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宗教と信仰は違う

今日のニュースでネパールに釈迦の生まれ変わりが現れたとあった。なんでも数ヶ月間食事を取らず山にこもりっきりだったらしいのだが最近人前に現れて近々説法を行うらしいのだ。現地ではこれがかなり大きなニュースになっている様だ。ネパールと言えば釈迦生誕の地でもある訳でこれが話題になるのは良く解る。断食、荒行の末に悟りを開いたと言う事なんだろう。だが俺はこいつを信じない。完璧に信じない。何故なら釈迦は断食、荒業から悟りを開いたんじゃないからだ。それを試みてはいるが悟る事は出来なかったんだ。断食、荒業を続ければ意識も正常では無くなり頭に何かが浮かぶ事も有ると思う。だが、これは悟りというものでは決して無い。幻想、幻覚の類いだ。近隣のインドなんかでも以前こんな人物が現れたなんて記事を読んだ事が有るがどうもここら辺の人達は何か大きな勘違いをしている様だ。仏教発祥の地である事を驕ってしまい逆に仏教を理解していないのではないかとも思えてしまう。同じおごるでも別の字を使って「奢る者は心嘗に貧し」と言う言葉が有る。これは贅沢をする者は満ち足りた思いをする事が無く、心は下劣で意地汚くなるという意味だ。ここでの贅沢とは仏教により心が満たされたと取ってくれ。もっと解り易く言うと釈迦の生まれ育った地域に生まれたという事だけでそれに胡座をかき仏教の本質を理解する事を怠っているんじゃないかという事だ。俺が思う悟りとは宇宙と一体になる瞬間だ。だが煩悩の固まりである人間にはそれを継続する事が非常に難しい。それを継続出来た人の事を悟りを開いた人と言うんじゃないかな。宇宙と一体になるって言ったって別に不思議な事や奇跡が起こったりする訳じゃ勿論無い。風や雲や海や空気と一つになるって事だ。自分は宇宙の元素の一つだと気付く事だ。たかが元素の一つなのに見えたり聞こえたり臭ったり感じたり嬉しかったり楽しかったり悲しかったり苦しかったりその全てを自然に受け止め全てを感謝するって事だ。宇宙が有るから自分がいる。自分がいるから宇宙が有る。ただそれだけの事だ。こんな事を言っているが俺は完璧に無宗教だ。だが信仰は仏教だ。宗教ってのは組織な訳で宗教の中では信仰を極める事は出来無いというのが俺の考えだ。いや、考えと言うか生き方と言った方が正しいかな。別に宗教に入っている人を否定しようなんてこれっぽっちも思っちゃいない。それで本人が少しでも満たされるのなら大いに結構な事だと思う。ただ俺には必要無いって事だ。でも信仰としては仏教だ。仏教ってのは実に清々しいから大好きなんだ。自然に成れるし感謝の気持ちで満たされるし生まれて来て本当に良かったって思えるんだ。辛い事、悲しい事や苦しい時は当然有るけどそんな物は超越した生きる歓びを感じるんだ。だからといってそれを君に勧める気は無い。興味を持ったら自分で何とかすりゃあ良いだけだ。信仰ってのはそういうものだと思っている。
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