毎日ライブを観ているとバンドに華が有る、無いという違いがはっきり見える。
ステージに立つ側からするとこの差は、とてつもなく大きいものだ。
そして、それは人気のバロメーターとも言えるお客さんの動員という目に見える形としても現れる。
それじゃあ、この華って何なんだと言うと如何にも漠然とした答えしか返ってこない。
持って生れたものが華なのか?
それとも育っていくものが華なのか?
その答えに関しては、非常に分かりやすい例がある。
長年、脇役専門として活躍した俳優が、徐々に主役となっていく例等は、その典型だ。
こうやってセンターを得た人の座は、並大抵の事では揺るがない。
ちょい役、脇役時代に作り上げた土台が磐石だからだ。
こういうのが理想的な華の形なのだろうと思う。
そして、この華に成分という物があるのだとしたらそれは人から貰ったエネルギーだと思う。
華を持って生れたと言われるような人というのも実は、子供の時の環境から生れたもので、本当はこの世に生まれた瞬間から備わっていたというわけではないような気がする。
○○ちゃん可愛いね、なんて大勢の人から持て囃されていた事が多ければ多い程、結果としてそれが華へと進化していったという事なんじゃないかな?
でも、それだけじゃあ華と言っても華奢な華だ。
いつ枯れて萎んでしまうかも分からない。
勢い付いている時はいいが、一旦元気を無くすとなかなか元には戻らない。
華と花は違うけど人を魅了する非凡な存在という意味では、花も華の内だ。
そんな、花のように人を魅了する事を生業にしている人達だけにこの華が必用なのかというとそうとは限らない。
人が10人集まれば、大抵一人は華のある人がいるものだ。
野球やサッカーで1チームに必ず一人は華のある奴がいるのと同じだ。
これが、華奢な華なら立場は微妙だ。
なんだよ、あいつ、一人だけ目立ちやがってと陰口も何処からか聞こえてくる事だろう。
でも、それが名脇役から上り詰めた華ならそうはならない。
地味な役も散々こなしているからちょい役、脇役の気持ちが理解出来るからだ。
役者だろうと一般社会人だろうとどんな所にもステージは有る。
そして、人のエネルギーを貰って育つ華に焦りは禁物だ。
じっくり地盤を固めて他人の気持ちも理解しながら徐々に徐々に光を増していく事が肝心だ。
そんな磐石の華に育つかもしれない人達に出会える場所に居れる事。
それが、俺の密かな幸せでもある。
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