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渇愛地獄

昨日、一昨日と卑劣な行いをする連中の話をしてきたがこれを読んでいる人達の中にもそれって自分にも当て嵌まると思った人がおそらくいる筈だ。
そんな人は心の貧しさという部分に過剰に反応したことだと思う。
それじゃあその心の貧しさとは一体何処から生まれて来るのか。
今日はそこら辺を掘り下げて語ってみたい。
原因を正せば全ては愛から生まれている。
愛と言うととにかく美しいものという印象しか無いかもしれないが愛には2種類ある事は知っておかなければならない。
言ってしまえば煩悩の愛と尊い愛だ。
煩悩の愛を渇愛、尊い愛を慈悲と言う。
慈悲というのは俺がこの日記の中でもよく言っている無償の愛の事だ。
無償の愛とは読んで字の如し、与えるだけで見返りを求めない愛という意味だ。
無償の愛を口で言うのは簡単だがこれを実行に移すのは並大抵ではない。
だが、それを当然の様にいとも簡単にこなしている存在を忘れてはならない。
君等の両親だ。
親が子を思う愛こそ尊い無償の愛で包まれている事を忘れてはいけない。
最近は親殺し、子殺しなんていうニュースが頻繁に流れているがあれは最早人間の仕業ではない。
人間を捨てた魔物の業だと思った方がいい。
慈悲の心は仏の心の一歩手前位に位置すると思っていれば間違いない。
それじゃあもう一方の煩悩の愛と言われる渇愛とはどんなものなのか。
これは解りやすく言えば無限に求める愛の事だ。
これも字の如しでいつも喉が渇いている状態と変わり無いと思えばいい。
一番解りやすいのが恋愛だ。
俺は君を愛している。
と此処で終わればいいのだがその後に君もそうだろう?とか、だから何々とくっ付いて来る場合はその時点で渇愛と言い切ってしまって間違いない。
俺は君を愛しているからやらせろとか私は貴方を愛しているのに会ってくれないとか全てが渇愛でしかないという事だ。
愛していると与えている積もりでも結局愛して欲しいから愛していると言っているだけの話なんだ。
これはもう完全に見返りを求めているという事になるだろう?
言い換えればこれが恋愛の一番難しい部分でもある。
見返りを求める気持ちが有るから自分が与えているのにそれ相応のものが返って来なかったりすると苦しみや怒りが生まれる。
これを渇愛地獄と言うんだ。
そしてお互い愛しているのに憎しみあったり別れたりという道筋が出来てしまうという訳だ。
最初に心の貧しさは愛から生まれていると言ったがそれはこの渇愛の事で渇愛地獄に嵌った人が心の貧しい人となるという意味だ。
別に恋愛に限らなくても俺はこれだけ働いてるのに給料が安いとかあんなに親切にしたのに冷たいとか約束したのに守ってくれないなんて思う事も渇愛が原因だ。
金を貸してあげたのに返してくれないと怒ったりするのも慈悲の心で貸したのなら返って来なくても構わない筈なんだ。
さっきも言った様に渇愛は苦しみや憎しみも生むという事は覚えておいた方が良い。
渇愛は愛には違いないが諸悪の根源にもなっているという事だ。
やっぱり難解だよな、人生は。
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