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プチ引き篭もり

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
正月っていうのは単なる1年の中の数日間なのに挨拶だけは背筋を伸ばしてきちっとしておこうと思うのはやはり親の教えというよりも体内に組み込まれた日本人の遺伝子の成せる業のような気がしてならない。
さて、そんな正月も早くも3日目だが皆は何処か行ったりしたのか?
里帰りとか初詣とかさ。
自慢じゃないが俺は何処にも行っていない。
大晦日から元旦にかけては実家に顔を出したがそれ以外は家に籠もりっきりだ。
年末の疲れが一気に出たみたいで殆ど布団の中で死んだように眠り続けていたらしい。
これだけ長時間横になっていると人間っていうのは怠惰になるものだ。
行動範囲と言えばベットからトイレの行き来くらいのもんで飯を食うのも億劫になってしまう。
風呂にも入らず髭も剃らず一気に人相も変わってしまったように思う。
日頃の仕事をしている生活に戻れるのか全く持って自信が無い。
ほんの少しだけ引き篭もりの心境に近づけたのかもしれない。
大袈裟ではなくこんな生活を送っていれば人間は誰でも生きる意味を失ってしまうんだろうなとつくづく思ったよ。
ちょっとした切欠でこんな思いをするって事は逆のパターンも大いに有り得るって事なんだろうな。
要するに引き篭もりが社会復帰するのもちょっとした切欠なんだろうなって事だ。
随分話が飛躍し過ぎたようにも思うが的を外しちゃいないだろう?
引き篭もりにはそれぞれ理由もある事と思う。
中には精神的なバランスを保てなくなった人が治療の積もりで使っていた薬が逆に極端に受動的な自分を作ってしまい結果的に引き篭もってしまうというパターンも多いように思う。
だが元を正せば全ての原因は自分の弱さと言うか勇気の無さが生み出した結果だと思う。
そして彼等はそれを何かのせいにしてまるで自分は被害者のような顔をしたりもするが実はそういう姿勢が全ての原因だという事に気がついていない。
大切な第一歩は先ず自分の非を認める勇気を持つ事だ。
去年の暮れに不良とはどんな奴等かという話をしたよな。
純粋な心を持って生きようとしてんのに理不尽な世の中に弾かれ多数派に牙を剥かざるを得ない状況下で悪のレッテルを貼られてしまう連中の事だ。
途中までは引き篭もりも同じだと思うんだ。
ピュアな心を持っていて理不尽な世の中に弾かれる所まではね。
だがその後尻尾を巻いて自分の殻の中に立て篭もるのが彼等のやり口だ。
不良は衝突しながらでも前に進めるが引き篭もりには現状維持しかない。
これは生きていないのと同じ事だ。
自分が正しいと思うのなら例え周囲から非難されても前に進むべきだ。
でなければ非難する側の意見を受け入れた事になるぞ。
それじゃあ自分の存在自体を否定する事にもなるじゃないか。
とにかく引き篭もりには肯定の要素の欠片も見当たらないって事だ。
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