その年に生れた子の名前で三郎は大正時代に何回か一位になっているのに一郎の最高が4位で二郎なんかベストテンに入った事が無いという話をしたら早速コメントを頂いた。
一郎、二郎じゃなくて長男は太郎、次男は次郎なんじゃないかという貴重なご意見だ。
なるほど、そりゃ有り得ると思い早速過去の資料を調べてみる事に...。
しかし、残念ながら太郎も次郎も過去にランクインした事が一度も無いようだ。
これは、不思議だ。
そして、俺なりの結論を出してみた。
名前を付けるのは必ずというわけではないが、大抵は親が決めるだろう?
だから、親の気持ちになって考えてみたんだ。
長男が産まれた時は、感動もひとしおで名前も真剣に考えるからどちらかというと単純な一郎とは付けたくない。
次男の時もギリギリだがこの気持ちはキープされている。
しかし、流石に三人目となるとどうせ上に2人も兄貴がいるんだし何とでもやっていけるんじゃないかなんていう安心感も手伝って気が緩む。
気が付いたら深く考えずに三郎にしちゃった。
どうだ?この推理。
三郎を馬鹿にしてんのかって?
いやいや、別に馬鹿にはしてないけど三男ってやっぱり上の二人に比べてぽよ~んってしてるじゃないか。
おっとりしてるというか、緊張感が足りないというかさ。
誰もがそうだっていうんじゃなくて傾向としてそうだろ?
それは、甘えさせてくれる人数が兄貴達より多いし責任もあまり掛かって来ないからだろ?
長男は家を継ぐ身としてしっかりして欲しい。
次男は兄貴より身軽な分、自由に生きさせてやりたい。
だけど三男はどうしよう?
優しい人間になってくれればいいか、なんて思っちゃうんじゃないの?
勿論、親だから子を思う気持ちは均等なのは当たり前だけど無意識の内にそんな役割分担みたいなものを作っちゃってるんじゃないのかな?
全国の三男諸君には顰蹙だろうけど実際に男三人兄弟を見渡すと大体そんな感じじゃないの?
でも、物心付いた辺りからはもう自分自身がどう生きるかだからどうでもいい話だけどね。
さて、それじゃあ今度は女の子の名前だ。
ふむふむ、今、資料を見てるんだがこれは男以上に面白いぞ。
そして、時代を反映という部分でも非常に分かりやすい。
大正時代初期は、断然カタカナの名前が多いんだ。
ハルとかヨシとかトミとかね。
これは、いったい何を意味しているのか?
続きは、また明日にしよう。
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