俺は自分の彼女に発想が左翼的だとよく言われる。
自分でそんな風に思ったことはまったく無いのだが知り合いの左翼の人と俺の言う言葉が一致している事が非常に多いというのがその理由らしい。
別に何と思われても構わないのだがそんな事で喧嘩になったりするのは残念で仕方が無い。
俺は思想、発想、嗜好なんかに関しては完全に自由主義だ。
こんなものにレッテルを貼って型にはめ込んだりなんていうのは敢て対立の構図を作るだけで非平和的な行為に思えてしまう。
そこにいがみ合いや潰し合いは生れても明るいものは見えて来ないと思うんだ。
じゃあ、ぶつかってしまった時にどう解決すれば良いのか。
それは愛を持っての話し合いしかないと思う。
お互いに主張するだけでは解決の糸口は見えて来ない。
先ず、相手の意見を十分聞く事だ。
割合は別にしてその中に共鳴出来る部分や新しい発見が少しでもあるかも知れないし。
これは中途半端に妥協する事とは違う。
俺の主義主張を敢て何的というのなら仏教的、宇宙的という事になるのかもしれない。
これは俺に限らず遡って行けば全ての人が行き着く場所だとも思っている。
宇宙的というのは全ての粒子は愛で構成され成り立っているという意味でもある。
その壮大さに比べれば主義、主張も全て飲み込まれてしまうという事だ。
右翼からすれば左翼は悪の対象なのかもしれないしその逆に左翼から見れば右翼は目の敵なんだろう。
だがこの一見水と油と見られる両者も元を遡れば愛の粒子という共通の場所に辿り着く筈だ。
繰り返し言うがこれは妥協や調和の話をしているんじゃない。
何が良いとか悪いとかそういう事でもないんだ。
全ての根源は一つだって事を知って欲しいんだ。
人間は小さな愛の結晶の塊りだ。
そして宇宙の欠片の集合体でもあるんだ。
それは宇宙の一部でもあるって事だ。
こんな話を彼女にしたら理想論じゃなくて現実に今何が起こっているか見なさいよと言われてしまった。
言葉が足りなかったのかもしれないが俺としてはとても現実的な話をした積もりなんだが。
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