恋人としてこの人は自分にとって最良のパートナーだと思って付き合ってはみたがその最良がパーフェクトという程ではないという事はよくある事だ。
っていうかほぼ殆どの人達がそう感じているのではないかと思う。
そして熱々気分も程なく落ち着いた頃によりパーフェクトに近いと思われる新たな人に出会ってしまう。
これも非常にありがちな出来事だ。
そしてこの時点で皆、悩むわけだ。
勿論、俺もそんな思いは腐る程経験してきた。
若いうちはそんな時に新たな人の方へ靡く事の方が多いと思う。
それはそれで今迄の人とのけじめをしっかり付けていれば悪い事ではないと思う。
だがある程度の年齢になるとそんな新たな出会いに関して或る意味疑問を感じる様になるものだ。
何かおかしいというか不思議な気持ちになるんだ。
これって誰かに何かを試されているんじゃないかみたいな感じがするんだ。
毎回新しい人へ移っていった俺がどうなったか。
結局何も変わらなかった様な気もするんだ。
勿論、その都度の恋愛で色々な事を経験して人間的には成長出来たと思っている。
だから後悔も無いしその時の相手に対して感謝の気持ちも沢山持っている。
それは良いのだが別の意味でじゃああの時踏み止まっていたらどんな結果が訪れたのだろうという事も考えると微妙な心境でもある。
中身は成長出来たがもし生涯を共にするパートナーを探す事が人生において大切な義務の様なものだったとしたら何の進化も無いって事になる。
俺はガキの頃から自由を妨げるものとは尽く対決してきた積もりだ。
それはその都度自由を選択する事が最も大切で最も幸せな生き方だと思ってきたからだ。
だから自分の生き方に対しての自信も誇りも持っている。
だが世間一般の幸せの捉え方とは隔たりがある事も知っている。
俺みたいな生き方は自由奔放と言えば聞こえは良いがそんなのは只の我がままで自己中心的な生き方に過ぎないって事になるんだろう。
幸せの捉え方は人それぞれだから自分の生き方を押し付けたり自慢しようなんて気持ちも毛頭無い。
だが自由を追い求めていくと最終的には必ず個に戻るという事は間違いない様な気がする。
以前にもここで書いたが俺はそんな事を既に中学の時に嫌と言う程思い知らされた経験がある。
服装や髪型に関して学校側と対立していた時の事だ。
俺達は数十人で抗議行動をとっていた。
だが卒業が間近に迫るに連れ生徒一人一人が学校側に呼び出され皆、挫折していった。
挫折という表現が妥当でないのなら妥協でもいい。
そして皆、平和に卒業していく道を選んだんだ。
とり残されたのは俺一人だ。
今更思いを曲げたあいつ等を責めようなんて欠片も思ってはいない。
それが彼等にとっての最良の選択肢だったんだから仕方が無い。
自由を追求すれば個になる。
いい勉強をしたと思っている。
勿論これからも個で有り続ける事は覚悟しているがそれを君等にも押し付ける事はしてはいけないとも思っている。
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