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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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過去への固執と拘り

この日記の過去の部分にさかのぼってみると去年の8月1日からというふうになっているが実はそれより1週間前から始まってはいたんだ。
それが操作ミスで消えてしまってその部分だけが見えなくなっている。
という事で何とか1年を経過した様だ。
1年続いたからどうのというものは特に何も感じている訳ではない。
だってたったの1年だからな。
やっと小学2年生になったってだけだ。
おそらく10年経った時にもこの気持ちは変わらない様な気がする。
元来俺はこんな性格だ。
過去に拘るのはあまり好きではないと言うかどうでも良い事と思ってしまうんだ。
それってただ捻くれているだけじゃないのと言われる事も良くあるんだが俺としては至って素直な気持ちを行動に表しているだけだとも思っている。
実は来年でうちの店は20周年だ。
20周年イベントをどうするか。
やるのかやらないのか。
熟考した結果、やる事にした。
ただそれは店に係わってくれた大勢の人の為と自分の子供の様に思っているこの店そのものの為にであってそこに自分自身に向けてのものは一切無い。
だってたったの20年だからな。
ああ、長い事良くやったなと思うとしたら俺が死ぬ間際の数分間でもしかしたら有るのかもしれないがそんなのはいつの事やら分からないので想像もつかないし。
世の中には何周年なんていうイベントを行う風習が幾らでも有るものだ。
それはその出来事を祝うというよりも長い時間の中に節目を付ける事が実は大事だからというふうに俺は解釈している。
要するにリセットして新たな気持ちになってリフレッシュしようって事だ。
言い換えれば強制的新陳代謝だ。
人間というのは同じ事をずっと続けていると堕落するものだ。
思い上がった驕りの気持ちも出て来るし惰性で事を運ぼうとする習性も持ち合わせているものだ。
そんな時に必要なのが節目を作るという事だと思う。
これは仕事でもスポーツでも勉強でも人生そのものにも当て嵌まる筈だ。
だが暫し考えるとそんな節目が無ければ堕落していくというのも情けないものでもある。
そんなものは与えられる前に自ら常に行っていなければならないんじゃないかとも思うんだ。
それも或る程度の間隔毎にというのではなく瞬間瞬間にだ。
これがこの日記の中でも再三言っている生き切るという言葉の意味だ。
毎日、毎時、毎分、毎秒、常に生き切っていれば過去に拘る気持ちは無意味と察するものだと俺は思う。
こんな気持ちは自分の誕生日にも当て嵌まる事でもある。
何歳になっておめでとうと言われれば勿論ありがとうと笑顔を返す。
だがそれはそう言ってくれた人への感謝の笑顔だ。
笑顔を貰えるというのは幸せな気持ちを貰えるという事だ。
それにはお返しにこっちからも幸せを送りたいと思うのは人情だ。
だからといって自分自身におめでとうとは欠片も思っていない。
自分自身になんだお前いい歳してその程度か、全然大した事ねえなっていうのが本音だ。
そういう発想って何か寂しくないですかと言われた事もある。
だけどもしそこでおめでとう、よく頑張ったねなんて自分に対して思ったらその時点で俺は止まってしまう、終わってしまうとも思っているんだ。
未熟者は死ぬ迄未熟のままかもしれない。
だがそこから少しでも成長しようという気持ちは常に持ち続けるべきだしそうでなければ生きている意味さえ無いと思うんだ。
過去の経験を生かして今を生きるというのは大切な事だと思う。
だけど過去に固執してその過去に拘るというのは意味が全然違うと俺は思っている。
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