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アートに係わる人

世の中を普通に生きようと思えば当たり前の事を当たり前に過ごす事が一番だ。
だが、アートに係わる人間は当たり前の事を当たり前にこなしていれば斬新で面白いものが出来る可能性を小さくする場合が多い。
そんな事ないよって反発の声が沢山聞こえてきそうだが或る意味そこら辺を見極める目を持たなければやっていけない仕事に身を置く手前、この際言い切ってしまっても構わないと思っている。
例えば或る楽器を毎日血の滲む様な練習をして素晴らしいテクニックを身に付けたとする。
じゃあ、それでアーティストなのかというと俺は全然違うと思う。
勿論、テクニックが磨かれている方が表現力も幅広いからそれが大方はプラスに作用するのは当然だ。
だけどそれを上回るのが感性だ。
これが磨かれていなければいい演奏でしたで終わりだ。
長年、絵の勉強をして綺麗な作品を描けるまでになったとする。
じゃあ、それが人に何かを伝える事の出来る作品かと言うと一概にそうとは言えない筈だ。
だけど理屈や技術なんか何も無い子供がたまたま描いた絵が妙に心を動かす事ってあるだろう?
あれはほぼ感性だけで描いているからだと思うんだ。
感性っていうのは磨かれて光る事もあるがその逆に時が経てば経つほど薄れていくものでもあるんだ。
その薄れていく方の感性は赤ん坊の時には誰でもが持っているものだと思うんだ。
それは赤ん坊の表情をじっと観察していれば分かる事だ。
俺達が当たり前と思って何も感じなくなってしまったものにも反応する事が多い筈だ。
そんな豊かな感性を削っていくのが極々普通と思っている社会のシステムだと思うんだ。
だから最初に言ったようにそのシステムを当たり前の事として当たり前の生き方を続けていれば生まれ持って身に付けていた豊かな感性は失われていく事になると言ったんだ。
だけど失いかけていた感性は磨きをかければ復活する可能性も高い。
だから人間誰もが例外なくアーティストの資質を持っているって事でもあると思う。
この論理が正しいかどうかは本物のアーティストに触れれば一瞬で解る事でもある。
それは彼等が妙に子供っぽい部分を必ず持っているからだ。
そう考えると最高のアーティストは子供という事になるが子供はそれを表現する術を知らない。
ならば子供の心を失わず表現の術に磨きをかける事が最も大切という事になるがこれを普通の生き方をしていて可能なのかというと非常に難しい。
だからアーティストと言われる人は自分では普通の生き方と思っていたとしてもどこか当たり前じゃないんだよ。
そしてもう一つ、アートは偶然から生まれるって事も知っておかなければならない。
例えばそうとは知らずに絵の具の赤と白を混ぜたらピンクになってびっくりしたなんて事がアートでは大いに必要なんだ。
だけどこの偶然っていうのは意図的に作り出す事も出来るんだ。
セッションなんて諸にそうだけど要は摩擦を起こさせればいいんだ。
摩擦っていうと勘違いを招く恐れもあるが例えば普段通っている道と違う道を使ってみるなんていうのも普通に摩擦を加えた事になるし初対面の人と話す事だって一種の摩擦なんだよ。
この摩擦が偶然を生みそこから感性が刺激されてアートが生まれる事もあるって事だ。
こういう話をしだすと一冊の本になる位の長さになってしまいそうだからここら辺で止めておくが俺がこの日記を書き続けているのは君等との間で摩擦を起こそうとしているって事でもあるんだぞ。
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