昨日、久々にパチンコをやった。俺はギャンブルと言われるものは麻雀とパチンコ位しかやらないのだが最近多忙な日々が続きおよそ3ヶ月ぶり位の参上であった。相も変わらず活況を呈していたのだが何時もの顔ぶれも当然の様に玉打ち作業に没頭している。既に社会的貢献を終えリタイア状態のお年寄りにとっては楽しいひと時なのだろうがこれを生業にしている若者も数多い。そんな若い20代前半にしか見えないパチプロの一人と偶々お茶を同席する機会が有り幾つか質問をしてみた事が有る。彼は一見人当たりの良い好青年の様だが一生パチプロをやっていくのか、将来やりたい事は無いのか、時間が勿体無いとは思わないのか、パチンコが自分の仕事だと本当に思っているのか等、彼にとってはきつい内容をぶつけてみたのだ。すると初めのうちは明るかった表情の中に少しづつ反発心が見て取れる様になり、やがて暗い表情に変化して行った。自分の人生は自分で決める物だし余計なお節介はうざいものである。だが二十歳そこそこでこんな世界にのめり込んでしまってそれで良いのだろうか。これを一つの経験として生かすのならそれはそれで良いと思う。またはパチンコで大きく稼いでそれを資金に何かを起こす予定だったりしてもかなり破天荒なやり方ではあるがかろうじて納得は出来る。だが彼は何も考えてはいなかった。仕事をするのが面倒で偶々パチンコをやったら短時間でかなりの額を手にしてしまった。一日バイトして稼げる額の数倍をほんの数時間でそれも椅子に座って煙草をくわえながら盤面を見つめているだけで稼いでしまったのだからその美味しさに惹かれてしまうのは解らんでも無い。
ギャンブルは何でもそうだが脳内麻薬を大量分泌させる。そしてこの麻薬は習慣性も持っていたりするので一旦嵌まるとなかなか抜けられなくなるのだ。そのうえ彼の様に簡単に大金を稼いでしまったりするともう始末が悪い。意思が弱い奴はどっぷり浸かって下手したら一生抜けられなくなってしまうのだ。べつにそれでも構わないと言うなら知った事では無いが若いうちは時間が財産だという事も少しは知っておいて欲しい。有り余る時間を如何に有効に使うかで人としての成長や生まれて来た意義を見いだす事が出来る。それを自分の快楽と欲望のみに費やすというのは外道の生き方だという事は知っておいた方が身の為だと思う。俺はギャンブルを否定しているのではない。むしろギャンブル肯定派だ。ギャンブルも出来ない様な小心者は友人リストから外しているくらいだ。だが、その頻度に関わらずあくまで一服の清涼剤としか思っていない。最後に若いギャンブルを生業にしている奴等に言っておく。お前等の生き方は一見恰好良い様に見えるかも知れないが最高に格好悪いぞ。腐った魚と大差無い世の中には必要無い存在だ。少しは他人の為に行動してみろ。その方がよっぽど価値の有る人生だって事を早く気が付け。他人の為に働く事の中に人生の意義や本当の歓びや脳内麻薬よりずっと大きな快感も有るんだという事を知っておけ。そんな事は言われなくても解ってるって雁首揃えて言うんだろうが頭で解っていながら行動しないのは臆病者の証なんだよ。取り敢えず隣に座ってる見知らぬ爺ちゃん婆ちゃんにお前の稼いだ玉をお裾分けしてみろ。それが出来たらお前は変われると思う。
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