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調和と曖昧の境界線

電力使用制限令ってのが7月1日から発動になった。
出来る限り協力したい気持ちはある。
だけど、どうも胡散臭い。
確かに真夏ともなれば電気使用量が増加するのは分かる。
でも、毎日発表されているあの供給量に対する使用量っていうのは本当なのかなぁ?
なんか原発が無くなったらこれだけ困るんですよっていうのをアピールしようとしているようにしか思えないんだが。
こんな不信感を感じるようになったのは、やっぱり嘘の発表をし続けた東電の責任だと思うが、言い換えれば政治家を筆頭にどうとでも受け取れる中途半端な姿勢を時には美徳としてしまう日本人の体質が根本的原因のようにも思えてしまう。
確かに何に対してもはっきりした事を言ってしまうと誰かを傷付けてしまうという場面に出くわす事は、常日頃から珍しい事ではない。
だから、そういう姿勢が思いやりと言えなくもないのは分かる。
日本人は、世界で最も思いやりのある民族だと言われるのは、そんな所からだと思う。
逆に日本人は、何を考えているのか分からないと一歩引いて見られるのも突き詰めれば原因は、同じ筈だ。
極論を言ってしまえば、特にアメリカ人、韓国人には、イエスとノーしか通じないと思ってしまってもいいかもしれない。 
価値観の相違と片付けてしまえば簡単だ。
でも、世界という意味で照らし合わせてみれば圧倒的に日本人のスタイルの方が少数派だという事は、常識として弁えておいた方が良いと思う。
そして、欧米化が進んだこの国にも既に多数派の良さが浸透しつつあるのは、火を見るより明らかだ。
曖昧さと明白を上手く使い分けるのが、より良いという意見が聞こえてきそうだ。
だが、その結果が現状のような不信感を生んでしまったという事は、やはり日本人の言葉の使い方にも限界があったと認めるべきだと思う。
癌患者にそれを宣告するのが良い事なのかどうか。
今から二十年位前にこんな問題が議論されたのを君等の世代は知らないかもしれない。
それより以前は、そんな宣告を本人に直接する医者なんていなかった筈だ。
それが、時代の変化と共に宣告も当たり前と大きく流れが変わっている。
医学の進化によって癌も不治の病ではなくなったからだというのも確かに大きな原因の一つだと思う。
だが、もっと大きいのは、人々が真実を知る自由を選択肢に加えた事だと思うんだ。
それを知る事で新たに今後を如何に過ごすかを考える自由を手にしたとも言える。
俺は、自分自身がイエス、ノーをはっきりしなければ気が済まないタイプだと思う。
でも、全てをイエス、ノーで済ませているかと言えばそうではない。
否定しながらも曖昧な言葉をいつの間にか使っている自分に気が付く。
やはり、どう足掻いても日本人だ。
調和と曖昧という悶々とした境界線を越える事は、俺の世代ではまだまだ難しいという事なのかもしれない。
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