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理不尽な世界

 

裁判員制度がいよいよ5月から施行される事になるがこれによって非常に微妙な立場に追い込まれてしまう人達がいる。それは宗教関連の人達だ。
元来の教えとしてキリスト教でも仏教でも人は人を裁けないと教えているからだ。この人達はいったい裁判員に選ばれてしまったらどうするんだろう。
法廷の場で人は人を裁くべきではないとはっきり意見を述べるという方法が無いでは無いがそんな事をしても進行の妨げでしかないのは分かり切っている。
それではその教えにある人は人を裁けないというのはどういう意味なのか今日はそこのところを少し話してみる事にしよう。
我々は実は子供の頃からこの人が人を裁くという行為に近いものを経験しているのを解っているだろうか?子供の時は裁かれる側が殆どではあるが。
例えば兄弟喧嘩の時は親に、学校で問題を起こした時は先生にそれぞれ裁かれている筈だ。これがどうして成り立つのか考えてみよう。
答えは簡単だ。大人と子供だからだ。
だがこれが大人同士という事になると話は難しくなってくる。何故なら大人と子供の方程式が成り立つのであれば裁く側は裁かれる側より確実に人格者として上位に立っていなければならないという事になるからだ。
この判断ははっきり言って非常に難しいと言うか無理である。
何故なら裁く側にしても罪を犯す可能性が無い等と言い切れないからだ。そんな完璧な人間などこの世に存在しないし人間はそれほど未完成で弱い存在だからだ。
宗教界が裁判員に選ばれた時に困惑するのはこういう部分だと思う。
俺は宗教には入っていないが信仰は仏教だ。宗教界の人達の言っている事は非常に良く解るし同意見だ。
その上に敢て俺の意見を言わせて貰えばこの世が理想郷に達しない限りこの問題の結論は出ないと思う。
この世とは、思えばそんな理不尽な事が何処にでも存在している未成熟な世界なのではないだろうか。

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