ここのところ我が子を虐待して死なせるという事件が立て続けに起こっている。
ついこの間も話した様に人間の苦しみの中で最も辛いのは我が子を失う事なのにそれを自分の手で犯すというのは一体どういう事なのだろう。
今日、たまたま入ったそば屋に置いてあった週刊誌を何気なく捲っているとその事に関してのヒントとなる記事があったのでそれも参考にして話してみたい。
もう1ヶ月近く前の事件だったと思うが若い母親が女友達と二人で自分の幼子に対して熱湯を掛けて喜んでいたというのがあった。
泣き叫ぶ子供を見るのが面白かったそうだ。
俺も子供の頃に蛙の口に爆竹を突っ込んで破裂させて喜んでいた時期も有るので余り偉そうな事は言えないが今から思えば命の尊さとは何なのかも理解出来ていない頃なので蛙さんごめんなさいという事でまあ救いは有ると思う。
逆にそんな事がきっかけとなって命とは何だろうなんて子供心に考える事が出来たりするものだ。
子供の時の遊びというのは決して無駄な時間を過ごしている訳ではなくこんな事からも大人になってからの人生観に多少也とも影響を及ぼすものなんだ。
もしあの母親が子供の頃に友達と喧嘩して怪我をさせてしまったり逆に自分が怪我をしたりした経験が有ればそれだけであんな事件は起こらなかった様な気がする。
要するにあれは痛みというものを知らない人間のする事だ。
彼女は勉強はしたのかもしれないが生きる上での教養が無さ過ぎる。
一言で言えば無知だ。。
それでも救いようが有るのは子供が死なずに済み本人も猛省している点だ。
反省が本当ならあの母親は今後立ち直れると思う。
だが、自分の娘を裸でベランダに放置したり立てなくなるまで飯を食わさなかったり同居する男と蹴りまくって死なせてしまった母親の方は話が違う。
これは最早人間とは言わず鬼畜と言う。
血の通った人間なら出来ない行為だ。
本人はおそらく我が子が産まれた時は普通の母親と変わらず深い愛情を注いだと思う。
しかし、その数年後に離婚して新たな恋人と同居するようになってからこの母親は我が娘を自分が嫌な思いをさせられた元夫の子供としてしか見えなくなってしまったのだ。
ここでこの新しい男が器の大きい人間であったならこんな事件は起こらなかった筈だが不幸にしてそうではなかった。
この男からすれば娘はただの邪魔者でしかなかった様だ。
母親は自分が不幸のどん底で喘いでいた所に救いの手を差し伸べてくれた愛する男を何が何でも繋ぎ止めておきたかったのだろう。
彼女は女である事を選びその代償として母親と人間を捨てたのだ。
我が子を殺して冷蔵庫の中に数ヶ月間放置していた親もいた。
これも同じパターンで離婚から新たな男との生活で邪魔になった子供を虐待して死に追い込んでいる。
親は子供に対して無償の愛を与えてくれる掛け替えの無い存在の筈だ。
それがどういう事なんだ、今の世の中は。
鬼畜がまるでゾンビの様に増殖しているみたいじゃないか。
新型ウイルスから身を守りましょう。
北朝鮮のミサイルや核開発には抗議しましょう。
それは最もだ。
だが、一番恐ろしい事にじわじわと蝕まれている事に関しては誰も手をつけ様としていない。
っていうか気が付いていないのかもしれない。
PR