この日記を書き始めた頃にクラブやライブハウスなんかでの楽しみ方に付いて少し触れた事が有った。
ただボーっと突っ立っているだけでもそれはその人の楽しみ方なんだからそれをとやかく言うべきじゃないみたいな内容だった様な気がする。
まあ、ライブハウスではよく見かける状況なのだが後ろはギチギチなのに前がポッカリ空いているという事が有るがこれなんかも遊びがへたな日本人なら納得出来る事だったりする。
もっと前に行きたい気持ちは有るのだろうがそれを攻める事は少し違うと思う。
うちの店は再入場が出来るのでつまらなければ外に出ればよいのだがそうしないという事はつまらないから前に行かないという訳では無いのだ。
俺はこれが大方の日本人のスタイルなのだと思う。
こういうスタイルはスポーツの世界でも見られたりするものだ。
俺は昔からプロレスが好きで会場にもよく見に行ったりするのだが空気が出来上がる迄はまるでお通夜みたいに静かな時が有るんだ。
だけど皆席を立ったりする訳でも無い。
皆、真剣に観戦しているんだ。
要するに日本人は真面目なんだという事だ。糞真面目なんだ。
これは決して悪い事じゃあない。寧ろ良い事の筈だ。
だけど遊びの時間にも消す事が出来ない所が不器用というか少し悲しい気もする。
これは大昔の儒教の精神の影響と国民性としてシャイなんだという事も大きいとは思うがもう一つ心当たりが有る。
それは日本人が何でもかんでも道にしてしまうのが大好きだという点だ。
典型的なのが野球だ。
野球とベースボールは明らかに違う。
ベースボールはスポーツで野球は野球道なんだ。
極端な言い方をすれば精神修行に近い空気が有る。
朝青龍が細かい部分で何かと顰蹙を買っているのも彼が相撲道の道の部分が理解出来ていないからだと思う。
昔、或る大リーガーが日本に来て突然帰国した事が有った。
その時その選手が俺はベースボールをする為に日本に来たんで野球をする為に着たんじゃないと言った事が有るがそれと同じだと思う。
音楽に関しても日本人はやたらと理屈から入る人が多い。
ジャンルがどうのとか音色がどうのとか。
この時点でもう音楽道にしたがっているふしが有る。
ただ単純に楽しもうというのより何かを極めているかなんていう道が大好きなんだと思う。
前に出てイェーイよりも一歩引いて極めているか観察するのが好きな人の方が多いんだと思うんだ。
俺はバンドと一緒に何回かアメリカツアーをした事が有るのだが初めて行った時は流石に戸惑った部分が有った。
向こうの余りにも開放的な空気に付いていけないんだ。
そして、そんな自分にストレスさえ感じたものだ。
だが、2回目以降から向こうに行ったら向こうの人間になる積もりで行ったのだがこれが非常に良かった。
毎日楽しくて仕方が無いし友達も大勢出来るし、ついでに向こうのバンドも交えてのオムニバスも出せる事になったし、マネージャーをしていたバンドの契約も取れたしでいっその事アメリカに移住しようかなんて本気で考えた位だ。
だが日本に帰ってくるといつの間にか日本人に戻っているんだ。
日本人の奥床しさとか律儀な所とかやっぱり良いなあなんて思ったりする訳だ。
じゃあ、どっちが良いんだという話だ。
これは非常に難しい。というか出来無い。
両方の良さを知ってしまっているからだ。
だから遊び下手の日本人を見てももっと全身で楽しめば良いのになんて思う反面こういうのもスタイルなんだから良いんじゃないかと思うんだ。
昔、俺に英語を教えてくれていた帰国子女の女性の先生がよく零していたのを思い出す。
日本人は私が感情をストレートに出すと怪訝そうな顔をすると。
彼女は日本人ではあるが中身はまるっきりアメリカ人だった。
日本人からするとどうしても大袈裟に見える訳だ。
俺は、いいんじゃないの、そんな事気にしなくても。自分が良けりゃいいじゃん。
なんて答えた記憶が有るがそういうもんだろう?
以前、どうしても消極的に見える日本人を批判する文章を書いたと思うがあれは本来の俺の姿だ。
だが、もっと冷静に客観的に判断するとこういう事になる。
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