われなくても解ってるって雁首揃えて言うんだろうが頭で解っていながら行動しないのは臆病者の証なんだよ。取り敢えず隣に座ってる見知らぬ爺ちゃん婆ちゃんにお前の稼いだ玉をお裾分けしてみろ。それが出来たらお前は変われると思う。

男女の駆け引き

今日は或る歳の若い友人の話を元に君等の大好きな男女の戯れ言の話をしてみようかと思う。 友人の名はKとしておこう。つい最近の事らしいがそのKの家に一人の女の子がふらっと遊びに来たそうだ。その子はKの知り合いの彼女であった。彼女が言うには彼氏とうまくいっておらず彼氏との仲は終わりにする決意を既に固めていた様だったらしい。夜も更けそろそろお開きにするつもりがその子の方から今日は泊まらせて欲しいとせがまれ二人は同じ布団に入る事になった。Kは知り合いの彼女だという事で迷った挙げ句、手を出さなかったらしいのだが後悔も入り混じっていた様である。 本人も今日はこんな俺の話をネタに日記を書いて下さいと言って来たのでそうさせて貰う事にした。 それにしてもとっても青臭くていい話だ。彼の純粋さが伺われるというものだ。 実は数十年前ではあるが俺も同じ様な経験をした事が有る。ただ俺の場合は当然やらせてくれるものと思い手を出そうとしたという点だけが大きく違うが。誰だって女の子の方から布団に入ってくればやらせてくれると思うじゃないか。しかし何とその子は手を出したら大きい声を出すとか言って徹底的に拒否してくるのだ。これはめちゃめちゃ美味そうな料理を目の前に出されて食おうとした瞬間に引っ込められた様なもんで蛇の生殺しってやつだ。それじゃあ相手がその気になるように口説きまくる作戦に変更したのだがこれも全く拒否だ。そして残された最後の手段は彼女が寝静まった頃合いをみて一気にのしかかるという掟破りの方法だがとうとう朝迄熟睡してくれずお陰でこっちは完徹状態の寸止め地獄を味合わされてしまった。全く持って女ってのは何を考えているのか解らんと思ったが若干の敗北感を感じたのは事実だ。 両者ともやらなかったという結果は同じだがプロセスには大きな違いがある。さて、皆はどちらの行為を支持するのか聞いてみたいものだ。Kのとった行動は或る意味とても男らしい。知り合いの彼女だという事で義理を優先した訳だ。だが俺のとった行動も男らしい。男の本能に忠実だったという意味でだが。 まあ結局いつの時代も男は女の手の平の上で弄ばれている様なものだというのが今日の話の顛末だったりするのだが男と女の間には常に駆け引きが存在する事を知っておこう。押したり引いたりの連続だ。 俺は、死ぬ迄この駆け引きを楽しみたいと思う。勿論君達もだ。

プロレスの復興

以前にこの日記で俺の趣味的な話として野球や映画に関して触れた事があるが実は他にも熱狂的に好きな分野が有るので今日はそのことを話そう。 俺は、最強のプロレスファンでもあるのだ。なにしろ俺が生まれ育った実家は祖父を筆頭に父方兄弟も同居する9人がひしめき合う大所帯だったのだがその全員がプロレスファンだったので赤ん坊の時から既にプロレスファンへの道が運命付けられていたのだ。日本にプロレスを広めた当時のスーパースター力道山が亡くなったのは俺が5歳の時なのだがそれ以前の記憶もしっかりインプットされている。普通4歳迄の記憶は残らないと言われているが何故かプロレスの事だけは記憶されているのだ。 力道山死後の俺にとってのヒーローは何と言ってもアントニオ猪木だった。あの覇気溢れる燃える闘魂には居ても立ってもいられない程の魅力を感じたものだ。だが猪木が日本プロレスを辞め新団体を旗揚げした当時からそんな猪木熱は醒めて行った。どうも大人の狡さというか悪賢い部分が見え出してしまい子供ながらに不信感を抱き出してしまったのだ。 そして俺は馬場派になった。ジャイアント馬場とは猪木の様な派手さは決して無いが地味でも地道に自分の道を貫き通した或る意味非常に男らしい人だ。そんな馬場さんに惹かれて行ったのは自分自身が成長するにつれ彼の様な生き方をしたいと思ったからなのかも知れない。 ところでプロレスファン以外の人にプロレスの話をするとあれは八百長だからとかショーだから等と口を揃えて言うが、それははっきり言って阿呆としか思えない意見だ。プロレスはショーに決まってるじゃないか。プロレスの楽しみ方は勝ち負けじゃ無くてプロセスなんだよ。鍛え上げられた者同士にしか出せない攻めと受けで激しさを観せる。その攻防に一喜一憂するのがファンの正しい心得だ。リアルファイトの様に単純な物じゃ無くもっと奥が深くて知的な物なんだ。そこら辺を理解して欲しいのだが阿呆にいちいち説明するのも面倒なのでふんふんと適当に受け流すのがまたプロレスファンの流儀でもあるのだ。 その後、俺がファンに成ったのは川田利明という選手なのだが最近はハッスルなんていうおちゃらけた団体をメインに活動している様だがあれははっきり言ってプロレス団体としては認められない。多少のおふざけは別に構わないと思うがあそこは素人もリングに上げている。この時点でもう完全にプロレスを嘗めているとしか思えない。演芸として興行するなら気にも留めないがプロレスと銘打つのは止めて貰いたい。実に気分が悪い。 それにしても最近はプロレス人気がガタ落ちだ。リアルファイトの団体でボロ負けしたのが原因の一つだと思う。あれは見た目は同じ様だが実はまるっきり別物なんだ。リアルファイトの攻め一辺倒に対してプロレスは受けで観せなければならない部分が多いに有る。レスラー達の体にはそれが染み込んでいるから攻められたら諸に受けてしまうんだ。プロレスならその後に立場が逆転するのだがリアルファイトは攻める事しか無いから攻撃を受けっぱなしになって酷い負け方をするのは当然な訳だ。リアルファイトの選手がプロレスのリングに上がって愚体を曝しても大目に見てやってるのに単細胞のリアルファイトのファンには別物同士の無理が有る部分なぞ解らずにプロレスラーは弱いというレッテルをでかでかと貼りやがった。参加したレスラー達は大金を積まれて目が眩んだのだから仕方が無いが。 もう一つの原因として、スター選手の年齢が嵩みその後を引き継ぐ選手の中にスーパースターが産まれて来ないのが癌だと思う。年明けには東京ドームで主要団体の対抗戦が行われるという噂が有るがそれを機に勢いを盛り返して欲しいものだがよっぽどのサプライズが無ければ一過性で終わってしまう様な気がする。 プロレスを愛する者としては少しでも速くこの冬の時代から脱して欲しいと願っているのだが。

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