ある程度の年齢を重ねると若い時には気付かなかった事、何となく感覚では解っていてもぼやけて見えていた事などがスコーンと明確に判断出来る時がある。
例えば何か一つの出来事があったりすると瞬時に分析してその原因と行き着く迄の理由付け等が見えてしまう場合なんかがそうだ。
そんな意味で最近特に気付くのが若い子達の心の闇の部分だったりする。
闇という言葉を他の表現に変えるとすればバランスの悪さだ。
人間が生きていくうえでの心のエネルギーは3つの欲望で形成されている。
1つは死にたくない、生きていたいという欲望。
2つ目は五感に関する欲望。
例えば何が食べたいとか何が聴きたいとか何が見たいとか。あの洋服が欲しいとかどのアクセサリーを身に付けたいっていうのもそうだし今日は暑いからクーラーを入れようなんていうのもこれに含まれる。
そしてもう一つ意外な欲望が存在するんだがそれを書いた本を以前読んだ時は完全に納得する所迄いかなかったのだが最近やっと理解出来る様になったのはそれなりの年齢になった証拠かもしれない。
3つ目は破壊欲だ。
先に言った2つの欲望を満たすには無意識の場合が多いがこの破壊欲も実は作用しているという事を知っておいた方がより人生と言うか世の中が良く見えると思う。
少し解りづらいかもしれないが死にたくない、生きたいという欲望を満たすにはそれを阻害するもの、例えば病原菌だったり殺人犯だったり自分に危害を加えようとするものに対して破壊欲を抱く筈だ。
学校や仕事場なんかで自分にとって嫌な奴に対して怒りを感じたりするのも実はこの類だったりするんだ。
食物にしても生き物を殺して食べる訳だし電化製品を得るにしてもその分自然破壊をしている事になる。
洋服や装飾品を身に付ける事は違うだろうと思うかもしれないがそれを得る為に仕事をして世の中で競争して戦わなくてはならないだろう?
戦うって事は破壊欲でもあるんだからな。
そうやって人は成り立っているって事なんだ。
最近多く見られる覇気の無い若者達っていうのはこの破壊の部分に恐れを感じているんじゃないかと思うんだ。
それは一見、綺麗な心の持ち主の様に思われるかもしれないが単なる綺麗事に過ぎない筈だ。
だってこの破壊欲が無ければ人間は成り立たないんだからな。
これが無ければ死ぬって事なんだよ。
だから破壊欲が乏しければ生きるエネルギーも欠如して覇気が無くなるって訳だ。
そこに気が付かないで偽善を犯しているのが覇気の無い人間となりこれがもっと進行すると引き篭もりになりもっと悪化すると鬱まで行き着いてしまうんだと思うんだ。
だから破壊欲を否定したい気持ちは解るがそれは矛盾でしかないという事に気付かなくちゃいけないんだ。
破壊という言葉の響きは決して良いものじゃない。
だが、人間はこの欲から逃れる事は出来ない存在なんだという事実を認めるしかないんだ。
悪の根源は全て人間だという事も悟るしかないんだ。
そんな泥沼の中でもがいて苦しみながらでも精一杯生きるのが人間の宿命なんだ。
この世は泥沼だからと言って悲観する必要は無い。
その先があるから大丈夫だ。
近いうちに必ず話す。
俺が一番皆に話したい事は実はそこにあるんだ。
1年近くこの日記を書き続けてきたのはその話に行き着く迄のデモンストレーションみたいなもんだからな。
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