今日、古い友人と音楽業界の話をしていると勝ち組、負け組という言葉が出て来た。
ふ~む、久々に聞いたちょっと懐かしい例えだ。
中年に差し掛かったような歳の女性が結婚出来れば勝ち組で出来なければ負け組だなんて使われ方が主だった気がする。
収入が多いか少ないかでも同じ様な言われ方をしていたよな。
だけど収入の場合なんか基準が幾らって決まっているわけじゃないんだから勝ちも負けもないと思うんだが。
って、そんな細かい事はどうでもいいんだが人生に勝ち負けを付けるのはあまり良い事とは思えない。
本当は勝つ時があるから負ける時があるんであって負ける時があるから勝つ時があるというのが正しいと思うんだ。
こんな事を言うとそれは違うだろって思った人が多い筈だ。
生れた時から死ぬまでずっと金持ちの人とか一生貧乏な人もいくらでも居るじゃないかって思ったんだろ?
結婚して子供も産まれて幸せに暮らす人と一生独身の人じゃ明らかに違うじゃないかって思ったんだろ?
だけど、それは金や結婚が幸せの目安になっているからそう思うだけの話だろ?
幸せは心の充足感だよ。
でも、感って付くくらいだから感覚に過ぎないって事でもある。
感覚っていうのはどうとでも受け取れる場合が多いだろ?
いくら結婚出来たからといっても亭主と喧嘩ばかりしていたら幸せだなんて思えないよな。
でも、旦那のちょっとした優しい一言でやっぱり私って幸せだって思ったりもするわけだ。
月給が50万になって幸せだって思ったとしても親の借金の肩代わりをしなきゃいけなくなって返済が毎月45万だったら50万もらっても幸せとは思わないだろう?
心の充足感ってそれくらい不安定で不確かなものだと思うんだ。
そして、この感覚は不思議な事にまるで潮の満ち引きのように交互に訪れるものなんだ。
それは何故かというと人は誰もが良い部分と悪い部分を持っているからだと思う。
そして、身に降りかかる幸、不幸の原因を辿れば全て自分が発しているからだよ。
因果応報っていう奴だ。
肝心なのは潮の満ち引きを如何に察するかだと思う。
満ちている時には思い切り乗っかって引いている時はじっと耐えてまた満ちる時を静かに待つというのがベストだと思う。
そんな事が簡単に出来れば誰も苦労しないけどね。
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