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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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過去と未来のシンクロ

ゲッ!八月が終わっちゃったじゃないか。
どうしてくれるんだよ!
何処にも行けなかったじゃないか!
若い時分ならそう思ったかもしれないがこの歳になると、もうそんな事はどうでもいいのだ。
やりたい事に優先順位を付けてその一番上に来るものを徹底的にこなしていたら夏休みを取るのを忘れてしまったという只それだけの事だ。
そんな俺は最近、死ぬ事をよく考えるようになった。
どんな死に方をするかという目標みたいなものだ。
首吊ったりビルの屋上から飛び降りたり侍みたいに切腹したりって、オイ!違うだろ!
そうじゃなくて、何を思って死ぬかという意味だよ。
そうすると、やはりこの世に悔いを残さないような心境で死にたいと思うじゃないか。
それを実現する為にはどんな生き方をするべきか。
最近、この日記でも生と死の問題を多く取上げているがそれは若い人達だけの問題じゃなくて俺自身も毎日直面し、実感として思う事が多いからだと思うんだ。
人間っていうのは不思議なもので或る一定の年齢になると大方の人が同じ様な事を考えるものだ。
二十歳の頃には大人って何だろう?
社会って何だろう?
みたいな心境になるだろう?
あらゆる事に不安を感じる年頃だがそれは実践経験が無いから仕方が無い。
これが三十になると今度は自分のやってきた事は正しかったのだろうか?
自分はこれからもこのままで良いのだろうか?
なんて、過去と将来を見つめ直したりするもんだ。
初めて人生の重みを感じるのはこの頃だ。
そして、五十歳が見えてくると死を意識するようになるんだ。
言っておくがこれは決して保守的になったり弱気になったりという意味とは違う。
もっとエネルギーに満ちていると言うか新たな活力が湧いて来るみたいな感じかな。
さっき言ったみたいに納得して死ぬ為にはこの程度じゃいかんみたいなさ。
だから五十歳位の人って若さとは違った別の類のパワフルさを感じたりするだろう?
そして、その先はあくまで想像だが七十、八十になると人生の意義みたいなものが大部分見えてくるんじゃないかと思うんだ。
俺もそこら辺は或る程度、理解している積りなんだが、爺さん婆さんの世代から見れば単なる青二才の戯言に過ぎないからね。
今日は何でこんな話をしたのかというと或る青年と話す機会があったからだ。
彼は二十歳を少し過ぎた位のとても素直な若者だ。
子供から大人になる過程に経験すべき出来事をリアルタイムで消化しているのが手に取るように解る。
自分が通って来た道を彼は紛れも無く今現在通過している最中なんだと感じるのは嬉しい事でもある。
ならば、彼は俺を通して自分の将来を見つけようとしているのかもしれない。
こういうのって過去と未来がシンクロしているみたいで面白いなぁって皆にも気付いて欲しかったんだよ。
同世代と話すのは感覚が近いという事で気が楽なものだが新鮮な感動や驚きは別世代の人と触れた時の方が間違いなく大きいと思うよ。
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