男と女が恋に落ちる時というのは、必ずそこに切欠というものがある。
そして、それが所謂出会いであるわけだけど、この出会いっていったい何だろう?
仕事だったり学校だったりに行っていれば必ず何人もの異性と係わるのにそれを出会いとは言わないよね。
もっと極端に言っちゃえば毎日外を歩けば色々な異性と擦れ違うし、店に入ればその店の異性と会話もするわけじゃないか。
いらっしゃいませ、ご注文は?
カレーライス下さい。
これも異性との係わりと言えないわけじゃない。
そうやってどんな所にも異性と恋をするチャンスは、転がっている筈なのにそれを出会いとは言わない。
そんなチャンスは無視をしていながら誰しもその得体の知れない出会いを求めているって不思議だと思わないか?
要するに運命の人と出会いたいって事なんだろうけど。
運命の人・・・ってこれも益々曖昧だ。
その人が運命の人かどうかなんてどうやって見極めるんだよ?
セックスまでいったら取り敢えず運命の人って言うのかな?
それだったらソープ嬢なんて1日に何人もの運命の人に出会ってる事になっちゃうし。
これは、あくまで俺の予想もしくは妄想かもしれないけど、運命の人との出会いってお互いの心の位置みたいなものが一致していないと只の擦れ違いでしかなくなるような気がするんだ。
こんにちは、あっ、どうも。
で終わるくらいは未だましな方で本当に擦れ違うだけのその他大勢の中の一人みたいにね。
そして、その位置が低い所に居れば低い位置に居る人としか出会わないし逆に高ければ同じような高さの人としか出会わないような気もする。
あくまで出会うと係わるが別のものとしての話だからそこは勘違いしないでくれ。
よくある話で今まで何とも思わなかったのに或る日突然異性として意識するようになる事ってあるだろう?
そういうのってどちらかの心の位置が変わったって事だと思うんだ。
俺のイメージしている事がもし正しいとすると人として素敵な人と出会うには自分も素敵な人でなければ出会えないという事になる。
いくら表向きを着飾っても何の効力もない。
いやらしい目付きで挑発しても何の発展も生れない。
同じ付き合うなら誰だって人として魅力的な相手と付き合いたいって思うよね?
そして、それが運命の人であって欲しいと願うよね?
だったら先ず自分の心を成長させる事が先決だ。
最高の運命の出会いが有るか無いかは、全て自分次第って事のような気がしてならないんだ。
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