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デリケートで厄介な存在

この間、2012という映画を観て俺が今迄観てきた映画の中でワースト10には絶対に入るという話をしたばかりなのにまたまたそれに匹敵するどうしようもない作品を観る羽目になってしまった。
タイトルはファイトクラブだ。
そう、あの何年か前に話題になったブラットピット主演のあの映画だ。
ストーリーは現実に生きる自分と理想の中の自分が別々の人格となって存在しているという設定で進行する。
ここまではちょっとありがちだがそれなりに観れる。
だが、仲間を集めて破壊工作を始める所あたりからお決まりのハリウッド製駄目映画のパターンが始まってしまう。
そして、最後は殆どギャグとしか思えない程のお馬鹿で詰めの甘い奇麗事でジエンドだ。
実に情けない。
何がってこんな糞映画を観てしまった自分が情けない。
自分の意思で観ようと思って観たわけではないが最初から最後まで観てしまったって事は誰のせいでもない。
責任は俺にある。
今迄映画に捧げて来た愛情を自分で踏み躙ってしまったような感覚だ。
もう何年か前に或る人と俺の大好きな監督の映画を観に行った時の事を思い出す。
素晴らしい作品だったと感動に浸っていた俺は当然この人も同じ思いに違いないと自信を持って尋ねてみた。
「どうだった?」
帰ってきたのは信じられないような「ああ、つまんなかった。時間の無駄だったね。」という一言だった。
俺は、いや、あそこはこういう意味があるんだよとか何とか作品の弁明をしたかった気持ちを抑えて会話を閉ざした。
この出来事を切欠に少なくとも俺の中には二人の間に大きな壁がある事を感じずにはいられなくなったものだ。
自分の大好きなものを馬鹿にされるというのは許しがたい感情が沸きあがるものだ。
だけど、価値観は人それぞれ千差万別だ。
ファイトクラブだってそれなりにヒットしたと記憶している。
そして、酷評されたという話も聞いていない。
という事は作品を観て満足した人が大勢いたっていう事なんだと思う。
肝心なのはここからだ。
価値観は人それぞれだからそれはそれでいいんだと認めてしまうというのが一般的な意見かもしれない。
だけどその対象が映画みたいに大勢の人の心に影響を与えるものだったりした場合は違うんじゃないかと俺は思うんだ。
駄目な物は駄目と言うべきだ。
糞は糞だと言うべきだ。
それをしないで本質以外の部分でいい加減な評価しかしてこなかったからアメリカ映画の質が落ちたんだと思うんだ。
映画はその時代の文化と言っても差し支えないと思う。
だったらその時代に生きる俺達には俺達の文化を見極めて育てていく責任があると思うんだ。
これは音楽も含めた文化的存在全てに対しても当て嵌まるような気がするな。
価値観の相違というデリケートで厄介な存在はプラスにもマイナスにも左右する面倒な感情だという事は間違いない筈だ。
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