俺は仕事柄いろんな人や会社のホームページを見る機会が多いのだが最近本当に皆凝っていて凄いな~と関心させられる事が多い。
もう情報というより一つのアート作品と言える様なのも有るしな。
だけど今の時代を反映する様にそういった表向きの着飾り方は良いんだが唯一個人の姿というか心の内が諸に見えるブログに関してはろくな物が無い。
今日何処へ行きましたとか何を食べましたとかそこ迄は良いとしてもその先にだからどう思ってこうなんじゃないかという本人の気持ちの部分が何も無い物が殆どだ。
そんなの読まされたってだから何だよって思っちゃうだろ?
小学生の日記でももう少しましだと思うよ。
これはどういう事かと考えてみたんだがやはり日頃から人とのコミュニケーションが上手く取れていない人が書くとこうなるんじゃないかと思ったんだ。
そういう人はブログなんてやらない方が良いんじゃないかとも思うがそれでも何かを書いているって事は誰かに何かを伝えたいって姿勢は有るって事だ。
掘り下げて言い換えれば自分の存在価値を認めて欲しいって意味も含んでいるんだと思うよ。
だけど普段から人と真正面から触れ合っていないからその気持ちをどう表現して良いのか分からず取り敢えず自分の周りで起こった出来事を列記しているだけに留まっているって感じがするなあ。
これは一種の対人恐怖なのかもしれないな。
何か言いたいけど本音を出すのが怖いと思っている気がしてならない。
だからそんなブログを読むと何か寂しいものを感じてしまうんだ。
孤独で寂しい人がオナニーをしている姿を見せてる様なイメージすら受けてしまうんだ。
パソコンとか携帯とかどんどん進化するのは便利で結構な事ではあるけどそれと引き換えに失っていくものも同じ位の速さで進行しているような気がしてならない。
そんな機械達の大きな目的の一つは情報が限りなく行き届き、人と人との間が近くなるって事だった筈なのに実はまるっきりその逆に世の中が進んでいるとしか思えないのは皮肉な事だ。
やはり何処かでこの流れは修正しないと不味いんじゃないか?
気が付いた時には手の施しようが無い位に乾ききった心の持主しか居ない悲惨な世界になっちまうぞ。
若い君等にとっては今の世の中が普通の事だと思っているかもしれないが君らより多分20年以上長く生きて来た俺には過去と現在の大きな違いが手に取る様に見えるんだ。
それが良い方に変わったんなら文句は無いが明らかにそうではないって事は知っておいて欲しい。
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