この街に越してきてから何年経ったのだろう?
5年か6年か?いや7年かな?もしかしたら4年しか経っていないのかも。
どうでもいい事だが今の家に辿り着く迄に15回も住まいを替えて来た。
短い所は家賃が払えず僅か1ヶ月で引越しをする羽目になった事もある。
良く言えば常にリフレッシュして前向きに生きてきたという事にもなるのだが悪く言えば落ち着きが無いという事になるのかもしれない。
まあ、そんな或る意味行き当たりばったり的人生を送ってきた俺としては年齢的な事もあるのか振り返ってみてよくこんな生き方で生き延びてこれたもんだと自分で呆れる事もある。
だが、じゃあ他にどんな人生があったのかと思うともっと堅実なやり方という事になるのかもしれないが本当はそんなものは存在していなかった様にも思うんだ。
大きな分岐点に差し掛かった時には必ず熟考してから行動に移している。
熟考するというのは後悔しないようにじっくり考えるという事だが他の選択肢を切り捨てるという意味でもある。
その時は確かに迷いが生じる。
だが、実は諸々の答えは最初から全てが決まっていた様にも思うんだ。
これは若い時には気が付かないが歳を取れば取るほどそう思えて仕方が無い。
幾つもの選択肢から一つを選ぶ時というのは実はその一つ一つが対等な位置に有るのではなく最初から答えは決まっていて他を如何に自分の中で納得付けて消して行くかという作業の様な気がしてならない。
こういうのを世間では我が強いとかわがままとか言うのだろうがこれは大方の人に嵌っている様にも思うしそうでなければ芯の無い人間という事にもなりかねないと言っても間違いではないだろう。
逆に柔軟性を持って物事に対処するという政治家がよく使う奇麗事も時には必要なのかもしれないがこの言葉を盛んに口に出す奴を俺はあまり信用しない事にしている。
そうじゃなくて先ず本音を言えって事だ。
今、俺の中でまた新たな決断をしなければならない時が近付いている。
それは仕事の面であったり恋愛の事であったりなのだが。
毎度の事の様に選択肢は幾つもあるのだがやはり答えは既に出ている様な気がする。
何の事だかはいずれ話す機会が有ると思うのでその時にじっくり話そう。
人生は毎日が決断の時でもある。
迷う事、悩む事は決して悪い事じゃない。
だが答えは君の心の中で既に出ている筈だ。
自分を信じよう。
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