この間のりぴーの話をした時にウイリアム・バロウズのNAKED LUNCHっていう小説があって映画にもなっているから興味のある人は観てみたらって言ったのを憶えているかな?
あの後に言いだしっぺの俺が言うのもなんだが俺も久々に観たくなってうずうずしていたんだ。
あの映画は今から18年前の作品で当時1ヶ月に20~30本は映画を観ていた俺としては見逃す筈も無くレンタルショップに陳列されると同時に借りにいった様な記憶がある。
その頃レンタルしたもので気に入った作品は必ずダビングして2度3度再生しながら脳裏に深く刻み付けるという作業が日課になっていた時期でもあり当然この作品もそんな運命を辿るものと思っていた。
死ぬまでに1本でもいいから自分の手で映画を撮ってみたいという夢があるので少しでもその夢に近付く為の地道な行動でもあった訳だ。
だが、予想に反してこのNAKED LUNCHはダビングしなかったんだ。
それはあまりに後味が悪かったからだ。
自分自身を正当化しようとするとこういう表現になる。
だが時が経ちこの日記に作品名を引用したのを切欠にうずうずを解消する為と当時の俺の判断が正しかったのかどうかを検証する意味も込めてネットで探し出してDVDを手に入れる事にしたんだ。
今さっき18年ぶりに観返してみるとグロテスクではあるが以前の印象とは丸っきり違っていた。
現実と幻覚の入り乱れた中に現れる化け物達の異様さにばかり気を取られてアーティスティックな部分を完全に見逃していた自分を恥じるしかなかった。
極限のアートとは狂気と紙一重の所に存在するものだという事をまるで理解出来ていなかった自分が情け無い。
やはり若いという事は無知という事でもあるのがつくづく解ったよ。
自分では正しいと信じていた事が上っ面だけでその奥に隠されている本質を見抜けなければ単なる勢いだけのお調子者と言うしかない。
なんて、さも今は何でも本質が見えるみたいな事を言っているが俺より20年、30年長く生きて来た人達からすれば俺も未だ青二才なのかもしれない。
何処までも延々と続く道のりの終着点っていうのは本当は無いのかもしれないな。
だから人間は不確かなものを追い求める不確かな生き物なんだろうね。
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