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DIARY

三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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心の柵

昨日の話の中で開放感こそライブハウスの命だと言ったよね。
開放感の開放っていうのは、勿論、自由という意味だ。
もっと突き詰めて言うと制限を無くして自由にするという事だ。
他のライブハウスと言われている所へ行くと大抵ステージの前に柵が有るだろう?
実は、うちの店にもあったんだ。
開店してからほんの数ヶ月の間だけだけど。
あれは、所謂危険防止の為のものだという事は子供でも分かると思う。
もう、だいぶ昔の話になるが、すし詰め状態のライブハウスでファンが将棋倒しのようになって死亡者が出た事があったんだ。
それからというもの、ライブハウスのステージ前に柵を作るのは、半ば常識のようになってしまったんだ。
確かに事故防止には、多少は役に立つのかもしれない。
しかし、デメリットは、計り知れないものがあると思う。
それは何かと言えば、やはり開放感の妨げになるという事だ。
それが分かっていてなんで数ヶ月間とはいえ自分の店にも柵を付けたのかって当然思うよな?
答えは、簡単だ。
俺がライブハウスの経営って事に関しては、丸っきりのド素人だったからだよ。
いいバンドが沢山出ていればお客さんも来てくれるだろうと、まぁその程度だよ。
それを一刀両断してくれたのが昨日話した渡辺さんだ。
一瞬で理解したよ、俺はダサいって。
保守的で閉鎖的でロック魂の欠片も無い糞野郎だってね。
今、思い出しても恥ずかしくて逃げ出したくなる思いだよ。
しかし、俺が柵を外すと言い出すと当時のスタッフ全員から大反対の大反発を受けてしまった。
流石にこの時は困ったよ。
皆で力を合わせて最高のライブハウスにしようと言っておいて店長が全員の意見を無視してそういう事をするんですかと言われてしまったんだ。
それを多少強引になんとか納得させる為に費やしたのが数ヶ月というわけだ。
そんなの店長なんだから勝手に外しちゃえばいいじゃんって思う人もいるかもしれない。
だけど、俺を信頼して着いて行こうと決心してくれた人達を蔑ろにする事は出来なかったんだよ。
やっぱり、スタッフ達の気持ちになれば納得して毎日気持ちよく仕事したいって思うだろ?
今から想えば物凄く小さな事なんだけど、俺も含めて雁字搦めの中で生活してきた人間にとって開放感とか自由な空気っていうのは、そう簡単に作り出せるものじゃないんだって痛感したよ、あの時は。
自由っていうと物凄く簡単なものだと思うだろ?
実際は、そうである筈だよね?
だけど、社会生活を営むうちに人間は常識と引き換えにどんどん知ってか知らずか不自由になっていくものだと思うんだ。
そして、いつの間にか遠い存在になってしまうんだ。
それをそうじゃないって、自由を取り戻せる場所がライブハウスでもある筈なんだ。
簡単なようで難しい。
その難しいと思う気持ちさえもあの柵のように取っ払って素に戻れば実に簡単な事だと気が付くまでに何年かかった事だろう。
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あと20%

尊敬する人というのは、誰にでもいるものだと思う。
勿論、俺にも数え上げたらきりが無い程いる。
だけど、どう転んでも敵わない人となると数が絞られる。
俺には、パッと思いつくだけで3人いる。
その一人は、フジヤマというインディーショップの店長である渡辺さんという人だ。
当時、未だロック、パンクの表面的な部分しか分かっていなかった俺に直接的だったり時には空気でその本質的な部分を教えてくれた偉大な大先輩だ。
そりゃあ、俺にも自信はあったよ。
だけど、渡辺さんに何か一言言われると返す言葉が無いんだ。
全く持って反論出来ない。
天と地、神と蟻んこ、太陽と人工衛星くらいの違いはあったと思う。
渡辺さんには何回も怒られた。
止めちゃえば?ライブハウスなんかと何回言われたか分からない。
開放感が全然足りないという意味で言ってくれたんだと思うんだがこの言葉は重かった。
全くその通りだったからだ。
今でも心にしっかり沁み込んでいる。
その言葉があったから、おそらく今まで一度も止めようなんて思わず続けてこられたんだと思う。
開放感こそライブハウスの命だ。
それが全然駄目となったら只の貸しホール、貸しスペースでしかない。
場所貸しスペースの為に俺は、自分の全てを捧げようと思ったわけじゃない。
だけど、なかなか理想の空気が生み出せない。
考えれば考えるほどドツボに嵌る。
その状態が何年続いた事だろうか。
あれから20年。
ようやく渡辺さんからは、怒られなくなった。
少しは、認めてくれたのだろうか。
自分の中では、80%はいっているんじゃないかと思うんだが、あとの20%が未だ足りない気がする。
その20%のお陰で未だに渡辺さんの前では、俺は単なる小僧でしかない。
全然、対等な位置にいるとは思えない。
実際そうだし。
だけど、これがもし100%までいっちゃったら俺はどうするんだろうとも思う。
隠居でもして爺街道まっしぐらか?
それとも全部放り投げて一から出直しかも。
どうでもいいか、そんなこと。
あと20%も残ってるんだし。

今年の占い

今年は、変化が起きる年よって細木数子と他にも誰かが言っていたような気がする。
変化が起きそうと言えば総理大臣が変わりそうな事かな?
だけど、そう言っちゃうとここの所、毎年のように交代しているから久々に続投って事だったりして。
まぁ、どっちにしろああいう占いっていうのは、そういえば当たっているみたいな言い回しをするからあんまり気にしない方がいいのかもしれない。
具体的に何時々に何がどうなるって言ってくれりゃあいいんだがそういうのってあんまり無いもんな。
それじゃあ、商売あがったりって事なんだとは思うけどね。
今から30年程前に天中殺ブームというのがあったんだ。
天中殺っていうのは四柱推命で言う空亡の事なんだが、受け取り方というか解釈に違いがあるものと言っておけば正しいのかもしれない。
凄く簡単に言えば、この生年月日の人は、いつからいつ迄は新たな行動を起こしてはならず、それを無視すれば不幸な出来事等が訪れるみたいなものだよ。
これを流行らせたのは和泉宗章という人なんだが、何故ブームになったかと言えばテレビで具体的な固有名詞を出して断言するような予言をしていたからだ。
著書は、全てミリオンセラーを記録して年間ベストセラーの上位を独占していたしテレビにも頻繁に出ていたので日本中で彼を知らない人はいなかった筈だ。
しかし、当時、ジャイアンツの監督だった長嶋茂雄の辞任の時期を言い切って見事に外れた事を切欠に彼は、自ら占いの世界から引退した。
そして、今度は、占い反対派に転向して天中殺は無い、騙して申し訳ないと言ったんだ。
こんなもんだよ、占いって。
確かに当たる事はある。
でも、同じくらいに外れる事もあるって事だ。
だからって最初から全てがインチキとは思わないよ。
占いの仕方なんかでもなるほどと納得出来るものも多いしね。
まぁ、どっちにしても参考程度に留めておくのが一番いいんじゃないかな。
占いに頼ったり左右されるっていう事は、裏を返せばそれだけ自信が無いって事になるんだから自分に自身を持つ事の方が先決だと思うよ。
この10日間で初詣に行っておみくじを引いたら凶だったという人に二人もあった。
これも受け取り方だ。
これをそのまま受け止めて十字架を背負ったような表情でいれば、本当にろくな事は起こらないと思う。
だけど、今年一年が凶だって言うんならそのマイナス分、自分自身がスキルアップしとけばいいって事にもなるだろ?
それはその分頑張らなきゃいけないってわけだけど一年後には普通に1年過ぎた状況より自分が成長しているって事になるよな。
そうすると、普通に1年過ごすより結果的にいい年になるじゃないか。
占いなんてと言っちゃあ失礼だが、占う側がどっちとも受け取れる様な言い回しをするのなら、こっちもどうとでも取れる解釈をすりゃあいいんだよ。
受け取る側次第だと思うよ。
大切なのは、ポジティブな自分でいる事だよ。

成人の日

昨日は、成人の日だったけどこれを読んでくれている人の中でも新成人になった人がいるんだろうな。
俺は、通勤で区のホールの側を通るんだが、昨日は振袖のお嬢さんが沢山いたよ。
今は、あまりいい時代とは思えないけど皆いい表情をしていたな。
そのいい表情をずっと持ち続けていられたらいいんだけどな。
俺は、成人式に参加しなかったからよく分からないけどあれに参加するとやっぱり特別な気持ちになるのかな?
もう、大人なんだ、いつまでも親に面倒みてもらうわけにはいかないなとか。
だけど、幾つになっても親に甘えっぱなしの奴っているだろ?
そんな君に言っておきたい事がある。
取り敢えず家を出ろ。
仕事が未だ決まってないとか未だ学生だからとか弁解の理由も色々あるだろう。
だけど、それでも敢て出ろ。
金が無かったら自分で稼げ。
自分には、社会に出たらやりたい仕事があって、今は未だその準備段階だからって言うんだろ?
そんな事は、分かってるよ。
分かってて言ってるんだよ、俺は。
だったらバイトして自分の事は、自分でケツ拭いてでも目指せばいいだけの事じゃないか。
そこで少しでも楽な方を選ぼうとするって事は、歳は確かに二十歳かもしれないが、中身は子供のままだって認めてるのと同じだ。
最近の若い親って子供を自分の所有物と勘違いしてる阿呆も多いからな。
親は、子供を少しでも早く自立させる、子供は、少しでも早く自立を目指す。
これが理想の親子の姿ってもんだ。
それが、実際の所、子離れ出来ない親と親離れ出来ない子供が大半だから甘ったれたへなちょこばかりになっちゃったんだよ。
一人暮らしを始めるとその時になって初めて理解出来るものというのもある。
親の苦労なんかもそうだ。
親への本当の感謝の気持ちは、親元を離れなくちゃ分からない部分が多いからね。
俺は、子供の時は相当なやりたい放題だったと思う。
でも、親に対する愛情は勿論あった積りだ。
だけど、それをちゃんと説明してみろって言われても適当な言葉しか出てこなかったと思う。
それは正直な所、親から色々してもらって当たり前って思っていたからだよ。
だけど、一人暮らしを始めると親の愛情に気付く事が一杯なんだ。
親に対する本当の意味での有り難い気持ちってさっきも言ったけど家を出なきゃなかなか分からないものなんだよ。
こういう親への感謝の気持ちをしっかり持つっていうのも成人の条件だからな。
それから、大人と認められると掛け替えの無いものも得る事が出来る。
それは、何だと思う?
自由だよ。
子供には与えられない自由を大人は手にする事が出来るんだ。
その代わり自分の全ての行動にたいして責任も掛かってくるという注釈付きだけどね。
責任だけは、親に被せておいて俺は二十歳になったから自由だとは世の中が言わせてくれないんだよ。
まぁ、何はともあれおめでとう。

性質の悪い馬鹿

昨年の映画興行収入が過去最高に達したらしい。
その反面、一昔前には、若者文化の象徴と言われたミニシアターがぞくぞくと閉館に追い込まれている。
一見、矛盾するこの実態は何故なんだろう?
映画関係者と言われる人達の意見では、最近の若者は、映画を芸術として見たり考えたりする事が苦手で、単純な泣ける、笑えるみたいな作品しか受け入れられなくなったからという事らしい。
最悪だな。
それって要するに若者が馬鹿になったって事だろう?
ちょっと難しかったりすると観る側も多少は考えなくちゃいけないわけだが、それさえも面倒臭いっていう事なんだろうな。
考える事が面倒臭いって事は、頭を使いたくないか使えないのどっちかだ。
まぁ、どっちにしても馬鹿には違いないが。
全く面白くも何とも無いお笑い芸人達が、これだけ騒がれるっていうのも裏を返せばこういう若者達の風潮があるからなんだろうな。
瞬発的には面白いものもあるけど深みみたいなものが丸っきり無いだろ?最近のお笑いって。
そういうのが無いというよりも必用とされていないんだろうな、多分。
世の中が重苦しくて先の見えない時代だからなのかもしれないけど、それにしても次元が低過ぎるよ。
瞬間的に暗い空気を破壊出来ればそれでOKなのかもしれないが、そこからは、何も生れてこないぞ。
それにしても、お前等本当に馬鹿なのか?
PCの難しい事とか簡単に理解しちゃうくせにそれでも馬鹿なのか?
それとも馬鹿のふりしてるだけなのかな?
だけど言っとくが、馬鹿のふりばかりして考える事から逃げてると本当に馬鹿になるぞ。
だって、結局結果は、同じだろ?
馬鹿と同じ結果しか出してなきゃ馬鹿と言われても仕方ないもんな。
それも、努力しない馬鹿だから尚更性質の悪い馬鹿だ。
それと若者に対する苦言をもう一つ。
今年成人になる若者の4割以上が恋愛未経験だそうだ。
どういう事なんだ?4割以上って。
恋愛なんか幼稚園に入った時から経験するのが普通だろ?
小学校に入ったらキスを経験して中学でセックスもしくはペッティングが当たり前だろうが!
どんなに奥手でもプラトニックラブくらいは経験しておかなきゃ人としておかしいぞ。
もし、そういう欲求が無いというのなら異常だから医者に診て貰え。
恋愛ほど人間を成長させてくれるものって他に無いんだぞ。
恋愛未経験の最長記録を作ってギネスブックにでも載せてもらう積りか?
まったく嫌になっちゃうな。
馬鹿な上に極端に消極的なんじゃお先真っ暗じゃないか。
ちんぽだけじゃなくて心も一皮剥けて早く大人になれよ。
君等が持ってる可能性の芽もあんまり蔑ろにしておくと花が開かなくなっちゃうからな。

カーテンコール

大人は、かく戦えりという舞台を観てきた。
勿論、俺の永遠のアイドルの大竹しのぶが出演しているから行ったんだけど。
ストーリーは、子供どうしの喧嘩で片側が重症とは言えないが前歯が二本折れちゃう位の怪我をしちゃったもんで、その和解の為に両親同士が話し合うというものだ。
なので出演者は、たったの4人。
セット替えなんかも勿論無いごくシンプルな俺の好きなタイプの会話劇だ。
舞台が半回転して色んなシチュエーションを観せてくれる大掛かりなものも凄いとは思うが、俺はじっくり一つの事に集中するのが好きな性格だからなのか、こっちのシンプルなスタイルだと妙に落ち着いて安心するたちのようだ。
日本のトップ女優と言われる大竹しのぶが出演しているくらいだから共演者もつわものばかりだ。
演技が上手いとかいうレベルの上の凄い演技だった。
内容は、コメディーなんだけど笑っちゃうっていうよりも彼等の掌の上で笑わせて頂いたという感じだ。
話は、子供の喧嘩の和解話から進行するんだがその時点では、誰もが表の顔しか見せない。
しかし、ちょっとした一言からむくむくと本性が現れてくる。
そして、罵りあいになり、それがお互いの夫婦同士のいびり合いに発展していくんだ。
元々は、他人同士が一つ屋根の下に住むには、色々なものを我慢しなけりゃいけないっていう暗黙のルールが何かの拍子に爆発しちゃう結婚経験者なら誰でも経験するあれだ。
当人達は、攻め込まれないようにしっかり理論武装して自己防御しつつ徹底的に粗探しするわけだから必死だ。
だが傍から見る側としては、格好のお笑いネタでしかない。
そんな中、結婚っていうのは、神様が人間に与えた最も残酷な意地悪だなんていう名言が飛び出してきたりして思わず納得。
その上、ご丁寧に華やかさの向こうに何が待っているのか知らないから皆結婚したいなんて言うんだよって鋭い解説まで付けてくれていたりするから恐れ入る。
そして、結末らしきものを提示せずに観る側に自問自答の機会を残す形で終演を迎える所がまた憎い。
本当は、笑えない話なのに笑っちゃう。
単純じゃなくて深い所もあるのに笑っちゃう。
人間っておかしな存在だなぁって笑っちゃう。
自分もいつの間にか大人になれたのかもしれないなんて含み笑いを浮かべつつカーテンコールの拍手を送った。

ネガティブな表現方法

2ちゃんねるが大混乱に陥っているらしい。
所謂情報流出が原因らしいが、あそこを唯一のコミュニケーションの場にしている連中からすればおそらく大事件なんだろう。
あれが出来た頃は、自分の意見を人前で言えない奴がこそこそ隠れて誰かの悪口言ってるだけの糞の溜まり場だと思っていた。
それが今では一応の市民権を得たというか、取り敢えずは、知らぬ者は居ない存在になったのは確かだと思う。
でも、結局の所、中身にそれほどの進化は無い。
システム的向上という意味じゃなくて内容の事だ。
勿論、有効活用している人も沢山居るのは分かっているが基本的には、やはり糞の溜まり場としか俺には思えない。
しかし、市民権を得たという事は、これが新しい世代の文化だという事になると思うのでそれを全面否定しようとは思わない。
さっき糞といったくせにって?
それは、糞と思ってるから糞と言っただけの話で否定とは違う。
只単に馬鹿にしているだけだ。
俺の辞書には、裏に隠れて誹謗中傷ばかりする奴のことを糞とはっきり書いてあるんだから仕方が無い。
もうちょっとまともなので去年大ブレークしたツイッターがある。
確かに情報は、抜群に速い。
宣伝なんかに使うにはかなりの威力があるのも分かる。
でも、基本はつぶやきだろう?
つぶやきってどういう意味か知ってるか?
相手がいないのに一人でものを言う事だぞ。
要は、独り言だ。
独り言をよく言う人っていうのは、寂しい気持ちの持主なんだ。
単なる無意識のうちに出るものだと思うかもしれないがそうじゃない。
深層心理の中に寂しいという気持ちを持っているから出てしまうものなんだ。
そんな最もネガティブな表現方法の独り言、つぶやきをポピュラーらものに変えてしまったのがツイッターだ。
これを気持ち悪いと思ってしまう自分をおかしいとは全然思えない。
しかし、現状は、世界中で大流行だ。
うちのスタッフも半分はやっているらしい。
あんた、ちょっと頭が古すぎるんじゃないのって?
結構だ。
上等だよ。
意固地になる積りは、毛頭無いが納得出来ないものは出来ない。
俺的には、かっこ悪過ぎるんだよ、ライフスタイルとして。
こういうのって或る意味とても便利なのは分かるけど、その分の代償がとても大きいように思うんだ。
人と人との触れ合いとか温か味とかを犠牲にしているよ、間違い無く。
そういうものに速いも遅いも関係無いし。

別の意味での2割増し

昨日は、1年の目標を2割増しにしとくのが達成への近道だという話をしたわけだけど、今日は別の観点から目標っていうものに関して話してみよう。
単純に訊くけど君等にとって目標って何だ?
これから就職しようって人にとってはいい会社に入る事かな?
もう既に社会に出ている人からすれば自分の店を持ったり会社を作ったりとか色々あるだろう。
独立を考えていなくても成績をどれだけ上げようとか給料が10倍になるように頑張るとかって人もいるだろうね。
スポーツやってるなら記録をどれだけ伸ばそうなんていうのもあるかもしれない。
日本記録更新とか中には世界記録に挑戦している人もいるかもしれないな。
一番分かりやすいからそのスポーツの記録への挑戦というのを例にして話してみよう。
偶々なんだけど2ヶ月位前のサンデーモーニングっていう俺が毎週観ている番組で人間の限界について語るコーナーがあったんだ。
その内容が俺がいつも引っ掛かっていた気になる事の回答を上手い具合に表現してくれていたんでそこからも若干引用して話してみる事にしよう。
陸上男子100メートル走の現在の世界記録ってボルトの9秒58だったよな。
昔は、10秒を切れるなんて誰も思っていなかったもんだが今じゃ9秒台が出せなきゃ論外みたいな事になっちゃってるよね。
凄い時代になったのは確かなんだけどどうして昔は10秒切るなんてあり得ないと思われていたのかって所に注目してくれ。
食生活の向上とか空気抵抗を減少させるウェアとかシューズの進化なんてのも多少は影響しているかとも思う。
だけど、一番の原因は、目標値を上げた事にあるんじゃないかと思うんだ。
これは、世界記録が対象だから人間の限界というものを視野に入れての目標値って意味になる。
それを40年以上前は、人間の限界を考えれば極限で10秒だって誰もが思っていたって事だ。
だが、1968年にジム・ハインズという選手がその10秒を超えてしまった。
そうすると他の選手の意識も変わる事になる。
な~んだ、人間の限界って10秒じゃなかったのかってね。
そして、それが今では9秒半ば迄も来てしまった。
40年前にはあり得なかった事が現実として起こっているわけだが、その原因は、明らかに限界だと思われていた更にその上に限界があったという事を誰もが知ってしまったからだと思うんだ。
人間の心理によってこれだけ数字が変わってしまうといういい例だと思う。
どんな分野でも人間自身が思っている限界と実際の限界との間には、2割の開きがあると言われている。
要するに潜在能力って奴だ。
キン肉マンに出て来る火事場の糞力は、本当は誰もが持っているって事だな。
だから本当は、その糞力の分まで含めて目標にするのが正しいって事だよ。
ってことで君等も今年の目標は、昨日の話とは別の意味で2割増しにしとくのがいいんじゃないかと思うよ。

2割増しの目標

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
さて、新たな年が始まったという事で一年の目標を決めた人も多いとは思う。
別に新しい年になったからっていったって12月31日が1月1日になっただけじゃないかだって?
そりゃそうだ。
君の意見は正しい。
確かにそれだけの事ではある。
だけど、そういう事は、君が自分自身で感情のコントロールを常に出来てリフレッシュも自由自在に出来るならという注意書きも付けておかなきゃいけない。
口で言うのは簡単だがこれを実践出来る人というのは、そう易々と見つける事は出来ない。
人間は、そんなに完璧に出来ちゃあいない筈だ。
ってことで人生にメリハリを付けるという意味でも1年の目標を立てるのは、悪い事じゃないと思う。
その前にもっと長いスパンの目標を立ててから、それを年刻みにして、段階として今年はこれをマスターしよう、クリアーしようというのがベストだとは思うが。
そこで、そんな目標をこれから決めようと思っている君に一つ良い事を教えてあげよう。
目標は、2割増しにしとけ!
これは、歳がいけばいく程痛感する事なんだが、世の中っていうのは、そう簡単に目標を100%叶えさせてくれやしない。
理由はと尋ねられたら、世の中がそういうふうに出来ているからとしか言い様が無い。
だったら最初からその分上乗せしとけばいいって事になるだろう?
これを読んでくれている人の中にはバンドマンが多いと思うのでバンドっぽい目標にしてみようか。
バンドは、動員が多けりゃそれでいいってわけじゃあ勿論ないけど例えとして東京ドームワンマンが目標だとしよう。
それが並大抵な事じゃないのは当然だ。
いきなりドームを見上げたら、でか過ぎて頭がくらくらするだけだ。
でも、その目標を小刻みに段階付けると足元も見えてくるもんだ。
そして、その段階として今年はこれを成し遂げようというものも自然と見えてくる筈だ。
それが動員100人だとしよう。
だったら120人にしといた方がいいよって話だよ。
何でだって?
おい!人の話を聞いてなかったのか?
世の中がそういうふうに出来ているからって、さっき言っただろ!
説明になってないだと?
説明のしようもないんだよ。
敢て言えば世の中はそれほど厳しいって事だよ。
ギャンブルで勝つには、法則があるのを知ってるか?
2割を捨てる事だよ。
10万勝てると思っても8万勝った時点であっさり止めるんだよ。
8万勝ったんだからあと2万位いけるだろうと思う所に落とし穴があるんだ。
偶に勝つ事があってもトータルでは負けてる奴っていうのは、大方このポイントを見逃すからなんだよ。
そんなの今日の話に関係ないって?
あほんだら!
ギャンブルは人生の縮図なんだよ。
言われる前に言っとくが、これも説明しろって言われても出来ないからね。
人生もギャンブルもキャリアを積めば今見えないものも見えてくるから、あと20年経てば俺の言ってる意味が分かるよ。
ためになる話だかいい加減なんだか分からんって気持ちなんだろ?
大丈夫だ!8割は当たってるから。

締めの挨拶

今年も残すところあと僅か。
ってことは、20周年イベント31連発もあと僅かというわけだ。
流石に今月は長く感じるな。
お陰で疲労が目一杯溜まっているのが分かる。
そんな事でこのブログもコンスタントに書けなくなってしまったよ。
いつも読んでくれている人達から昨日は更新されてなかったじゃんなんて言われるのがちと辛い。
今日、明日も合計30バンドくらい出演する長丁場が続くのでおそらくこれが今年最後のブログになるかもしれない。
だからって来年もまた書き続けるわけだけど一応一年の締めとして挨拶だけは、ちゃんとしておきたいと思う。
みんな~!今年も読んでくれて有難う!
これを始めた当初は、読んでくれる人なんかいるのかな?なんて正直な所思っていたのに予想以上に感想とか褒め言葉とか貰ったりするから調子に乗って止められなくなっちゃったよ。
だけど、ここが俺と君等とのコミュニケーションの場にもなっているような気がして遣り甲斐も感じているんだ。
いつまで続けるのか分からないけど取り敢えず納得がいくまで書き続けるからこれからも宜しくね。
結構、攻撃的な事も言っているかもしれないけど、それは只単に君等を責めている積りじゃないのは伝わっているよな?
俺が君等の歳に先輩連中から色々な事を教わったように今度は俺が君等に向かって何かを伝えて行かなきゃいけない筈なんだ。
その時は反発を感じるかもしれないけど後から思うといつの間にか自分の為になっていたって内容に出来る限りしようと思ってるんだぞ、これでも。
てなわけで、ちょっと短いけどこれを今年の締めの挨拶に変えさせてもらいます。
エロ話の時だけじゃなくて真面目な事言ってる時もちゃんと読めよな!

今年の重大ニュース

相変わらず年末になると色んなランキングが発表されるという話はついこの間もしたが、皆にとっての今年の重大ニュースは、何なんだ?
就職したり彼女が出来たり結婚したりと人それぞれあると思うが個人的な事意外に世の中の出来事でいったら何だろう?
菅総理大臣の誕生、尖閣事件、尖閣映像流出、ワールドカップ、記録的猛暑、円高、沖縄米軍基地移転問題、上海万博、南北朝鮮の緊張、iPad発売、口蹄疫、はやぶさ帰還、押尾裁判、ノーベル賞日本人二人受賞、北の後継者金正恩、中国のノーベル平和賞批判、チリ鉱山33人救出、ウィキリークス、朝青龍引退、白鵬63連勝、相撲界野球賭博、バンクーバー五輪、ツイッターブーム、3D映画、ロッテ下克上日本一、エコポイント、煙草値上げ、他にも色々あったと思うがパッと出て来るのはこんなもんかな?
こういうものに順位を付けたがるのが日本人の得意技ではあるが、はっきり言ってナンセンスだ。
新しい総理大臣が生れた事と朝青龍を比べる所に無理がある。
口蹄疫と金正恩と言われてもって感じだ。
それでも今回だけはどうしてもと言われれば、俺はやっぱり尖閣事件だな。
あの事件があってから日本と中国というよりも世界の中での中国の存在というものを再認識出来たと思うし。
実際、俺も中国ってのは本当はどんな国なんだって色々調べたもんな。
そして、あの流出映像だろ?
あの映像を未だニュースにもなっていない時にYou Tubeで発見しちゃったからね、俺。
Sengoku38ってハンドルネームもセンス良いなって思っちゃったし。
日本政府の対応は、あまりにも情けないとは思ったけど力の無さがはっきり見えた所は、かえって見切りを付ける判断が早く出来て良かったのかもなんて思ったりもしたよ。
個人的な出来事では、新たな同棲を始めて1年未満で破綻した事だな。
勿論、反省はしていない。
自分なりのベストは尽くした積りだからね。
情を断ち切る為に酷い態度をとった部分は可哀想だったが、それも相手が少しでも早く新しい一歩を踏み出せるようにという俺なりの気遣いだった事は、いつか分かってもらえるだろう。
もう一つ、長く一緒にやってきたスタッフが辞めて新体制になったという仕事上の大きな変化もあったのが今年だ。
新陳代謝はどんな世界にもあるが、継続させるには避けられないものだという事を痛感させられた出来事だったな。
来年は、どんな年にしたいかって?
そりゃあ、毎日目の前にある事に対してベストを尽くすだけだよ。
そして、そろそろ音楽業界に対して爆弾をぶっ放したいな。
銃撃ぐらいは、もう何回もやってきた積りなんだが何も変わらないから次は爆弾でいくよ。

手中の自由

クリスマスイブは、恋人と二人で過ごすのが当たり前。
なんて思っているのは、日本人と韓国人だけだそうだ。
海外では家族や親戚が集まって日本の正月のように過ごすのが一般的らしい。
日本と韓国だけというのは以外だが思い当たるふしはある。
俺は、過去に一度だけアメリカでクリスマスを迎える事があったんだが拍子抜けだったよ。
だって、全然普段と変わらないんだから。
田舎町だったからというのもあるのかもしれないが日本の方が全然賑やかじゃないかなんて思ったもんな。
以前、このブログでも話したけどアメリカに行っていた時にあんた等アメリカ人は、皆銃を持ってんだろって訊いたら笑われたのと同じ様なもんだ。
島国の悲しさなのかもしれないが、それだけ日本人は、間違った情報に翻弄されているという事なんだと思う。
今は、それほどでもないが一昔前までの日本人は、海外のというよりもアメリカを非常に意識していたものだ。
アメリカがくしゃみをすれば日本は、風邪を引くなんて言葉が流行っていた時期があるくらいだからね。
だからちょっとニュアンスを間違って伝わった情報でもそれが雪だるまの様に大きくなってしまって恰も常識として落ち着いてしまったなんて事柄も沢山有ると思うんだ。
音楽でもアメリカで流行っていると言われれば必ずヒットしていたし、ファッションなんかでも常に影響を受けていたと思う。
乏しいアイデンティティの穴埋めが欲しかったというの正しいのかもしれないが、情けないといえば情けない。
その情けなさの原因は、何だろうと考えると色々思い浮かぶが決定的なのは、自分に対する自信の無さに違いない。
日本人は、好きではないと言う外国人が一番指摘するのがその部分だ。
アメリカでタクシーに乗ると如何に奴等が日本人をなめているのかが分かる。
明らかに遠回りしたり、酷いのはメーター倒さないで実際より高い金額を請求してきたりするからね。
どうせ日本人は、文句を言いたくても言えないんだろうみたいな態度でさ。
こういう糞野郎には、強気で出る以外にあの国での対処の仕方は無い。
強い奴が正しいみたいなのがあの国の常識だから仕方が無い。
そんな糞の様な常識が罷り通るアメリカが、俺は大嫌いだ。
でも、本当は大好きでもある。
自己責任の自由があるからだ。
これがあるからアメリカは、常に堂々として見えるんだと思うんだ。
それに対して日本はというと、悲しいかなここが最大の弱点だと認めざるを得ない。
弱点どころかコンプレックスにもなっていると思う。
必要以上に海外の目を気にするのは、このコンプレックスがあるからに他ならないと思う。
クリスマスイブに恋人と二人で過ごすも普段と変わらず受け流すのも本人が良ければどうでもいい話な筈だ。
堂々と腰を据えてりゃ自由は手の中にある事に気付くもんだ。

乗り越えられる試練 2

昨日は、クリスマスイブだったというのに全然そんな気がしない。
街もなんだかいつもと代わり映えしないし。
不景気だからなんだろうけどやっぱり日本人にとっては正月が大イベントでクリスマスは、懐具合に影響されてしまう、そんな程度のものなのかもしれないな。
さて、昨日の話の続きを読んでくれ。

挫折しそうになったらどうするか。
ここで昨日話した目標を見つめ直す事が大切になってくるんだ。
自分の目標は本当に店を持つっていう事なんだろうかと考えるんだ。
そこで気が付くべき事は、じゃあ、店を実際に持つ事が出来たらそれから先はどうすんだって所だよ。
目標達成してその達成感は得られるかもしれないが、それで終わりで後は隠居あるのみじゃないだろ?
そうじゃなくて店を持つのは、もっと大きな目標に至るまでの過程であって小刻みな目標の一つでしかなかったんじゃないかって。
これは店を持つという目標を掲げる前の段階に戻れば見えてくる事だと思う。
出発点に自分は料理を好きだからというのがあるだろ?
好きな事をやって生きる。
これが本当の目標なんじゃないか?
殆どの人の目標って本当はこれだろ?
好きな事をやって暮らせれば心が開放されるイコール幸せだよ。
このでっかい目標を持っていたら大抵の事は乗り越えられるよ。
ちょっと苦しかったり辛かったりしてもそんなのは蚊に刺されたようなもんだ。
意識をそこまで持って行く事が出来るかどうかで人生は大きく変わるもんだよ。
そして、その目標に至るまでの段階で小刻みな目標を立てていくんだ。
今月は、洗い物を完璧に出来るようにしよう。
その次の月は、玉ねぎとじゃがいもを無駄なく綺麗に剥けるようにしよう。
そのまた次の月は、千切りと微塵切りに挑戦しよう。
そうやって少しづつ階段を上る様にしていけば自分の成長も手に取るように分かってやり甲斐もあるというもんだ。
そして、店を持つという事もそんな目標の一つでしかないと思えばいいんだよ。
店って物質の集合体だろ?
要するに物には変わりないよね。
ってことは、店を持ちたいっていうのは物欲とも言えるだろ?
物欲が人生の目標っていうのは、とても寂しい事だって気付くべきだよ。
自分にとって何が一番の幸せなのか。
ここからスタートしなきゃ命を使い切った充足感は絶対に得られないと俺は思うよ。

乗り越えられる試練

ここのところブログを書く時間さえ無くなってきたよ。
12月の一ヶ月間を20周年月間にしているからでもあるんだけど睡眠時間をキープするのがやっとでマジに一杯一杯の状況なんだ。
でも、それもあと少しの辛抱だ。
辛抱っていうのは、違うかな。
好きでやってるんだからね。
それに関連してってわけじゃないけど最近出演した或るバンドのヴォーカリストがステージで良い事を言っていた。
神様は、その人に乗り越えられる試練しか与えないってね。
この言葉は、以前聞いた事がある。
確か日本人の大リーガーの誰かが同じ事を言っていた筈だ。
実に的を得ているというか本当にそうだと俺も思う。
試練というのは何処の誰にも例外無く降り掛かるものではあるが絶対に諦めないという気持ちがあれば必ず何とかなってしまうものだ。
しかし、その試練の程度にもよるが、途中で諦めてしまう人も実は非常に多い。
っていうか、その試練が大きければ大きいほど乗り越えられる人の数はごく僅かとなる。
だから、乗り越えた時の価値も喜びも大きいわけだが、その乗り越える方法というか、こつみたいなものがあるとすれば人生もうちょっと楽に生きられるかもしれない。
俺の思うそのこつらしきものは、物事を考える角度を変える事なんじゃないかと思うんだ。
試練っていうのは、重く圧し掛かってくる様に苦しく、辛く、憂鬱なものだ。
この苦しい、辛い、憂鬱な気持ちっていうのはマイナスのエネルギーだよね。
だけど、これが全て自分の成長の糧になる要素だと思えればその時点で全てがプラスに向く事になるだろ?
そこまでは、誰でも分かっていると思うんだ。
だけど、頭でそう理解していたとしてもこの試練を目の前に突きつけられると大方の人は尻込みしてしまう。
それは、目標を達成しようという意識の弱さでもあると思うんだ。
ならば、その目標をもう一度見つめ直す姿勢を持つべきなんじゃないかな?
本当にそれが目標なのかどうかってね。
例えば自分は料理が好きだから、将来飲食店を経営するっていう目標を持っていたとするだろう?
だけど、経営の勉強をしなくちゃいけないし、料理の修業もしなきゃいけない。
特に料理の修業なんていったら相当厳しい世界だ。
修行って言うくらいだから試練の連続だ。
これは、実際に俺も経験しているから非常によく分かる。
誰でも挫折しそうになるのが普通だよ。
長くなりそうだから続きは次回ね。

パワースポット

最近は、パワースポットが大人気なんだって?
明治神宮にもパワースポットとして人気の何とかっていう井戸が在るそうだ。
なんでも、そこで拝んだら携帯で写真撮って待ち受け画面にするのが大流行なんだってさ。
3時間から5時間並んでも順番が回って来ない時もあるってくらい大混雑らしいぞ。
ふ~ん。
馬鹿馬鹿しいな。
俺は、超常現象なんかは信じるとかって言うよりもあって当たり前と思っているがこういうのは大分意味合いが違うと思うんだ。
要するに気の流れが良い場所ってだけだろ?多分。
元々、良い気が流れている場所なんて幾らでもあるんだよ。
それを壊しまくったのが人間なんじゃないか。
それにそんなに良い気が欲しいなら毎日ピカピカになるまで自分の足の裏を磨けばいいんだよ。
それだけで相当気の流れは良くなる筈なんだ。
俺が思うに、おそらくプラスイオンの満ちた中で生活している人がマイナスイオンの多い場所に行けば気持ち良く感じてそれがパワーが漲るような感覚を得るように思えてしまうってだけなんじゃないか?
その為に5時間も並んで写真撮って待ち受け画面って、これが馬鹿でなくて何なんだ?
パワースポットって言うなら皆もうちょっと勉強してからにしたほうがいいよ。
これじゃあ、馬鹿の集まる馬鹿スポットだよ。
井戸に手を合わせて結婚出来ますようにとか大学に入れますようにって拝むのかな?
はっきり言っとくけど叶わないよ、そんなもん。
よく神社とかに行って何とか祈願ってやってるけどあれも全部叶わないからな、言っちゃ悪いけど。
ああやって神仏に拝む行為っていうのは、感謝の気持ちを表す為に行うのが本当なんだよ。
何かをお願いするっていうのは間違った習慣なんだ。
金儲けの事しか頭に無い神社仏閣の陰謀に殆どの人は惑わされているだけだ。
もうすぐ正月がやって来るけど、あの初詣っていうのも今年は痩せますようにとか彼女が出来ますようになんてお願いするのは間違った行為なんだ。
そんな事しても痩せないし彼女も絶対に出来ないよ。
初詣の本当の意義は、一年間無事に過ごせました、有難うございましたって感謝の気持ちを表す事なんだよ。
新年早々から他力本願しか考えてないような奴の望みなんか誰も叶えてなんてくれやしないよ。
自分の望みを叶える為の近道は全てにおいて感謝の気持ちを忘れない事だ。
貴方の存在があるから私はこうしていられるんです、有難うってね。
この姿勢を打算抜きに貫く事が出来たら良い結果は後から自然と付いてくるものなんだ。
これが神や仏の本当の教えだよ。

AM4:30 渋谷

昨日は、どうしても仕事で必用な物があるので朝の4時半に渋谷のドンキホーテに行く羽目になってしまった。
日曜明けの深夜というよりも朝方だというのに相も変わらず大勢の人が蠢いている。
獲物を狙う鷹の様にゆっくり走るタクシー。
座り込んだりおそらく徘徊しているだけだろうと思われる少女達。
大声で警官に食って掛かる酔っ払い。
数打ちゃ当たる的に声を掛けまくるナンパ小僧。
いったい何時までやってんだと商売根性丸出しのラーメン屋。
こんな街の必須アイテム、シティーバンクの24時間ATM。
国の家族の為ならと頑張るアジアンマッサージの客引き。
ぼんぼん面で粋がるクラブキッズの纏わり付く某一画。
尋常ではない光景が溢れかえっているのがこの時間の渋谷という街だ。
新宿とは明らかに違う顔が此処にはある。
新宿がアナログなら渋谷はデジタルだ。
新宿は暖かい空気を感じるが、此処には無いのはそのせいなのかも。
渋谷は新宿より年齢層がずっと若いがそんな渋谷をあまり好きじゃないという若者も意外と多い。
それは、疲れるという理由なのかもしれない。
同年齢層が多いからお洒落も頑張って疲れちゃう、とか。
それとも、軽薄な馬鹿馬鹿しさに付いて行くのが疲れるって事かな?

渋谷もそうだけど、どんな街でも時間によって色んな顔を持っているだろ?
そんな中で一番生々しい人間模様が見えるのって深夜だと思うんだ。
もう随分昔の話だけどマンウォッチングっていうのが流行った時期があったんだ。
街中で人が歩いているのをただ見て楽しむっていうものなんだけどね。
俺も影響されて試したんだけど、これがなかなか面白い。
好奇心を活発にするにはとても効果があるんだよ。
一瞬擦れ違っただけなのにこの子は道玄坂のマンションの一画にある怪しいヘルスに務めていて指名は多いんだがその分ストレスが溜まってイライラしているとか想像しちゃうんだ。
さっきから大声で怒鳴っている酔っ払いの中年男は、会社ではそれなりの扱いは受けるんだが、その薄っぺらい人間関係に嫌気が差して自分の人生を想い返すと惨めになるので虚勢を張っているんじゃないか、なんてね。
そうして何人も観察していると必ず微笑ましい気持ちになるんだ。
皆、それぞれ色んなものを抱えているんだなぁって。
それでもきっと前を向いて生きて行かなきゃなって思っているんだよ。
月並みだけど、人間って本当に面白い生き物だよね。

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