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三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
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真理と宇宙の原理

ブログの世界には色々タブーと言われるものがあるらしい。
野球もその一つだと言うんだがこれはもう過去の話だろう。
昔だったら東京に住む人の9割以上が巨人ファンだったから阪神ファンだとか言ったら喧嘩を吹っかけられても仕方が無いなんて時代もあったものだ。
だけど今はもうサッカーに追い抜かれてるわけだしタブーと思っている人も少なくなったと思う。
他には何だろう?
宗教かな?
宗教団体と言われているものの中には他教を前面否定する所が多いからこれは嵌っているだろうな。
という事で今日はタブーをぶち壊す意味で敢てその宗教の話をしてみよう。
そんな中で新興宗教というのはとかく悪者にされる事が多い。
それは何故かというと実際に貧しさや病気、人間関係の苦しみ等、色々な悩みを抱えている人達が神にもすがる気持ちで頼ってきた切羽詰った状況を利用して金銭を巻き上げたりする悪徳団体が後を絶たないからだ。
まさに弱者を食い物にしてきた奴らがあまりにも多いからこんなイメージが染み付いてしまったんだと思う。
じゃあ、全ての新興宗教がインチキかというとそれは間違いだ。
なんでそんなにはっきり言い切れるのかというと知り合いで新興宗教に入っている人を何人も知っているからだ。
俺の知り合いが偶々そうなんだと言ってしまえばそれまでだが彼等と話していると心を洗われるような気持ちになる事が多い。
それはやはり彼等の心が澄んでいるからだと思うんだ。
そんな彼等が所属する宗教なら真っ当なんじゃないかと思うのが普通だろう?
だが、その反面納得出来ない部分もある。
それがさっき言った他宗教を認めない部分とその宗教団体の価値観を押し付けようとする部分だ。
おそらく彼等は自分の所の教えを広める事が世界の平和に繋がるし人間としての正しい道だと言いたいんだと思う。
それに対する俺の是非はというと非だ。
何故かと言えば正しい道は既に誰でも心の中に持っているからだ。
それを開く事が出来るか出来ないかの違いであって他人に教えられてどうのという問題ではないと思うからだ。
心の中に有るものを引き出す事と教えられる事は根本的に違う。
教えが切欠で開けるというのも一見正しいようで間違いだ。
開くというのは受身ではなく自然に時が来れば開くんだ。
それが若くからの人もいるし死ぬ直前の人もいる。
それでも開かない人は来世か来々世かもしれない。

信仰と宗教は同じ意味のようで実は別物だ。
信仰とは個人のもので宗教は団体なんだ。
そして宗教は人間が広げているだろう?
これが大きな間違いで不完全でしかない人間がどうして完全なものを教えられるんだという矛盾がある。
新興宗教に多い他教への批判もそれが恨みや憎しみに繋がる事を理解していない。
これは本当の信仰とは既に懸け離れたものなのは明確じゃないか。
確かに俺の知り合い達のように或る意味救われて綺麗な心を持った者もいる。
そこまでは大いに結構だ。
だからインチキとは言わない。
でも正しいとは決して言えない。
俺は必要とする人にとっての宗教は拠り所、支えだと思う。
そして信仰とは真実の道理、宇宙の原理だと思う。
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