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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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孤独な存在

人は結局何処までいっても孤独な存在だとよく言う。
確かにそうなのかもしれないがそうでないと思いたいものだ。
それじゃあそうでないとしたら誰かが孤独ではないと思わせてくれるという事になる。
親、兄弟、恋人、奥さん、亭主、友達、その対象になるとしたらここまでだろうか?
いや、子供が出来たらその存在は大きいな。
もしかすると先生や師匠や先輩、教え子や弟子に後輩、同僚、同級生、親戚なんていうのもその範疇に入るのかもしれない。
なんだ、全然孤独じゃないじゃないかと普段は思う人が本当は大半だと思う。
だが、孤独を感じる時っていうのは実はそんな人達に裏切られた時、折り合わなくなった時、理解出来なくなった時、失った時に強く感じるものだと思う。
そして、その孤独感を最も強く感じる時というのは夫婦や恋人同士が別れる時なのかもしれない。
心に風穴が開くという表現があるが正にそれ以上の例えはないというくらい辛いものだ。
そして、別れる時にいがみ合っていたとしてもそんな気持ちから逃れる事は出来ないものだ。
それは、おそらく好き同士だったから恋人や夫婦になったという事実があるわけで、当然仲が良かった時の記憶も残されているからだと思う。
そして、もう一つの原因は2人の間に情というものが出来上がっているからだ。
この情というのは或る時はとても居心地の良い場所でもあったりする。
好きとか愛してるとかそんなエキサイトした状態になる必要もなくもっと平坦で何も無い無欲な空気感の中でも存在するからだ。
側に居るのが当たり前、下手したら自分の体の一部みたいな感じだろうか。
良く言えば絆、悪く言えば自由を奪う鎖でもあると思う。
絆であり鎖なんだからこれを断ち切るのは容易ではない。
それなりのエネルギーも必用とされる。
そして、何よりも強烈な孤独感に立ち向かう勇気も必用になってくる。
やっぱり俺には君が必要だなんて言っちゃえば波乱万丈の感動的ロマンスの様にも思える。
しかし、そこに僅かでも妥協が紛れ込んでいたとするなら美談とは成り得ない。
孤独に立ち向かう勇気の無さを奇麗事にすり替えているだけという事になる。
そうやって塩漬けの様な腐れ縁に落ち着くカップルも多いがそれは言い換えれば情に流されたという事でもある。
ある種諦めの境地から別の意味の幸せを見出そうというのならそれもありだと思う。
だが、引き換えに前向きな若さも失う事になるという部分は否定出来ないだろう。
これと同じ様な事はあらゆる人間関係にも当て嵌まる様な気がする。
命を使い切って生き切る事を目指すとすると、やはり人はそう簡単に孤独からは逃れられないのかもしれない。
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